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婚約破棄されたけど、仇を討ちさえすれば、元鞘だ!

作者: 柏原夏鉈

王宮の庭園は静寂に包まれていた。薄明かりの月が、池の表面を銀色に輝かせている。


騎士の青年ライカは、その場に立ち尽くしていた。心は冷え、言葉は喉に詰まり、目の前の光景が現実だとは信じられなかった。


ライカの婚約者にして、ライカと歳の近い第五王女セラフィーナは、その長い白髪が月光で輝き、神秘的であった青い瞳は少し濁り、ライカに冷たい声で宣言した。


「あなたとはもう婚約者でいられない。婚約は破棄します」


ライカの心は砕け散り、言葉を失った。


「セラフィーナ様……」


ライカの声は震えていた。彼の前に立つセラフィーナは、その顔やその瞳は悲しみに曇っていた。


「ライカ、ごめんなさい。でも、これは私たちの未来のためなの」


「未来のため?それがどうして私たちの婚約を破棄することに繋がるのです?」


ライカの問いかけに、セラフィーナは目を伏せた。その時、セラフィーナの背後から別の声が響いた。


「セラフィーナ様の決断を尊重するべきだ、ライカ」


壮年の宮廷魔術師マルコスが、闇の中から現れた。彼は平民出身のライカを、セラフィーナの護衛に推挙して、後見人となった人物である。


マルコスが静かに歩み寄り、震えるセラフィーナの肩に優しく手を乗せた。その手をセラフィーナは手繰り寄せるように、マルコスの腕の中に納まった。マルコスはライカを見つめ、その眼差しは冷たく、どこか満足げに見えた。


「マルコス様、あなたが何か言ったのですか?」


ライカは拳を握り締めたが、マルコスは微笑んだだけだった。


「私が?いや、セラフィーナ様が自分の心に正直になっただけだよ」


「それは嘘だ、セラフィーナ様!君の本当の気持ちを聞かせてくれ!」


ライカの声に、セラフィーナは再び顔を上げた。彼女の目には涙が浮かんでいた。


「ライカ、あなたのことは大好きよ。でも、マルコスが私の真の運命だと感じているの」


「そんなはずない!何かが間違っているんだ!」


ライカは近づこうとしたが、マルコスがセラフィーナの一歩前に出て彼を阻んだ。


「もうやめろ、ライカ。セラフィーナ様は私と共に未来を歩むことを選んだんだ」


マルコスはセラフィーナの方を向き、彼女の手を取った。


「セラフィーナ、ずっと君のことを愛していたんだ。ライカがいるから言えなかったが、今なら言える。君と共に未来を築きたい」


セラフィーナは驚いた表情でマルコスを見つめた。その後、彼女の表情は次第に和らぎ、彼の手をしっかりと握り返した。


「マルコス、私もあなたのことを愛しています」


ライカはその光景を目の当たりにし、息を飲んだ。


「さようなら、ライカ」


セラフィーナはマルコスの腕を取った。そして二人は庭園を去っていった。ライカはその場に立ち尽くし、冷たい風が彼の頬を撫でるのを感じていた。


ライカは空を見上げた。星々が静かに輝いていたが、彼の心には何の光も差し込んでこなかった。



   ◇   ◇   ◇



時は遡り、王宮の庭園での婚約破棄の半年前。


訓練場の広場は砂塵が舞い、朝の冷たい空気が漂っていた。


騎士たちは息をのんで模擬戦を見つめていた。若き騎士ライカと熟練の騎士団長ガラハは、互いに対峙し、鋭い視線を交わしていた。


ライカは、珍しい黒髪と黒い瞳を持つ高身長の青年だ。短く整えられた黒髪と鋭い瞳が強い意志を感じさせる。引き締まった体躯がその鍛錬を物語っている。


「始め!」審判の合図とともに、ガラハは素早く動き出し、その剣技の鋭さと速さはさすが騎士団長の名に恥じないものであった。しかし、ライカは流れるような動きでガラハの攻撃をかわし、反撃を繰り出した。


「すごい!」


観戦している騎士たちは、ライカの圧倒的な技量に目を見張った。ガラハの剣は次々とライカに受け流され、そのたびに隙をつかれて攻撃を受ける。しかし、ガラハは動じることなく攻撃を続けた。


ライカは無駄のない滑るような足運びでガラハの懐に入り込んだ。そして、一撃でガラハの剣を弾き飛ばし、彼の剣は宙を舞い、地面に突き刺さった。ガラハは驚愕の表情を浮かべつつも、即座に冷静さを取り戻したが、すでに遅かった。


ライカの剣はガラハの首元に鋭く突きつけられていた。刃の冷たさが肌に伝わり、ガラハは息を呑んだ。周囲の騎士たちは静寂に包まれ、ただ見守ることしかできなかった。


「参った」


ガラハは潔く負けを認め、深く息をついた。その言葉とともに、場内は再びざわめきに包まれた。ライカは剣を引き、尊敬の念を込めて一礼した。


「素晴らしい腕前だ、ライカ」


ガラハは微笑みながら、ライカの肩を叩いた。


ライカは深く頭を下げ、誇らしげな笑みを浮かべた。観戦していた騎士たちも、一様にライカへの敬意を表し、拍手を送った。


入団当初は平民のライカを、貴族の子息である騎士たちはバカにして受け入れなかったが、その剣術の冴えは凄まじいの一言で、認めざるを得なかった。


その差は歴然であり、手も足も出ないほどの実力差では、嫉妬しようもなかった。


騎士団長さえも下したという報告は王の耳に届き、ある決定が下された。



   ◇   ◇   ◇



その日も、ライカは木剣を手に取り、ひたむきに鍛錬を続けていた。


王宮の訓練場には夕日が差し込み、柔らかな光に包まれていたが、その動きは鋭く、同時に美しさを感じさせるもので、訓練を終えた周囲の騎士たちも思わず見入ってしまうほどだった。


「ライカ、もう終わりにしたらどうだ?」


仲間の騎士が声をかけたが、ライカは微笑んで首を振った。


「ありがとう。でも、もう少しだけ続けたいんだ」


彼は剣を握り直し、再び動き始めた。その姿勢からは決意と覚悟がにじみ出ていた。


その時、訓練場の入り口から一人の女性が現れた。美しい青いドレスをまとい、優雅な歩き方をするその女性は、第五王女のセラフィーナだった。彼女の存在が場の空気を一変させ、訓練場の騎士たちは一斉に頭を下げた。


「ライカですね?」


セラフィーナの澄んだ声が響く。剣を振ることに夢中になっていたライカはセラフィーナの突然の乱入に気が付かず、皆のように頭を下げるタイミングを逃していた。


ライカは驚き、木剣を止めて刃にあたる部分を掴み、地面に木剣を置いた。そしてそのまま膝をつく。


「はい、王女セラフィーナ様。ご用件は?」


「あなたは私の護衛に選ばれました。そのことを誰よりも先にあなたに伝えたくて来ました。これからの旅において、共に過ごすことになりますね」


ライカは驚き、そして深く頭を下げた。


「光栄です、セラフィーナ様。あなたの安全をお守りするために、全力を尽くします」


セラフィーナは微笑み、しゃがみ込んで、ライカに近づいた。その様子に驚く周囲の騎士たち。


「あなたの剣技は素晴らしいですね。見ていて感動しました」


「ありがとうございます。でも、まだまだ未熟です。もっと強くならなければなりません」


その時、別の声が聞こえた。


「ライカの剣技は一流だ。だからこそ、私が推薦したんだ」


壮年の宮廷魔術師マルコスが現れた。


マルコスは若い頃から王宮に仕えており、その知性の高さから王にも信頼されている人物だ。


短く整えられた銀髪、肌は白く、整った顔立ちはまるで彫刻のように端正であり、どこか冷たい印象を与える。背は高く、細身の体型だが、鍛錬によって鍛えられた筋肉がしっかりとついている。


「セラフィーナ様に先を越されてしまったが、ライカはセラフィーナ様の巫女としての旅に同行して、護衛する任務が与えられた。私が推薦したんだ」


その話を聞いて、ライカ本人よりも周囲の騎士たちが驚く。マルコスが続けて言った。


「ライカ、君を信頼している。セラフィーナ様の護衛として、君以上の適任者はいない」


「ありがとうございます、マルコス様」


ライカは真摯に答えた。セラフィーナは微笑みを浮かべたまま、ライカに目を向けた。


「これからの旅で、私たちの絆が深まることを願っています、ライカ」


「はい、セラフィーナ様。私も同じ気持ちです」


こうして、ライカとセラフィーナの旅が始まった。初めての出会いが、彼らの運命を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。



   ◇   ◇   ◇



ライカは夜の訓練場で一人、黙々と剣を振るっていた。汗が額から流れ落ち、息が荒くなっているが、彼の目は決意に満ちていた。


「.必ず仇を討ってみせる」


ライカは心の中で誓いを立てた。


10年前、ライカの家族は、ある魔術師に襲撃されて命を奪われた。当時、まだ幼かったライカは、恐怖に震えながら、両親と妹が魔法で焼かれていく姿を目の当たりにした。助けを求める妹の悲鳴が、今でもライカの脳裏に焼き付いている。


