30.傅けない“王”
なんでこうなったんだっけ……
いつも通り朝起きて飯食って、バラバラの時間帯で散歩する“黒髪黒目”に10分くらい付いて回って。
いやあの方、毎回こんな大勢から付き纏われてんのに嫌な顔ひとつどころか一切気にも留めてないの異常だと思う。貴族でも王族でもないなら嫌がるでしょ、普通。やっぱ絶対、本当は高貴な方だ。
じゃ、なくて。
今日は散歩してるかなと外に出たら幸運にも目の前を通ったから、その儘付き纏いのその他大勢として合流して。それで……
ああ、そうだった。
人の多さに興奮した馬が馬車ごと突っ込んで来たんだった。
「痛みは?」
「ひぇっ」
「無さそうですね。移動しますよ」
明らかに自分より背が高く体格も良い大男をお姫様抱っこで移動させる、ヤマト。道の端では茹でダコ状態の老若男女が放心していたり、両手で顔を覆い俯いたり天を仰いでいたり。
全員が彼と同様の仕打ちを受けたらしい。
“黒髪黒目”は何よりも尊いと教えられ生きてきた王都民。彼等からすると“黒髪黒目”からのお姫様抱っこは、栄誉と同時にいっそ拷問だった。末代迄語り継ごう。
道の端で心ここにあらずな様子で何やら決意する者達には当然気付かず。地面に広がる夥しい血を一瞥したヤマトは、放心状態で馬の手綱を緩く持つ御者へ目を向ける。
びくぅっ!!
大袈裟とは言えない。“黒髪黒目”に付き纏う民衆達に非が有る事は明白だが、その“黒髪黒目”の手を煩わせた事は事実。
向けられた“黒”に大きく身体を跳ねさせた御者は生きた心地がせず、それは落ち着きなく足踏み始めた馬達も。
形の良い唇が動く光景すら、酷くゆっくりに見える。
死を目前にすると全てがスローモーションに過ぎ去る。
そう、酒場で飲んだくれていた冒険者の誰かが言っていたが……なるほど。これか。
そんな事を考えながら、せめて家族への遺言は聞いて貰えるだろうか。と既に諦めの色を瞳に滲ませ、
「お怪我は?」
「……ぇ」
「無さそうですね」
僅かに緩められた目元に思わず己の胸の辺りを鷲掴む。
心臓が、これ迄に立てたことの無い音を立てた気がした。死ぬかと思った。
「君達も。止める為とはいえ、威圧してしまって。怖かったですよね。もう大丈夫ですよ」
馬の鼻筋を撫でながら柔らかな声で告げると、落ち着きの無い足踏みが次第に収まっていく。
事の発端は――約10分前。
大勢の人間に興奮した馬はその群集へ馬車ごと突っ込み、人々を踏み付け逃げ惑う大声と悲鳴に更に興奮。漸く開けた場所へ出たと思った瞬間……絶対的な捕食者の睨み。
嘶きと共に恐慌状態に陥り、受けたその威圧で逆に動く事が出来ずその場に留まった。蛇に睨まれた蛙状態。
馬車が停まった事で転がるように降りて来た人物は貴族で――
「お久しぶりです、公爵様。ご挨拶が遅れた事をお許し下さい」
グリフィス公爵。ヤマトを激怒させた、貴族派の筆頭。
先日の件がまるで夢だったかのようにいつも通り紳士的な挨拶を口にするヤマトは、自分達の諍いで民衆を不安がらせない為……ではない。単純に、あの時激怒した事は“あの時”だけの感情だと割り切って居るだけ。
刺客もその日から送られて来ていないので、“弁えた”のだと判断。ならば、今は不快に思う要素は無い。と。
貴族筆頭の公爵が、流れ者へ謝罪を口にするとも思えないから。
それでも『許していませんよ』と伝えるため、緩めるのは口元だけ。笑っているのに笑って居ない。“貴族”の笑み。
視線だけで周囲を見渡したグリフィスは、ふうっ……。演技掛かった溜め息を吐き、こちらも口元だけに笑みを浮かべた。
「いや。貴殿が無事で良かった。先程、皆へ施した魔法は……回復魔法、と言えば良いのだろうか。大勢を一瞬で治療するとは素晴らしい。私の知識には無いので驚いた」
「えぇ。大抵の怪我なら」
