40.嬉しい悲鳴に満足
よし。と満足そうなヤマトの視界では、尻尾をピンと立てヴォルフと話す獅子の獣人。と、猫の獣人達。目が輝いている。
ヴォルフは複雑そうな顔をしているが、追い払う素振りは無いので問題は無い。
一度ヤマトを睨んだヴォルフは獣人達から話し掛けられながら、ニヤつくロイド達と共に旅館を出て行った。道中討伐した魔物を冒険者ギルドに売りに行くと聞いていたので、緩く手を振りヤマトも足を動かす。
因みに朝一で温泉を満喫した後。何度入っても飽きないので、この世界に慣れても日本の心は忘れてはいない。
見物人と云う名のストーカー集団を一切気にせず向かう目的地は、納豆を扱っている店。王都へ行く際に大量買いしたが、朝晩の食事の後に食べていたので残りは少ない。
そして納豆のお陰か体調と肌艶がすこぶる良い。納豆は正義。
「おはようございます。お久しぶりです」
「ひえっ」
「納豆。買いに来ました」
感嘆に似た悲鳴には触れずの、用件。……本当に買うのか。
そんな顔をされたので、取り敢えずにこりと笑っておいた。
「お、っしゃられた通りに大量に作りましたが……その……まだ、全ての品質確認を終えていなくて」
「構いませんよ。残りのチェックは私でするので、全て買います」
「し、しかし腐敗していたらこの店がっ!」
「んー。確認は、どうやって?」
「こ……この魔道具で鑑定することが義務付けられて……稀に腐敗するんで確認させて下さいお願いしますっ!」
「便利ですね」
義務付けられているのなら仕方ない。そのモノクルの魔道具は、領主から直々に賜ったものなのだろう。
なんとなく確信したヤマトは衛生面を重視している店主に目元を緩め、続けて口を開く。
「確認が終わった分を先に購入しても?」
「はいっそれなら!」
「量もありますし、私が冷蔵部屋へ行きましょうか」
「お、心遣い感謝します! どうぞ中へ!」
どことなく顔色が良くなった店主と、店番を任されたふたりの店員。本当に大量に作ったので、何度も冷蔵部屋と往復するのか……と不安になっていたらしい。ヤマト自ら申し出てくれたので、安堵。
案内された冷蔵部屋の中に入れば、大量の藁納豆。毎日朝晩食べても2ヶ月分はあるだろうか。とても頑張ってくれたのだと口元が緩む。
確認済み分を一気にアイテムボックスへ収納し、未確認の残りを見ると更に1ヶ月分はありそうな量。明日の朝には確認も終わるだろう――との、ナチュラル傲慢な思考。
周りが自分の為に動く事が当然かのように。……それは便利な機械が溢れた現代日本人に染み付いた、悲しきかな社畜精神による感覚なのだが。
しかしその事実に気付ける機会は無いので、念押しのように店主へ小首を傾げて見せる。『出来ますよね』と言わんばかりに。
「明日。朝食の後に発ちます」
「全て終わらせておきますっ」
「よかった」
なんにせよ。“黒髪黒目”が望むのなら拒否することは許されない。この国に生まれ育った者としての、最早遺伝子に刻まれた従属精神。
貴族じゃないと公言したところで“黒髪黒目”は変わらない。だとしたら、この国では恐縮されることは諦めた方が賢明。
事実。ヤマト本人も、周囲からの恐縮の態度や憧憬の視線に慣れ始めている。染み付き改めることが不可能な態度。この国ではどこへ行っても仰々しい扱いをされる。ならばいっそのこと、慣れた方が良い。と。
その“慣れ”により『貴族疑惑』が深まるのだが。その事実には、気付かない方が良いのかもしれない。
「また、明日」
「はい。必ず残りの確認を済ませておきます」
深々と頭を下げる店主と店員達。納豆を補充できた満足感により目元を緩め、散歩へ。
それを見ていたストーカー集団は、「食べる……のか」と何やら勝手に大きなショックを受けている。ヤマトの“ゲテモノ食い”をまだ知らない者達か。生食を好むと知ったら卒倒するかもしれない。
それでも。“黒髪黒目”が食べるのなら……と食べ始める者は必ず現れるので、ヴォルフの予想通り徐々に浸透するのだろう。納豆も、ゴボウすらも。
生卵は怖過ぎるので挑戦はしないが。特に庶民は体調を崩してしまえば、仕事に影響が出て死活問題となる。寝込んでなんていられない。
現に。温泉街と云えば、の温泉卵が扱われていない。内心しょんぼりしてしまった事は未だに秘密である。食べたかった。
生卵はヴィンスの領。あの街でのみ食されることは、今後も変わらないのだろう。
取り急ぎの用は終わり、さて今からどうしようか。と温泉街を歩くヤマトは、
「旦那様ー。ディアのやわらか串焼きいかがっすかー?」
「ひとつ」
「ありがとうございます!」
店先の屋台から掛かった声に即座に反応。瞬時に客寄せだと察したが、恐縮の色が無い陽気な声だったのでノった。怖がられないことは普通に嬉しい。