あの日以来、ライカは仇討ちを誓い、剣の道に進んだ。強くなること、仇を見つけ出すことだけを考えて、日々を過ごしてきた。


「セラフィーナ様の護衛として仕えることで、きっと手がかりが見つかるはず」


ライカは、セラフィーナとの出会いに運命を感じていた。


ふと、ライカは襲撃の日に聞いた、魔術師の声を思い出した。


『噂に聞いたほどの魔力は無いな、だが、足しにはなるか』


あの声は、どこか聞き覚えがあるようだが、幼かったことや恐怖に震えていたこともあって、確かではない。ライカは頭を抱えた。もしかすると、王宮の誰かが関わっているのだろうか。


「真相を明らかにするまで、俺は剣を置けない」


ライカは、月明かりに照らされた剣を見つめ、心に誓いを立てた。その時、不意に背後から声が聞こえた。


「遅くまで練習とは感心だな、ライカ」


振り向くと、そこにはマルコスの姿があった。


「マルコス様」


「セラフィーナ様の護衛として、これからは頼りにしているよ」


マルコスは微笑んだが、その目は深い闇を湛えているようだった。



   ◇   ◇   ◇



セラフィーナの旅は、各地から報告を受けて、国中の様々な土地を巡るものであった。


第五王女であるセラフィーナは、神の寵愛を受け、巫女としての規格外な能力があった。


まだ幼いセラフィーナが、その資質の高さから異例の早期就任が決まり、前任の巫女からその任を引き継いだとき、教会に光の梯子が天より降ろされたように見え、神はセラフィーナの着任を祝福しているかのようだったと語り継がれている。


巫女としての役目は様々だが、大きくは「各地での浄化」「封印の修復」「怪我や病気で苦しむ人たちの救済」などである。


ライカが護衛として着任した最初の旅は、国境付近にある封印の神殿での封印の修復であった。


護衛にはライカを含む精鋭の騎士が4名、そして彼女の身の回りの世話をする従者が2名同行していた。さらに、旅の途中での怪我や病気に備え、治療魔法も扱うマルコスが同行していた。


移動手段として、2台の馬車が用意されていた。それぞれ従者が馭者を兼ねて、1台はセラフィーナ専用の馬車で、移動中に休息を取るための簡易ベッドや必要な道具が揃えられている。もう1台の馬車は、護衛の騎士たちの装備や補給物資を運ぶためのものであった。騎士たちとマルコスはそれぞれ馬に騎乗し、旅の安全を確保していた。


この小規模な同行者たちとともに、セラフィーナは静かに、そして迅速に各地を巡り、封印や浄化の任務を遂行するのであった。


セラフィーナの一行は小さな村に到着した。村の中心には古びた神殿があり、そこには強力な封印が施されていた。しかし、その封印が最近弱まり、穢れが村に広がり始めていた。


「セラフィーナ様、ここが問題の神殿です」


村長が神殿の前で彼女に説明した。


「わかりました。早速、浄化の儀式を行います」


セラフィーナは静かに答え、神殿の中へと足を踏み入れた。


その神々しい美しさに村人たちは見惚れている。


彼女の長い白髪は陽の光によって照らされると透き通るような美しさだ。そして決意に満ちた深い青色の瞳は神秘的な輝きを放つ。


ライカや他の騎士は神殿の入口で警戒しながら待機していた。彼らはセラフィーナが無事に任務を遂行できるよう、周囲を見張っていた。


「どうかセラフィーナ様、お願い致します」


村長が不安げに祈るように言った。


「心配いりません。セラフィーナ様は必ず任務を遂行されます。そして、私はどんな危険からも彼女を守ります」


ライカは力強く答えた。


神殿の中で、セラフィーナは祈りを捧げ、浄化の儀式を始めた。彼女から放たれる光が、神殿の中を満たし、穢れを浄化していく。その光景は神聖であり、周囲にいた人々は皆、彼女の力に感嘆した。


「すごい。本当に巫女様の力は素晴らしい」


村人たちが口々に囁いた。


儀式が終わり、セラフィーナが神殿から出てきた。彼女は少し疲れた表情をしていたが、任務を果たした満足感がその顔に浮かんでいた。


「セラフィーナ様、お疲れ様です」


「ありがとう、ライカ。あなたたちのおかげで安心して儀式を行うことができました」


セラフィーナは感謝の意を込めて微笑み返す。マルコスは儀式を行った神殿を確認したのち、セラフィーナに近づき、満足そうに頷いた。


「素晴らしい儀式でした、セラフィーナ様」


「ありがとう、マルコス」


「これでしばらくは問題ないでしょう。さて、次の封印の修復なのですが、今から報告のあった場所に向かうより、明日の朝に出発といたしましょう」


「そうですね、村で今夜はお世話になりましょうか」


その日はそのまま村に滞在して、村人たちの歓待を受けた。次の日には別の神殿に向かうため、夜が更ける前に解散となり、各々が用意された寝床に向かう。



   ◇   ◇   ◇



寝付けなかったセラフィーナは村の広場で切り株に腰掛け、夜空を見上げていた。星が美しく輝き、冷たい風が彼女の頬を撫でた。そこにライカが近づいてきて、静かに彼女の隣に立った。


「星が綺麗ですね、セラフィーナ様」


ライカは穏やかに話しかけた。


「ええ、本当に」


せっかく一人でいたのに、という風に少し迷惑そうな表情を見せるセラフィーナ。しかし気にした様子もなく、ライカは星空を見ながら言った。


「あれはオリオン座でしょうか、いや、違う名前かもしれませんが」


「おり……え、なんて言ったの?」


「オリオン座です。ほら、あの明るい星が三つの星が並んでいる部分、わかりますか?」


ライカが星を指さし示す方を確認しようと、セラフィーナは立ち上がってライカに近づき、その星を探す。


「あ!あの三つ並んでる星ね」


「あれがオリオンのベルトって言われてます。そこから上に向かって目線を広げてみてください。両肩の星がわかりますか?」


ライカは今度は両腕を伸ばして、ベルトから上に向かって、広がっていく様を示す。


「うん!わかるわ、あれとあれよね!」


セラフィーナもライカの腕に沿うように手を伸ばして、星を指さしながら、身を寄せ合う。少し興奮気味に星の発見を告げる。


「はい、またベルトに戻って、今度は下にある両膝を探しましょう。私が指差さなくても、どの星か、見えてきませんか?」


「えー、どれだろ、星はいっぱいあるのよ?目当ての星なんて見つけられないわ」


「じゃあ、大男を想像してください。オリオンとは偉大な狩人の名前です。彼は大男なんです。ほら、ベルトが腰で、両肩はさっき見つけましたよね。そこから同じくらいの下の辺りに、彼の足が見えてきませんか?」


ライカが指さしながら示してくれるのを、セラフィーナはライカの肩に顎を乗せるようにして見つめ、そして叫んだ。


「あ!わかったわ!ほんとだ、大男がいるわ!不思議ね、ただ綺麗だなって見てた星を結んでいったら、大男が現れるなんて!」


「煌めく無数の星に中には、他にもいろいろ隠れてるんですよ」


「ほんと!?ぜひ教えて欲しいわ!」


「……元気が出たみたいで、よかったです」


そう優しく見つめるライカの表情に、セラフィーナはようやくにしてライカを背中から抱きしめるほど近づいていたことに気づき慌てて離れて、顔を真っ赤にした。


「あ、ありがとう、ライカ。そ、その、とても面白い話だったわ」


「喜んでもらえて良かったです」


ライカは微笑んでセラフィーナを見つめていて、その優しい雰囲気にセラフィーナも気持ちが安らいでいくのを感じた。


「ライカはちゃんと私を見てくれてた、だから私が元気がないってわかったのね」


「ええ」


セラフィーナは俯きながら、ライカの素っ気ないほどの短い返事にも、しかし彼が気遣いを感じて、静かな優しさに触れた気がした。


だから誰にも打ち明けていない、巫女としての責務に感じていた本音を零す。その声は弱く儚く消えてしまいそうなほど小さな声だった。


「時々不安になるの。私の力がちゃんと役に立っているのかって」


「セラフィーナ様の力は、みんなの希望ですよ。今日、初めて間近で見させてもらって、感動しました。村の人たちも感謝していましたよ」


ライカは優しい声でセラフィーナを包んむように励ました。


その言葉に、セラフィーナは少し顔を赤らめ、微笑んだ。


「ありがとう、ライカ。あなたの言葉はなんだか素直に聞いちゃうね。他の人が言うのは、なんか私に気を遣ってるのかなって思ちゃって」


「私は平民の出ですからね。言葉も衣装も着飾ってないからですよ」


その言い方に、クスッと笑いながら、セラフィーナは大いに納得した。


「そうかも。ライカ、ありがとう」


「どういたしまして。さあ、明日も移動ですから、もうお休みになってください。必要なら手を握って、子守唄を歌って差し上げます。昔はよく妹をそうやって寝かしつけたんです」


