プロローグ
新作です。
今回は一章までしか書き終わっていないのでゆっくり更新していきます。
よろしくお願いします。
『こわいよ……っ』
恐怖に震えた泣き声が、自分の内側から聞こえてくる。
『もういや……見たくない……っ』
泣き叫ぶ声は、心の奥底へと沈んでいくように溶け込んでいき、やがて悲痛な声すらも聞こえなくなってしまった。
――この声は、誰の声だろう?
* * * *
目が覚めた時、私の視界は半分だった。
どういう訳か左側だけが見渡せず、顔を動かしたことで更に疑問が浮かび上がった。
――ここ、どこだろう?
自分が横たわっている天蓋付きベッドに、西洋風の調度品が揃えられた部屋。目を覚ました私を見て、部屋から走り去っていくメイドのような服装をした女性。
状況が理解できずに体を起こした私の視界に、葡萄のような赤紫の髪が映り込んだ。咄嗟にその髪を触ろうとして、動かした手が子供のように小さかったことに更に驚いた。
意味が分からず唖然とした私の元に、とても日本人とは思えない見目麗しい男女がメイド服を着た女性と共に部屋に入って来る。
「フィー、目が覚めたのね!」
「フィアナ!」
甘いミルキーブロンドの髪をした女性が、涙ながらに私を抱き締めて来る。
「良かった!もう……このまま目覚めないかとっ」
唖然としたままその腕の中で大人しくしていると、もう一人の男性は瞳を潤ませながらも顔を綻ばせていた。
「フィー、何処か痛い所はないか?」
躊躇いながらもそっと頭を撫でられると、少しだけズキッと痛みが走る。
「フィー、大丈夫っ?」
「すまない。傷ついた場所に触れてしまったかい?」
体が痛みに反応したことで、それまで抱き締めていた女性が体を離して顔を覗き込んでくる。痛ましげな顔をしたのは二人とも同じで、私の些細な痛みなんかよりよほど辛そうな顔をしている。
その後ろでは、メイド服の女性が燕尾服を纏った初老の男性と話をしている。
その様子を他人事のように眺めていた私に、目の前の女性が躊躇いがちに話し始める。
「フィー、あなたが何処まで覚えているか分からないけど……」
そう前置きされて語られた内容を聞いて、複雑な内心とは裏腹に自分の状況を理解するに至った。
私は階段から足を踏み外して階下へ転がり落ちたらしく、頭を強く打ったためかそのまま気を失った状態で三日も目覚めなかったそうだ。
話を聞き終わった頃には、どこかドラマや小説の中に入り込んでしまったような感覚で聞いていた私も、ようやく我が身に起きた事として捉え始めていた。
そこで、何度か違和感を覚えた言葉についてこちらから問い掛けたのだが。
「フィーって……私のこと?」
私が発した問いによって、場の空気が一変した。
やがて呼ばれた医師の診察の元、私は記憶喪失と診断された。
しかし、私にはそれ以上に問題があった。
私は神代結と言う名の日本人なのに、私の両親らしい男女からはフォルジュ子爵家の長女フィアナだと教えられた。
私と同じ葡萄色の髪をした精悍な顔付の男性は父のアロイスで、最初に抱き締めてきた穏和そうな女性は母のコーデリア。そして最初に見たメイド服を来た女性は、侍女のアリアと言うそうだ。
私は現在六歳で、左目は生まれつき弱視だったらしいが、数週間前に突然光を失ったらしい。
辛うじて光を認識していた程度の視界だったらしいが、その光すら失ったフィアナは感覚を掴み切れずに階段から足を踏み外したのだと言う。
「……そう、なんだ」
状況整理が追い付かずに戸惑う私を見て、もう少し横になっているよう父が声を掛けてくれたおかげで、今はベッドで横になっている。
両親も今は時間が必要だろうと席を外してくれたし、侍女も何かあればいつでも呼ぶようにと呼び鈴をサイドテーブルに置いて退出してくれた。
一人になって自分が置かれた状況をゆっくり反芻し、我が身に起きた現状を受け入れていく。
何が起きたのかは未だに分からない。なぜ神代結だった私がフィアナの体にいるのかなんて、皆目見当もつかない。
それでも、一つだけ気付いたことがある。
私の心の奥底に、フィアナの魂のようなものが残っている。あまりにも弱いその存在は、今にも消えてしまいそうだった。
(そう言えば、別の世界に転生するとか……そう言う類の小説があったな)
今の自分もそうなのだろうか。私の場合は生まれ直した自覚はないし、フィアナの魂が混在していると言うことは憑依したことになるんだろうか。
そんなまさかと思いながらも、あまりにも非現実的な状況に頭痛がしてくる。
(自分の体に戻ることって……あるのかな)
目覚める前のことは何故か思い出せないが、事故に遭った覚えはないし、死を感じるような健康状態でもなかったはずだ。
それとも、死を意識する間もなく死んだのだろうか。
