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そして、腐蝕は地獄に――  作者: ヰ島シマ
第五章 滅亡、または繁栄を祝う輪舞
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78.大切な無価値

 最終日、かの圧制者がどのような振る舞いをするのか楽しみにしていたエイレンは、前日の騒動がまるで彼女の妄想世界のみで起きた出来事であるかのように涼しい顔で会議に臨むランカガの姿に興ざめしていた。

 周囲はいつもならしつこいくらいにパジオに悪絡みするランカガが、その日は仕事に関わる話題しか投げていないことに気付いていた。彼の書記であり息子であるローカンが終日死人のような顔色をしていることと、パジオが視線すら交えるのを拒否している様子を目の当たりにすれば両者の間でいさかいがあったのは明らかだった。


 無事主立(おもだ)った話を取り決めた四公は、明朝の出発前に最後の晩餐(ばんさん)を共にした。この時も二人は互いに取り合うことはなく、ヌジマが気を回して各者に話を振る姿は目も当てられなかった。

 同じ顔ぶれで肩を並べる機会はこの先訪れないというのに、終宴は何とも静かで味気ないものとなった。






「せっかくお越しになったのに、もう帰られてしまうのね。女性同士、一度くらい二人っきりでお話してみたかったけれど……ご多忙ですもの、仕方ありませんわね。ご活躍お祈り申し上げますわ」

「ありがとうございます、夫人。こちらこそ素晴らしいおもてなしに感謝申し上げます。わたくしも夫人から色々とご教授いただきたかったのですが、ぜひ、またの機会に」


 エイレンはヌジマの正妻と上っ面な挨拶を交わした。

 朝焼けの空の下、北の一行はヌジマと彼の正妻、数名の侍女と使用人らの見送りを受けながら自領へと帰還しようとしていた。本来の解散時間はもう少し後に行われる朝の会食後なのだが、ランカガとの不仲を目立たせるために、わざと朝食前に()とうという腹積もりによるものだった。

 前夜のうちにヌジマに伝えれば、彼は晩餐会での惨事を引きずってか苦々しい表情で意を汲んでくれた。頼んでもいない軽食まで用意してくれて、今ちょうど十数人分の包みを積み終えたところである。


 綺麗に並んだ列の中から数歩前へ出ると、ヌジマは他の者に聞かれないように小さな声でパジオに別れの挨拶を切り出した。


「本当なら残りの二人の見送りを済ませた後にすぐにでも貴公を追いかけて訪問に向かいたいのだがな、なにぶん洪水と魔物被害の処理に追われているもので……」

「理解しているさ、ちらの都合に合わせる。心配せずとも君は自分のやるべきことをやればいい」

「あ……ああっ、己の役割はきちんと心得ているともっ……! だから増額の件は前向きに……」

「よろしい。……では、良いもてなしだった。次に会う日を心待ちにしている」


 表情の硬いヌジマと握手を交わすと、パジオが乗り込んだ馬車はブノーシュを後にした。

 これで行きの道と同じように長く退屈な移動が始まる……尻を痛め付ける座席の冷たさに、エイレンの口からは自然と溜息がこぼれた。



 片道約二日の悪道を進みながら、エイレンは今から帰城するという旨の通信をベルトリウスに向けて発信していた。

 滞在中の気疲れが溜まっているので、神経を逆撫でされる前にさっさとコバエを振り払い、窓の外に映る残雪を眺める。もっと雪が降り積もっていた時期はイヴリーチと雪遊びを楽しんだなぁと、つい先月の思い出を遥か過去の出来事のように懐かしんだ。


 エイレンの手駒を増やす能力は自他共にとても重宝したが、乗っ取った個体の肉体的な(もろ)さだけが唯一の難点だった。つまり、その個体にとって生命を維持できない環境に身を置いた場合や致命傷を受けた場合には、通常の生物同様に死を迎えてしまうのだ。このせいで服を着込んでも長時間の雪遊びが叶わず、せっかくの雪景色の中に映えるイヴリーチの黒鱗を脳裏に焼き付ける機会が減ってしまっていた。