セラフィーナは赤くなりながら、小さな声で言った。


「ちょっとお願いしたいかも……」


「え?」


「ううん、なんでもない。大丈夫、あなたのおかげで眠れそうよ。お休みなさい」


そう早口で言い、セラフィーナは自分の寝床に向かっていく。その背中にライカは言った。


「はい、お休みなさいませ、セラフィーナ様」


こうして、星空の下での短い時間が二人の距離を縮め、互いへの信頼と愛情が少しずつ芽生え始めていた。



   ◇   ◇   ◇



セラフィーナは多忙だった。


国のどこかで、やれ穢れが広がっているだとか、封印が弱まっているなどの報告が入れば、すぐに一行と共に訪れて、巫女としての責務を果たす。


ライカはあまりにセラフィーナの多忙な日々に、彼の後見人であるマルコスに、セラフィーナに何もかも押し付けるべきではないと苦言を述べたほど。


けれど、セラフィーナは献身的に巫女としての役目を果たそうとしていた。


その日も、森に悪霊が蔓延るという報告を受け、深い森に囲まれた村に到着した。しかし、村に到着しても悪霊の気配は全く感じられず、村人たちも平穏な日常を過ごしているようだった。


「報告が間違っていたのかもしれませんね」


セラフィーナは少し肩をすくめ、ライカに言った。


「そうかもしれませんが、念のためもう少し様子を見ましょう」


ライカは不穏な気配を感じており、慎重な表情で周囲を見回した。


その時、突然森の中から多数の男たちが現れ、セラフィーナ一行を包囲した。彼らは武装した山賊であり、セラフィーナたちを罠にかけるために虚偽の報告を送っていたのだった。


「引っかかったな!」


山賊のリーダーがニヤリと笑い、剣を抜いた。


「今日はいい獲物が手に入ったぜ。みんな、あの姫巫女を捕まえろ!」


ライカたち騎士は瞬時に剣を抜き、セラフィーナの前に立ちはだかった。


「セラフィーナ様、後退してください。ここは僕が守ります」


山賊たちは一斉に襲いかかってきたが、ライカの剣術は圧倒的だった。彼は鋭い動きで次々と山賊たちを斬り倒していく。その動きはまるで舞を踊るかのように美しく、力強かった。


「何だ、この騎士は!」


「こんな奴に勝てるわけがない!」


山賊たちは次第に恐怖に駆られ、声を上げた。


「逃げるな、臆病者ども!相手はたった数人の若いお飾りの騎士だぞ!?一斉にかかれ!」


リーダーは怒鳴りながらも、自身もライカの技量に驚愕していた。


ライカは冷静に、しかし迅速に敵を斬り倒していく。彼の剣は一瞬のうちに敵の防御を切り裂き、その速さと精度は他の追随を許さなかった。リーダーもまた、ライカの前に立ちはだかり、一騎打ちの戦いが始まった。


「貴様のような若造に負けるか!」


リーダーは叫びながらライカに突きかかったが、その攻撃は全て受け流され、瞬く間にライカの一撃が彼の剣を弾き飛ばした。


「これで終わりだ」


ライカは冷静に言い放ち、リーダーの首元に剣を突きつけた。


「く、くそ...俺たちの計画が...」


リーダーは悔しそうに呟いたが、ライカはそれ以上の言葉を許さなかった。


「王女様を狙った、その罪は重い」


ライカはリーダーを捕らえ、他の山賊たちも全て鎮圧した。


セラフィーナは戦いが終わった後、ライカの元に駆け寄り、感謝の意を表した。


「ライカ、ありがとう。本当に助かったわ」


「お怪我はありませんか?セラフィーナ様」


「ええ、賊たちはあなたを恐れて近づくことも出来なかったわ」


ライカは微笑みながら応えた。


「それは良かったです、しかし報告は彼らの罠だったとは。これは今一度、セラフィーナ様への報告はきちんと事前に調査して厳選するように、進言しなくては」


「わかっているよ、これは由々しき事態だ。私が責任を持って、陛下にお伝えする」


ライカの声に反応して、マルコスがやってきて言った。山賊に対しても砂塵の魔法などによって、セラフィーナに近づけないように立ち回っていたのだが、セラフィーナが真っ先にライカの元に駆け寄ったのが面白くない様子だ。


「マルコスもありがとう。あなたの魔法は本当にすごいものです。でも、陛下に、どんな些細な報告も私に届けて欲しいとお願いしたのは、私自身なのです」


「セラフィーナ様、あなたはお忙しい。全てに耳を傾けていたのでは、あなたに負担が過ぎます」


ライカは納得がいかず、セラフィーナにも苦言を述べるが、マルコスが厳しく咎める。


「ライカ、ただの護衛でしかない若い騎士が、セラフィーナ様に意見するとは何事だ!少し剣の腕が立つからと言って、身の程を弁えよ!」


「良いのです、マルコス。ライカは私を心配してくれているのは十分に伝わっています」


ライカは少し意気消沈しながら、二人に謝罪する。


「申し訳ありませんでした、セラフィーナ様、マルコス様」


「気をつけろ、身分を忘れるな」


「ライカ、良いのです。あなたの剣にはいつも助けられていますから」


ライカは黙って頭を下げていた。



   ◇   ◇   ◇



その日は、山賊の残党に警戒して、村に留まる事になった。村人の助けを借りて、防衛のための布陣を行い、万が一に襲来があったとしても、セラフィーナの身を、数人の騎士で守れるようにするので精一杯であった。


夜になり、皆が寝静まった頃、ライカは一人で周囲を警戒していた。焚き火を前にして、切り倒した木をベンチがわりに座っている。


マルコスから罰として朝まで見張りを命じられていたのだ。他の騎士たちはこっそり交代を申し出てくれたが、ライカは「大丈夫だから休んでくれ」と断り、自ら進んでその役を引き受けていた。


ライカは、自分がセラフィーナに対して、その身分差を忘れ、剣の腕に自惚れていたことを反省していた。


身分差というのは絶対だ。本来なら王族であるセラフィーナに対して、平民であるライカは、顔を合わせる事さえ、不敬と取られて、処罰される事さえある。


宮廷魔術師として信頼されて王家にも意見できるほどの地位にあるマルコスが後見人となって、自分を取り立ててくれているだけだ。その事を忘れてはいけない。


「そうだ、私は平民なのだから……」


「そんなに気にしなくてもいいのに」


「しかし、事実です。覆ることのない、事実ですから」


「あなたほどの力があれば、すぐに素晴らしい成果を評価されて、叙勲されて貴族になるわ」


「いえ、それすらも身に余ること。私はただ仇を討つために騎士になったのですから」


「仇?それはどういうこと?」


「ええ、実はーー」


ライカはふと声の主を見て、びっくりした。そこにはいつの間にかセラフィーナがいて、なぜか当然のようにライカの隣に座り、話をしているではないか。


「見張りが考え事をして、隣に人が座っても気づかないなんて、よほど昼のことが気になってるのね」


セラフィーナが微笑みながら言った。


「セラフィーナ様、もうお休みになってください。こんなところをマルコス様に見られたらーー」


「仇って何?」


その話を聞くまで動かないぞ!というセラフィーナの強い意志を感じ、ライカは諦め、話し始めた。


「私は両親と妹を殺されて、その仇を討つべく、騎士になったのです」


「……そうだったの」


「ただ、仇が誰なのかはわかっていません。魔術師であることは確かです。その魔法で生きたまま焼かれた家族を、私は助けることが出来ませんでした」


淡々と語るライカに対して、セラフィーナはその内容の恐ろしさに、思わずライカの腕に抱きつき、身を寄せた。


「!……なんとむごいことを」


「私は生まれつき魔力が全くありません。しかし商家を営んでいた両親は平民でありながらも高い魔力があり、多少ですが、魔法も使えました。妹にもその魔力は引き継がれていました」


「なるほど、魔族狩りというやつですね」


平民でありながらも高い魔力を持つ者を貴族たちはよく思っておらず、それは魔族の生まれ変わりだから危険だと言いがかりをつけて、一部の過激な貴族たちによって迫害を受けた。時には村ごと焼き払われたこともある。


「はい。マルコス様もそうおっしゃいました。そして魔力にない私は放置されて生かされた」


「王家が厳しく禁じてからは久しく聞かなくなっていましたが、まだ隠れて行っている者がいるのですか」


「ええ、おそらく貴族の誰かに違いありませんが、魔力のない私には魔力の違いで判別することもできません。マルコス様が協力して探してくださっていますが……」


「許されない蛮行ね、あなたの悲しみを思うと、私も胸が締め付けられる思いです」


セラフィーナはギュッとライカの腕を抱きしめる。そのためにライカがセラフィーナを強く感じてしまい、顔が赤くなるが、焚き火の灯りでセラフィーナには気づかれない。


「セラフィーナ様だけにお話ししますが、私には師匠と呼ぶ人がいます」


「なるほど、それがあなたの強さの秘密なのですね?」


「はい、師匠は仇を討つための特別な術を授けてくれました」


「術、ですか?しかしあなたには魔力が……」


「ええ、この術は魔力を必要としないのです。しかし師匠から確実に仇を討てると確信する時まで、使ってはいけない、知られてもいけない、そう厳命されています」


「……そんな大切なことを私に?」


「師匠から、一人で出来ることは限られてるから、味方は増やせよ、と言われました。あなたなら誰よりも信頼できます」


セラフィーナは絶対の信頼を寄せられて、今までの巫女として頼られたのとは違い、セラフィーナ自身をまっすぐ見つめて頼られたことが、とても嬉しくなった。


「いいわ、私もあなたの仇、手伝うわ」


ライカは珍しく満面の笑顔で、感謝を言う。


「ありがとうございます、セラフィーナ様!」


その笑顔に、セラフィーナは「カッコ良かったり可愛かったり、ずるい」とよくわからない事を呟くが、気を取り直して、話を続けた。


「魔術師はいくつもの逃げる手段を持ってるわ。確実に仇を討つ状況は難しいわよ。私があらかじめ結界を施した場所に誘い込んだ上に、その力を削いで、魔法を使わせないように封じ込める必要があるわね」


