主人公は、eではないけどいいわ。
「別れた、ですって。」
私は驚いて、無言で頷いたバーゼルを自室に連れ込みソファに座らせ、私もその正面に座った。
バーゼルは珍しく無表情で、俯きながら、ボソボソと話しはじめた。
「フローレンスには、運命の相手がいるんだ。」
え。
「何それ。詳しく。」
私はバーゼルを促して、彼が独り言のように語りだした言葉を静かに聞いた。
「アシュリーという魔法の使い手だ。生まれる前から婚約状態だった。祖父母からの縁なんだ。二人は想い合っていて、ディミトリが横やりを入れなければ、結婚してた。」
なるほど、私は頷いた。
そうかもしれない。でも。
「だから、何なの。」
全ては過去のこと。そこにこだわる必要性は、ないわ。
「フローレンスはそれでも、貴方を選んだのでしょう。何の問題もないわ。」
私がバーゼルの肩に手を置くと、バーゼルは頭を振った。
「俺はフローレンスを騙して、ここに閉じ込めてた。彼女には、王宮は狭すぎる。外に出た方がいい。俺は、彼女に相応しくない。」
なるほど、私はまた頷いた。
そうかもしれない。でも。
「そんなことは、フローレンスが自分で考えて、決めるわよ。貴方は悪い方に、物事を考えすぎてるわ。」
私はバーゼルの肩をさすり、落ち着くよう宥めた。
「恐いんだ。フローレンスは、何もできない俺に飽きて、出ていくことを望むはずだ。」
バーゼルの声が、教会で懺悔する罪人のように震えた。
「だから、フローレンスが出ていくように仕向けた。」
バーゼルはそう呟いて、黙り込んだ。
「バーゼル、貴方、バカなの。貴方がフローレンスに相応しくないなら、することは、一つでしょ。」
バーゼルの視線が、私に向けられた。
「フローレンスに相応しい男に、なりなさいよ。」
この王子は不幸過ぎて、幸せに不馴れで、目の前にあるそれを、掴むことすらできないのかもしれない。
私は、ため息をついた。
第二王子との親睦を深めた方が良さそうね。悪いけど、バーゼルが立ち直る手助けをしている余裕は、今の私にはないわ。
でも何か、ひっかかるわね。フローレンスと王子は、とても仲睦まじく見えた。運命の恋人、私にはその言葉が二人を表すのに最適な言葉に思える。
王か、王妃が何かしたのかしら。そうだとしても、それくらい自分の力で押さえられないと、王になどなれはしないわよ、バーゼル王子。
「もうすぐ、私は国に帰るわ。ディミトリと一緒に。」
フローレンスが居なくなってから、バーゼルは変わった。あの頃の柔らかい笑顔が嘘のように、暗い顔をするようになった。
私はバーゼルに恩があるから、この国の次の王には彼を推したいと考えてきた。それなのに、肝心のバーゼルが、王に相応しい人物になれないでいる。
「この国の次の王太子第一候補は、第二王子。第二王子は品行方正、妻と子もいて血筋も安泰。バーゼルはどうするの。王になりたいの、なりたくないの。」
私が問いただすと、バーゼルは小いさな声で答えた。
「なろうと、思ってる。」
なろうと、思ってる。ですって。国王というものを、軽く考えすぎてるわ。話にならない。
私はため息をついた。
「バーゼル、貴方、一体どうしたいの。貴方は、どうしたいの。」
気弱そうな王妃は、物と人を与えて兄の愛情を買い、愛情を与えないことで弟を縛りつけてきた。今のバーゼルは、王妃の手駒。バーゼル自身は、どこにもいない。
「俺。俺は。分からない。俺には、今の生き方しかないんだ。」
王妃の教育で、兄はバカ、弟はヘタレに育った。こんな人間が王になっても、国民が困るだけね。
「でも近々、婚約することになった。」
バーゼルの報告に驚いて、私は聞き返した。
「誰、と。」
相変わらずの無表情で、バーゼルが天気の話でもするように続けた。
「母上が話を進めてる、有力貴族と。」
今バーゼルの相手として噂になっている、高位貴族の娘のことね。でもバーゼル本人が、相手に関心を持っていないのは明らかだわ。
「あのね。貴方は本当に不幸で、ヘタレだから、どこかのお嬢さんと結婚しても、誰も、幸せになれないわ。不幸になるだけよ。」
私はバーゼルの茶色い瞳を覗き込んだ。とてもきれいな、ミルクティ色。
