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 この世界で生きる覚悟を決めてからおそよ二年。

 

 フィアナの姉として迎え入れられたユイは、八歳にして大人びた雰囲気を持つ物静かな少女となった。

 

 使用人達は大人しくなったフィアナのことを、記憶を失った影響で以前のように甘えられなくなったのだと認識している。ユイとしても両親に甘えると言う行為が何を指すのかいまいち把握できないため、使用人達が都合よく解釈してくれたことに内心安堵していた。

 

 母のコーデリアには、あの日の内にアロイスに話した内容と同じものを伝えていた。

 

 娘が深い眠りについて別の人間の魂が体に宿っているなど、普通ならば信じることの出来ないものだ。その時は戸惑い取り乱す様子も見られたが、アロイスからの説得もあってか翌日にはユイがフィアナとして生きることを了承してくれた。

 

 その際二人からは、無理にフィアナらしく振舞う必要はないと言われている。記憶喪失と認識されている今なら多少の乖離も問題ないだろうし、ユイの人格を否定したくないと言ってくれたのだ。

 

 そのお陰で変に身構える必要もなく生活することができている。フィアナとは違い甘えるようなことを言わないせいか、コーデリアが少しだけ物悲しい表情をする事があったが、素直に甘えられないことを謝ると「それじゃあ、私から甘やかすようにするわね」と優しく腕の中に抱き寄せられた。抱き締められた記憶のないユイは思わず動揺して肩が震えたが、コーデリアは何も言わずにそのまま抱き締めていた。

 

 改めてフィアナが記憶喪失だと使用人達に説明されたあと、ユイは身内や屋敷で働く使用人達全員を覚え直し、それに合わせて家庭教師の先生にはある程度進んでいた学習内容を復習してもらい、必要な情報を改めて学び直した。

 

 アロイスが納めるフォルジュ領は、アークレイス国の北側にあるセーデルホルム辺境領の近くに存在する。彼は領地経営の他に王城で官職として働いているので、現在は王都のタウンハウスを居住としている。

 

 フィアナが生まれる前までは、シーズンオフの時期には領地のカントリーハウスを訪れていたらしいが、この八年の間に家族で領地に戻ったことはないそうだ。

 

 領地へ娘を連れて行くことを断念したアロイス達の判断は正しかったと言える。ユイはそれを身を以て実感した。

 

 この体になってからというもの、光を失った影響は思いのほか大きかった。

 

 ユイは当初片目だけの視界に苦戦し、物にぶつかったり転んだりと小さな怪我が絶えなかった。六歳の体はまだまだ未熟で、すぐにバランスを崩してしまうのだ。

 

 それに、これはユイの魂が入ったことで知り得たことだろうが、フィアナの右目の視界は神代結だった頃より明らかに狭い。望遠鏡などで視界を塞いでいる時のような狭さと言えばいいのか。そのせいで前だけ見ていると足元が見えないのだ。右目も何かしらの視覚障害があると見て間違いないだろう。

 

 フィアナはこんな世界で暮らしていたのだと実感し、そして片目の光すら失ったのだ痛感した。

 

 小さな少女が生きることを諦めようとしても、無理もない話だと思う。

 

 一度はそんなフィアナの望みを叶えようとしたユイだが、今はコーデリアやアリアの手を借りながら狭い視界に慣れる努力をしている。

 

 そのおかげもあって、最近では左手を壁に添えながらであれば一人で歩けるようになった。ユイが壁伝いに歩けるようにと、廊下に飾ってある物全てが取り除かれたことによって不必要に怪我をすることもなくなった。

 

 階段での移動も、他の物に意識を取られたりしなければ一人で上り下りできる。二年前はコーデリアが心配するあまり抱きかかえられた状態でなければ部屋から出られなかったことを考えれば、ようやく信用に足るだけの成果が出たと言えよう。

 

 左目に関しては、ユイの判断で眼帯を使うようになった。何も映すことのない左目は、どうにも他者からは不気味に見えるらしい。確かに鏡で見ると多少濁った色をしているし、感情の乗らない瞳は異質に見えるのかもしれない。

 

