悪魔と天使と狂犬
この想いをなんと言おう
一目見たそのときから
私の目は
全身は
あなたから離れなくなった
ツンツンとした短髪の黒髪
つり上がった大きな瞳は猛禽類のように鋭く
刃物で切り裂いたような薄い唇からは幼さのわりに落ち着いた声が私の耳に響いた
「すごく綺麗だ」
その声は渇いた私の心に染み込んでいった
私、日生純香は10歳の美少女である。
何故なら周りのみんながそう言ってるから。
そして12歳離れた姉の日生美里は超美人である。
何故なら周りのみんながそう言ってるから。そして私も同じ意見だから。
私達は今、自宅から車で15分程走った知り合いの家、もっと正確に言えば姉のお見合いの仲人の家に来ている。
そう、今日は姉の美里のお見合いなのだ。
22歳で今年大学を卒業する姉のお見合いに私は同席している。
世間一般の考えではお見合いなんてまだ早いとか、今時お見合いなんて……という意見が出るだろう。私もそう思う。
でもウチは、日生家は一般ではないのだ。
いわゆる名家なのだ。地元では有名の。お祖父様は周りから先生と呼ばれているが、別に学校の先生とかお医者さん、弁護士でもなければ政治家でもない。代々の地主で大家で名士なのだ。お祖父様には来客が多くいつも教えをこう大人達があとをたたなかった。
そんな日生家の方針は全てお祖父様が決める。孫である美里お姉ちゃんの結婚相手までも。
おっとりとした美里お姉ちゃんはお祖父様に逆らわない。それどころかイライラしたところも怒ったところも見たことがない。少なくとも私は。なのでお見合いの件も黙って了承していた。
そんなおとなしい美里お姉ちゃんをフォローするために私はお見合いに同席して……いるのではなく、ただ美里お姉ちゃんがお見合いのために着た着物が羨ましくて両親にワガママを言って自分の着物も買ってもらい、ついでに着物を着る場のためにお見合いの席を利用したのだ。
鏡の前でポーズをとっては、お手伝いさん達に綺麗ですよ、可愛いですよ、よくお似合いで、と煽てられて有頂天になっていた私。実際私自身も10年後には美里お姉ちゃんに負けないくらいの美人になっているだろうと調子に乗っていた。
彼と……大河洋平と出会うまでは……
お見合いが始まって30分がたった頃、お互いの自己紹介やら趣味がどうのこうの出身校がどうのこうの親の仕事がうんたらかんたらと、つまらない話が終わって仲人夫婦が「あとはお若い二人で……」と、昭和から続く定番のセリフをかわきりにお庭に出るお見合い相手と美里お姉ちゃん。
私は邪魔にならないようにそっと縁側で二人を見ていた。
ピンポーンと呼び鈴がなり「すいません、ボールがそちらの庭に入ったのでとらせてください」と子供の声が聞こえた。
お手伝いさんが門を開けると、それはそれは可愛いらしい二人の子供が立っていた。
二人のうち年長の男の子?が、私と同い年ぐらいの男の子がまっすぐに私達を見ていた。
私も美里お姉ちゃんも、仲人さんもお手伝いさんもお見合い相手も、皆が彼の姿に見惚れていた。
まるで天使のような外見の美少年、だが雰囲気は野生の豹を想わせる。麗しく儚いとは真逆のしなやかで力強い獰猛な野生児のような少年。
そしてそんな彼の背中に隠れるおかっぱの女の子。彼よりも頭ひとつ分小さな体の女の子。その瞳は彼に似ていて非なる瞳。怯えるウサギのように身を縮め彼の背に身を隠す彼女こそ天使に相応しい。一目で二人は兄妹だろうとわかった。
庭の灯籠の近くに転がっていたゴムボールを拾って彼に手渡す美里お姉ちゃんに
「すごく綺麗だ」
彼の言葉に美里お姉ちゃんの手がピタッと止まる。いや、止まったのはこの場にいた皆だろう。何故か皆が頬を赤く染める。美里お姉ちゃんに至っては夕日のように顔が真っ赤だ。
「あ、ありがとう」と、ちょっと吃りながら、それでも笑顔で応える美里お姉ちゃんの手からゴムボールを受け取った彼はお辞儀をしてこの場を去ろうとして
「あなた達、大河さんのお子さんでしょ。よかったらお菓子を食べて行きなさい。遠慮しなくていいのよ、ご近所同士なんだから」
仲人さんが二人に声をかけた。ウフフと微笑みかけながら。お手伝いさんがニコニコと二人を屋敷に招き入れようとした時、
「え、近所って言っても道路はさんで別の町内だし家五軒程離れていてそれほど近所付き合いも面識もない他人の家に上がり込むのはどうかと」
彼の声に、ピシッ!と空気が割れた音が聞こえた。またもや皆が止まる。顔は笑っているが先程とは違うひきつった笑いだ。
それでも「子供が遠慮しては駄目よ」と半ば強引に家にあげる仲人さん。その表情には「空気読めよ!」と書いてあった。
私の横の、縁側に座る二人に和菓子を持ってきたお手伝いさんに礼をのべて食する二人に私は
「私は日生純香。小学五年生。あなた達は?」
「俺は大河洋平。小学五年生だ。こっちは妹の大河愛海。小学一年生だよ」
「洋平君と愛海ちゃんだね。よろしくね。私はここの近くに住んでいないから二人とは小学校は違うね。洋平君はドコ小学校?」
私の主導の元、世間話をする三人に周りの大人からほのぼのとした視線を向けられていた。だがそれは私にとっては苦でしかない。何故ならペチャクチャ喋る私に対して洋平君の返事は「へー」、「ふーん」だけ。愛海ちゃんに至っては無言である。話を振っても一向に広がらない。
ネタがつきて一時無言になるが、私はスゥッと立ち上がり洋平君の前でマネキンのような、モデルのようなポーズをとった。それは(私の着物姿はどう?美里お姉ちゃんに言ったみたいに「すごく綺麗だ」って言ってもいいよ。て言うか言われたい!)ために。
(どうよ!)と決めポーズで待ち構える私に、お手伝いさんからお茶を貰って飲みほし、さらに愛海ちゃんの口許の食べかすをハンカチで綺麗に拭き取る洋平君のお兄ちゃん姿に逆に見惚れてしまった私。
(いや無視かよ!)
