6、お言葉に甘えて
学校生活が始まって一ヶ月が経った。初日の出来事ですっかり目立ってしまった私だったが、特別友達ができるわけでも、かといって嫌がらせやいじめを受けることもなく、平穏無事に“ぼっち”となっていた。
イルーアと関わらなければ、そのうち友達もできるだろうと思っていたが甘かった。私の立ち位置は入学初日、あの騒ぎのせいで確定してしまったのだ。
確かに普通の生徒の視点からすれば、イルーアの機嫌を損ねないためには、私には寄らず触らずが一番だ。わからないことを尋ねれば皆が親切に対応してくれるが、ただそれだけだ。友達になるどころか、誰も雑談すら振ってくれない。
唯一私と会話したがるのは、イルーアの歓心を買おうと必死な取り巻きたちくらいだ。もちろん彼女たちは、私と純粋な気持ちで友達になりたいわけではない。添え物の私を踏み台にイルーアの寵愛を得たいだけだ。
そのイルーアの状況についても段々わかってきた。私より一足先に学園に入学した彼女は、わずか三ヶ月程度で今の地位を確固たるものにしていたらしい。まずイルーアは《御使い》の知名度をうまく利用し、元々学園ヒエラルキートップにいた名家の子女たちとお近づきになった。そして老若男女問わずたらし込む愛くるしい容姿と、信徒を相手に磨き上げた人心掌握術を武器に、彼らを陥落させ支配下に置いてしまっていた。
いじめに関しては断固許せないが、短期間で学園のトップに立つのは簡単ではなかったはずだ。イルーアがふざけた性格とは裏腹に、頭が良いのは神殿にいた頃から感づいていたが、ここまで切れ者だったとは私の想像を超えていた。
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「……シズさん?」
「はいっ?」
その日図書館で本を探していた私は、ひさびさにイルーアと教師以外から名を呼ばれ驚いた。
「シズさん……あ、先輩ってお呼びするべきですよね」
話しかけてきたのは、入学初日の事件の発端となった人物だった。まっすぐな栗色の髪をハーフアップにした、派手さはないが清楚に整った顔立ちの少女。
「確かアネリーさん……だったよ?」
記憶を探り名前を呼ぶと、少女ははにかむように笑みを浮かべた。イルーアが百合や薔薇のような大輪の花なら、こちらは野道に咲く小さく可憐な花のようだ。同性でも嫌味なく好感が持てる、愛らしさを携えていた。
「先日はありがとうございました、あの――」
「シズでいいよ。私は編入生だから、アネリーさんの方が学校生活では先輩だと思うよ」
「いえ、そんな……でも親しみを込めて、呼ぶことを許していただけるのは光栄です」
「おおげさ」
生真面目な顔で言う少女に私は思わず笑ってしまう。後輩相手の気安いやり取りなどいつ振りだろうと、懐かしさを噛み締める。
「それに私、友達がいないから気さくに話してくれる方がうれしいかな」
「あ……」
その一言で私の状況を察したのか、アネリーがかすかに憐れむような目で私を見る。
「じゃあお言葉に甘えて、同級生みたいに話しても……いい?」
「もちろん」
アネリーはほっとしたように笑うと、少し目を見開き小動物を思わせる仕草で、ひょこっと私が手にした本をのぞき込む。
「『パロトナ海戦のすべて』……歴史の勉強をしていたの?」
「うん。授業で習ってるところなんだけど、こっちの歴史について私は全然知識がないから、ついていくのが大変で……」
「そっか、シズ先輩は異世界の人だったよね」
異世界の存在も、《守護者》が召喚されてくることも、この国の人々にとっては当然の常識らしい。
「それなら、四王国時代の全体像を理解してからの方がいいかも……。ブランシュやクロギットの著書は読んだことは? 少し表現は古いけど」
「私、現代文字を読みこなすのが精一杯で古典は難しいかも……」
「ああ、それなら――」
アネリーは私に子供でも理解しやすいという本をいくつか紹介してくれた。表面上の当たり障りのない親切とは違い、本当に私のためを思ってくれる行動に胸が詰まる。
「……ありがとう、アネリー」
「シズ先輩のお役に立てたならうれしいな。……私、歴史が好きなの。母が神学校で古代神聖学を修めたから、その分野の本が家にたくさんあるんだ」
「神学校……?」
神官を志す若者が通う場所だと聞いたことがある。神殿に巫女は存在するが、神官はすべて男だったはずだ。
「うん、元神官だったから――あ、母は中性なの。神官だった頃は当然男性体だったけど、職を辞して女性体になってから父と結婚したんだ」
私がその辺りの事情に疎いことに気づいたのか、アネリーは丁寧に説明してくれた。
「そうなんだ。じゃあアネリーが賢いのはお母さんに似たんだ」
アネリーは花がほころぶように笑った。
「『はい、そうです!』って言いたいけど、私と母とは血の繋がりはないの。正確には継母で……あ、でも小さい頃からとっても仲良しなんだよ」
「うん、わかる気がする」
この細やかな気配りができる優しさは、きっと両親の愛の元で真っ直ぐに育てられたせいなのだろうと思った。
そして、ふと思い出す。私が世話になった神官たちもそうだったが、神学校に入れるような者は、よほど裕福な家柄かたいていは貴族出身と聞いたことがある。
そして私は最初、このアネリーがてっきり平民でヒエラルキー下位の存在だから、イルーアが自らの権力を誇示するための生贄になったのかと思った。誰も助けに入らないかった様子からしても、味方がいないか、いてもイルーアたちに逆らえる立場ではないのだろうと。しかしイルーアは、後ではっきりと『アネリーはただの平民ではない』と言っていた。
私が思いもよらぬ事情があることが察せられた。好奇心で口にしていいのか迷ったが、疑問を疑問のままにしておくことができなかった。
「……アネリー、この間はイルーアがごめんなさい」
「ううん、シズ先輩に謝ってもらうことじゃないよ。それに落ち度があったのは私だから。二度とあんなことがないように気をつけないとね」
健気な笑顔で返すアネリーに、私は恐る恐る言う。
「あの……こんなこと聞いたら気分を悪くするかもしれないけど、どうしてイルーアはアネリーに目を付けたんだろう?」
調子づいた取り巻きたちの様子からして、おそらくアネリーがあんな目にあったのは初めてではなかったはずだ。
「イルーア先輩が――いえ、この学園の人たちが私を嫌うのは仕方ないよ。……私の父は国王陛下の甥に当たる人なの」