二十歳を迎えていた私は、高校に上がる前に両親を亡くしている。母方の祖父母から援助を受けて高校を卒業し、今は一人暮らしをしていた。
自分の生活に必死だった私には、生憎と将来を約束するような異性はいない。祖母や友人、そして職場の人達には申し訳ないが、正直なところ今までの人生に未練もなければ執着もない。元々淡白な性格だったし、人付き合いもさほど得意ではなかった。
仮にここで生きることになったとしても、仕方ないとすんなり割り切ることは出来る。
だが、それは自分一人だけが被害を被った場合の話だ。
(まだ転生の方が気兼ねなく生きられたのに……)
フィアナに成り代わった神代結が存在を偽って生きていくなんて、まるで質の悪いホラー映画のようだ。
(この子の意思もあるだろうし)
儚い存在となった彼女は、あまり生きることを望んでいない気がする。それならば尚のこと、一人で決める問題ではなくなる。
「あの中だと……アロイスさんかな」
これからの方針を決めた私は、体を起こしてサイドテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らしてみる。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「さっきの……アロイスさん?と話したいんだけど」
本当にこの音を聞き付けて来るんだ。そんな些細な感想を抱きつつ、アリアと言う侍女に用件を伝える。
「……かしこまりました」
私が彼を「アロイスさん」と呼称したことに少しだけ動揺を見せたものの、彼女はその場で一礼してから退出して行った。
そんな彼女の後姿をぼんやり見つめながら、本当に面倒なことになったと深い溜息を付いた。
やがてアロイスがアリアに連れられて入室した後は、二人だけで話したいからとお願いして退出してもらった。
「どうしたんだい、フィー」
優し気な声で話し掛けてくる彼は、ゆっくりとベッド横に置かれた椅子に腰掛ける。このアロイスと言う男性は、フィアナが六歳と言うことを考慮するとおそらく三十代ぐらいだろうか。心配そうに向けられた瞳は灰みがかった青緑色をしていて、妻子を持っているとは思えないほど若い印象を抱く眉目秀麗な男性だった。
記憶を失った娘を前にして、一番冷静そうだと感じたのが彼だったので来てもらったが、果たして信じてもらえるだろうか。
「貴方に伝えなくてはならないことがあるんです」
明らかにフィアナではないと、別の人間と対面しているように認識してもらうために、拙い発音ながらも落ち着いた物言いを心掛けて視線を合わせる。
「この体はフィアナと言う少女のものだけど、今話しているのはフィアナじゃありません」
突然の台詞に、彼は顔を強ばらせる。その反応に無理もないと思うが、相手の反応を待つことなく言葉を続ける。
「記憶喪失だと診断されたけど、そもそも私はフィアナとは違う人間なんです。だから貴方達のことを知るわけがないんです」
「…………」
「信じがたいでしょうけど、本当のフィアナはこんな話し方はしなかったんじゃないですか?」
驚愕の表情がじわじわと疑心に変わり、今は私に対して厳しい表情を向けている。
「……悪魔が憑りついたとでも言うのか」
鋭い視線を向けては来るが、話を続けようとする姿勢に安堵する。聞く耳すら持たれない可能性もあったからだ。
「私は神代結と言う人間です。……結が名前で、神代が苗字になります。さっき目が覚めた時には、すでにこの状態でした」
「何故娘の体に君の意識がある?」
「分かりません。私は日本と言う国で生まれ育って、今年で二十歳になりました。目が覚める前までは、働きながら一人暮らしをしていたはずなんですが……」
スラスラと出て来る言葉に、その場しのぎで嘘をついているようには感じられなかったのか、鋭かった視線が若干軟化したように見えた。
「君自身にも原因は分からないと」
「はい」
「娘は……フィアナは今、どう言う状態なんだ?」
当然の疑問を投げかけられる。
「この子の意識は、この体の奥底に僅かに感じられはするけど……」
そこで少しだけ言葉に詰まる。この質問に正直に答えるべきだろうかと。
しかし、この人は私の話に耳を傾けて、真偽を図ろうとしてくれている。無下に話を断ち切らないと言うことは、そうするだけの理由があるのではないか。
だとしたら……。
「多分、消えたがっているように思えます」
その言葉を聞いても彼は動揺しなかった。私の答え静かに聞き入れたのだ。
「……やはり、そうなんだな」
小さく呟かれた言葉は切なげで、言葉と共に小さく溜息を吐いた。
「あの子が階段から足を踏み外したのは、本当に事故だったと思う。だが、階下に転がり落ちた娘を抱き上げた時、あの子が小さく呟いたんだ。『何も見たくない』と……」