しかしそのまま渡して来ようとするので、貴族だとは思われているらしい。この些細な事でも更に貴族疑惑は増すと確信し、押し付けるような笑みで代金を払い一口。
「やわらかい」
「自慢の一品なんで」
「美味しいです。50本、ください。串から外して大丈夫ですよ」
「景気良いっすね! お待ちを!」
めちゃくちゃ気に入った。肉の柔らかさも、仄かな甘みも。
店へ入り厨房へ向かった店員は、2分もせずにコップ片手に持って戻って来る。それをヤマトへ差し出した店員は、邪気を一切含まない笑顔。
「この酒に合う味付けなんすよ」
「……、うん。本当ですね。互いに引き立てています」
「でっしょ!」
褒められて嬉しい。満面の笑みで胸を張る彼は、この店を心底から愛しているのだろう。恐らく、家族経営。代々続く老舗と云うものか。
胸の辺りがあたたかくなる感覚。酒の銘柄を聞きながら、完食。
「ニオイ付くけどここで待ちます?」
「ご迷惑でないのなら」
「全然! 旦那様が気に入った〜って宣伝して良いなら、っすけど」
「商魂逞しいですね。構いませんが『旦那様』はやめて下さい。貴族じゃないので」
「まじなんすか。じゃあ、旦那?」
「ヤマト・リュウガです。お好きに」
「リューガさん」
「はい」
初めて家名で呼ばれ、なんとなく新鮮な感覚。商人だから印象第一と一線を引くべきだと判断したのか。この陽気な態度も不快ではないので、見極める能力もあるらしい。
もしかすると相手によって言動を変えている可能性もある。相手が自分に好感を抱くように。これ迄の経験による勘で。
でなければ“黒髪黒目”に対し、こうもフランクな言動はとれない。
「ディアだけですか?」
「色んな肉ありますけど、リューガさんならディアかなって」
「私なら?」
にっ。悪戯っ子の笑みを見せた店員はストーカー集団に見えないように口元を手で隠し、
「下味。納豆ペースト少し使ってて」
そう言ってから口の前に人差し指を立てた。
「秘伝っす」
「……ふふっ」
「うっわ笑顔超綺麗。顔良過ぎ!」
「ん、ふふっ。知ってます」
「清々しいっすね! サイン下さい!」
「偽造が怖いので諦めてくださいね」
「っすよねー! 他も食ってみます? 試食、出しますよ」
「んー。暫くは、ディアに一途でいきたいので。お気持ちだけ頂きますね」
「じゃあ他も気に入って貰えるよう極めときまーす!」
力こぶを見せる店員に、可笑しそうに笑うヤマト。どうやらディア串だけでなく、この店員のことも気に入ったらしい。
その証拠に『早く貴族の真似をしたい』との庶民の心理でそわそわするストーカー集団を、スルー。決して貴族ではないのだが、その事実は彼等には些細な問題。
貴族でなくとも。憧憬の中にしか存在しなかった“黒髪黒目”には違いない。真似したい。
「そういや、噂のスライムは一緒じゃないんすか?」
「コートの中です。――プル」
「うおっ」
するりとコートの中から出て来た、プル。驚きに一歩足を引いた店員は、それでも直ぐにその足を戻す。度胸もある。
するするとヤマトの頭の上へ移動するプルをまじまじと見ながら、一言。
「“観察”っすか」
「君は賢いですね」
「あざっす! まじで意志持ってんすね。魔物詳しくないけど、それが特殊ってのは分かります」
「沢山の魔石を取り込んだので。ペットと同時に相棒です」
「あははっ、“ぽい”っす」
「初めて言われました。嬉しいです」
「なら良かった。スライ……プル、くん? ちゃん? も串焼き食えます?」
「何でも食べますよ。スライムなので。『プルちゃん』が気に入っているようです」
「プルちゃんおいでー。最高のディア串あげるよー」
ぽむっ。一度ヤマトの頭の上で跳ねたプルは、串焼き片手に手を開いて見せる店員へとジャンプ。手に力を入れたが、思ったよりも軽い衝撃で少し驚く店員。
大きさと質量は関係無いのか……スライムは謎だな。
そう思いながら串焼きを近付けると、腕のように一部を伸ばし串焼きを取り込んだ。
「?……、?」
「手、です。たぶん」
「たぶん」
「謎の塊ですよね」
「怖い怖い怖い」
「害さなければいい子ですよ」
「んじゃいーや」
いいんだ。また可笑しそうに笑うヤマトは、肉だけを溶かし串を返却するプルに感心。
店側からすると串代も馬鹿にならない。ヤマトも串は返したし、注文した50本の串も外すように伝えた。自然環境的にも再利用は素晴らしい選択。
この店を利用する者達――庶民の感覚としても、串の再利用は特に気にしないのだろう。腹が膨れればそれで良い、と。
流石に貴族や有力な商人相手なら気を使い、新品の串を使うが。
