19、私たちのささやかな幸せ【終】
「あのさ、イルーア」
「どうしました、シズ?」
ベッドの上に座っていたイルーアはタイミングを計っていたように、読んでいた本からぱっと顔を上げた。私は気まずさから視線を逸らして言う。
「……私にはくれないの? 降臨祭の贈り物」
「もうとっくに用意してありますけど」
「え?」
あっさりと言われた言葉に、私は意表をつかれる。
持ち物も部屋の中も一通り確認したはずだ。降臨祭の贈り物はその人の持ち物や、個人的なスペースにこっそりとプレゼントを入れておくのが習わし。これ以上心当たりはなかった。
「ずうーっと今朝から準備してありますよ。ちゃんとシズの物に入れておきました」
「だってもう見るところなんて――」
ふと、私はイルーアが消灯時間が迫っているというのに、まだ着替えずに制服のままだったことに気づく。
そういえば、今日のイルーアはやたら私の前にやってきては意味ありげな視線を送り、時折胸を突き出すようなわざとらしいポーズをとっていた。イルーアに比べればささやかな私に対する嫌味かと思いながらも、彼女の奇行は珍しいことではないので適当に流していた。
私はある予感に大きくため息をつくと、立ち上がってベッドの上のイルーアの元へ向かう。ニヤニヤと笑っている彼女のスカートのポケットへ、無造作に手を突っ込んだ。くすぐったさに身をよじりながら、イルーアが笑い出す。
「もうシズったら積極的ですね、せめて消灯まで――」
「黙って!」
ポケットの中には想像通り花柄の小さな布の包みがあった。リボンをほどくと、色とりどりの包み紙にくるまれたお菓子がこぼれ出す。
「……降臨祭の贈り物は、その人の持ち物とかに入れておくものじゃなかったの?」
「だって私はシズのものですから」
堂々と誇らしげに言われた言葉に、私は一瞬呆気に取られた後、真っ赤になって顔を逸らす。
「馬鹿なことばっかり考えるんだからっ!」
私は包み紙を一つほどいて、真っ赤な丸いキャンディーを一つ口の中に放り込む。ベリーの甘酸っぱい味が口の中に広がった。
「ぬるい……」
イルーアが一日中ポケットの中に入れていたせいか、キャンディーにも体温が移っていた。チョコレート菓子だったら悲惨なことになっていただろう。
「もう食べちゃうんですか? 本当にシズは積極的ですね。……私の気持ちとしては手元にずっと取っておきたいんですけど、風味が落ちてももったいないのでいただきますね」
イルーアはチェストから、緑色の包装紙に包まれた小箱を取り出した。その他たくさんのプレゼントに紛れてしまったと思い込んでいたが、それは間違いなく私があげた物だ。
「どうして、それが私のだってわかったの?」
「一目でわかりますよ。だってこれシズの気配がしますから」
「え、怖っ……」
思わず本音を漏らしてしまった私に動じる様子もなく、イルーアは「ふふっ」と妖しく笑う。
近所で買ったどこにでもありそうな、宛名もメッセージカードも添えなていないお菓子だ。私も聞かれたら答えればいいかという程度に考えていたので、特に思い入れはない。手がかりなどあるはずがないのに、イルーアは確信めいた言葉ではっきりと言った。その不思議な声音に、目の前の友人は確かに《御使い》という、常人とは違う存在なのだと意識させられる。
とはいえ幼い子供のように、幸せそうな顔でクッキーを頬張る姿も嘘ではなく、その二面性にときおり驚かされる。
「そんなにうれしかったなら、またいくらでもあげるよ。来年だって、再来年にだって降臨祭はあるんでしょ」
《御使い》は死ぬまで永遠に国と民の安寧を祈り続ける存在。聖職者である神官たちですら、個人の事情が変われば職を辞すことはあるが、イルーアにその自由は永遠にない。この学院の生徒たちだってそう。いつかは自分の道を選び、旅立っていく。頸木から解放されることなく、その場にとどまり続けるイルーアを置いて皆行ってしまう。――ただ一人、私を除いて。
「誕生日だって、それ以外に気が向いた時だって、プレゼントなんていつだって交換すればいいんだよ。これから先、私たちにはいくらでも機会はあるんだから」
一人にはしない、ずっと傍にいる。直接言葉を告げるのは照れくさかったがなんとなく想いが伝わればいい、そんなふうに考えながら私は言った。
見る間に、イルーアのサファイアの瞳が大きく見開かれ、その頬が赤く染まる。――ああ、これは照れ隠しに盛大に茶化されるパターンだと、私はまた鬱陶しく絡んで来る光景を予感したが、イルーアの反応は想像とは違っていた。
「……ありがとう、シズ」
それは懐かしい物に遭遇したような、あるいはどうしようもなく儚く美しい光景を前にした時のような。こらえきれない愛おしさがにじむ眼差しと、噛み締められた唇に、私はドキリと魅入られる。
「――さあ、そろそろ寝ましょうか。消灯の時間を過ぎたら怒られちゃいますよ」
「そうだね」
いつもの口調でへらりと笑い、イルーアはあっさりと背を向ける。鼻をすする音と、目元を拭う仕草を私は見て見ぬ振りをした。
部屋の明かりを落しベッドに入った私は、先に横になっていたイルーアへと話しかける。
