91.『美術品』は心を蝕む
「知らない内にヴィンスの領でも『神族疑惑』が広まっているのは中々に面白かったですが、それはそれとして。――はい、ランツィロットさん。ブルのローストサンドです。ランチにどうぞ」
「……あの。なんか、血のニオイするんだけど」
「赤ワインソースにドロガメの血を混ぜてみました。ランチにどうぞ」
「なんで」
「嫌がらせです。ランチにどうぞ」
「怒ってるなら謝るから言ってくれ」
「遊んでます。ランチにどうぞ」
「……おー」
早朝から賑わう冒険者ギルド。普通に話していたのに急にアイテムボックスからガスマスクを出し装着したと思えば、続けて大きめのランチボックスを取り出しランツィロットへ差し出したヤマト。そのガスマスクの理由も『ドロガメの血を嗅がないように』だと、理解。
珍しく早いなと思っていたランツィロットは、早起きの理由が嫌がらせのためだと知り変に感心してしまう。態々ガスマスクを買ってまでする事なのかと、己が楽しむことに全力を出し過ぎていてちょっと引いてもいるが。
ヤマトの横にいるヴォルフが「断ったらもっと悪質な嫌がらせされるぞ」とニヤついている。更に少し離れた場所で「ヤマトさんの手料理断ったら斬り掛かろうぜ」と頷き合い各々の武器に手を添えた、ヤマトと顔見知りの冒険者パーティーがいる。
“食”に貪欲なヤマトが食べ物で嫌がらせをするなんて少し違和感を覚えたが、しかしちゃんと食べられるもので絶対に美味しい。嗅覚が認識した血のニオイ的にも、混ぜたのは少量。
恐らく。血行促進と性的興奮の間で留める量で、午後からも魔物を狩りまくれば娼館に行かなくて済む程度だろう。だから『ランチにどうぞ』なのだと。
嫌がらせにも変に気を遣っている。意味が分からない。
なので、この嫌がらせ――ヤマトからすると“可愛らしい仕返し”を甘んじて受け入れた。愚痴だとしても、確かに『神族疑惑』を広めたのは自分。自業自得。
諦めに肩を落とすランツィロットが、受け取ったランチボックスをマジックバッグへ突っ込んだ。
それを確認してからガスマスクを外しアイテムボックスへ入れたヤマトは、その手で掴んだ箱をランツィロットへ。掌より一回り大きいサイズ。何が入っているのか。
「嫌がらせ多くね?」
「欲しがりですね。他にも考えておきます」
「要らねえし、違うならそう言って。――で。なにこれ」
「事前服用の毒消しポーションです」
「っあんたまじ最高!」
「ぉ」
がばりとヤマトを抱き締めたランツィロットは、当然ながら下心は一切無い。ヤマトは対象外で“ナシ”なので、これは純粋な嬉しさから来る衝動的な行動。粗暴な冒険者のフランクな距離感。
ヴォルフもそれは理解しているので、特に気を悪くすることはない。苦言も「早く離れろ」とも言わない。
見極め対象のヤマトへ何重にも線を引いているランツィロットが、その“線”を何本か消しただけ。ヤマトも満足そうな様子。
重畳。
改めて。ヤマトを解放したランツィロットは箱を受け取り中を確認。ポーション瓶ではなく、試験管が3本。ご丁寧に衝撃吸収の材質に包まれて。
試験管――反射的に実験体にされている感覚に陥った。
しかしヤマトは騙して人体実験をするような性格ではない。するのなら堂々と許可を得る。きっとそうだろう、とランツィロットは分析し確信もしている。変に気を遣う、から。
そもそも。ランツィロットは身分証の保証人になるかもしれない相手。人体実験をしては保証人になってもらえない。流石のヤマトもそれは理解していると分かっているので、その感覚はすぐに消えた。
「調合や魔力量を変えてみましたが、30分が限界でした。味も保証しますよ」
だからといって自分で人体実験をするのは如何なものか。
思わずヴォルフを見ると、呆れた顔でヤマトを見下ろしている。アホか。と。
ヤマトを大切にしているヴォルフがその程度の認識。なら「まあいいか」と、深く考えることを放棄。正しい判断である。
「まじでありがとうな。折角だし、今から狩って来るわ」
「楽しんで」
「おう。ポーションの礼、T・レックスの肉で良いだろ?」
「食べないんです?」
「何か作ってくれ。――因みにこのポーション、販売は?」
「残念ながら。ヴォルフさんから却下されたので」
「あー……まあ、だろうな」