「もしや病気も治せるのだろうか」
「どうでしょうか。幸か不幸か、医者が匙を投げる程の病人にはお逢いした事がありませんので」
「ふむ。己を客観的に評価でき、力に溺れる事は無いと。いやはや頭が下がるな」
客観的な自己分析が出来ても貴族に不敬を働いた事は事実だ。……と、そう言いたいのだろう。
グリフィスもまた、先日の件を許していない事がよく分かる。
「お褒めに預かり光栄です。力に溺れては、畏怖の象徴で在るドラゴンを狩れませんから。まだ人生を楽しみたいので」
権力に溺れて自ら首を絞めて居た貴方を止めて差し上げたのだから、反逆罪での処刑を回避出来て有り難いと感謝の言葉くらい言っても良いんですよ。……っと、云うところか。
勿論周りはその込められた売り言葉に買い言葉には気付く事はなく、公爵に怯む事無く言葉を交わすヤマトに釘付け。いつも視線を受けて居るので、本人は一切気にしていないのだが。
そろそろ、騒ぎを聞き付けた憲兵が来るかな。
そう考えるヤマトは、地面の夥しい血を片付けようかと頭の上で迷っているプルを撫でる。押さえるように、少しだけ力を入れて。
人の目がある場で跡形もなく血を消してしまえば、後々失踪事件の容疑者になりかねない。それは面倒だと、今回は憲兵へ任せることに。
ヴォルフからの心象もありそろそろグリフィスとも別れた方が良いと判断し、プルへ向けていた視線を下げた。
「当家の馬車が関係した事は事実だ。時間があるのなら、お詫びに食事でも」
「有り難い申し出ですが、そのお金は私よりも皆さんへお使い下さい。壊れてしまったお店や商品の補償に」
「無論。それとは別だ」
「……そうですね。では、ご馳走になります」
「それは良かった。さあ乗ってくれ」
歓迎。を表すように緩く広げられた両腕。表情を見るに、不愉快さは無い。
……なるほど。
この件は私に付いて来る住民に非がある。つまり元を正せば、彼等へ自重を促さなかった私の非。
それでも。如何なる理由があろうと公爵家の馬車が民へ怪我をさせた事は、事実。
馬車の暴走を止め民の怪我を魔法で治し、更には御者と馬を気遣い公爵を非難しなかった。住民も明らかに私へ感謝を向けているから、この対応で“私の非”は帳消し。
だから、次は。公爵として、貴族として。住民への補償と、場を収めた“黒髪黒目”への礼儀を尽くす番。
貴族って本当に面倒臭いな。
結果的にその結論に行き着くのだから、ヤマトが爵位を享受する事はこの先も無い。面倒事は御免だ、と。自由に生きたいからと。
「――まったく。先に弁えさせるべき者達が居るだろうに」
進行方向を背に座ったヤマトの向かい。上座で、心底呆れたと睨み付けて来るグリフィス。正論も正論。言い返す気はない。
弁明はするが。
「まさかあれ程とは思わなくて。明日からは彼等も自重するでしょうから、少しは減るかと」
「貴殿は本当に流れ者なのだな」
「何度も言った通り」
「流れ者が公爵を強迫するものか」
「売られた喧嘩は積極的に買っていく主義ですから。また買いましょうか?」
「二度と御免だ」
腕を組み鼻を鳴らすグリフィスに口角を上げて見せるヤマトは、彼がまだ第一王子の後援を退いていない事を知っている。しかし諦めさせるつもりは無い。
これはレオンハルトの問題で、国の問題。流れ者の自分が“友人だから”と横槍を入れてはレオンハルトの沽券に関わる。
――『“黒髪黒目”の手を借り王位を手にした“黒混ざり”』……と。
レオンハルトはその未来を望まないし、ヤマトも国に関わる事は望まない。あくまでも今回王都に来たのは、ヴォルフの為。
確かにレオンハルトの魔力を開放し販路開拓の助言はしたが、それは自分でも呪いを解けるか試してみたかったから。自分が、海の幸を食べたいから。全て自分の為。