その言葉には、光を失ったことへの絶望が見えた。
「君の話を簡単に信じることはできない。だが、おそらく君がいなければ、フィアナは二度と目覚めなかった可能性もある」
今も私の中でフィアナは眠り続けている。それを考えれば、確かにその可能性も高いだろう。
彼が苦悶の表情をしているのは、おそらくは己を責めているからだろう。
「あの、残酷な選択を迫るようで申し訳ないんですが……」
そんな彼へ、私は更に追い詰めるような質問をしなければならない。
「私はこの子の体で、生きた方がいいのでしょうか?」
「……それは、どういう意味で言っている」
先程とは違い、低い声で攻めるような言葉が投げかけられる。
「この子の意思を尊重するなら、私はそれに従うつもりです」
「……死ぬと言うのか」
「私自身には、あまり生への執着はなくて」
生きる為に仕事をしているのか、仕事をする為に生きているのか分からなくなるぐらいには必死に働いていた。私が私であった時も、健康だったから死ななかっただけの話だ。自殺願望はないが、他人の体を使ってまで生きたいとはあまり思えなかった。
だからこそフィアナの体に宿った得体の知れない私は、消えるべきだと考えていたのだが。
(娘の命を手放すような判断は……できないか)
私が死を厭わないような発言をした時、彼は今までで一番怖い顔をした。私が消えればフィアナの魂がどうなるのか分からないから、当然と言えば当然と言える。
この体の持ち主のためにも、命は繋いだ方がいいのだろう。
――それなら、もう少し頑張るか。
「君は……」
「すいません。親に聞くような質問じゃなかったですね」
頭を下げる私を見て、彼は大きく溜息を付く。
「娘の体じゃなかったとしても、生死の合否を他者に委ねるものではない」
「まぁ、そうなんですが。他人の体で勝手に生きるのは……どうかと思って」
「娘の意思を尊重してくれたことには感謝する。だが……エゴだとしても、やはり生きていて欲しい」
当たり前だ。誰だって命が助かるのなら、助けて欲しいと願うだろう。
「この体に宿っているのが私でも、ですか」
「こう言っては何だが、娘と同じように命を蔑ろにする君だからこそだ。……そう簡単に命を手放すものではないよ」
まるで子供に諭すような物言いに、私は僅かに罪悪感を抱いた。自暴自棄になっていたのは私も同じなのかもしれない。
「ユイと言ったね。君にはフィアナの姉として、娘の体で生きてほしい」
姉と呼ばれたことに、今度は私の方が目を丸くする。そんな私の様子を見て苦笑しながらも、彼は言葉を続けた。
「君達には残酷かもしれないが、せめて幸せと言うものを知って欲しい」
「幸せ……」
幸せを知らないわけじゃない……とは思う。
だけど最後に幸せだと感じたのは、いつだっただろうか。
幼い頃は両親もそれなりに仲が良かったらしいが、記憶にある二人は仕方なく一緒にいるような険悪さがあった。気付けば父は別居していて、母も仕事が忙しいと夜遅くまで帰って来ず、幼いながらも離婚するのも時間の問題だと思っていた。
そんな両親が珍しく二人揃って外出したと思えば、事故に遭って亡くなったと言われた。何の前触れもなく親を失った事実を前に、泣くよりも呆然としてしまったのを覚えている。あっという間に葬儀は終わり、時間の経過と共にようやく両親の死を現実として受け入れて終わった。
(幸せを知って欲しい……か)
幸せだった記憶など思い出せそうにない自分が、それを実感することができたなら。私の中で眠るフィアナの心にも届くだろうか。
「そう……ですね。私が幸せだと感じれば、この子にも伝わるかもしれませんし。いつか、フィアナが戻ってくるまでなら」
幸せが伝われば、再び生きてみたいと思ってくれるかもしれない。
「……君の事を妻に伝えても問題ないかい?」
「大丈夫です。黙っている方が残酷だと思うので」
「分かった。ただ、娘が世を儚んだことだけは口にしないで欲しい。……気付くかもしれないが、知らないのであればそのままの方がいい」
きっと母のコーデリアも、彼と同じように勘付く可能性は高いだろう。それでも、もし気付かないのであれば無理に知らせるべきではない。娘が半盲になったことで、きっと精神的に辛い状況が続いていたはずだ。
これ以上心労を掛けたくないのだろうと、素直に頷いて了承を示す。
「これからよろしくね。ユイ」
「はい、よろしくお願いします」
――ごめんね、フィアナ。
――嫌かもしれないけど、あなたが目覚めるその時まで……この体を借りるよ。
そうして私……ユイは、フィアナの体で生きて行くことになった。
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