事前服用の毒消しポーション。毎食の毒味により冷えた食事が常識の王族にとっては、喉から手が出る程に欲しい代物。詳細な『鑑定魔法』を使える魔法使いは稀少も稀少な存在なので、温かい食事はそうそう口に出来ない。力技として温かい食事の後に毒消しポーションを飲むこともあるが、毎食後に飲みたい味ではない。
そんな現状で『“食”に貪欲なヤマト』が作り味の保証をした事前服用のポーションが出回れば、確実に王族は飛び付く。そこには販路を得ようと様々な画策が生まれ、賄賂が溢れ買い占めや高額での転売もされる。
結果。毒消しポーションを必要としている冒険者の手には渡らない。ヤマトの冒険者への善意が権力者に利用されるだけ。
そうなったら不快に思ったり激怒する者が現れるだろう。国単位で。主に“あの国”や、エルフ国や獣人の国が。
「ま。良いんじゃね。事前服用が作れるって情報出回れば神殿が頑張るだろうし。作れるかは別として」
「なにやら語弊が生じそうな気がします」
「言ってやろうか?」
腰を屈めヤマトの顔を覗き込むランツィロットは口角を上げていて、しかしそれは揶揄いの表情だと察したヤマトは目元を緩める。『火消しを丸投げされたいのなら。どうぞ』――そう言うように、小首を傾げて。
こいつ、無言で伝えるの好きだよな。いや、好きっつうか……“伝わる”相手が好きなのか。頭の回転が良い、洞察力の鋭い奴が。こうやって試せるから。
これでなんで貴族じゃないんだか。まじで生態謎過ぎるな。
それでも嫌な気分にはならないのだから、この『ヤマト』と云う生物に俄然興味を惹かれる。変なフェロモンでも出ているのだろうか。ランツィロットは顔で判断しないので、尚更に不思議に思ってしまう。
ひらりっ。
適当に片手を払いながら腰を戻したランツィロットは、ぽんとヤマトの頭に手を乗せてから依頼ボードの方へ。T・レックスの討伐序でに依頼を受けるらしい。
喜んで頂けてなにより。上機嫌なヤマトは、そろそろと近付いて来る職員へ視線を向ける。職員の様子で用件は察しているが、改めて向き直り小首を傾げて見せた。
僅かに狼狽えた職員は、
「あの……宰相様からお手紙、」
「突き返せ」
ヴォルフにシャットアウトされたので盛大に肩を落とした。序でに蹲った。ヤマトにより貴族との板挟み役となってしまい、同僚達からヤマトに関しては丸投げされた職員。彼の最近の悩みは確実に胃痛だろう。
微かに「もうやだ……」との嘆きが聞こえたので少し可哀想に思うが、ヤマトが優先するのはヴォルフなので注意はしない。寧ろ、自分の為に行動してくれる事実を嬉しく思っている。
フォローはするが。
「お手紙くらい読んでも構いませんよ」
「……」
「恐らく納品についてです。感謝の手紙を突き返すのは、ちょっと」
「……お前が良いなら」
「折れてくれてありがとうございます」
そう言うヤマトは、ヴォルフが本気で嫌がっている訳ではないと分かっている。恐らくは『簡単にヤマトに逢えると思うな』と示す為のパフォーマンス。あと『“貴族嫌い”が目を光らせているからな』――その牽制も、半分。
蹲った体勢からヤマトを見上げる職員。手を差し出し「手紙を」と目元を緩める『美術品』に、すっ――両手を合わせた。
まるで“そう”する事が当然かのように。
「え」
「ん……ぐ、っ」
なぜ拝まれたのか。解せない。
同時に。笑いを堪えようとしたが不可能だったらしく、口元を隠し顔を背け肩を震わせるヴォルフにも解せない。コートの中でぷるぷると揺れるプルにも解せない。
事の成り行きを見ていた顔見知りの冒険者パーティーは腕を組み、うんうんと頷いている。彼等は一体どの立場なのだろうか。“黒髪黒目”を渇望する国出身の『“黒髪黒目”大好き勢』の立場である。ので、彼等の心情は理解した。
「あの。お手紙を」
「ぅ……神々しいのやめて」
「お疲れのようですね。リラックスには、ハーブティーがお手軽ですよ」
「俺を板挟みにしやがった張本人が!そうやって優しくすんな! でもドラゴン・スレイヤー怖ぇしっつか“顔”が良いから許しちまう俺のバカ!! はい手紙っ」
「ありがとうございます。そう長くは滞在しないので、もう少し頑張りましょうね」
「気ィ遣うとこズレまくってんだよっ!!」
だんっ――両手で床を叩き何やら嘆き始めた職員は、この粗暴な冒険者が集まる総本山で働いているので負けず劣らずの粗暴さ。これも、この国の特色なのかもしれない。
エルフ国の冒険者ギルドに居た只人の職員は粗暴ではなかったので、この予想は合っているだろう。