「純香ちゃん着物姿が似合ってるね。綺麗だよ」
私に気を遣ったのか、美里お姉ちゃんのお見合い相手の、えーとナントカさんが褒めてくれた。まぁこの人に褒められても仕方ないけど。
「ありがとうございます」と社交辞令を返して座り直す私。するとお見合い相手が何を思ったのか、多分美里お姉ちゃんに「俺って子供好きなんですよ!家庭的なんですよ」アピールをしたかったのか、愛海ちゃんに両手を伸ばして抱き上げようとした瞬間、
バシッ!
洋平君がチョップでお見合い相手のナントカさんの腕を振り払い
「妹に気安く触るな、このロリコン野郎」
静かな怒号でお見合い相手を刺した。
彼は、洋平君は何度私達を止めてしまうのだろう。空気が固まり皆が硬直する。お見合い相手に至っては怒りと恥をかかされたあまり顔を真っ赤にしてプルプルと震えている。
気まずい雰囲気の中、一番最初に動けたのは私だった。私はこの場の空気を浄化するために、
「……そ、そうですよ~、ちっちゃくてもレディに簡単に触れてはいけませんよ~」
どうにか震える声を搾りだし、愛海ちゃんに抱きついて和まそうとした私に空気クラッシャーの洋平君が、
バシッ!
「妹に気安く触るな!」
私の腕をチョップで振り払いやがった!
「いや私もかよ!?何で!?おかしくない!?」
まるで親の仇を睨むように洋平君は
「手と顔を洗って出直してこい!」
「私バイ菌扱い!?酷くない!あと顔は関係ないよね!」
おしとやかなお嬢様の雰囲気が吹っ飛ぶくらい私は怒鳴り返した。すると、
「お兄ちゃん、このお姉ちゃん怖い……」
涙目でぷるぷると震える愛海ちゃんが私から遠ざかり洋平君にしがみついていた。
優しく愛海ちゃんを抱きしめ頭を撫でまわす洋平君。「大丈夫だよ、俺がこの狂犬から守るから」と優しい声で愛海ちゃんを励ます。そして人生で初めて狂犬扱いされた私は怒りのあまりぷるぷると震えている。
愛海ちゃんを背負い、門に向かう洋平君は私達の方に向きを変えて「ご馳走さまでした」と頭を下げて帰途に就く。だが私はこのまま帰す訳には行かない。誰が狂犬だ!謝れ!と、訂正しろ!と。
二人に近づこうとしたその時、
「ハウス!」
洋平君が私に手のひらを向けながら叫んだ。思わず止まってしまった私。ハウス?、家?、どういう意味?と思考を巡らせていると、
「シッ、シッ!」と手を振ってきた。まるで羽虫を振り払うように。
あまりのことに思考回路どころか体さえ動けない私は、洋平君に背負われた愛海ちゃんと目が合い、
「フッ」
見下されたような目と嘲笑を投げ飛ばされた。そこには先程まで小動物のように震えていた保護対象のようなか弱き幼女の顔は無かった。
これが『悪魔と天使』、もしくは『悪魔と悪魔』との出会いであった。
追記として
美里お姉ちゃんのお見合いはめでたく破談。そして二年後に美里お姉ちゃんは大学の先輩と大恋愛の末、めでたく結婚することになる。
後に美里お姉ちゃんは私に語った。あの時洋平君に会っていなければ私は好きな人と結婚出来なかったと。洋平君は私達の愛のキューピッドだと。