「なるほど、私が師匠から学んだ術にも、封じ込めたり、束縛する術はあります」


「……その人は何者なの?」


「さあ。私も師匠としか呼ばせてもらえませんでしたから。ただ力を与えてもらったことには感謝していますから、教えを守っています」


「その人に助けて貰えば、仇を討てるのではないかしら?」


「ええ、そのときは祈れ、と言われてます」


セラフィーナは怪訝な表情で聞き返す。


「祈れ?呼べ、じゃなくて?」


「はい、呼ぶと言っても、もう何処にいるのかもわかりませんから、運良く現れることを祈っておけ、とかそんな感じだと思います」


セラフィーナの中に、ある気付きがあったが、同時に絶対に触れてはいけないという強い畏怖が湧き上がる。


その時、背後から小さな物音が聞こえた。


「ひぃ!」


セラフィーナは強くライカの腕を抱きしめ、顔をライカの肩に押し付け、目を強く閉じた。


ライカが振り向くと、そこにはマルコスが立っていた。彼の顔にはいつも通りの微笑みが浮かんでいたが、その目は冷たかった。


「ライカ、私には仇のことは話してくれたが、師匠という人物のことは聞いてないな」


「はい、申し訳ありません」


じっとライカを見つめるが、それ以上の言葉は出てこない。ライカは話す気はない、そうマルコスは受け取り「まあ、いい」とあきらめて、立ち去ろうとした。


ライカはマルコスを呼び止めるように、言った。


「マルコス様、何かご用ですか?」


「いや、特に何も。ただ、君たちの絆が深まっているのを見て安心したよ。邪魔したようだ」


ライカはてっきりひどく叱責を受けると覚悟したのだ。罰として朝まで見張りを命じられているのに、セラフィーナと談笑していたり、ましてやそのセラフィーナが腕に抱きついている状況は、昼のことを思えば、もはや言い逃れのしようもない不敬だ。


しかし、マルコスは未だにライカに抱き着いたままのセラフィーナを見て、なんと暗く微笑んだのだ。それどころか、安心した、とまで言った。


いったいこれはどういう事か。セラフィーナへの不敬を咎めるよりも、それほどに、ライカの過去にマルコスは反応したという事なのだろうか。


そのままマルコスは立ち去った。


「……行きましたか?」


「はい」


セラフィーナは頭を上げて、周りを見回して、マルコスがいないことを確認して、安堵の息を吐いて、言った。


「ライカ、今の話を聞かれたのはまずかったのでは?」


「どうでしょうね。どちらとも言えない、そんな印象がします」


「そう――」


そのとき、セラフィーナに向かって、一筋の光が天より差し込んだ。すぐ横にいたライカはそれに気が付かなかったし、村人たちは皆が寝静まっている、マルコスはすでに自分の寝床へと帰ったようだし、深い森の中にある村だったので、偶然にそれを目撃したものもいなかった。


しかし、セラフィーナだけは、聞いていた。


――畏まりました。


そう口に出さず、セラフィーナは答えた。そして、強い意志を持って、ライカに向かって言った。


「ライカ、帰ったら婚約しましょう」



   ◇   ◇   ◇



王宮の大広間には、国中から集まった貴族たちが集まり、華やかな装いに身を包んでいた。ライカは緊張しながらも、セラフィーナの隣に立っていた。彼の心臓は高鳴り、これからの出来事に胸を躍らせていた。


「皆様、今日は重大な発表があります」


王は玉座に座っている。その脇に立つ宰相が声を高らかに宣言した。騒めく貴族たち。そして、王が立ちあがり、皆の前で手を挙げ、広間に静寂が広がっていく。


「我が娘、第五王女にして、姫巫女と言われる、セラフィーナの婚約を発表する」


セラフィーナはライカの手をそっと握り、優しい微笑みを向けた。その微笑みにライカは少し安心し、彼女の手をしっかりと握り返した。


「セラフィーナの婚約者として選ばれたのは、騎士ライカだ」


王様の言葉に広間はざわめきに包まれた。貴族たちは驚きと疑念の目でライカを見つめたが、セラフィーナの決意の眼差しがそれを鎮めた。


「聞け、皆よ。突然のことで驚いたであろうが、かねてよりセラフィーナの婚約については懸念しておったのだ。その類まれなる巫女の力を、他国に嫁がせるわけにはいかぬ。ましてやこの中の有力者に嫁がせるのも、本来は神と吾の前に等しくあるべき皆に神の代弁者が嫁ぐのもいらぬ争いを生む」


そう、その点においては、この場にいる貴族たちも納得済みのことだった。あまりにセラフィーナの力は強く、神の寵愛を受けている姫巫女が、だれかの野心に利用されてしまうのは、面白くない。しかし、このまま宙に浮いたままというのも、もしかしたら、という気持ちを刺激していた。


「そこで、セルフィーナから進言があった。騎士ライカのその類まれな剣術は、皆も周知であろう。その役目から国中を旅するセルフィーナを守り、支える存在としてふさわしい」


「陛下、ライカは私の命を何度も救ってくれました。彼の忠誠心と勇気を誰よりも信じています」


セラフィーナが王に向かって言った。


「その通りだ。ライカ、我が娘を守り抜くことができるか?」


王は頷き、ライカに視線を向けた。ライカは深く一礼し、力強く答えた。


「はい、陛下。私はセラフィーナ様を命にかけて守ります」


セラフィーナはライカに微笑みかけ、彼の手をさらに強く握った。


「ありがとう、ライカ。これからもずっと一緒にいられるわね」


セラフィーナが嬉しそうに言った。ライカも微笑み返し、心からの喜びを感じていた。


「はい、セラフィーナ様。これからもずっと一緒に」


その時、マルコスが一歩前に出た。彼は表向きには祝福の笑顔を浮かべていたが、その目には嫉妬の炎が宿っていた。


「陛下、ライカの後見人として、一言、お祝いを述べても、よろしいでしょうか?」


「許そう」


「セラフィーナ様、ライカ、おめでとうございます。お二人の幸せを心から願っています」


マルコスはそう言いながらも、その声にはどこか冷たい響きがあった。


「ありがとう、マルコス」


セラフィーナが微笑みながら答えた。


「ありがとうございます、マルコス様」


ライカも礼を述べたが、その眼差しには警戒心が見て取れた。


こうして、ライカとセラフィーナの婚約が正式に発表された。二人は王国中の人々から祝福され、新たな未来への第一歩を踏み出した。


セラフィーナとライカの婚約発表後、王宮では盛大なパーティーが開かれた。大広間は華やかに飾り付けられ、貴族たちは最高の装いで集まっていた。音楽が奏でられ、美味しい料理が振る舞われる中、祝福の言葉が二人に送られていた。


「セラフィーナ様、ライカ、ご結婚おめでとうございます!」

「お二人の門出を心からお祝い申し上げます」


セラフィーナとライカは、祝福の言葉に笑顔で応えながら、会場を移動していった。そこへ、マルコスが歩み寄ってきた。


「セラフィーナ様、ライカ、改めておめでとうございます。お二人の幸せを心から願っています」


マルコスは微笑みながら言ったが、その目には何か深い感情が潜んでいるようだった。


「ありがとうございます、マルコス様。これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」


ライカは礼を述べたが、マルコスの表情に不自然さを感じ取った。


「セラフィーナ様、これからはライカが側にいるのですから、私の助言は必要ないかもしれませんね」


マルコスの言葉には、何か責めている意図が感じられて、セラフィーナは少し困惑した表情を浮かべたが、すぐに微笑んだ。


「マルコス、あなたはいつも私を支えてくれました。これからも、あなたの助言は必要ですわ」


マルコスは一瞬、不満げな表情を見せたが、すぐに笑顔に戻った。


「はい、セラフィーナ様。私はいつでもあなたの味方です」


その後、マルコスは他の貴族たちとの会話に加わっていった。ライカは、マルコスの様子を観察しながら、パーティー会場を移動した。すると、ある貴族の会話が耳に入ってきた。


「マルコスは、かつて王位継承権を主張していたことがあるのを知っているか?」

「ええ、その卓越した魔力は王家に比類すると主張した笑い話ね。平民のくせに」

「それで、セラフィーナ様に取り入って、権力を手に入れようとしていたところを、自分が取り立てた若い騎士に横取りされた」

「笑い話が増えただけよ」


ライカは、その会話を聞いて、驚いた。マルコスが平民であったことなど知らなかったのだ。マルコス自身も貴族のように振る舞い、ライカのセラフィーナへの不敬を厳しく咎めた。だが、自身もまた平民の出だったとは。


マルコスの行動にときおり感じる暗い感情、その根元を覗いた、そんなふうにライカには思えた。



   ◇   ◇   ◇



パーティーを抜け出し、ライカとセラフィーナは二人だけの時間を過ごしていた。夜の帳が下りた園庭を見下ろせるバルコニで、パーティーで人々が歓談する声を遠くに聞きながら、セラフィーナはライカに寄り添いながら言った。


