1、もう何もかもどうにでもなれ
――ぱんっ、と乾いた音が高く響いた。
目の前にいる金髪の少女が、恐る恐る赤くなった自分の頬を押さえる。ご自慢の愛らしい顔に何が起きたのか悟ると、信じられないものを目の当たりにしたように、サファイア色の瞳を目一杯に見開いた。
「もう、うんざりっ……」
私が吐き捨てるように告げるのと同時に、一連の様子を見ていた周囲から悲鳴や驚愕の声が上がった。言葉も無く立ち尽くす金髪の少女を無視して、私は後ろで床にうずくまる下級生の元へ向かう。
栗色の髪の少女は、真ん中が切り裂かれた制服の胸元にかき集めるように抑え、すすり泣いていた。私は自分の制服の上着を彼女の肩に掛けると、再び金髪の少女へと向き合う。
容姿だけは天使のように愛らしい、どこまでも残酷で傲慢な私の魂の伴侶。
「――もういい。あんたの守護者なんかやめてやる」
「え……?」
私が発した一言に桜色の唇がわななく。
「あんたも学園もこの世界も大っ嫌い! 元はと言えば、あんたのせいで私はこんな所に呼び出されたんじゃない!? 私はこんな世界に来たくなかった! 選択肢なんて最初からなかった! 全部全部、イルーアのせいじゃない!!」
絶対に口にしてはいけない、でもずっと抱き続けていた暗い感情を、私はついに耐え切れずに吐き出してしまう。
もう元の関係には戻れない。私もこれまでのような能天気な立場でいられなくなるかもしれない。それとも酷い罰でも受けるだろうか。「もう何もかもどうにでもなれ」と、投げやりな気分だった。
その瞬間、青い瞳が漣のように揺らぎ、はらりと一粒の涙が陶磁のような頬を伝った。
「いやっ……いやです……」
母親を探す幼子のような頼りない声に、血が上っていた頭が急に冷える。
「イルーア?」
「み、見捨てないで……謝るから……何でもするからっ……」
金髪の少女は臆面もなく鼻の頭を真っ赤にし、ひぐひぐとしゃくり上げながら子供のように泣き始めた。
「……シズ……シズ……っ」
ほんの数秒前まで、二度と顔を見たくないとまで思っていた。それなのに名前を呼ばれた瞬間、私は心臓をわしづかみにされたように動けなくなっていた。
体当たりする勢いで飛び込んできた柔らかな肢体に、私は息を詰まらせながらも、オロオロとやり場のない両手を動かす。
「ちょ、ちょっと!」
「行かないでください……シズ。私を一人にしないで……」
グズグズと鼻を鳴らしながら、私のブラウスを涙で濡らす少女を押し返すことができなかった。
※※※※※※※※※※
――それは約半年前の事。
「ごめんなさい。あなたはもう元の世界に帰れないんです。これも運命なので許してくださいね」
魔法陣の真ん中で尻もちを付いたままの私に、とろけるような甘い笑みで彼女はそう告げた。
形の良い卵型の輪郭を包む、光を束ねたような長い金髪。扇のような長いまつ毛に縁どられた、宝石みたいに深く青い瞳の少女。恐ろしく残酷なことを告げられているのに、私はそれまでの人生で出会う誰よりも美しい少女に目を奪われていた。
それが私と最悪なる暴君イルーアとの出会いだった。
イルーアは私がたどり着いた異世界の国エンドラで《御使い》と呼ばれる、神様の化身だった。
幼い頃に神官たちにより見出された彼女は、祈りを捧げることでこの国に豊かな恵みをもたらし、災厄を遠ざけるとされている。そして私は彼女を守る《守護者》というよくわからない存在として、召喚の儀式により選ばれたのだ。
私は何かの間違いではないか、魔法の力も護身術も使えないと訴えると、イルーアは笑った。
「そんなもの必要ありません。《守護者》とはただの伝承に則って定められた、《御使い》を慰める気休め程度のお守り役なのだから」
私からすれば人生を大きく変える出来事であるのに、イルーアは身も蓋もなく言った。後に私の面倒を見てくれる神官たちも、その言い草に呆れつつも否定はしなかった。
エンドラでは、国王をもしのぐ尊い存在として崇められている《御使い》イルーア。その美貌は洗練され口調も大人びていたが、彼女は私よりも年下でまだ十五歳だった。幼い頃に存在を見出され、ずっと大神殿の奥まった場所で宝物のように育まれていたらしい。
「以前から、市井の暮らしを知りたいと頼んでいたんです。ようやくその願いが叶って、来月から王立学園に通えることになりました!」
星のように無限の数がある異世界の中から、無作為に選ばれた人間を元の場所に帰す方法はないと知らさせ、茫然自失となっている私に構うことなく、興奮した様子でイルーアは語った。
「まさかこの時期に私の《守護者》が見つかると思いませんでした。シズもすぐに学園に来てくださいね! シズは私と運命を共にする《守護者》なんだから。……ああ、本当は一緒に学園に行きたかったんですよ。でも神官たちが、シズにはしばらく大神殿でこの国の常識や、守護者の心得を学ばせる必要があるって言うんです。残念ですけど、確かに読み書きくらいできるようにならないと困りますもんね」
私は混乱から覚めていなかったが、他人の意など微塵も解さず好き勝手並べ立てる少女を前に、選択権はないことだけは察していた。
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前から挑戦してみたかったガールズラブですが、また型破り系×真面目系の組み合わせです。そしていつものごとく中はドロドロ後味さっぱりに仕上げたいと思います。予想では二十話程度の中編になりそうです。
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