 ちなみにフィアナの瞳はコーデリアと同じ銀灰色で、透き通った瞳は光を反射すると淡く輝いて見える。左目が濁っているとはいえ、眼帯で隠してしまうことだけは勿体なく思った。

 

 コーデリアも当初眼帯を付けることに難色を示したが、ユイが悲観することなくレースや友布で左目を飾り付けられると微笑んで見せれば、憂い顔のコーデリアの表情に少しだけ笑顔が浮かんだ。

 

 ユイはフィアナの体で生きると決めてから、極力前向きに生きて行こうと心掛けている。

 

 神代結だと伝えて以降、両親は本当の娘のように接してくれる。使用人の目のない所では『ユイ』と呼び、些細な事でも褒めてくれるし、頭を撫でたり抱き締めたりと愛情を感じるような行動をしてくれる。


 正直そう言うスキンシップは慣れないために毎回動揺するし、頬や額への口付けに至っては挙動不審になったりする。こればかりは日本人だった感性故のことだと許して欲しい。

 

 それはさておき、そんな二人の為にユイに出来ることを考えた結果、以前のように惰性で生きることを止めようと言う結論に至ったのだ。

 

 ユイが狭い視界での生活に慣れれば、フィアナが戻った時に前ほどの絶望を感じることはなくなるかもしれない。そんな思惑もあって前向きに行動するユイの姿勢を見て、最近は邸に籠りっきりだったコーデリアも必要以上に心配しなくなってきたし、アロイスと共に外出する頻度も少しずつ増えてきたと侍女が喜んでいた。

 

 

 そうやって、一つ一つの問題を前向きに受け入れていったある日のこと。

 

 久しぶりに早めに帰宅したアロイスから、予期せぬ話がもたらされた。

 

「縁談……?」

 

 家族で食事を取っていた時に、アロイスから縁談の話が来ていると言われたのだ。

 

「相手はストランド侯爵家の次男テオ・ストランド。物静かな性格で今年十二歳になったそうだ」

「ストランド侯爵家ですか。次男のお話はあまり聞いたことがありませんね」

「ああ、病弱なために部屋からも殆ど出ないそうだ」

 

 両親の会話を聞きながら、この世界では本当に貴族間で縁談が来るのかと感心していると、アロイスは難しい顔をしながら言葉を濁した。

 

「どうも先方は、ユーリからフィーの事を聞いて縁談を申し込んで来たらしいんだ」

「閣下から話を?では、フィーの目のことは聞いているのですね」

 

 アロイスが言っているユーリとは、セーデルホルム辺境伯のことらしい。話し振りからして、おそらく親しい間柄なのだろう。


 アロイスはコーデリアの言葉に、表情を歪めながらも頷いて言葉を続ける。

 

「おそらく婿入り先が中々決まらないような病状なのだろう。フィーにも問題があるならば、療養が必要な者同士でお似合いだと言われた」 

「なんて失礼な……っ」

「向こうの言い分としては、この縁談がまとまった暁には我が領地でテオを療養させつつフィーとの交流を交え、そのまま婿入りさせたいそうだ。テオに掛かる養育費諸々は侯爵家が用意すると」


 そう話すアロイスは悔しそうな表情をしていて、怒りを堪えているように見える。


「そんなの、体よく息子を厄介払いしたいだけじゃない!」

「その通りだ。だが、侯爵家に逆らうことはできない。縁談の打診と言っても、実質婚約者に内定したようなものだ」

 

 苦悶を浮かべたアロイスを、ユイは静かに見守っていた。

 

(たぶん、本当は持ち帰ることもなく断りたかったんだろうな)

 

 アロイスの表情から、殆ど確定したようなものなのだろうと感じた。

 

 コーデリアも断れないことは重々承知しているのだろう。アロイスを問い詰めるような口調ではあったが、今は苦悶を浮かべる夫に対して労し気な表情をしている。

 

「辺境伯様は、どうして私を知っているの?」

 

 会話が止まったことで、ユイは疑問に思っていたことを問い掛けた。

 

「ユーリとは領地が比較的近いこともあって昔から交流があってね。覚えてはいないだろうが、フィーとも会ったことがあるんだよ。夜会でストランド侯爵が婿入り先を探していると言う話を聞いて、フィーのことを教えたそうだ」