「ライカ、これからもずっと一緒にいてくれる?」


「もちろんです、セラフィーナ様。あなたを守ることが僕の使命です。しかし、一つ気になります」


「なにかしら?」


「どうして、急に婚約をお決めになったのです?」


「私との婚約に不満があるの?」


「いえ、そうではありません。とても光栄なことです。しかし、あの夜、突然におっしゃいましたよね。婚約しましょうと。そのあとも説明をしていただいてません」


「そうね。……神託により"ライカとの結婚は二人の幸せの道となる"と啓示を受けたからよ」


「セラフィーナ様が信仰する神様が、ですか」


「私は神託に従ったのみ。大丈夫、何も恐れることはない、主のされることに間違いはない」


セラフィーナは、神々しい光をまといながら、その口調はいつもの優しいセラフィーナではなく、神の代弁者たる巫女としての発言だ。


しかし、ライカは、セラフィーナの気持ちが気になった。神に言われたから、好きでもない男と婚約出来るのだろうか。


「平民のあなたには、理解が難しいかもしれません。私の婚約はあなたに出会わなかったとしても、陛下がお決めになっていたはずです。”父”が決めたのですから、同じことです。それに……」


「それに?」


「もう一度聞くけど、私と婚約に不満があるの?」


「いえ、光栄で――」


「嫌か嬉しいかで答えて!」


セラフィーナは、先ほどまでの神々しい姿はどこへやら、年相応の女の子として、頬を膨らませて、ライカに問う。何やら拗ねているようにも見える。


「嬉しいです。セラフィーナ様は美しく、お優しく、そして気高いお方だ」


「私も嬉しいわ。こんなカッコいい騎士が私だけの騎士になってくれるのよ?今日ほど主に感謝をした日もないわ!あ、主よ、お許しください、いつも感謝しております」


なぜか祈りを捧げているセラフィーナを見ながら、ライカはじっと自分たちを観察するその気配に気づいていた。


マルコスの嫉妬と暗い企みが静かに進行していた。



   ◇   ◇   ◇



「ここがその遺跡ですか……?」


ライカは慎重に周囲を見渡しながら言った。


セラフィーナの一行は、とある古びた遺跡に到着した。遺跡は深い森の中にひっそりと佇み、長い年月に渡って人の手が入っていない様子だった。誰も管理などしていない遺跡に、わざわざセラフィーナが来る必要があったのか、ライカはそのことに違和感を感じていた。


「はい。報告によれば、ここには強力な呪いの道具が封じられていると聞いています。その封印が今にも解けそうだというので、急ぎ訪れたのです」


セラフィーナが答えた。しかし、ライカはその報告が当てにならない、と心の中で思ったが、以前の事もあったので、口にはしない。とにかく、自分はセラフィーナを守るだけだと、警戒を怠らない。


「気をつけてください、セラフィーナ様。何が起こるかわかりません」


マルコスが忠告した。


セラフィーナ一行は、ひとまず遺跡から少し離れた場所に拠点を設けて、馬を休ませて、天幕を張った。セラフィーナの世話をする従者と、その護衛として騎士を二名は残り、ライカと騎士、マルコスとセラフィーナで、遺跡へと入っていく。


そう大きな遺跡ではない。列柱のある部屋を抜けて奥に進めば、そこには古代の神秘的な文様が彫られた石碑が立ち並び、その中心には大きな封印の石があった。しかし、その石はひび割れ、今にも崩れ落ちそうだった。


「これは…封印が既に解けかけています。急いで浄化の儀式を行わなければ」


セラフィーナは急いで準備を始めた。


ライカは周囲を警戒しながら、セラフィーナの護衛に徹していた。その時、突然足元から奇妙な光が放たれ、セラフィーナの身体を包み込んだ。


「セラフィーナ様!」


ライカは驚いて叫んだが、その光は彼女を離さなかった。


「大丈夫だ、ライカ。あれは遺跡に施された罠だが、私が相殺した」


マルコスがライカを制し、手をその光に向けている。額には汗が浮かんでいて、ライカにはわからないが、何か魔術的な攻防が繰り広げられているらしい。


「呪いが非常に強力で、完全に封印するのは難しそうです」


セラフィーナは冷静に言ったが、その表情には不安が浮かんでいた。


マルコスが一歩前に出て、封印の石を詳しく調べ始めた。


「これはただの呪いではありません。この遺跡自体が強力な魔法の力を持っているようです。セラフィーナ様、無理をなさらないでください」


セラフィーナは頷き、再び祈りを捧げ始めた。しかし、光が強まるにつれ、彼女の身体は徐々に衰弱していき、ついには倒れた。


「セラフィーナ様!」


ライカが慌てて駆け寄り、セラフィーナを抱き上げる。意識こそあるが、セラフィーナは非常に苦しそうに呼吸し、全身から汗が噴き出している。抱き上げたライカは気が付いたが、非常に高熱を帯びているようだ。


マルコスが口を開いた。


「いかん、セラフィーナ様は呪われてしまったようだ。このままでは呪いにより、殺されてしまう」


「マルコス様!なんとかならないのですか?貴方も浄化の魔法があるのでは?」


「浄化の魔法もあるが、セラフィーナ様の浄化の祈りほど強力ではないからな。そのセラフィーナ様が呪われるほどの呪いとなっては、私はどうにもできん」


「そんな、ではいったいどうすれば」


「待て。まだ方法はある。呪いの肩代わりという方法だ。一人で呪いを受けては体がもたないが、二人で呪いを受ければ、負担が半分で済む。呪いを解くまでの間、そうやって時間を稼ぐことはできるだろう」


「では!早くその方法を!」


「いや、そう簡単な方法ではない。何より、セラフィーナ様の同意無しには術がかけられないのだ」


ライカはセラフィーナの顔を覗き込み、その目を見たとき、違和感を感じた。それは助けを求める者の、弱弱しい目ではなく、苦しむ目でもなく、まるで射貫くような鋭い目で、マルコスをにらんでいる。ライカはあえてマルコスに背を向け、セラフィーナに囁くように言った。


「奴が何かしたか?」


セラフィーナは頷きながら、苦しそうに囁く。


「今は彼に従って」


「しかし――」


「主の導きよ、私がどうなろうと、主を信じて」


「ライカよ!セラフィーナ様はなんとおっしゃってるのだ!」


焦れたマルコスが二人に割って入るように覗き込みに来るので、それ以上のやりとりはできなかった。しかし、ライカはセラフィーナを、セラフィーナが信じる神を信じた。


「マルコス様!その方法はセラフィーナ様に危険はないのか?」


「ないとは言わないが、今よりマシだ。このままでは本当に死んでしまうぞ!」


「ライカ、マルコスの言うとおりにしましょう……」


ライカはセラフィーナに強く頷き、セラフィーナはマルコスに言った。


「お願いします、マルコス」


マルコスは深呼吸をし、セラフィーナに向かって呪文を唱え始めた。すると、彼の手から放たれた光がセラフィーナの体を包み、その呪いを引き寄せていった。マルコスは苦しげな表情を浮かべながらも、呪いを肩代わりしていった。


ライカはマルコスが、呪いを引き受けるのを見届けた。


呪いの光が消えると、セラフィーナは気を失った。マルコスもまた、立っていられずにしゃがみこんで苦しんでいた。セラフィーナはライカが抱きかかえ、マルコスは騎士が肩を貸して、遺跡をあとにした。



   ◇   ◇   ◇



セラフィーナの一行が王都に戻った後、セラフィーナは静養を始めた。


二人にかけられた呪いはすぐに教会から来た神官たちが、三日もかけて、ようやく浄化した。


しかし呪いは解かれても、呪いの影響は残っており、回復するためには、長い休息と慎重な看護が必要だった。王宮の一角に設けられた静かな部屋で、セラフィーナは日々を過ごしていた。


マルコスもまた、同じ部屋で静養をすることになった。マルコス自身の説明によれば、セラフィーナと魔術的なつながりによって、その身に受けた呪いの影響もマルコスに流れる様に調整した。


距離が空いたり、壁で隔たりがあった場合には、その繋がりが途切れ、セラフィーナに呪いの影響がすべてが圧し掛かることになり、危険だ、とのことだ。


それはまた、マルコスに都合の良いことだと、ライカは思った。


もちろん、常に従者は詰めていて、部屋に二人だけになることはない。しかし、すでに婚約者のいる年若い王女と、壮年の男性が共に同じ部屋で寝食を共にするという状況は、如何なものかと強く思うが、陛下がお許しになったのだから、ライカは従うしかない。


出来れば、毎日でもセラフィーナのお見舞いに行きたいところだが、そうも出来ない事情があった。


セラフィーナの護衛という任務は、一時的にだが解任されている。当のセラフィーナが外には出られないのだから、当然のことなのだが、まるで嫌がらせのように、ライカを指名で雑多な任務が次々に押し付けられた。


ライカの剣術の腕を見込んでというにならまだ理解もするが、誰でも出来るようなお使いのような任務ばかりで、明らかに何者かの加入によって、ライカをセラフィーナに近づけないように仕組まれている。