例えそれらの要素がレオンハルトに優位に働いても、王位継承権争いには微塵も興味が無い。寧ろ、王に成る為に必要な事なら頑張ってね。の精神。
ヤマトにとっては第一王子が王に成ろうとも、レオンハルトが王に成ろうとも。どちらでも構わない。
レオンハルトと“友人”だとしても、この国の民ではなく只の流れ者にしか過ぎないのだから。
「王都には、いつ迄」
「10日以内に発ちます。あまり待たせては、ヴィンスから無理難題なご機嫌取りを要求されそうですし」
「……あやつは本当にどうしようもない。オークションの件、陛下から目を付けられて居るだろうに」
「王様へはレオに伝言をお願いしたので、恐らく問題は無いかと」
「伝言?」
「『“私”は生食が許されない地位に興味は無い』と」
「……」
「美味しいんですよ。生卵やお刺し身、肝臓の刺し身も」
「……そうか」
「はい」
本心を隠す事が常の貴族。その筆頭の公爵が、何とも言えない複雑そうな表情。とても面白い。
恐らく伝言を聞いた王も似たような表情を見せ、レオンハルトが腹筋を攣らせただろう。想像に容易い。
「心配して下さったのですね」
「“黒髪黒目”には敬意を払う」
「本題は?」
「……貴殿もどうしようもない」
すっ――と脚を組んだヤマトは、次いで組んだ手を膝の上に。目元を緩め、小首を傾げて見せる。
対等どころか……上位者の姿勢。上座に座って居るのは自分の筈なのに、まるでこちらが下座かのような感覚。
だからヴィンセントが祀り上げようとするのだ。
再度。心の中だけで呆れたグリフィスは態とらしく溜め息を吐き、『本題』を口にした。
「ドラゴンの心臓。100g。売って欲しい」
「理由は」
「妻の認知症を和らげたい」
「ドラゴンの心臓が?」
「さあな」
「……。分かりました。今夜、遣いを送って下さい。切り分けておきます」
「代金は」
「“お気持ち”で」
「どうやら公爵家を破産させたいようだ」
「勘繰り過ぎですよ。相場で構いません」
「知るものか。適当な物を持たせる」
「楽しみです」
『本題』は終わったので脚を下ろし、視線は窓の外へ。
どこへ向かって居るのだろうか。あのレストランの方向ではない事だけは分かる。
「生食が可能な“裏”の店だ。途中で馬車を換える」
「愛しています、とお伝えしても?」
「生憎。妻一筋だ」
「人は見掛けによりませんね」
「貴殿は私を怒らせたいのか」
「“楽”でしょう?」
「――……本当に、王家に生まれてさえいれば」
「だとしても。私は自由を選びましたよ。“彼”のようには成れませんから」
「……やけに親しげだが、本当に血縁ではないのか?」
「一滴も。祖国が同じという可能性だけです。“彼”の本名も知りませんし、知ろうとも思いません」
「、なぜ――本名ではないと」
「なんとなく」
歴史書に記されていた名は『織田信長』ではなかった。しかし字面は似ていた。恐らく、当時では発音が難しかったのだろう。
外国人が『ショウユ』を『ショーユ』と発音するように、日本語の“音”がこちらの人間には合わなかった。
そして“彼”本人も改名することに特に抵抗は無かった筈。昔は幼名は勿論、氏姓名字……なんだっけ。あ、仮名と諱だ。名前が増えたり、幾つかの二つ名も持っていた。
誰も自分を知らない土地で何度も名前を間違えられるのなら、口に馴染む新たな名前に変えてもおかしくはない。本名は己の心の中だけに、祖国での思い出と共に大切に仕舞って。
相変わらず、初代国王が織田信長だと確信している。当時の“彼”の心情を想像し、伏せた目元を緩める。
瞬間。僅かに目を見開いたグリフィスは、されど何も訊ねる事はせず。
それは“黒髪黒目”にのみ許された郷愁なのだろう。……との、確信により。
ならば今はその郷愁を邪魔してはいけない。
その無意識の判断は、ヤマトを自分よりも“上位”と位置付けたと同義。絶対的な上位者へ侍りたい、生粋の貴族として。その心を慮って。
