72.はだかのおうさま
寝穢い。と言われているヤマトだが、朝から起きている日は勿論ある。
「温泉に入りたいです」
己の欲に則った理由に限りで。
「行けば良いだろう」
「ルーチェさんが寂しいかなと」
「いつも昼まで寝ていて。よく言う」
「ぽかぽかな気候のこの国の所為ですね」
清々しいまでの責任転嫁。自分は悪くないと信じて疑わない、堂々たる発言。本当に悪いと思っていないところは潔い。
朝に起きたと言ってもヴォルフとランツィロットはとっくに冒険者活動に出ているので、今はヤマトとルーチェだけ。ルーチェとしては、ヤマトが起きて来ようが来まいがどちらでも良い。
寿命が長いハイエルフ。時間の感覚は大きく違い、ひとりで時間を潰す事は苦ではない。自然の中でのんびり過ごす事こそ、エルフ族の本質でもあるのだから。
今だって、「今日はいつもより早いな」程度にしか思っていない。先程ヤマトにも言った後。
昼まで寝るヤマトを寝穢いとは思っているが。
「ヴォルフには伝えておく」
「お願いします。昼過ぎには戻りますね。昼食は、あちらで」
「あぁ」
「お土産は納豆で良いです?」
「やめろ」
「残念です」
くすくすっ。愉快だと笑うヤマトは、ラブが首元に巻き付きプルがコートの中に入ったことを確認。
腰を上げ、「行ってきます」と口にし――
「四季があるんだ」
秋の肌寒さに懐かしさを覚えるヤマトは、この国だけなのか周辺の国も同様なのか調べておこうと決める。気候で日本を感じられる国は多い方が嬉しい。
フレデリコの領地。その検問所の前の森へ、転移魔法で移動。当たり前にロストマジックを使っているが、『ロストマジック』だと知ったので使う時は人目に付かないように配慮はしている。
見られたら面倒なことになりそうだから。……っと云うのが最たる理由である。
森から出て検問所へ向かい、毎度の如くびくりと身体を硬直させる憲兵達に目元を緩めて見せての通過。フレデリコへ連絡が入ると確信しているので、「今日は温泉と昼食の為に来ました」とだけ言っておく。
報告を受けたフレデリコがその上で来るなら素直に嬉しく思うだけ。来ないとしても、忙しいんだろうなと判断出来る。
二度見からの凝視と少なくはないストーカーを受けながら旅館に到着すると、なにやら「ヴァッ」との奇声がいくつか聞こえた気がした。前回フレデリコと来た時も同様の反応だったので、相変わらず愉快な人達だなと目元を緩めるだけ。
「おはようございます。温泉、入りに来ました」
「おおおお久しぶりです! あ、の……本日はお部屋が空いておらず……」
「構いませんよ。温泉に入るだけで、昼食も食べ歩きますから。もしもフレドに何か言われた時はそのままお伝えください。彼なら理解するでしょうし、深く考えないで大丈夫ですよ」
「そ、ういうことなら。当館も安心出来ます。せめてお茶菓子のおもてなしはさせて頂きたいのですが、ロビーでも宜しいでしょうか? 充分に整えますので」
「プルが甘い物を好きなので、少し融通して頂けると。勿論代金はお支払いします」
「ではお茶菓子分と、今回も従魔2体の追加料金で相違ありませんか?」
「お願いします。お茶菓子の料金は退館時に払うので、気楽に選んでください」
「畏まりました。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
「ありがとうございます」
満足。急な利用でも他の客を追い出す事はせず。それでも初代国王が愛した旅館として、“黒髪黒目”のもてなしを重視し折り合いを付ける手際の良さ。
お茶菓子の融通によりコートの中でぷるぷると嬉しそうに揺れるプルも、同じく満足しているらしい。
温泉利用のみの料金は初めての事で従業員達があわあわと計算をしていたが、ヤマトが適当に金貨をカウンターに置いたので通常の利用額で計算することに。初めてのケースに対する迷惑料……なのだろう。