「うははっ! ヤマトさんまじサイコー!」
「顔良いから許しちまうの分かんぜー」
「うんうん。何やっても許される“顔”な」
「拝んじまうよな。わかる」
「俺等も拝んどこーぜ」
「拝まないでください」
揃って拝む彼等には困ったように笑っておいたが、うわぁ……とドン引く周りには我関せず焉。
受け取った手紙を読むヤマトは、当然のように覗き込んで来るヴォルフを咎めない。不快にも思わない。
こうやって好きにさせているので『これは許されること』とヴォルフに認識させてしまい、故にこの“許し”はその過保護を助長させる要因。その事実には気付いているが……
ヤマトはヴォルフへ依存している自覚がある。なので、ヴォルフ本人が自発的に依存させてくれるのなら大歓迎。
唯一。自らが強く求めた存在――ヴォルフからの過保護が『依存』へ昇華していることも、ヤマトは察している。大歓迎。なんてポジティブな共依存。悪趣味。
重く深い友愛が執拗過ぎる。
「ラブレターを読んだ感覚です」
「燃やせ」
一体、何が書かれていたのだろうか。ヴォルフの眉間の皺が凄まじいことになっている。
きっとこっ恥ずかしいポエムでの感謝だろうと、全員が推察。冒険者からすると貴族の『ラブレター』は全てこっ恥ずかしいポエム一択。粗暴な彼等なのでその認識は正しい。
「私としては好みの文面でしたよ。私が流れ者だから……ですかね。相手の身分による学や読解力に合わせ、難しい詩を用いない比喩でここまで情熱的な文を書けるのは素晴らしい才能だと思います。手紙に振られた香水もスパイシーで、これは……『ドラゴン・スレイヤー』に対する個人的なイメージでしょうか。綴られた文と文字にも合う香りなので、中々に経験豊富な方のようです。流石、この国で宰相と在れるだけありますよね」
「だから貴族っつわれんだよ」
「なぜ」
なぜも、なにも。一体どの世界に手紙ひとつでそこまで深読みし、更に『この国のタブーを察してますよ』と含めた発言をする流れ者が存在するのか。常識的に考えてほしい。
ヒトの目が有り過ぎるのでこの場での説明は出来ないし、どうせ説明したところで「以後気を付けます」だけで終わらせることは目に見える。――ので、いつものようにヴォルフは説明を放棄。
宿で思い出したヤマトが訊いて来るなら説明はするが、きっと直ぐに忘れるだろう。ヤマトが興味を惹かれることでもないから。
案の定。特に気にした素振りも無く。丁寧に手紙を封に戻しアイテムボックスへ入れたヤマトは、いつの間にか立ち上がっていた職員へ確認の為に口を開いた。
「お返事は書いた方が?」
「いえ。伝えたいだけだと伺ってます。一応……個人的には、書いた方が良いとは思いますが」
「書いたら燃やす」
「なぜ」
「お前、くそ痒いポエム書く気だろ」
「私の遊び心を理解しているヴォルフさん、好きですよ」
「どーも」
「ふふっ。――ということなので。お返事は、すみません」
「……あー、はい。なんか、はい。たぶんダイジョブです。今のも報告して良いなら」
「構いませんよ。お願いします」
「はーい」
投げやりな返事。しかし不快や煩わしさの色は無い。どうやら、先程無様な姿を見せたから開き直ったらしい。最低限の礼儀は払っているので、例えドラゴン・スレイヤーでも“流れ者”ならば許されるだろうと考えて。
ヤマトの為人をある程度は理解したことも、理由のひとつ。近寄り難い『完成された美』に反し、意外とフランクなんだなと。
諦めのような、しかし不思議と納得してしまうような。言語化出来ない感覚を引き摺りながらも仕事に戻ろうとして、
「貴族からのお手紙。止めてくれているのですよね。貴方は有能ですね」
「……もうやだこの『美術品』っ俺誑し込んでどうすんだよくっそムカつくまじ好きっ!」
次は膝から崩れ落ちた。床に両手をついての蹲る姿は、周りから見ると絶対的支配者へ平伏しているような光景。職員の聴覚が「あれが『絶対服従』ってやつかー」との同情が込められた言葉を知覚したが、聞こえないフリ。
ムカつくと言いながら『好き』と言い、蹲った今は小声で「うぅ……やさし……すきっ」との呻きも聞こえる。単語に反して苦しそうな声なので呻きで間違いない。
つまり。純粋な褒め言葉がめちゃくちゃ嬉しい。仕事中は切り替えて敬語を使うが、元は粗暴な性質なので“褒め言葉”にはあまり縁が無かったらしい。周りも粗暴だらけなので、冗談半分の褒め言葉はあっただろうが只管に『純粋』とは無縁。