するすると店員の腕を伝い頭の上へ。一度跳ねたプルはそのままジャンプし、ヤマトの頭の上へ。流石に頭への衝撃は重かった。が、「ごめん」と言うように揺れたので許した。
「気に入ったようです」
「そりゃ良かった」
にかりと笑った店員は店の奥から呼ばれ、厨房の前で皿を受け取り戻って来る。
「先に30本分っす。もうちょい待って下さい」
「ゆっくりで良いですよ」
厨房から様子を伺う店主――この店員の父親だろう。目元を緩めて見せると、あからさまに安堵の息を吐いて調理へ戻って行く。
取り敢えず……と30本分の代金を払い、アイテムボックスから取り出した皿に移して収納し皿を返す。おおーっと目を輝かせた店員が微笑ましい。
長い時間店先を占領しているが、店員が良いと言ったので気にすることもない。
「お話し中失礼します。ヤマト・リューガ様。主人がご挨拶だけでも、と」
近付いて来る気配はあったので特に驚かず、紳士的な一礼をする侍従へ目を向けた。正に、ロマンス・グレー。その侍従の向こうには、品格のある馬車。
店員を見ると軽く両手を上げたので、ヤマトの判断に任せるつもりらしい。ならば……とストーカー集団を視線だけで確認し、少しだけ侍従へ身体を向けた。
「注文をしていまして。私がここを動いたら、暫く戻って来れなくなってしまいます」
「それは……確かに。では、主人がこちらへ来るのは構いませんか?」
「ご挨拶だけでしたら」
「お伝えして参ります」
完璧な所作で礼を示し馬車へ向かう侍従から視線を外し、再び店員を見る。……と、苦笑。
「領主様」
「でしょうね。一応、お訊きしますが。交流は?」
「まさか。俺を優先しないで下さいね」
「恐らく大丈夫ですよ」
「すっげー不安」
「正直ですね」
くすくすと笑うヤマトに眉を下げた店員は、今の内に串焼きのストック作っとくかと手を動かす。ヤマトがこの場を離れたら即座に大量の注文が飛ぶので、その判断は正しい。
再び近付いて来る気配、ふたつ。
頭の上で僅かに動いたプルへ視線を上げる事もせず、絶妙な位置で立ち止まった気配へ顔を向けた。片側に流した長髪を鮮やかな青い髪紐で纏めた、金髪碧眼の……少し年上だろうか。
“いかにも”な相貌。
「楽しいひと時の邪魔をしてしまったね。僕は、フレデリコ。フレドと呼んでくれると嬉しい」
「ヤマト・リュウガです。慣れたら呼ばせて頂きますね」
「ヴィンスの言う通りだな」
笑顔を見せるフレデリコは、ヤマトが臆せず家名を名乗った事実が面白いらしい。ヴィンセントとは年の離れた友人なのだろう。類は友を呼ぶ。
フレデリコが“敢えて”家名を口にしなかった。恐らくこれは貴族としての接触ではなく、友好的な関係……“友人”を望んでの接触。
なのにヤマトは家名を口にした。
『ヴォルフさんの手前、簡単には絆されてあげませんよ』――との、牽制。
例えフレデリコがヴィンセントと気の置けない関係だとしても、ヤマトからすると赤の他人。重い友愛を向けているヴォルフの貴族嫌いを軽視してまで、この貴族と友好を築く理由は無い。
……普通に、自己紹介をしただけの可能性も捨て切れないが。
「オークションには人を送ろうと思っていてね。ドラゴンの飛膜はまだ残っているだろうか」
「残っていますが……飛膜?」
「耳を良いかな」
口元に手を添えたので一歩近付くと、フレデリコも一歩近付いて来る。
あまり変わらない身長。ヤマトの耳元へ口を寄せた彼は、
「特殊な加工で人工皮膚を作れる」
「、……へえ」
「僕は生まれつき皮膚が剥がれ落ちる奇病でね。服で隠せる箇所だけなのが幸いだが、人並みの身体が欲しいんだ」
「激痛」
「“貴族の微笑み”を習得出来た事が救いかな」
一歩。離れたフレデリコは完璧な“貴族の微笑み”。その実、絶え間ない激痛に心が悲鳴を上げている。
現状は塗るタイプの麻酔と保湿剤、ガーゼと包帯で皮膚を保護しているのだろう。それでもガーゼを剥がす度に皮膚も剥がれ、出血もしている筈。
……んー。
「その技術、教えて頂けます?」
「無事に飛膜を落札出来たらね」
「もし、私が治せたら?」
「!――それは……なんて幸せなことだろうね。でも良いの? “彼”は良い顔しないだろうに」
「嫌っているだけで非情ではありませんよ。明日の朝に発つ予定なので、この後しか時間が取れませんが」
「是非」
二つ返事。
ここで待つんかー……と遠い目をする店員は、只管に肉を焼くことに決めた。それを察したヤマトは軽く肩を竦めてから、詳しい症状を聞く為に屋台から離れる。
即座に屋台へ押し寄せるストーカー集団から大量の注文が飛んだ。がんばれ。
閲覧ありがとうございます。
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