主人公は、bではないし、ならなくていい。
「バーゼルお兄様。」
俺が王宮の図書室を出て、部屋に向かっていると声をかけられた。王宮で声をかけられるなんて、久しぶりだ。
俺は声の主を探した。そこにいたのは、義理の弟の、第五王子だった。
「お久しぶりです。」
ニコリと笑った眼鏡の少年は、何故か目をキラキラと輝かせていた。
「お兄様に、聞きたいことがあります。」
そう言いながら、どう対応していいか分からず固まる俺を引っ張り、王子は自分の部屋に俺を連れこんだ。俺はソファに座らされ、紅茶を出された。王子は俺の目の前に座り、ニコニコしている。
何だろうか。新手の虐めだろうか。
俺は緊張しながら、王子の言葉を待った。
「一体どうやって、エミリー王女を連れて来たのですか。」
それは詰問や、虐めではなく、単純な好奇心からくる質問だと気がついて、俺はホッと息を吐いた。俺は王子の勢いにおされ、詳細は隠し大まかな流れを教えた。
「うーん、なんか話に勢いが無いですね。何か、大事なこと、隠していませんか。」
王子は確か、中等学校の三年生だ。度の強い眼鏡をかけ、肌は真っ白で、見回した部屋の中には本が山積みにされていた。フローレンスと俺と、話が合いそうな少年だ。
俺は、つい微笑ましくなり、王子を眺めた。
「エミリー王女はどんな方ですか。話してみたいけど、ずっと皆に囲まれているからなぁ。僕が入る隙、ないし。」
「ディミトリ兄様は、何も知らされてなかったのですか。こわいなぁ。兄上は怒ると何するかわかんないからなぁ。」
「お兄様は、恋人いるの。いないか。」
矢継ぎ早に質問が降ってきて、俺が答える前に自分で考え込んで想像してしまう王子。微笑ましいな。
「どうやって、エミリー王女を見つけたんですか。」
思考の渦から戻ってきた王子が、やっと、俺と向き合った。
「あちらの新聞を読んだ。」
俺の答えに、王子が更に目を輝かせた。
「やっぱり、そうだ。」
王子はソファから立ち上がると、俺の目の前に来て、俺の両手を握った。
「僕、ずっと思ってたんだ。バーゼルお兄様の頭が、悪いわけないって。だって先生の問いに、全て間違えるなんて、できないはずだもん。頭が悪くても、少しぐらいは絶対に当たるんだ。なのにお兄様は、いつも、間違えてたでしょ。だから、あれは絶対わざとだと思ってたんだ、僕は。」
王子が俺の瞳を覗き込んだ。
「全ての答えを知ってるから、全て間違えることができたんでしょ。」
俺は、息を飲んだ。
見ている人間は、見ているものだな。こんな俺を、見てくれていた。
王子は続けた。
「エミリー王女の国は、話し言葉は我が国とほぼ同じだけど、書き言葉が全然違う。うちでは使わない文字とかある。それが読めるなんて、お兄様は、天才なの。」
知識のある人間は、他人の凄さが分かる。知識があればあるほど、自分を天才だとは思わなくなる。
「それはない。天才っていうのは、俺とは次元が違う。」
俺は低い声で否定した。
それは、ない。
天才。それは、フローレンスのための言葉だ。あの少女こそ、知識だけでは語れない、知識を越えた独特の勘を持った人間だ。人間は、誰でも学び知識を得ることはできる。だが彼女は、知識を作る側に居るのかもしれない。それこそが、天才。
「次元が違う。知ってるの、お兄様は。天才を。」
俺は頷き、答えた。
「フローレンス・ジェスス。あの方は、天才だ。」
王子がコクコクと頷いた。
「ディミトリお兄様が欲しがってた方かぁ。会ってみたいな。そういえば、フローレンス嬢を取り込もうって話も聞いたよ。ホズワルド侯爵家のコリーと婚約したから、コリーを雇ってフローレンス嬢とジェスス家の後ろ盾を得ようかって、他の王子が話してた。」
俺の侍従が流した噂話が広がっているようで、何よりだ。
俺は、微笑んだ。
「フローレンスと話したいなら、他の方法がいい。」
「なんで。僕、実はこの間おじい様に白馬を貰ったの。のれないのに。それでとりあえず、馬の管理者を雇いたくて、誰に頼もうかなって思ってたから、フローレンス嬢とも話せるなら、コリーに頼んでみようと思ってたんだけど。」
白馬。のれないのに、白馬。
俺は笑ってしまった。
「あの二人はそのうち別れる。それから、ジェスス家の後ろ盾なんか手に入れたら、他の王子に殺されるぞ。」
王子が、ゴクリと唾を飲んだ。