「閣下はどうしてまたそんな……。今回の話を聞く限り、親切心で教えていい相手とは思えないわ」

 

 確かに自分の息子を厄介払いするような縁談を持ち掛けてくる人と、今後良い関係を築けるとは思い難い。

 

「ユーリとも縁談の打診について話す機会があったんだが、侯爵本人はさておき、テオとは一度会って欲しいそうだ。最終的に縁談を断りたいなら、協力は惜しまないと」

 

 この二年間で得た知識で考えれば、相手を紹介した辺境伯が縁談を白紙にする旨の発言をしても一蹴されることはないだろう。

 

 だが今後のことを考えれば、侯爵家との確執となるような発言や行動は避けるべきだ。仲介となった辺境伯がいない状態で交渉が発生した場合、下位貴族の子爵家など侯爵家の敵ではない。

 

「お父様、私はテオ様に会ってみたいわ」

 

 だからこれは、縁談について前向きな態度を示すべきだ。

 

「……状況が分かった上で、会いたいと思うのかい?」

「はい。外に出られない生活は、きっと辛いもの」 

 

 自由に出歩けない窮屈さはこの身をもって経験している。この言葉はユイが言うからこそ疑うことなく伝わるだろう。

 

「……ユイは優しいな」

 

 控えている使用人には届かない程のか細い声で、アロイスは呟いた。複雑そうな表情はそのままだが、少しだけ微笑んで見せてくれる。

 

「テオに会うと言うことは、婚約するだけじゃない。夫婦となる事は決定事項となる。会う前からそれを了承することに、後悔しないかい?」 

 

 今この瞬間に未来を決める事に迷いはないかと視線が問い掛けてくる。少しでも悩んで見せたら、きっとこの人は縁談を断るだろう。

 

 だが、その必要はない。

 

 ストランド侯爵に対しては良い感情を持てないが、アロイスが親しくしていると言うセーデルホルム辺境伯は、諸々を承知の上でこの縁談を薦めたのではないかと予測している。テオと言う少年に会ってほしいと言うからには、セーデルホルム辺境伯は彼がどういう人物かある程度知っていると言うことだ。

 

 だとすれば、テオには薦めるに値するだけの何かがあるのだろう。

 

「大丈夫。これから一緒に暮すのなら、きっと歩み寄って行けるわ」

 

 どんな相手かは分からないが、せっかく繋がり掛けた縁だ。会うこともないままに切ってしまうのは勿体ない。もしテオと言う少年の性格に問題があったとしても、環境が変わったことを機に更生させる機会とすればいい。ユイのように、少しずつ変わっていくことは出来るのだから。

 

 それに現実的なことを言えば、フィアナの縁談もテオと同じ状況なのだ。半盲の伴侶など、一般的には受け入れがたい問題のはずだ。

 

 おそらく両親は、後継ぎとするべく養子を迎え入れるつもりでいたのではないかと考えている。

 

 例えユイが伴侶を得られずとも、後継ぎさえいれば政略結婚させる必要はなくなる。最近はコーデリアも忙しそうにしているので、この読みは的を射ているのではないかと思う。

 

 急遽縁談が来てしまったが、ユイとテオの相性如何では本腰を入れて養子を迎え入れる準備をする必要も出て来るだろう。

 

「ユイ、本当にいいのね?」

 

 コーデリアの声が耳元に届く。見るからに心配そうにしているが、意見を変えるつもりは毛頭ない。

 

「大丈夫よ、お母様」

 

 憂いなど見せることなく微笑んで見せる。

 

 フィアナの魂にも、心の中で心配ないと優しく声を掛ける。

 

 この縁談は、決して未来を軽んじて引き受けたのではない。未来へ向かう為に必要な決断だったのだと言い聞かせる。

 

 親に蔑ろにされているかもしれないテオと、生きる意思をなくしてしまったフィアナ。

 

 二人が一緒に未来を目指すことが出来たら、それはきっと何よりも心強い味方になる。

 

 

 そうしておよそ一週間後、正式に婚約者となったと同時に、テオ・ストランドがフォルジュ邸に預けられることが決定した。

 

 

 

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