16、いつでも乗り換えていいからね
「あーあ、せっかくお育ちを隠していたのに、やっぱりとっさの時は貧民窟流の言葉が出ちゃうもんだね、イルーア先輩」
アネリーの方もまるで懲りた様子はなく、イルーアに向かってせせら笑いを浮かべる。
「すっかり馬脚を現しちゃって。やっぱり下賤な生まれは隠せないか」
「イルーアを悪く言わないで」
「シズ……」
イルーアが感極まったように目を潤ませて私を見つめた。面倒なのでイルーアは一旦さて置き、私はまだ痺れが残る足を叱咤し立ち上がる。
「本人にはどうすることもできない事情を持ち出して、攻撃するのは卑怯だよ」
「いや、私も王家の出涸らしとか散々その人に馬鹿にされたんだけど」
アネリーが真顔で指さす先を見ると、イルーアがしれっとした顔でそっぽを向いた。……真偽を確かめるまでもなさそうだ。呆れ果てた私は大きくため息をついた。
「まったく……それぞれ事情があるのはわかったけど、お互い嫌いなら関わらなければいいでしょう! なんでわざわざ藪を突くような真似するかなあ」
「だって、先にちょっかいをかけてきたのはイルーア先輩だし。ウチの継母に懐くのは勝手だけど、変な嫉妬とか迷惑だからホントやめてよね」
「懐く? それってエメディスさんのこと……?」
イルーアが苦々しい表情でアネリーを睨んだ。
「その人、ずーっと未練がましく母に手紙を送って来るんだよね。もう神官やめて家庭に入ったんだから、母も放っておけばいいのに。子供の頃から面倒を見てきた手前見捨てられないみたい」
「そうなの?」
イルーアは表情を隠すように無言で私の肩に額を押し当てるが、その耳が赤く染まっている。定期的に手紙を出す人がいることなど全然知らなかった。エメディスさんに対し、イルーアが愛憎が入り混じった感情を抱えているのは気づいていたが、私の想像よりはずっと片方に寄っていたようだ。器用で機転も利くくせに、どうしてこういうことには不器用なのか……。
「その人がシズ先輩に懐くのもわかる気がする。うちのお母さんってシズ先輩と雰囲気が少し似ているし」
「はい? その目腐ってるんですか? あんな人なんかより、ぜんっぜんシズの方がカワイイです!」
「そこはどうでもいいから」
「あ、その感じ。そんな変な人間相手にしてても、まるで動じない所とか」
確かにこのイルーアの幼少期に関わり、大神官の立場を捨て、王家の人間と結婚した人だ。相当肝の座った人なのだろう。
とはいえエメディスさんは中性であり、イルーアと直に関わっていた神官時代は確実に男性形態だったはずだ。似ていると言われるのはちょっと複雑だ。
「つまり私の好みでもあるってことなんだけどね」
「黙れ、この変態!」
へらりと両手を広げて笑うアネリーに、またもイルーアが噛みつく。
確かに継母と似ている人を、イタズラとはいえ一服盛ってベッドに押し倒すのはどうなんだと思う。
アネリーは肩をすくめた。
「……ま、仕方ないか。私もバカバカしくなってきたし、今回はシズ先輩の顔を立てて手打ちにしておきましょ。――イルーア先輩。盗難事件については誰も割を食わない形で、そっちで適当に処理しておいてよ。お山の大将でもそれくらいはできるよね?」
「勝手に話を取りまとめられる立場だと思ってるんですか? シズにあんな真似しておいてただで済むと――」
「イルーア」
私が強い口調で名を呼ぶと、イルーアは不貞腐れたように頬を膨らますが、ひとまず黙った。
「私、シズ先輩のことを気に入ってるのは本当だから。その人に愛想が尽きたら、私にいつでも乗り換えていいからね」
「とっとと失せろ!」
「ここ私の部屋なんだけど。……まあいいや、他寮生連れ込んだのがバレたら、私が寮長に叱られるから誤魔化してくるね。シズ先輩はあと二、三十分もしたら痺れが抜けると思うから、休んでいっていいよ。イルーア先輩、一応言っとくけど私のベッドで変なことしたら殺すからね」
なぜか物騒なことを言って去って行くアネリーを見送った後、私はイルーアに尋ねる。
「今のどういう意味?」
「さ、さあ?」
赤くなって咳払いするイルーアは、口の中でモゴモゴと「あのアバズレ……」などと懲りもせずに毒づいていた。