それでも、ライカは戻るたびにセラフィーナを見舞ったが、彼女の態度が次第に冷たくなるのを感じていた。


「セラフィーナ様、今日はどんな一日でしたか?」


ライカが見舞いに訪れた日、いつもと同じように優しく問いかけた。


「普通の一日でした、ライカ。特に変わったことはありません」


セラフィーナは短く答え、その目にはどこか冷たい光が宿っていた。


「何か困っていることがあれば、何でも話してください」


「大丈夫です。あなたの任務に集中してください」


セラフィーナはそっけなく答えた。


「ライカ、セラフィーナ様はまだ呪いの影響が大きい、あまり長く話すものではないよ」


マルコスが、ライカを手招きして、出口へと促しながら、ライカの耳元でささやく。


「ライカ、君も感じているだろう?セラフィーナ様が少しずつ変わっていることを」


「はい、彼女が以前のように明るくないんです。何が起こっているのでしょうか?」


「それはきっと、呪いの影響だろう。彼女が完全に回復するまで、私たちは彼女を支え続けるしかない」


マルコスは深刻な表情で言った。


しかし、ライカの胸には疑念が渦巻いていた。マルコスの言葉にはどこか違和感があったのだ。


セラフィーナが冷たくなったのは、マルコスと過ごす時間が増えてからだった。その背後に何かあるのではないかという疑念が拭えなかった。


数日後、ライカは再び見舞いに訪れたが、セラフィーナは彼を迎え入れる態度がさらに冷たくなっていた。


「セラフィーナ様、何か本当に困っていることがあるなら、話してください。僕はあなたの力になりたい」


「ライカ、あなたの気持ちは嬉しいです。でも、今はマルコスと一緒にいることが私にとって最善なのです。どうか理解してください」


セラフィーナの言葉は冷たくもあり、悲しげでもあった。


ライカはその場で何も言えず、ただ立ち尽くした。彼の心には深い疑念と不安が残ったままだった。


そして、ライカにとって絶望的な宣告の時が、間近に迫っていた。



   ◇   ◇   ◇



セラフィーナは静かな部屋で一人、窓の外を見つめていた。呪いの影響で体は弱り、心は混乱していた。ライカが任務で離れている間、マルコスが彼女の傍にいる時間が増えた。


「セラフィーナ様、私はあなたを守るためならどんなことでもします。あなたを癒やすのは、私しかいないのです」


マルコスの言葉は優しく、セラフィーナの心を掴んでいった。


セラフィーナは、マルコスの言葉に惑わされていることに気づいていた。しかし、頭に霧がかかったように、穢らわしい何かに蝕まれた心では、それを拒むことが難しくなっていた。


「ライカは私を置いて任務に行ってしまった。私を本当に大切に思っているのでしょうか」


セラフィーナの心に、ライカへの疑念が生まれ始めた。


マルコスはセラフィーナの弱った心につけ込むように、言葉を紡いだ。


「ライカは任務を優先するあまり、あなたを一人にしてしまった。私ならば、あなたを決して離れません」


セラフィーナは、ライカへの思いと、マルコスの言葉との間で揺れ動いていた。本来の自分の感情が分からなくなっていく。


「ライカ……どうして、私を守ってくれないの」


セラフィーナの心には、ライカへの憎しみすら芽生え始めていた。


そんなセラフィーナの様子を、マルコスは満足そうに見つめていた。まるで、すべてが計画通りだと言わんばかりに。


セラフィーナは、蝕まれた心と、本当の感情との戦いに、独りで苦しんでいた。そして、その戦いに敗れつつあった。



   ◇   ◇   ◇



ライカは静かな謁見の間に跪いていた。大理石の床は冷たく、荘厳な雰囲気が漂っている。目の前には、王国の象徴である玉座に座る国王が厳しい表情で彼を見つめていた。周囲には重臣たちが控え、静寂が場を支配している。


「騎士ライカ、よく聞け」と国王の声が響いた。


「我が国は盟約国からの緊急支援要請を受け、騎士団の中から最も優れた者を派遣することを決めた。その者とは、お前だ」


ライカの心臓が一瞬止まるような気がした。彼は勇敢で忠誠心の強い騎士だが、今の状況ではこの任務は望ましくなかった。国王の命令に逆らうことはできないが、彼の心の中には葛藤が渦巻いていた。


「この任務は遠方の地で半年以上かかる可能性がある」と国王は続けた。


「お前の技量と忠誠心により、この重大な任務を任せることにした。国の誇りを背負い、必ず成功させよ」


ライカは静かに頭を垂れ、国王の言葉を受け止めた。答えは一つしか用意されていない。


「はい、陛下。命令に従います」


ライカは、頭を下げたまま、視線を向け、セラフィーナの顔を盗み見る。


その場に立ち会っていたセラフィーナの顔には驚きと悲しみが浮かんでいた。彼女はそっと後ずさりながら、涙を堪えながら謁見の間を後にした。それに王をはじめ、皆が気が付いているが、誰も咎めない。ライカとて許されるなら、その背をすぐにでも追いたかった。


今の状況でセラフィーナとの離別は、ライカにとって耐え難いものであった。しかし、この勅命を断るということは、すなわち背任であり、騎士を解任されるのは間違いない。


そうなっては、セラフィーナを守ることはできなくなる上に、仇を探すことさえ難しくなるだろう。


未来を守るためにも、この任務を成功させなければならないと自らを鼓舞しつつも、その心の痛みは隠しきれなかった。


謁見の間を出たライカは、重い足取りで廊下を歩いていた。その後ろ姿を見守る臣下たちの視線が、彼の背中に突き刺さるようだった。


彼は深く息を吸い込み、心を静めると、セラフィーナとの最後の時間を共に過ごすために、彼女のもとへと向かおうとしたが、それを呼び止める声があった。


「騎士ライカよ、説明がある。ついてきなさい」


「はい」


ライカは苦渋の表情を浮かべながらも、命令に従った。



   ◇   ◇   ◇



夜になり、ようやく解放されたライカはセラフィーナを探して庭園へと向かった。庭園は静寂に包まれ、薄明かりの月が池の表面を銀色に輝かせていた。


そこで、ライカはセラフィーナを見つけた。しかし、彼女は一人ではなかった。セラフィーナを抱きしめ、慰めるマルコスの姿があった。


「セラフィーナ様!」


ライカはすぐに歩み寄り、弁明しようとしたが、セラフィーナの冷たい声が彼を制止した。


「ライカ、あなたは本当に私のことを守ってくれるのですか?」


セラフィーナの目には怒りが宿っていた。


「もちろんです、セラフィーナ様。あなたを守ることが私の使命です」


「それなら、なぜ私を一人にして遠くへ行くのですか?」


セラフィーナの声は震え、涙がこぼれ落ちた。


「これは国の命令です。私はそれに従わなければなりません」


こんなこと、王女であるセラフィーナに弁明するまでもない、誰よりも王による勅命の重さを知っているはずだ。


以前のセラフィーナであれば、悲しくても、きっと笑顔を作り、送り出してくれたに違いないが、今のセラフィーナは自分が王女であることを忘れ、恋人を責める一人の女性だった。


「あなたは任務が私よりも大事なのですね。私はあなたのそばにいてほしいと願っているのに……」


ライカは彼女の手を取ろうとしたが、セラフィーナはそれを振り払った。


「セラフィーナ様、あなたを守るためにもこの任務は重要なのです」


「もういいわ、ライカ。あなたには失望しました」


「セラフィーナ様、どうかご理解を……」


「もうやめて!」


セラフィーナは叫び、そしてライカをにらみ、宣言した。


「あなたとはもう婚約者でいられない。婚約は破棄します」


ライカの心は砕け散り、言葉を失った。


「セラフィーナ様……」



ライカの声は震えていた。彼の前に立つセラフィーナは、その顔やその瞳は悲しみに曇っていた。


「ライカ、ごめんなさい。でも、これは私たちの未来のためなの」


「未来のため?それがどうして僕たちの婚約を破棄することに繋がるのです?」


ライカの問いかけに、セラフィーナは目を伏せた。その時、セラフィーナの背後から別の声が響いた。


「セラフィーナ様の決断を尊重するべきだ、ライカ」


マルコスが静かに現れ、震えるセラフィーナの肩に優しく手を乗せた。


その手をセラフィーナは手繰り寄せるように、マルコスの腕の中に納まった。マルコスはライカを見つめ、その眼差しは冷たく、どこか満足げに見えた。


「マルコス様、あなたが何か言ったのですか?」


ライカは拳を握り締めたが、マルコスは微笑んだだけだった。


「私が?いや、セラフィーナ様が自分の心に正直になっただけだよ」


「それは嘘だ、セラフィーナ様!君の本当の気持ちを聞かせてくれ!」


ライカの声に、セラフィーナは再び顔を上げた。彼女の目には涙が浮かんでいた。


「ライカ、あなたのことは大好きよ。でも、マルコスが私の真の運命だと感じているの」


「そんなはずない!何かが間違っているんだ!」


ライカは近づこうとしたが、マルコスがセラフィーナの一歩前に出て彼を阻んだ。


「もうやめろ、ライカ。セラフィーナ様は私と共に未来を歩むことを選んだんだ」


マルコスはセラフィーナの方を向き、彼女の手を取った。


「セラフィーナ、ずっと君のことを愛していたんだ。ライカがいるから言えなかったが、今なら言える。君と共に未来を築きたい」


セラフィーナは驚いた表情でマルコスを見つめた。その後、彼女の表情は次第に和らぎ、彼の手をしっかりと握り返した。


「マルコス、私もあなたのことを愛しています」


ライカはその光景を目の当たりにし、息を飲んだ。


「さようなら、ライカ」


セラフィーナはマルコスの腕を取った。そして二人は庭園を去っていった。ライカはその場に立ち尽くし、冷たい風が彼の頬を撫でるのを感じていた。


ライカは空を見上げた。星々が静かに輝いていたが、彼の心には何の光も差し込んでこなかった。



   ◇   ◇   ◇



夜の帳が降りる頃、ライカは王宮の訓練場で一人剣を振っていた。緊張した面持ちで、その時を心静かに待っていた。


静かな足音が彼の背後から聞こえてきた。振り向くと、マルコスが立っていた。彼の顔には不気味な笑みが浮かんでいた。


「ライカ、こんな時間に一人で何をしているんだ?」


マルコスが嘲るように言った。


「私がここで剣を振っているのはいつもの事。マルコス様こそ、こんな時間にどうされましたか?」


ライカは剣を下ろし、彼に向き直った。


その様子にマルコスは妙だと感じた。とても静かな佇まいで、マルコスに対して、何の怒りや憤りと言った感情を向けてこない。婚約者が奪われたと言うのに、まるでそんな事が無かったかのように。