「……そういえばアネリーだけど、あの感じならイルーアの出自について言いふらさないんじゃないかな?」
「エメディスはあれで結構厳しいのですからね。そんな真似をしたら叱られるのは、アネリーもわかっていると思います」
「そっか」
私は少しほっとする。アネリーは今まで猫を被って過ごしていた辺り、イルーアと同じかそれ以上に計算高いのが本性なのだろう。人間性や倫理観には期待できないが、だからこそ『切り札』は簡単に使わないはずだ。
「……いざとなれば、出自のことをみんなに知られたって、私はかまいません」
「え?」
寝返りを打って振り向こうとしたら、ふいに背中と足に冷気がかすめた。衣擦れの音に続いて、猫のようにしなやかで温かい肢体が背中にくっついた。
「イルーア!?」
「私にはもうシズがいます。人並みの幸せなんて《御使い》になった時から――いえ、メディラの民として生を受けた時から諦めています。そんな私に、永遠に傍にいてくれる人ができたんです。これ以上の奇跡なんて望めませんよ」
「イルーア……」
「シズお願いです。私のこと、嫌いになっても軽蔑してもかまいません。罵りながらでもいい……ただ傍にいてください」
その弱々しく乞うような声音に、私の胸が痛くなる。普段のふてぶてしい態度が嘘のように健気な言葉だった。私は小さく息をつくと、思い切って体を反転させる。視界いっぱいにサファイアの瞳が映り込む。
「……あのさ、私そういう趣味ないんだけど」
「え?」
「罵りながら、とか」
「あれ、そうなんですか? シズはそっち方面の才能が結構あると思いますけど……嘘ですシズ、寝ないでください」
殊勝な姿は一瞬で、やっぱりいつものふざけたイルーアであることに、私はかすかな安堵と共に瞳を閉ざす。
「さっさと、自分のベッドに戻って寝なよ」
私は軽く足でイルーアを押しやるが、器用に体をくねらせ避けられた。
「えー、せっかくですから、今晩は一緒に寝ましょうよ。そうだ! 今は女子同士なので、定番の好きな人について語り合いましょう。ちなみに私の好きな人は一見とっつきにくいんですけ、実は情に脆くて――」
「寝て!」
いつもと変らぬふざけたやり取りに、ふいに記憶がよみがえる。
子供の頃、母が夜勤でいない夜は、私たち姉妹は祖父母の家に連れて行かれ、川の字になって和室で寝かされた。LEDほど明度のない古びた豆電球のオレンジの明かりの中で、時にはこっそりお菓子を布団の中に持ち込んで、少女らしい内緒話をしたり、笑い声を押し殺して枕投げをしたりもした。
祖父母は早く寝てしまうので、静まり返った暗い家の中は、振り子時計の秒針の音だけがいやに耳につく。一人なら不気味なだけの古い和室も、姉と妹が一緒なら子供だけの特別なパーティー会場に変わる。残業でいつ帰るともわからない母を待つ寂しさを紛らわせてくれたのは、あの不思議な高揚感と、同じ境遇を持つ姉妹の存在だった。
この世界に縁がなく、これから先の未来などまったくわからない私にとって、この世界はあのほの暗い部屋の中のようなものだ。ほんの一年前まで、私は好きな人を作って、結婚して子供を産む――そういう生活がいつかは手に入ると漠然と信じていた。この先に思い描いていたような、当たり前の幸せがいつやって来るのかも、本当に得られるのかもまったく保証はない。
ベッドから追い出そうとする私との攻防に競り勝ったイルーアが、猫のように私の首筋に擦り寄る。その柔らかな髪にくすぐられる、むずがゆさに思わず笑うと、狸寝入りを決め込みかけていたイルーアも堪え切れずに笑っているのがわかった。
「もう……バカだなあ」
しばらくすると、眠った振りを決め込んでいるのかと思いきや、本当に規則正しい寝息が聞こえてきた。
さっきまで笑い転げていたくせに、スイッチの切れた子供のようにストンと眠りに落ちてしまったイルーアに、私は呆れつつも笑う。今更ベッドから追い出すのも面倒だったので、今晩だけは大目に見て、同じぬくもりの中で私も眠ることにした。
一人なら孤独に耐え切れなかったかもしれないが、二人で身を寄せ合い、くだらないおしゃべりに笑い合い、ときに秘密を共有すれば、たとえ暗がりの中にいても、ささやかな幸せは見つけられる。
かつて暮らしていた世界に思いを馳せつつ、一方でこんな日々が続くのだって案外悪くないかなと、私は思い始めていた。
お読みいただきありがとうございました。何かいままで書いたことのない分野を書いてみたいと思い、見切り発車でやってしまいましたが、自分の中では楽しく書けた作品でした。評価、ブックマーク、拍手励みになりました。応援いただけていつも励みになっております。本当にありがとうございました。
以下今後の予定ですが、別作品の効果なのか『元地下アイドルは、皇帝を目指す!』の読者さんが増えたこともあり、せっかくなので二部に入れようと思ったけど全体のテイストと少し違うので削ってしまったエピソードを番外編として執筆しようと思います。近々連載する予定なので、こちらもぞうぞよろしくお願いします。




