7、言わないで!!
「国王の甥って……じゃあ、アネリーもお姫様!?」
どうりでアネリーの話し方や所作には品があるわけだと、感心の溜息をつく。
「とんでもない! 父はとっくの昔に継承権も王族籍も放棄してるの。付属する一切の爵位も返上したから、今は貴族でもないただの平民」
私がいた世界の事情には置き換えられないので感覚がわからないが、それでもアネリー一家が国王の身内であることには変わらないはずだ。そんな人間が学園でいびられるものなのだろうか。
「父は何を犠牲にしてでも、母と結婚したかったんだって。だから実態は王家からの勘当に近いかな。それまで国費で何不自由ない生活をしておきながら、一人の人間と結婚したいっていう身勝手のために、王族としての義務を放棄したの。褒められた行為でないのはわかってる」
「その辺りの感情は私にはよくわからないけど、娘のアネリーが責められるのは筋が違うんじゃないかな……」
話の流れからするに、アネリーの父親は彼女の母親と死別か離婚した後に王家を出たのだろう。子供のアネリーに選択肢はなかったはずだ。
「仕方ないよ。人の感情は簡単に割り切れるものじゃないから」
年下の少女らしからぬ台詞に私は胸が痛くなった。少し前にこの学園の実情を語ったイルーアと、彼女は同じ表情を浮かべていた。
「イルーア先輩は自由な立場から、国中の誰よりも重責を担う立場になったわけだもん。真逆の道を選んだ、私たち一家を軽蔑するのはしょうがないよ」
そういえば、イルーアの出自について聞いたことがなかったなと思い出す。両親はいないと早い段階で聞いていたので、何となく彼女の故郷のことを話題に出すのがはばかられた。見た目はともかく、あの自由奔放さを思い出せば、貴族のお嬢様という感じではないので納得だが。
「メディラの民は何者よりも自由を愛するって母から聞いたことがあるの。イルーア先輩の決意は相当だったんじゃないかな。その点に関しては心から尊敬してるんだ」
「そっか」
メディラという名の場所がイルーアの出身地なのだろう。いつかその土地をこの目で見ることができるだろうかと、私は想像を巡らせる。
「だから私のことはあまり気にしないでね。元々上級生とはそんなに接点はないから、私がよく注意を払えばすむことだし」
「うん、アネリーがそう言うなら……」
その時、帰寮を告げる鐘が響いた。
「あ、もうこんな時間。私、フラネル寮だから走らないと」
アネリーは平民出身者の多い、校舎からはもっとも遠い寮の名前を告げる。
「ごめんねアネリー、時間取らせちゃって。今日はありがとう」
「こちらこそ、シズ先輩」
丁寧にお辞儀して去ろうとするアネリーに、私はふと声をかける。
「アネリー! よかったら、今度お昼に誘ってもいい?」
アネリーは驚いたように目を見張ったが、すぐにうれしそうに笑みをこぼす。
「はい、ぜひ!」
軽快な足取りで去って行くアネリーを見送ると、私は急いで本の貸し出しの手続きを終える。
アネリーたちの寮とは違い私たちの寮は校舎から一番近いが、時間までに戻らないと罰則の対象となる。風紀委員を務める、イルーアの相方である私が違反を犯せば、彼女の顔を潰すことになる。
急いで図書館の出口へ向かおうとすると、突然私は横から伸びた手に腕を引っ張られた。その勢いにバランスを崩し、目の前にあった柔らかな体にぶつかってしまう。
「ごめんなさい!」
とっさに謝ってしまったが、そもそも私が転びそうになったのは、目の前の人物が腕を引っ張ったからだ。むっとしながら顔を上げると、イルーアが険しい顔つきでそこに立っていた。
「イルーア!? くだらないイタズラしないでよ! 早くしないと遅れるよ」
神殿にいた頃、建物の構造に不慣れな私をイルーアは物陰から驚かせ、よくからかっていた。またいつもの悪ふざけかと思ったが、その表情は思い詰めたように強張っていた。
「イルーア?」
「……シズ、あの子と何を話していたんですか?」
「アネリーのこと? もしかして陰から見てたの?」
堂々と目の前でアネリーをいじめられても困るが、こっそり観察するのも趣味が悪い。
「たいしたことは話してないよ、どの本がお勧めとか……あとはちょっと雑談」
「雑談?」
「アネリーの家の話とか」
別に隠すことでもないので、私は正直に伝える。
「アネリーのお父さんは元王家の人で、お母さんは元神官とか……」
「ああ……なるほど。そういう類の話で、シズの同情を買おうって作戦ですね」
冷ややかに笑うイルーアに、私は少しカチンとくる。
「そういう言い方やめなよ」
少なくともアネリーは自分がいじめられた立場でありながら、イルーアの事情に一定の理解は示していた。
「アネリーは責任ある立場を選んだイルーアを尊敬してるって言ってたよ。年下の子に比べて、ちょっと大人げなさすぎない?」
「私が選んだ……? あの子何言ってるんですか」
「イルーアはメディラって場所の出身なんでしょ?」
その言葉を口にした瞬間、目に見えてイルーアが顔色を失う。小刻みに身を震わせる始めてた彼女に、私は何かとんでもない思い違いをしていたことに気づく。
「……ごめん。もしかして余計なことだった?」
「言わないで!!」
悲鳴のような声で突然怒鳴られ、私は身を竦ませる。青い目を限界まで見開いたイルーアのは、全力疾走した後のように荒く息継ぎしていた。その剣幕に私は何も言えなくなる。
「今、大声を出したのは誰です?」
本棚の向こうから掛けられる声に、私とイルーアは我に返る。
「帰寮の鐘は鳴りましたよ。生徒は早く――」
「行こう、イルーア」
司書の先生が近づいてくる気配に、私は素早くイルーアの手を取ると、図書館から連れ出した。校舎を出ると、パラパラと小雨が降っていた。
いつもは二人きりになると、うるさいくらいよくしゃべるくせに、寮に戻るまでの道すがらイルーアは一言もしゃべらなかった。
「少し急ごう」
私に引っ張られるように歩くイルーアを振り返る。雨に重く濡れ、顔にまとわりつく金の髪を払うこともなく、うつむいたままだった。