「バーゼル王子。貴方のことを素敵だと思ったのは後にも先にも一度だけ。初めて会った時。あの時、貴方は薄汚れてて不器用だったけど、必死で、格好いいと思った。あれは、本心だったからでしょう。欲しかったのでしょう。フローレンスが。」
バーゼルがミルクティ色の瞳を閉じて、頭を振った。
「フローレンスの話は、止めてくれ。」
この王子は、何故こんなにも母親に囚われ、愛する女性とすら向き合えないのだろう。
フローレンスが去った後、バーゼルはバーゼルなりに努力をしていた。それはフローレンスをもう一度迎える為の準備だと私は思っていたのだけれど、違うのかしら。本当に、手放すつもりなのかしら。
ヘタレ過ぎて、私には理解ができないわ。
「止めないわよ。聞きなさい。」
私はドレスに仕込んである短剣を抜くと、バーゼルの喉元めがけて突いた。バーゼルが驚いて、何かを宙に書いた。すると私の短剣が、柔らかい肉ではなく固い何かに当たり、勢いを無くした。
土の盾。
この一瞬で作れるなんて、見事ね。身のこなしも隙がなく、明らかに訓練を毎日続けてきた人間の動きだ。
「貴方は、ディミトリと同じ授業をずっと受けていたのでしょう。王になる心得も、その方法や技術も、叩き込まれてる。」
バーゼルの頭が左右に振られた。
「違う、俺は、ただ隣に座ってただけだ。」
自信のない声に、私は苛立ちが抑えられなかった。
「同じことよ。身に付いているなら、それでいい。」
私は土の盾を蹴飛ばし、左手に炎を溜めバーゼルめがけて放った。バーゼルは土でできた剣で私の炎を逸らせ、構えた。
その時、バーゼルの長い髪に私の炎の残骸が飛び、焦げた臭いがした。以前、バーゼルは自分の顔を隠すように、肩の辺りで髪を揃え顔の左右に垂らしていた。
それがフローレンスが居なくなってから、随分と伸び、いつもまとめられている髪はバーゼルの顔を隠さなくなった。その表情はいつも固くて、暗い。
「髪、燃えちゃったわね。」
私がからかうように笑うと、バーゼルはどうでもいいと言って、剣を消そうとした。
「ねぇ、バーゼル王子。その剣は、何の為に有るの。誰と戦い、誰を守るべきか、考えなさい。本気、出しなさいよ。」
バーゼルが剣を見つめてから、それを振って消すと、私の方を向いて苦笑いを浮かべた。戦うべき相手も、守るべき相手も、本当は分かっている。そういう顔だった。
何で分かってるなら、戦わないのよ、守らないのよ。本当にヘタレで腹が立つ。
それでも、私はフローレンスが好きだから、どうにかしてコイツを、フローレンスの元に送るわよ。
「一つ、忠告したいの。心して、聞きなさい。」
私は怒気を込めて、バーゼルに話しかけた。
「貴方は、不幸なのよ。きっと、幸せになんてなれないわ。」
私の残酷な言葉に、バーゼルは悲しいような、納得したような、そんな表情を浮かべた。
「フローレンスくらいの奇人じゃないと、貴方を幸せになんかできないのよ。」
フローレンスと初めて会った日、私はあの子の言動に、刺された。
あの頃、私は自信をなくしていた。私が国を出ても、何も変わらない。誰も私を必要としていない。王には兄か妹が相応しい、と。
そんな時、私とフローレンスは出会った。邪魔なものは捨てればいい、そうあの子は笑った。その言葉に、兄弟の存在も、国民の評価も、邪魔なものは何もかも一度忘れて、私にとって本当に大事な物は何か、私は考え続けた。
王女として生まれながら、女ではないと蔑まれてきた。日に焼けた肌も筋肉のついた体も、男のようだと笑われてきた。私はそれでも、ずっと国王になりたかった。その理由は何故か、私は自分に問いただした。自分の欲や、名誉を挽回するためなら、王になるべきではない。何故私は、私を笑う者達を守るために、命をかけて戦っているのか。
答えは、簡単だった。
私は、あの国と国民が、好きなの。
兄弟の中で、私以上に王に相応しい人物などいない。私は今、絶対的な自信を持って、王位を狙っている。
フローレンス。貴女には借りができたわ。そのお返しは今、させてもらう。
「アシュリーは、フローレンスの運命の相手ではないわ。ねえ、バーゼル。初めてフローレンスと貴方の話を聞いた時、私は二人のことを、運命の二人だと思った。私は今でも、そう思っているわ。」
バーゼルの瞳が、一瞬輝いた。
「俺と、フローレンスが。運命の二人。」
バーゼルの呟きに、私は力強く頷いた。




