3話 一人で寝るのがさみしくて待ってたなんて言えないもん
夕方五時、チャイムが聞こえる。防災無線から毎日聞こえてくるチャイムだ。カラスが鳴くとかどうとかっていう歌だ。曲名はわからない。
晴夏はアパートの階段をのぼっている。
「鍵、二つ・・・・・・」
スカートの右ポケットに入れられた二つの鍵。そう、二〇二号室と二〇三号室の鍵だ。昨日のキミトお兄ちゃんとの話し合いで、どっちがキミトお兄ちゃんの部屋で、どっちが晴夏の部屋で、ということは無くなった。
「どっちに入ろうか・・・・・・」
晴夏はうーんと唸って二〇二号室と二〇三号室の部屋の真ん中に立ち尽くしている。
いつしか五時のチャイムは鳴り止んでいた。晴夏はしばらくして閃いたように、二〇三号室に小走りし、鍵を開けると中に入った。
それから、晴夏がしていたことは、昨日キミトお兄ちゃんと決めたことを実行に移すためだ。
晴夏がお風呂に入るときと、寝るときに使うものは全部二〇二号室に移動させて、着替えも全部持って行った。それとは逆に、お兄ちゃんが勉強で使いそうなものは全部二〇三号室に持って行く。
晴夏はクローゼットをガバッっと勢いよく開けてみた。そこにはハンガーに掛かった服が数着あり、三段のショーケースが二つ置いてあった。中身は結構詰まっていたので、その横にある空いたスペースに晴夏は服を積み上げた。お風呂で使うタオル類はショーケースの中を探り、タオルが入れてある場所と同じところに無理矢理詰め込んだ。
「よしっ、これでいいかな。とりあえずは」
これでとりあえずは大丈夫だろう。大きいものや重たいものはキミトお兄ちゃんに今度お願いするとして、制服のまま作業をしていた晴夏はスカートのポケットからスマホを取り出して、時刻を確認した。
そろそろキミトお兄ちゃんが帰ってくると言っていた時間だ。SNSでメッセージも入っていた。
『ごめん。今日は遅くなる。バイトが長引きそうでさ、先に寝といてくんない? ごめん。俺も鍵持ってるからさ、ちゃんと鍵かけてな』
『わかった』
晴夏にだって流石にバイトが何なのかはわかる。わがままは言ってられない。
さみしくてもお腹は空くものでお腹の虫が鳴いた。
卵焼きとか、目玉焼きとか、スクランブルエッグとか、ゆで卵とか。大好きな卵料理で簡単なものなら作れないことはないけど、なにか作れる気分になれなくて、冷凍庫を開けた。そこには昨日買っておいた冷凍のチャーハンや餃子、うどんなどが入っている。
一つのチャーハンを手に取って、後ろ面に書いてある作り方通りに作っていく。流石に全部は食べれない気がしたので、三分の一ぐらいは温める前に残した。
ピッピッっと時間を設定すると、電子レンジがブオーンと音を立てる。中ではオレンジ色に照らされたチャーハンが回転している。
寝る前には壁に立てかけられ、片付けられる小さなテーブルを部屋の真ん中に出してきた。
シーンと静まり帰った部屋に電子レンジの音だけが響き渡る。テレビ台の上に置いていたリモコンでテレビをつけてみる。パパとママと暮らしていたときは食事中のテレビは禁止だった。見たければ早く食べ終わるしかなかった。少し罪悪感に苛まれたけど、静かすぎる部屋に耐えきれなくなった。今さっきまでは忙しく動いていたし、独り言を言ったり、歌を歌ったりと、元気だったはずだったのに。
いつしか止まっていた電子レンジ。流れるバラエティー番組の笑い声。
晴夏は電子レンジの中からチャーハンを取り出そうとする。
「あつっ」
咄嗟に出てしまった声。チャーハンを入れていたお皿は熱々になっていた。少し無理に伸ばした服の袖で、なんとか持ち上げると、すぐにテーブルへと運んだ。そしてちょこんと女の子座りをすると、スプーンを忘れたことに気づいて、キッチンへと戻った。引き出しを開けたとき思い出した。
「そういえば、キッチンって私の部屋だったっけ・・・・・・」
まぁいい、お兄ちゃん今いないし、絶対なんとかも今は関係ないし。
一口一口が重く、テレビの音も学校の掃除の時 間に流れるBGMのように聞き流される。
ガチャッ。部屋のドアを開ける音。テレビの音は聞こえるし、廊下の先にあるドアの磨りガラスからは明かりが漏れている。
「ごめん。遅くなった」
俺は部屋の電気が付いていたから、まだ起きているだろうと思って、部屋に入った。
「あー」
言葉にできない状況に一瞬足を止めた。
晴夏はテーブルに突っ伏したまま眠っていた。その側にはお皿に入っているチャーハンが半分ほど残されていて、テレビから流れる映像はニュース番組になっていた。
先に寝とけって言ったのに、鍵も開いてるしよ。まぁ、確かに寝ていると言えば寝ているか、でも、こういうことじゃない。俺の推測でしかないけど、何かに疲れ果てて、食べている途中に寝てしまったのだろう。
そんなに広い部屋じゃないので、テーブルを置いてしまえば、二枚の布団は敷くことができない。一旦晴夏の布団だけを敷いて、まだ制服のままの晴夏を後ろから抱きかかえると、ズルズルと少し引きずって布団に寝かせた。
お兄ちゃん、おかえり。
小さな口が小さく動き、微かにそんな声が聞こえた。
ただいま。と小さい声で言っておく。
制服だけど、流石に勝手に着替えさせるわけにいかないよな。
着替えるか?
眠い
そうか、おやすみ
そんな会話をした。多分晴夏は寝ぼけている。
目覚ましの音に目を覚ましたのは晴夏だった。身を起こして、四つん這いになると、隣で寝ているお兄ちゃんの枕元にあったスマホから鳴るアラーム音を止めた。
「よかった・・・・・・」
晴夏は安心した。隣にお兄ちゃんが寝ているというだけで安心した。
「私、いつ寝たんだっけ?」
晴夏はお兄ちゃんの肩を揺らす。
「朝だよ。朝」
お兄ちゃんは、目元を擦り、ゆっくりと目をあけた。
「あぁ。おはよ」
「ねぇ、昨日いつ帰ってきたの?」
お兄ちゃんはゆっくりと身体を起こす。晴夏はまだ四つん這いのままだったが、そのまま顎をあげて、上を向いた。
「寝かしつけたとき、おかえりって言ってくれたじゃん」
「寝かしつけた?」
「着替えるかって聞いたら眠いって言ったし」
「え? そんなこと言ってないけど、私ちゃんとパジャマで寝たはず・・・・・・」
晴夏は自分の服装を見てみた。すると、なんと制服を着たままだった。
「パジャマじゃない・・・・・・」
「帰ったらテーブルに突っ伏して寝てたよ」
「私?」
「うん。疲れてたんじゃない?」
お兄ちゃんは立ち上がると、廊下の方へと消えていった。
「・・・・・・寝かしてくれて、ありがと」
一人で寝るのがさみしくて待ってたなんて言えないもん。
「え? なんか言ったか?」