だからこそ。尚更に嬉しく感じている。同時に、褒められた気恥ずかしさも。少しばかり。
取り敢えず心を落ち着かせて立ち上がると、きょとんとしたヤマト。本当に心底からの評価だったのだと分かってしまい、また蹲りそうな衝動に駆られる。すき。
一度。小さな深呼吸をした職員はヴォルフを見て、ひとこと。
「くっそタチ悪ぃなこのヒト」
「今更」
鼻で笑われた。このタチの悪さを把握していながら隣に居る、ヴォルフ。彼の性癖が心配になる。ヴォルフが面食いだとの情報は知っているので、直ぐ様納得はしたが。
このヒトが男でまじ良かった。こんなん女からやられたら、ハマりまくって身の破滅じゃん。
いや男の今でもめっちゃ好きだけど。優しい。すき。
粗暴が集まる冒険者ギルド。この国は、尚更に。日々優しさに飢えている。
しかも。ヤマトは未だ不思議そうに職員とヴォルフを交互に見ているので、その無自覚無意識のタチの悪さが相乗し『飢え』が満たされていく感覚。
「お前、こいつが元凶だって忘れてんなよ」
「忘れてねーけど筋通ってるからこうなってる。めっちゃ優しい。好き」
「――だとよ」
「よく分かりませんが、ありがとうございます。男役は譲りません」
「その“顔”と武力でノリ良いとかっ欠点どこだよ!」
「クソガキ。性悪。傲慢。戯れで精神抉る」
「童心は大切にしています」
「性悪」
「聖人君子よりマシでしょう?」
「否めねえな」
くつくつっ。愉快。と喉を鳴らすヴォルフは、改めて。
「適度にしとけ」
「おー」
それは『奈落に落ちるなら』との含み。完全に特大ブーメラン。とっくにその奈落を居心地の良い場所としている、趣味の悪いヴォルフにだけは言われたくはない言葉。
どうせ指摘したとこで「だから?」としか返って来ないな――と察した職員は、苦笑。それでも、どこか清々しそうに。
ひらりと手を振りながら漸く仕事へ戻って行った。
「何だったんです?」
「『仲良くしたいです』――だと」
「聡いヒトなら大歓迎です」
「良かったな」
「はい」
ゆるゆると目元を緩め機嫌を良くする、ヤマト。『美術品』で、優しくて。神族疑惑のあるドラゴン・スレイヤー。
そのタチの悪さの一端を垣間見た周りの大半は、なんか面白い存在だから娯楽にはするが「身の破滅は御免だ」と。絶対にこれ以上近付かない事を強く心に決めるのだった。
綺麗なもの、こわい。
閲覧ありがとうございます。
気に入ったら↓の☆をぽちっとする序でに、リアクションやブクマお願いしますー。
棘があるからこその『薔薇』だと思う作者です。どうも。
この『ヤマト』と云う男は、ヒトによっては“棘”どころか“猛毒”なのですがね。
主にヴィンセントとか。
偶にヴォルフとか。
どちらもその“毒”が心地良いと思っているので、ほんと悪趣味。
流石『傅きたい貴族』と『無自覚の騎士』。性癖心配。
因みにレオンハルトは毒されているだけで、侵されてはいません。
それでも変な影響を受けてしまったので、後援の宰相はちょっと泣いた。
この職員はヒトとして、娯楽として主人公を好きなだけ。
彼の恋愛対象は女性なので下心は一切無い。
冒険者や冒険者ギルドで同性を恋愛対象とするヒトは、そう多くありません。
ランツィロットのようにどちらもイケるヒトがそこそこ居るだけ。
冒険者は生と死の狭間で生きている為、己のDNAを残そうとする生物としての本能が強いですからね。
だとしても大多数は『ヤマト』の“顔”はめっちゃ好き。
ドロガメの血の件で“なにか”が狂いそうになった事実は、無理矢理「気の所為だ」と思い込んで事なきを得た。
あと「あれは人造人間……生殖器が無い人造人間……」と自らに言い聞かせた者も、ちらほら。
違う。ちゃんと、只人。……たぶん(目逸らし)
事前服用の毒消しポーションを貰ったランツィロット。
意気揚々と150階層へ行き疑いも不安も無くポーション飲んでT・レックスへ挑んだので、主人公の能力を信頼していると云うことでしょう。
ランツィロットの中では既に結論は出てます。
でもまだ“遊び”の程度が不安なので見極めは続ける。
ちゃんとランチにサンドイッチ食べたし、午後からも活動した。
美味しかったけど午後を潰されてちょっとイラッとした。
明らかに自業自得なので文句は言いませんでしたが。
次回、エルフの国。
からの、“あの国”。
第三王子は頑張ってる。