 ……とはいえ、各個が没したとしても本体のエイレンが連なって被害を受けることはない。仮に受けたとしてもエカノダとの隷属の(ちぎ)りが解けない限りは復活の恩恵にあずかれるので、個人的な悩み以外には目立った弊害(へいがい)はないのだが……。


 そうして物思いにふけりながら半日ほど馬を進ませた昼過ぎ頃、エイレン達が乗った馬車の軌跡(きせき)をけたたましい音を立てながら追って来る影があった。

 ローカンとの対談の席に同伴した、あの西部の騎士だ。


 エイレンは馬車を止めて自前の人形騎士に剣を抜かせ、向かい来る西部の騎士に警戒の意を込めて構えさせた。

 ブノーシュを出てからずっと馬を駆けさせていたのだろう。人馬共に荒い息が止まない中で近付いてきた男は、本当にあの剛健な騎士と同一人物なのかと疑いたくなるほどに顔付きが変わってしまっていた。全身から噴き出した汗で顔面はギラギラと光り、せわしなく動かされる生気に満ち満ちた目が車内のエイレンとパジオを捕らえ、安堵か狂喜か分からないねっとりとした笑みを浮かべている。


 西部の騎士は小脇に抱えていた蓋付きの(おけ)を持って馬から降りると、フラフラとおぼつかない足取りで馬車に寄ってきた。


「北手さまっ……!! ハァッ……!! ハァッ……!! ようございましたっ、まださほど遠くなくっ……合流できてっ……!!」

「止まれ! 貴様何用だっ、その場で述べよっ!」

「じゃっ……ジャマをするなぁーーーーッ!!?? コッ、コレは我が公が北手様に宛てたものだぞっ!! 通せっ!! 通さんか無礼者ぉーーーーッ!!!!」


 制止を求められた西部の騎士は、わなわなと体を震わせながら立ちはだかる人形騎士らに向かって突進し、奇跡的に斬撃をくぐり抜けて馬車まで到達した。

 驚くことに、ガラス窓の下でトカゲのように車体にべたりと張り付くこの男は帯剣していなかった。野生動物や魔物がいつ襲ってくるかも分からない道を単騎駆けするなど正気の沙汰ではないが、今の形相を見るに乱心はとうに迎えているようだ。


 エイレンは彼を怪しんだが、ランカガが自分に宛てた荷というのが単純に気になったので受け取ってみることにした。

 人形達の敵意を解除すると、西部の騎士はしわくちゃな笑顔でエイレンとパジオに感謝の意を表して深々と頷いた。そして薄っすらと目尻に涙を溜めながら親子がいる車内へ乗り込もうとしたところ、内側から掛けられた(じょう)のせいで取っ手を引けど開かない扉に(しび)れを切らした騎士は、車体の側面を破壊する勢いで己の拳を何度も扉に叩き付けた。


「開けてください北手様この邪魔な扉を開けてくださいっ!! 開けてこちらをお受け取りくださいっ!! 西手はあなた様の機嫌を損ねたことを大変悔いておいでですっ!! コレはせめてもの気持ちだとっ……とても()()物ですっ、だから開けてくださいっ!! ぜひっ、あけてっ、ごらんっ、くださいっ、いまっ、ここでっ、はやくっ、おねがいですからぁっ!!!!」


 ガシャンッ!! ガシャンッ!! と、座席から伝わる振動で体が揺れる。この異様な状況下でも、エイレンが心を乱すことはなかった。ミェンタージュを吸収してからというもの、彼女の豪胆さがすっかり馴染んでしまったようだ。


 エイレンは自らの手で錠を解いた。”カシャンッ”と音が聞こえると、騎士の歓喜の叫びと共に外からニュッと桶を持つ手が伸びてくる。

 一瞬、騎士の茶色い革手袋に広がる赤い染みに目が行ったが、桶を受け取ると伸ばされた手はすぐに向こうへと引っ込んでいった。……だが、手渡しの際に桶の幅だけ開かれた扉の隙間から、西部の騎士は顔の片面だけを覗かせてエイレンを凝視していた。