次回からは恙無く案内が出来るように、温泉利用のみでの料金も計算し明示しなければ。と、今夜の業務報告で議題に上げることを決めた。勿論、茶菓子込みで。温泉でのエネルギー補給は重要である。
早速温泉へ向かうヤマトは、また利用客が縮こまるだろうなと考えつつもその歩みを止めない。他人が縮こまるより、自分が温泉を満喫する事の方が優先されるべき。……とでも思っているのだろうか。
単純に、早く温泉に入りたいだけかもしれないが。
脱衣所に入り服を脱ぎ、その服はアイテムボックスの中へ。脱衣籠には適当な服を入れておく。この判断はコートの価値が計り知れないからで、このランクの旅館では無いとは思うが……一応の盗難防止。
盗みに入る者が居ないとも言い切れない。チップを払えば従業員が脱衣所内の個室で保管してくれるらしいが、特別な訓練をしていない従業員が強盗に勝てるとも思えない。
平たく言うと『他人に任せるより自分で持ってた方が安心』である。
このヤマトという人間は、基本的に“友人”以外を信用しない。信頼もしない。例外はロイドとキアラ達、リリアナくらいか。
その他の存在を信じる必要があるのかとすら思っている。
「あ。奇遇ですね、グリフィス公爵様」
「……厄日か」
「傷付きます」
にこにこっ。一切傷付いた素振りも無く頭と身体を洗い始めるヤマトは、頭を抱えたグリフィスよりも彼と共に入浴している男性達――恐らく貴族。彼等が大きく肩を鳴らして直ぐ、己の視界を手で遮った光景の方が面白いと思っている。
元貴族のロイド曰く『美術品』だからだろうか。
美術品だと思うなら、フレドみたいに鑑賞すれば良いのに。
……とは口には出さない。出してしまえばとんだド変態となってしまう。今回は“黒髪黒目”としてではなく、己のヒトとしての尊厳を守る為。正しい判断である。
プルとラブも洗ってから温泉に浸かり、向かい側のグリフィスへ改めての挨拶。
「お久しぶりです。その後、如何です?」
これは夫人の認知症の状況ではなく、テオドールに売った商権の進捗はどうかとの質問。第一王子派筆頭の公爵が第二王子と懇意にしている“黒髪黒目”からドラゴン素材を買った事実は、他の貴族が居る前では口が裂けても言えない。
そもそも。ヤマトが無関係の他者の前で人の病状を訊ねることはしないと、そんな不躾な人物ではないと理解している。傲慢だとしてもモラルは持っているからこそ、腹立たしい事に……未だレオンハルトが交友を続けているのだから。
「指摘出来ぬことが非常に残念だ」
「順調そうですね。少し意外です。テオは、学はあっても商才は今ひとつと思っていたのですが」
「私にも無いと思うのか」
「有能な後援のようで」
「褒められている気にならん」
「褒めているのですが……折角ですし、本気で褒めて差し上げましょうか」
ちゃぷりっ。動かした腕を湯船の縁に置き頤を上げて見せると、貴族達が息を呑み身体を引いていく。直ぐに湯船にぶつかりそれ以上は逃げられない。
憧憬の中にのみ生きる存在だったのだ。洗脳さながらに“黒髪黒目”への敬意を叩き込まれた貴族からすると、目の前の存在が得体の知れない生物に見えて仕方無い。
その圧倒的な造形美は最早一種の暴力と言っても過言ではなく、その造形美で“黒髪黒目”……
王家に生を受けて下さっていれば、継承問題など生じなかったのに。
思わずそう考えてしまうのはこの国の貴族としては当然の事。グリフィスも口にしたし、宰相も口にした。国民も思っているだろう。
しかし現状、民意を得ようと王子達が国の商業発展に貢献している。国力が上がっている事実は喜ばしい。
「その賜る“御言葉”は利用させてもらうが?」
「そんなにも私の“友人”になりたいと」
――『私を利用出来るのは“友人”だけですよ』
そう言っているのだろう。『弁えろ』とも言っているのかもしれない。
「お互い、聞かなかった事にした方が良さそうだな」