当然ながら。無意識でのことなので、グリフィス本人は己のその判断に気付く事はなかった。
月明かりが差し込む窓。不意に視界の明度が落ちた事に気付いたヤマトは、本へ落としていた視線を上げ来訪者を捉える。
執事服に身を包んだ……10代だろうか。完璧な礼節を示した彼は、一度ドアの方へ視線を向けた後に言葉も無く無地の小箱を差し出した。
差出人の名前もない。しかし、差出人は明白。中にはベルベット生地に柔らかく包まれた、指輪。
思わず口元を隠すのは笑いを堪える為。確かに、ドラゴン素材の代金としては申し分ない。
着用者の魔力を常時吸い取り敵意のある攻撃を遮断する、最早呪いそのものの防具。……何百人の命を吸い取ったのか。思いっきり不穏な気配を発している。魔剣を使用しているヤマトなら問題無いと確信されたらしい。
体の良い処分先にされている気がする。
しかし、これを渡して来ると云う事は。つまり。これから先、
『公爵家が個人的な敵に回ることは無い』
その、意志表示。つまりは、先日の件でヴォルフを侮辱した事への謝罪の意。
ヴォルフではなくヤマトへその意を示すのは、侮辱された本人のヴォルフは一切気にしていないから。あの場で不快な思いをしたのは、“友人”を侮辱されたヤマト。
なのに稀少なドラゴン素材を売ってくれる。であれば、謝罪の意だけでも贈らなければならない。と。
やっぱり貴族面倒臭い。
それでも目元を緩め、小箱の蓋を閉めてからご注文のドラゴンの心臓。100g。念の為に、容器は薬用の瓶。
それを執事服の男へ渡すと、僅かな魔力の揺らぎ。鑑定魔法だと確信。
不意に目を合わせて頷いた執事服の男は、再度完璧な礼節。無言の儘に窓から出て行った。
窓を閉め、鍵を掛ける間に考えるのは……
“愛”の為だからヴォルフさんは怒らない筈。
貴族嫌いだとしても、そこ迄非情ではないだろう。
……怒られるのは嫌だから“そう”であって。
やはりこのヤマトと云う男は計画性が無い。
「プル、寝よっか」
ぷるぷるっ。機嫌良さそうに揺れるプルがベッドに上ったのを確認してから、本と貰った小箱をアイテムボックスへ収納。
早速嵌めた指輪は面白い程に魔力を吸収し始め、しかし然したる問題でもない。と、ベッドに横になりプルを抱き締める。
寧ろ。常に飽和状態の魔力の発散となって有り難い。これ以上に無い最高の取り引き。
今日は良い夢が視れそうだ。と、上機嫌で目を閉じた。
閲覧ありがとうございます。
気に入ったら↓の☆をぽちっとする序でに、いいねやブクマお願いしますー。
グリフィスが割りとお気に入りな作者です。どうも。
以前の後書きにも書きましたが、グリフィスは悪役ではないです。
傀儡にぴったりな第一王子と云う存在により、“王家の血筋”なのでちょっと魔が差しただけです。
弁えたとは言っても第一王子が即位すれば貴族派にとって僥倖なのは変わらないと判断し、変わらず第一王子を支持しています。
陰謀渦巻く界隈の王位継承権争いなのでよくある事でしょうね。
主人公と対立させようかとも思いましたけども。
貴族と対立なんて面倒臭がってさっさと“潰す”だけですし、さしもの公爵でも“黒髪黒目”と対立しては味方の貴族達も離れるでしょう。
更に民からの心象はガタ落ちで、“ヤマト”の存在により継承権争いが大きく動く事になります。
それが“黒髪黒目”の影響力ですから。
主人公の言動は割り切って居ることに加え、その未来を避ける意図もあったのでしょう。
老若男女問わず平等にお姫様抱っこするとか、ナチュラル人たらしじゃん。えっぐ。
違うんです……好感度を一定に保つために基本紳士なだけなんです……。
ほんっとタチ悪いなこいつ。
次回、「そろそろ戻ります」
レオンハルトの婚約者。
よくある創作物のモデル。