「お嬢様でもいいですよ」



 そう言って、じっと据えられた瞳は瞬きの一つもせずに己の挙動を観察していた。

 危険物が仕込まれているかも分からない物を素直に受け取るなど貴族にあるまじき不用心さだが、エイレンは気にせず受け取った桶の蓋を開けた。



「―― はっ?」



 重みのある桶だとは思っていた、一体中に何が入っているのかと……蓋を取ると、すぐにそれと目が合った。中にいたのは絶痛絶苦にむせびを上げる、()()()()()()()であった。


 エイレンは呆然とした。人の死に衝撃を受けたわけではない。壮絶な表情で自身を見上げるこの男の死に、脈絡がなさすぎたのだ。

 二日前に言葉を噛みながらも懸命に父親の武勇を披露していた口が、今は助けを懇願するように大口を開けて固まっている。昨夜の晩餐会で終始こちらを気にしていた視線を送ってきた目は、白い部分が微量も残っていないぐらいに酷く充血して血の塊みたいになっている。出会ってからずっと、ぎこちなく引きつっていた頬には大量の涙が溢れた太い筋が残っていて……不出来なこの青年を陥れたのは自分だが、こんな姿になって現れるなど誰が予想できる?


 静かに当惑するエイレンに、視界の端から筒状に巻かれた手紙が差し出された。


「こちらも、どうぞ」


 未だ片面だけを覗かせる西部の騎士が抑揚のない声で言った。

 エイレンは丸められた手紙を受け取ると、膝にローカンが入った桶を乗せたまま上質な絹の紐の封を解いた。ふわりと鉄の香りが舞い、鮮やかな赤いインクでつづられた美しい書体の葬列が目に留まる。





―― 親愛なる友人、並びにその寵児(ちょうじ)よ。誠意として私が人生で最も大切にしてきた物の一つを贈る。私がどれだけ君達を……ひいては祖国を想っているのか理解してほしい。このような悲劇が二度と起こらないことを切に願う。 ――




 ……読み終えたエイレンは、以前にも増してランカガという男が分からなくなっていた。

 彼は実の息子を自らの手で斬首したのだ。エイレンが乗っ取ってきた人間の中にも子供を手荒に扱う親はある程度存在したが、その中でも彼はなかなかに(たち)が悪い。こんな下劣な脅しをかけるために一般的に尊ばれる立場にある我が子を犠牲にするのだから、赤の他人なぞはいつ捨て駒にされてもおかしくないということだ。それをこの扉の隙間から覗き込む使者は気付いているのだろうか?


 顔を上げて視線を合わせると、西部の騎士は”ヒッ!”と喉を鳴らして張り付いていた扉から飛び退いた。


「ヒッ!! ヒッ!! よかったっ、役目を果たせましたっ!! 我が公は寛大な御方ですっ!! あんな無様を晒したわたしをお許しくださるとっ、ご子息であるローカン様よりわたしに慈悲をを恵んでくださるとは身に余る光栄っ!! ああっ、ありがとうございますっ、ありがとうございますっ!! これで確かにご報告できますっ!! 今の様子をしっかり丁寧にお伝えさせていただきますのでっ、ヒッ、ヒッ、ヒッ―― !!」


 じりじりと後退しながら叫んだ騎士は、そのまま騎乗してきた馬に(またが)って来た道を引き返していった。残されたエイレンはどうしたものかと頭をひねった。とりあえず馬車を動かし、ガガラへの帰路に戻る。


 ガタガタと揺れる車内には生臭いニオイが充満していた。エイレンは膝に桶を乗せたまま、ぼーっと外を眺めて今一度視線を落とした。


「あなたって、かわいそうだね」


 たぶん。

 ……そう付け足すと、目の前で空気のように座っていたパジオがフッと笑みを漏らした。

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