「しばらく王都を離れる君に、餞別を持ってきたのさ」


マルコスはゆっくりと歩み寄りながら言った。


「餞別?いえ、貴方から何も受け取るつもりはありませんよ」


「まあ、そう言うな。私を恨む気持ちがあるのは当然のことだ。なにせ、君から私は奪ってばかりなのだからな」


「おっしゃっていることの意味がわかりません。明日も早くに城を出なくてはいけないので、手短にお願いできますか?」


その様子に、マルコスは警戒心を強める。明らかに妙だった。


だが、マルコスはここまで御膳立てしたのだから、どうしてもライカが悔やみ、苦しみ、憎悪に濁った眼で、マルコスをにらむ姿が見たくなった。


「おいで」


そう呟くだけで、マルコスの後ろから、セラフィーナが静かに表れた。そのままマルコスの横に並ぶと、マルコスは強引に抱き寄せ、脇から手を回し、腰を抱く。


「セラフィーナ様……」


ここにきて、はじめてライカの表情に変化があった。セラフィーナを見る目に悲しみが宿るのをマルコスは満足そうに見た。


「わからない、と言ったな。では、説明してやろうではないか。まずは、セラフィーナを奪った。彼女が受けた呪いは、私が仕組んだものだ。そして、それを肩代わりすると偽って、私と魔術的繋がりを作った。あとは簡単だったよ、魔術的繋がりから精神をゆっくりゆっくり穢していくんだ」


マルコスはセラフィーナを強く抱きしめて、その顔に近づき、セラフィーナの白くやわらかな頬を汚らわしく舐め上げた。しかし、セラフィーナの表情は変わらず、何にも焦点のあってない様子だ。


ライカに静かな殺気がこもる。しかし、マルコスはそれを辞めない、見せつける様に何度も繰り返して、笑う。


「わかっているな?魔術的繋がりがある私を傷つけるということは、セラフィーナを傷つけるということだ。お前は私に何も出来ない」


「……」


「ふん、つまらない反応だ。そんな様を見に来たのではない。だから、もっとわかりやすくしてやろう。お前から奪ったのはこれが初めてではない。お前の両親や妹も、私が奪った」


「!」


ライカの殺気が膨れ上がり、手に握った訓練用の剣で今にも斬りかかってきそうに感じたマルコスは、セラフィーナを前に出し、セラフィーナの後ろから全身を抱きかかえる。


「そうそう、そういう反応をしてくれよ?お前が探し求めていた仇、それはまさに、この私のことだよ。十年前、私は他人の魔力を奪う魔法の実験をしていて、平民でありながら高い魔力を持つと評判だったお前の両親に目を付け、その魔力を奪った」


「なぜ、そんなこと?」


「はっ!決まっているだろう?魔力を高めるためだ!王族にも比類する魔力を!他人から奪った魔力で、私はますます強くなった。だが、貴族どもは僻み、私を認めなかった」


認めるわけがない。他人から奪った魔力を身にまとい、貴族になろうとしていたとは。


「だから方法を変えた、王女を意のままに操り、結婚すれば、誰が文句を言おうと、王族の仲間入りだ」


「ずっとセラフィーナ様を罠に嵌めようと狙っていたのか」


「巫女としての力が強く、容易ではなかった。お前を当てがった事で隙が出来るかと思ったが、よもや婚約するとは思わなかった。あの絶望を是非お前にも味合わせたいと思い、少々強引だが遺跡に細工して罠にかけた。うまくいったよ、巫女なら私の呪いなど、簡単に浄化するかと思ったが、噂ほどには浄化の力は強くなかったようだ」


そうではない、セラフィーナは自分で呪いを受け入れた。マルコスがセラフィーナの隙を狙って罠を仕掛けた遺跡に誘い込んだように、セラフィーナとライカもマルコスが油断して、この場所に誘い込むために。


「噂といえば、お前の両親は、世間で言うほど魔力は無くて、正直、がっかりしたがな」


「なぜ、妹まで?妹はまだ幼く、魔力も少なかった」


「ついでだ。魔力がある以上は、いずれ脅威になるかもしれないしな。ただ、お前は別だ。魔力を持たないお前は、まったく脅威にはならない。いやぁ、十年前の私は本当に良い判断をした。おかげでセラフィーナを手に入れるきっかけにもなったのだからな!」


口では饒舌に語っているが、しかしマルコスの内心は焦っていた。


ライカの様子がおかしい。ときおり強い殺気をみなぎらせる割には、決してその怒りを向けてこない。それを耐えて我慢しているわけでもないように見える。もっと無様に怒り狂うライカを見たかったというのに。


「……」


「なんだ、つまらん。結局はお前は口だけで、両親の事も、妹の事も、そしてセラフィーナの事も、それほど大切ではなかったということか。お膳立てがすべて無駄になったではないか」


マルコスは見せつける様に、抱きしめたセラフィーナに顔を寄せて頬を擦りつけるようにして、ライカの怒りを誘うが、ライカは手に持っていた訓練用の剣を落とし、呆然としたように見えた。


「……」


「少し興に乗って、しゃべりすぎたようだ。お前はここで死ね。その剣を拾い上げ、自分の腹を裂くのだ。そうすれば、セラフィーナに婚約破棄されて失意のうちに命を絶ったと思われるだろう」


「……」


「どうした?早くしろ!そうしなければ、セラフィーナに同じことを命じるぞ?」


「……気が済んだか?」


「あ?何を言ってる?さっさとしろ、それともここでセラフィーナを汚して見せ――」


ライカは手に剣を持っていないにも関わらず、まるで剣を持っているかのように振るい、そして腰に差した鞘に剣を納めるような動きをした。


マルコスは警戒心を一段階上げる。何かをしようとしてるを感じるが、しかしマルコスとライカの間にはまだ距離もある。手には剣を持っていない。その行動の理由がわからない。


念の為にマルコスが防衛の魔法を備える。


「では仕舞いにしよう」


そう呟き、ライカは一閃を振るった。その瞬間、マルコスとセラフィーナに向かって、光の白刃が迫り、二人を胴薙ぎにした。


「な、なにを!」


マルコスはその動きには全く反応出来ず、セラフィーナを前面に突き飛ばすことがせいぜいだったが、しかしまるで幻であったかのように、光の白刃は消え失せ、マルコスの体にも、そしてセラフィーナの体にも異常はない。


「……」


すでにライカは構えを解いていて、マルコスは混乱した。今のは幻覚だったのだろうか。しかしライカには魔力は無い。魔法など使えるはずもないし、マルコスほど魔力の高いものを騙す幻覚魔法など聞いたことがない。


「なんだ、今のは、言え!私に何をした?」


「私がセラフィーナ様に話したのを、薄暗い森に潜んで聞いていたのだろう?仇を取るため教わった術の一つだ。そしてこの訓練場にはあらかじめセラフィーナ様が結界を設置してくださっている。逃げ場はない」


ライカは、最後の仕上げをする。セラフィーナがそうしていたのを思い出しながら、両膝をついて両手を胸の前で組んで、祈った。


「師匠、私は仇を討ちました。祈りを捧げます」


マルコスは非常に混乱している、ライカが突如として祈り始めた。今になって命乞いか?しかし、口にした言葉がそれを否定している。仇を討った?というが、マルコスはどうにもなっていない。


祈り終えたライカは立ち上がり、そのままマルコスに近づいて来る。慌ててセラフィーナを抱き寄せようとしたが、その手は空を切り、セラフィーナはライカの方に駆けていき、そのままライカの腕の中に飛び込んだ。


「ライカ!」


「セラフィーナ様!ご無事ですか?」


「ええ、なんとも!ああ。良かった!またあなたにこうして抱きしめられる日が来ることをどれほど待ち望んだか!あの汚らわしい者に触れられた穢れを早く浄化してください!」


「浄化はあなたの得意とするところでしょう、まあ、私も少しは使えますが」


そういうと、ライカとセラフィーナが清らかな光に包まれて、小さな光の粒子が二人の周りに降り注ぎ、二人が穢れと言った何かが浄化されていくようだ。


「頬を見せてください。拭いますから」


「ええ、しっかりと拭ってください。まったく気持ち悪い!」


ライカが布を取り出した。そしてライカが地面に手をかざすだけで水が噴き出て、布を濡らし、優しくセラフィーナの頬を拭う。水は用が済んだと消え失せる。


魔力がまったく介在していないことに、マルコスは驚くべきだっただろう。


二人がせっせと汚い!汚い!と言って拭ってるのは、マルコスが何度も舐めたセラフィーナの頬だったので、文句の一つでも言えたら言っている。


しかし、マルコスはそれどころではなかった。


(体が、動かない!)


