11_お別れ
「これで足りるだろうか」
渡された小さな革袋は、ずしりと重かった。
紐をほどいて中を覗きこんだヨハンナは、「うわぁ」と小さな悲鳴を上げてのけぞった。
革袋の中身は、十数枚の金貨。いくら何でも多い。多すぎる。
「ヴェルダー様、こんなにたくさん貰えません……!家の修理までやっていただいたのに……」
「あれは、俺がやりたくてやったのだ。貴女が気にする事ではない。だからどうか受け取って欲しい」
突き返そうとしても、カディスは頑として譲らない。
二人は暫く押し問答を続けていたが、カディスの意志は岩盤のように固く、そこを突き崩せなかったヨハンナが最終的に折れた。
「……わかりました。こちらは頂いておきますね」
すごすごと革袋を抱えこむと、カディスは小さく笑みを浮かべた。
……脈拍が乱れる。控えめな笑顔に完全にやられた。不意打ちすぎる。
ものすごく凶悪な顔なのに。頬に傷とかあるのに。ウサ耳だってもうないのに。なぜか素敵にしか見えない……何だこれは。
床に転がって、叫びながら悶絶したい。でも今じゃない。今やったらただのヘンタイだ。
ヨハンナは、必死に耐えた。
「どうした?」
「いえ、何でもないです……」
気を沈めようと深呼吸していると、カディスが不思議そうに首を傾げた。
いや待って。その仕草。かわいすぎか……
再度、深呼吸。ウサ耳がないので調子を整えるのに苦労した。
やっと冷静さを取り戻したヨハンナは、自分をじっと見つめる騎士に向き直った。
「……あの、王都に戻られるのでしたら、魔法で送って差し上げましょうか?」
「有難い申し出だが、それには及ばぬ」
騎士は懐から護符を取り出した。
「魔女殿には世話になった。心から礼を言う」
そう言って、彼は短く詠唱した。
護符の魔方陣が白く光った。その光がカディスを包みこむ。そして一瞬まばゆいほどの輝きを放った後、ふっと消えた。
そこにはもう誰もいない。
今までの出来事が全部嘘のようにシンと静まりかえった部屋で、"解呪の魔女"は、強面騎士が立っていた場所を暫く見つめ続けた。
+++++
ヨハンナの日常が戻ってきた。
カディスが来る前の、今までのルーチンを粛々とこなす。けれど……以前の日常に戻っただけなのに、なぜだかしっくりこない。
胸にぽっかり穴が空いたかのようで、ひどく寂しかった。
寂しい理由なんて、一つしか思い当たらない。
だけど……と、ヨハンナは考え直した。
寂しいと思ってるのは、自分だけだろう、と。
カディス・ヴェルダーは、勇猛果敢な騎士団を率いる、誉れ高き騎士団長だ。本来であれば、隠遁中の魔女と接点なんてあるはずもない。
それに彼が住む王都は華やかな都会で、ここでの地味な暮らしなどすぐに忘れてしまうだろう。
……そうやって、何度自分に言い聞かせてみても、胸の痛みは消えてくれない。
未練たっぷりな自分が情けなくて嫌になる。
同時に、こんなに自分の心を乱しておいて、あっさり王都に帰っていった彼が少々恨めしい。
かわいさ余って何とやら、というやつだ。
ここまで来ると、ヨハンナとて自覚せずにはいられない。
どう取り繕ってもこれは、恋煩いだ。
淡い初恋しか知らなかったヨハンナは、初めて芽生えた甘くて苦い感情に戸惑ってしまう。
だが、カディスを追いかけたいと願っても、家族や幼馴染のように拒絶されてしまったら……と思うと、一瞬で気持ちが萎んだ。
どうにも出来ない胸の痛みを抱えて、ヨハンナは一人途方に暮れるのだった。
────そうして悶々としているうちに、あっという間に一週間が過ぎた。
珍しく友人が訪ねてきたのは、丁度そんな頃だった。
「こんにちは~ヨハンナ。久しぶりね~!」
「わぁ、レーネじゃないですか。どうしたんです?」
庭で水撒きをしていたヨハンナは、明るい呼び掛けに振り返った。声の主──王宮魔法師のローブを纏った赤毛の美女が、ひらひらと手を振っている。
"緋炎の魔女"レーネ・ストラウス。
ヨハンナの友人で、カディスに魔法証紋付の紹介状を渡してここに送り出した魔女だ。
「急に来て悪いわね~」
「構いませんけど……あなたがこちらに来るなんて珍しいですね」
「うちの騎士団長の呪いを解いてくれたお礼を言いに来たのよ~。はいこれ、お土産」
「ありがとうございます……?」
……このひと、こんなキャラだっけ?
白い菓子箱を押しつけられたヨハンナは、内心首を捻った。
レーネといえば昔から大雑把かつ豪快な性格で、手土産持参で依頼の礼をしにきたなんて事は、今の今まで一度もない。
正真正銘、今日が初めてだ。
少々、いや、かなりの違和感があった。しかしヨハンナはあえて深入りを避けた。こういう時はツッコんでもろくな事にならない。
小心者のヨハンナは、なるべく穏便に帰ってもらおう……と思いつつ、「中へどうぞ」とレーネを家に案内した。
渡された箱から甘くていい香りがする。この香り、きっと林檎のタルトだろう。
これに合いそうな紅茶があったはず……
菓子箱を手に、ヨハンナはいそいそとキッチンに向かった。
手際よくお茶を用意すると、ダイニングのテーブルに陣取ったレーネの前に、紅茶のカップと切り分けたタルトを丁寧に並べる。
「どうぞ」
「ありがと~。良い香りね」
うふふと微笑したレーネは、"緋炎の魔女"の二つ名が表す通り、炎の魔法に特化した魔女だ。ヨハンナの王宮魔法師時代の同僚でもある。
彼女が王宮勤めに上がった頃、レーネはすでに魔女だった。以来、百年以上の付き合いになる。
レーネはいつ見ても美人だ。見事な赤毛に色っぽい顔立ち。ボンキュッボンなプロポーション。誰もが認める完璧な美女である。
対してヨハンナは、ストンとした体型に、地味な褐色の髪。平凡な榛色の瞳。
多くの男性は、女らしい体つきの女性を好むというけれど、カディスもレーネみたいな色っぽい女性が好みなんだろうか……
などと羨ましく思っていると、ヨハンナを観察するようにじっと眺めていたレーネは、突然ぷっと吹き出した。
「やーねぇ。あなたまで、そんな辛気臭い顔しちゃって」
「辛気くさい顔、ですか?」
「そうよ。うちの騎士団長も、なんでだかあなたと同じ顔してるの~。ようやく呪いが解けたっていうのに、鬱陶しいったらないわ」
「はぁ…………」
ヨハンナは、自然な会話の流れで、友人からカディスの話を聞き出そうと窺っていたが、向こうから唐突に話を振られて面食らった。
しかもレーネは、「鬱陶しい」と言いつつ、とても楽しそうだ。よく分からないなぁ……と首を傾げていると、彼女はカラカラ笑ったあと、にいっと人の悪い笑みを浮かべた。
「ま、いろいろわかって良かったわ~。別の用事を思い出したから、今日はこれで帰るわね。お茶ごちそう様~!」
「え、もう帰るんですか?」
「そうよ。だって、する事ができたもの。じゃあまたね~」
意味ありげな台詞を残して、レーネはさっさと席を立った。魔方陣を開いて、来た時同様、唐突に帰っていく。
「なんだったんだろ……」
部屋に残されたヨハンナは、魔法の痕跡が消えていくのを眺めながら、呆気に取られて呟いていた。