「……ふふっ。冗談です。これでも褒める相手は選んでいます」
「言葉では、だろうに」
「この国の人達なら嬉しいかな、と。褒められて伸びる人もいますよね」
「遊んでいないと?」
「愉快な反応をしますよね」
「少しは腹芸を覚えろ」
「良いのですか?」
「、」
こてりと。湯船の縁に置いていた腕を曲げ、その手の甲にこめかみを当てる。必然的に上がる頤。
いつもの、緩んだ目元。まるで世間話でもしているかのように。
しかし明らかな傲慢さで。
「腹芸を覚えた私を目にした時。『王に』――と懇願しない自信があるのなら、覚えて差し上げますよ」
そんなのは不可能に決まっている。
これ程に自然な傲慢さで腹芸も出来る“黒髪黒目”……この国の貴族ならば、誰しもが侍りたくなってしまう。その形の良い唇から齎される称賛を賜りたいと。
期待し画策し、懇願してしまう。
「……ふんっ。腹芸は出来ぬのに貴族の機微を理解しているとは、悪質にも程があるな」
「生粋の貴族程に単純な生き物は居ませんから」
「私を『生粋の貴族』と評した点は褒めてやろう」
「光栄です」
「……ハァ」
「なぜ」
王位継承権争いの派閥。己の派閥に有利に事を進めたいと思うことは、貴族としては正しい。しかし生粋の貴族ならば、傀儡の王を作り上げようとはしない。
只々純粋に。只管に、傅く相手が玉座を手にする為に画策して然るべき。
それを基準にすれば、グリフィスも“生粋”ではないとの自覚は持っている。妾腹の第一王子を支持しているのは王家の血筋故に湧いた私欲でしかなく、恐らくはヤマトもその事実を察し理解している。
なのに『生粋の貴族』と評するなんて……喧嘩を売られているのかもしれない。
しかしその評価が『この国の貴族として“黒髪黒目”へ敬服する』――その一点のみでの評価なのだと思い至れば、確かにこの国に限りでは“生粋の貴族”。間違ってはいない。
だからこそ。『光栄です』との、上位者からの褒め言葉を享受するような言葉を返されると違和感を覚える。確かに貴族と流れ者。階級制度の下では正しい言葉で……だとしても。
憧憬の中にしか存在し得ない筈の“黒髪黒目”が、軽率に己を下に置かないでほしい。
ヤマトとしては、褒められたから『嬉しい』と伝えただけにしか過ぎないのだが。そもそも態度と言葉が一切噛み合っていないので、例えそれを説明したところで全く説得力は生まれない。
無意識に、無自覚に。そのナチュラル傲慢さで、彼等を存分に困惑させている。
「そういえば――男性貴族も、複数の当主と旅行に行くのですね。少し意外です」
「皆で飲む酒もまた格別だろう」
「確かに。以前飲んだ……何ですっけ。えぇっと……『神の雫』?それも、ヴォルフさんと飲んだらいつもより美味しかったです」
「貴殿は本当に流れ者か?」
「流れ者です」
「ドラゴン・スレイヤーの金銭感覚は理解に苦しむ」
「貴族筆頭の公爵家が言います?それ」
「価値を知っているから言っている。あの冒険者なら問題は無いだろうが、そのような金の使い方では物乞いから目を付けられるぞ」
「え。公爵様は、私が物乞いに慈悲を与える人間だと思っているのですか?」
「思わんな」
「うーん、即答。――ご心配ありがとうございます。その瞬間はありませんよ。私は施される側の流れ者ですから。何より、この“顔”です」
「物乞いが近付こうものなら周りが勝手に動く。か」
「美しいものこそ正義。ヒトの本質です。愉快ですよね」
「捻じ曲げるのも程々にしておけ。尻拭いをするあの冒険者が哀れだ」
「問題ありません。ヴォルフさんは、私の好きにさせてくれるので」
「あの者は本当に惜しい」
「あげませんよ。私のものです」
「首輪が必要だろうに」
「ヴォルフさんは特に犬派ではないようで」
「何の話だ」
「あれ?」
グリフィスもヴォルフを『番犬』と認識している。あの日に激怒したのはヤマトだが、ヴォルフもずっと周囲を警戒していた。