「いったい、お前は私に何をした!ライカ!私に何かすればセラフィーナにも害が及ぶと知っているはずだ!」


「断ち切った」


「は?」


言われ始めて気が付いた、さっきまではっきり感じていたセラフィーナとの魔術的繋がりはすでに無い。それどころか、セラフィーナの中にあえて残しておいた呪いの残響さえも、きれいに拭われてしまったかのように、何も残っていない。


「仙術「縁切りの太刀」は、奇縁悪縁を断ち切るそうだ。魔術的繋がりも呪いも、まとめて断ち切っておいた。お前はもうセラフィーナ様を汚すことは出来ない」


「ありがとう!ライカ!話には聞いてたけど、すごいね!」


「いえ、あえて呪われてまでこの状況を作ったのは、セラフィーナ様ですから」


「ライカのためだもの、私はがんばったわ!だからもっと抱きしめて、もっと褒めて!」


「はい、もちろんです」


二人で、イチャイチャし始めた。


その様子を見ながら、マルコスは必死に逃げる方法を考えていた。


体が動かないが、転移魔法は使えるはずだ、あるいは転生魔法もあらかじめかけてあるから、殺されたところで、ここではない場所で転生して逃げられる。


セラフィーナを手に入れ損ねたのは悔しいが、ここは逃げて再びその機会を待つしかないだろう。


だが、裁定者がそれを赦さない。


「もういいのか?」


突如として、そこに別の人物が現れ、声を発した。マルコスは動かない体を震わせ、何者かに恐怖する。その存在感は、なぜ今までなにも感じなかったのか、何の前触れもなく、現れ、強い畏怖を感じる強大な存在感を発していた。


「はい、師匠」


ライカはそう答えた。


「主よ」


セラフィーナはライカの腕から離れ、地面に膝をついて伏せた。その様子を気にするでもなく、気怠い感じで、ライカに問う。


「仇であろう?もっとこう、痛めつけるのかと思っていたが」


「修行の時にも言いましたが、仇を討つことと、憎悪で殺すことは違うんですよ。痛めつけたところで、両親も妹も戻ってきません。それに、私はセラフィーナ様さえ取り戻せたら、十分です」


異界人(マレビト)の価値観はよくわからんな。まあ、良い。あとはこちらで処理するが、構わんな?」


「はい、お任せします」


マルコスは恐ろしくて恐ろしくて、目の前にまで来た存在に、お前は何者かを問えない。ライカが平然と話をしていることさえ信じられない。体が自由に動くならば、セラフィーナのように、今すぐ地面に伏せて、許しを乞いたいと思うが、それが叶わない。


「すべて見ていたが裁定は不要。一つの過ちだけで十分だ」


「……あやまち?」


マルコスがどうにか絞り出したその声は、自分ではないかのように細く、小さい声だった。


「わが巫女を穢した。許し難し。魂の救済はあきらめよ。救えん。永遠の責めで苦しめ」


そう言うや、地面から無数の黒い手が伸びてきて、マルコスをつかみ、闇の中に引きずり込んでいく。もはや悲鳴すらあげられない。セラフィーナを「わが巫女」という存在は、この世界に一柱しかいないが、マルコスは果ての無い恐怖に囚われて、もう何もかも失っていた。


「では、な」


そう言い残して、ふわりとその存在は消えた。


「はい、ありがとうございました、師匠」


「感謝を捧げます、主よ」


夜の訓練場に、再び静寂が訪れた。


二人は再び向き合って抱き合い、すべてが終わったことを喜び合った。



   ◇   ◇   ◇



二人は答え合わせをしました。


「はい!はい!ライカに聞きたいことがあります!」

「セラフィーナ様、どうぞ」

「あなたが師匠と呼んでいる、わが主は、どうしてあなたに力をお与えになったのですか?」

「やはり師匠の事が気になりますよね」

「気になるなんてもんじゃない!でも恐れ多くて。今も恐る恐るで聞いてます」

「ただ、私もあまり多くの事はお伝えできません」

「やはりそうですか、私も強くは聞けません」

「ただ、私の事ならお教えできますよ」

「主は、ライカのことを異界人(マレビト)とおっしゃいました。その事ですね?」

「ええ。私の世界の神の手違いにより、私は元いた世界を追い出されてしまい、師匠に拾ってもらったのです。不憫に思った師匠は私を何不自由無く暮らせるようにと、商家を営む夫婦の息子に転生させてくれました」

「え、つまり、違う世界から来たの?」

「ええ、魂だけですが。記憶も残ってます」

「すごい!どうして黙っていたの?!」

「師匠からあまりふれ回るなと言われてますから」

「あ!それは言っちゃだめね!それで、話が逸れちゃったけど」

「あ、はい。その後、マルコスによって両親と妹が殺されたとき、師匠が現れて、何不自由なく暮らせるようにと約束したのに、このようなことになって申し訳ないと」

「え!そ、その、主が間違いを……?」

「いえ、師匠は何も悪くないのです、それぞれの人の持つ命運ですから。私はそう言ったのですが、責任を感じたらしく、仇を討つために必要だろうと、術を教わりました」

「剣術も、よね?」

「いえ。あれは自前です」

「え!てっきり主があなたに与えた力だと思ってました!」

「鍛錬の賜物ですよ。前の世界でも、剣術を修めていましたので、その影響かもしれません」

「へぇ、じゃあ、主がライカを助けたのは、責任を感じてってことなのね?」

「はい」

「こんな話、絶対に教会関係者には出来ないわ、主から天啓を授けられるだけでも大騒ぎなのに」

「そうでしょうね、だから私もセラフィーナ以外にはしていませんよ」

「うん、それがいいわ」


「セラフィーナ様にお聞きしたいことがあります」

「なんでも聞いて!」

「マルコスに操られていた時のことは聞きたくないので聞きませんが、それが解けたあと、すぐに私の胸に飛び込んでくれたことがとても嬉しかったのです。操られていたときの影響は残っていませんか?」

「どうして、操られてた時のことを聞きたくないの?」

「……せっかく師匠に恰好をつけて「仇と私怨は違う」と言った口で、言いたくありませんが、マルコスの皮を剥ぎ肉を割き骨を砕き目を抉り耳を削ぎ――」

「もういいわ。ごめん、何か心の傷を抉ったみたい。えっと、そのあとの影響ね?それは無いわね。どれほど汚らしい術で操っても、私の信仰心は決して揺るがないわ」

「信仰心、ですか?」

「ええ。主は"ライカとの結婚は二人の幸せの道となる"とおっしゃった。その時の感謝を思い出すだけで、すべて打ち払えるの」

「……それって、私への好意は、すべては師匠の思し召しだから、って聞こえます」

「そうよ」

「(元だけど、日本生まれには共感が難しいな。信仰ってすごい。ある意味で最高の後ろ盾とも言えるのか?口先だけで愛してると言われるよりも、絶対の信頼感ではある。ただ、愛し愛されたいと思うのは私が未熟だからなのだろうか)」

「何をぶつぶつ言ってるの?」

「いえ、己の未熟さを反省していました」

「よくわからないけど。でも、誤解しないで。ライカの事は好きよ?」

「あえて最悪の例えをしますけど、マルコスと結婚したら幸せになれるって天啓が下ったら――」

「マルコスと結婚するわ」

「(やっぱ信仰って怖い)」

「でも、もしそのようなことを主がおっしゃるのなら、きっと理由があるわ。愚かな私がそれを分からなくて、自分の感情で忌避していたとしても、主を信じ、疑わず、ただ従うまでよ」

「時に信仰心は試される……」

「ライカの事は好きよ!ライカは私のこと好き?」

「好きです」

「なら、それでいいじゃない!」


「ライカは仇を討ったわ。この後は何か人生の目標はあるの?」

「セラフィーナ様をお守りすることです」

「ありがとう。それ以外で、何かやりたいことってないの?」

「剣の鍛錬をしたいです」

「……私の聞き方が悪いのかしら。じゃあ、聞き方を変えるわ。何か楽しみはある?」

「剣の鍛錬です」

「……うわあ。ダメだこいつ早くなんとかしないと」

「逆にお聞きしますが、セラフィーナ様は楽しみはあるのですか?」

「そうね、いろいろあるけど、やっぱいろんな街にいって、美味しいものを食べたりしたいかな。巫女として、国中を渡り歩くけど、お目付け役がダメっていうから、ゆっくりするってことしたことないの」

「ああ。それは良い楽しみですね」

「あなたも何か考えてみて。今までは仇が優先でしょうがないけど、もうその呪縛からは解かれたのだから、楽しみも見つけないと幸せになれないわ」

「そうですね。セラフィーナ様と一緒にいられるだけ、十分幸せを感じていますが、セラフィーナ様と一緒に楽しめるものがあれば、もっと幸せです」

「良い答えね!一緒に探しましょう!」


二人は幸せについて語り合った。



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