隣の部屋、窓の外。第一王子派の魔法使い。配置していた“裏”の者達だけでなく、グリフィスにすらも強い警戒を向けていた姿は騎士……唯一を得た近衛騎士でしかなかった。
意趣返しとしてそれを指摘しようかとも考えたが、そうしてしまえばまたヤマトの怒りを買うことは想像に容易い。それを実行してしまえば、次は警告すら無いだろう。
“友人”と受け入れた存在に対する執着が異常。でなければ、貴族筆頭の公爵に喧嘩など売らない。
これ程の執着……
友人を望んだヴィンセントの判断は正しいのか、王家に忠誠を誓う貴族としては間違いなのか。
この国だからこそ、その答えは出ないのだろうな。
溜め息と共に小さく首を振ったグリフィスに、不思議そうに首を傾げるヤマト。しかし特に質問も無く、ぽふりと頭に伸し掛かって来たラブの頭を撫でる。
ケット・シーは猫の妖精だが、猫とは違い普通に水にも風呂にも入る。さっきまでプルと共にぷかぷかと湯に浮いていた。ヤマトが悶えによるニヤけを抑えることに必死だったのは、秘密。
「今更、だが。それは襟巻きではなかったのか」
「ご紹介します。ケット・シーの、ラブ。可愛いでしょう?」
「けっ……王子達は、何も言っていなかったが」
「気付いていないようなので。いつ気付くか、楽しみです」
「王族で遊ぶとは」
「“黒髪黒目”で遊んでいるようなので、良いかな。と」
「遊ばせるな」
本気の注意なのだろう。
流れ者だとしても。もっと“黒髪黒目”としての自覚を持ち、影響力を把握しろと。例え王家でも“黒”を軽く扱わせるな、と。
その割に“黒持ち”のレオンハルトと対立している。……と云うことは。
「公爵様は“黒”ではなく、“黒髪黒目”に憧憬しているのですね」
「以前に言っただろう。『王家に生まれてさえいれば』と」
まさかの本心100%。嫌味も無く、心底からの純粋な本音。
この国の貴族、やっぱり“黒髪黒目”に盲目過ぎるな。
反射的に遠い目をしてしまいそうな衝動。それを、目元を緩めることで咄嗟に誤魔化す。揉め事を回避する現代日本人の、悲しい性。
しかし。湯煙という1枚のフィルターが掛かったグリフィス達の目には、その表情が満足そうなものに見えてしまい……
「そうやって惑わす事はやめろ」
「え。何です、いきなり」
唐突な冤罪に首を傾げるヤマトは、やはり何をやっても疑惑を持たれるらしい。この世界では厄年かもしれない。
閲覧ありがとうございます。
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いや冤罪回避したいなら態度改めなさいよ……な作者です。どうも。
脳内アニメでは、湯船の縁に腕を置くと同時にざぱりと脚を組んでいました。
それをやったら『お湯で見えないとはいえ、局部がオモロイことになるな』と書きませんでした。
是非想像してみてください。
上でも下でもオモロイことになる。特に下だったらオモロイ。
グリフィス、“黒髪黒目”の大ファン。
主人公との初対面で『下賤な生まれ』と罵倒したのは、貴族故の矜持を守る為の防衛本能による威嚇のようなものです。
あの後「私は“黒髪黒目”になんてことを……」っとか頭抱えて嘆いてたら面白いですね。
貴族は本音を言う機会はほぼ無いので、まあ……簡単に言うと“ツンデレ”です。
ツン9割以上のめっちゃ分かりにくいツンデレ。
公爵夫人はそんなところが可愛いと思っていたとか、なんとか。
だからこその愛妻家だとか、なんとか。
同行していた貴族達、初めて見た生の“黒髪黒目”に内心感激してしっかりと逆上せました。
尚。主人公は介抱する義理は無いので放置。
一応従業員に貴族が逆上せていることを教えましたが、その後には興味が無いのでプルとお茶菓子を堪能してお昼を食べに行きましたね。
次回、ダンジョンの海エリア。
波に揉まれて。
“ヤマト”に合う。