「殺されるのは、やだなぁ。でも、え、二人は、別れちゃうの。すごい皆から応援されてるお似合いの二人なんでしょう。なんかあるのかなぁ。でも、フローレンス嬢はついてこなくてもいいから、コリーに頼もうかな。元気な白馬だから、若い人の方がいいかもって母様が言ってたし。」
王子のところか、良さそうだな。
「コリーは馬に関する能力は高いし、体が大きく力があるって聞いた。」
俺の言葉に王子が頷いた。
「聞いてみる。」
白馬。
白馬。
「それで、その、白馬。馬は茶色じゃなく、白馬、なのか。」
頷いた王子に、俺は、頭を下げた。
「貸して、くれないか。舞踏会の時に。」
王子は俺の行動に驚いて、笑った。
「借りたいの。いいよ。いいよ、使って。その代わり、エミリー様との秘密、教えて。エミリー王女がこちらに来てから、皆エミリー様に夢中だもん。」
あれから、エミリー王女はすぐにこちらに移り、今では人に囲まれている。今後を見据え、殿下に従っていた人々が、今では彼女についている。理由は簡単だ。殿下よりも、彼女が王に相応しいと思ったからだろう。ゆくゆく権力を握るのは、殿下ではなく王女だと。
殿下は、悔しい思いをしているに違いない。
だが、秘密、は教えられない。エミリー王女がディミトリを連れて国に帰ることをいつ判断するか分からない今、俺から言うわけにはいかない。
「あんなに人に囲まれてたら、俺入っていけなくて。王位なんか全然興味ないのに、あそこにいたら、誤解されそう。」
王位。何の話だ。
「この前エミリー王女が、国の王太子が病弱だから、帰ることもあるかもしれないって言ってたんだって。そしたら、他の人達が、ディミトリ兄様を連れて帰るんじゃないかって噂してる。そうしたら、他の王子達にも、機会が来るって、準備しなきゃって。」
なるほど、エミリー王女本人が、そのことを臭わせたのか。そんなことをしたら、王子達が騒がしくなるだろうに。
いや、それが、狙いか。
「お兄様も、王位争いに加わるの。皆その話ばっかり。僕はそういうの、どうでもいいから。」
俺は王子に同意した。そもそも、俺を王にという声など、あがらないだろう。
王子の勢いに押され、俺はつい演技も忘れ、素の自分で対応してしまった。
そんなことは、できないと思っていた。いつも穏やかに微笑んで、平凡な自分を隠さなくては、そう思っていた。
それなのに、いとも容易く、できた。
何の気負いも、何のしがらみもなく、只の俺で、いいのだろうか。
「バーゼルお兄様、また話そう。ずっと話してみたかったんだけど、周りの目が怖くて、今まで話しかけられなかったけど、これからは、よろしくお願いします。」
王子の言葉が、嬉しかった。只の俺で、いいらしい。そうか。只の俺でも、いいのか。
それから俺はこの王子と、偶に話すようになった。
俺は上機嫌で、フローレンス宛てに手紙を書きはじめた。
白馬を借りることができるとは思わなかった。俺はつい欲張り、乗っている姿をフローレンスに見て欲しいと思ってしまった。舞踏会に来る際、馬車は王族専用のところに置いて欲しい。そう書き記し、舞踏会の招待状も同封し、フローレンスに送った。
数日後、俺は後悔していた。
フローレンスはコリーと別れた後、家を出、歴史家になったらしい。フローレンスらしい。抜群の感性と行動力だ。
フローレンスは、柔らかい金髪と湖のような瞳を持ち、公爵家に生まれながら、貴族の娘、としてではなく、フローレンス、であることが許されるくらいの自由を与えられ育てられてきた。そして愛する家族に囲まれ、親身になってくれる友人や、婚約者まで側にいた。
俺は正直、フローレンスが羨ましい。
俺が欲しいものを全て、彼女は持っている。
それなのにフローレンスは、それをあっさり、捨てた。髪を切り、家を出て、誰にも頼らず、生きている。
生きることが、できる。
それこそが、フローレンス。
手紙の返事は来ない。
フローレンスは、手紙を読んでくれただろうか。フローレンス宛てに書いたので、まさか公爵が握り潰すこともないだろう。それで返事がないのだから、その気がないのだろう。
俺は息を深く吸って、吐いた。
俺の目的は、お母様の手紙の解読だ。そのために、フローレンスを騙し結婚し、王宮に連れて行こうとしている。
解読は、俺では無理だ。
でも、答えは分かっている。お母様が、俺を愛しているわけがない。俺の人生を振り返れば、手紙を解読しなくても、簡単に分かることだ。
諦めよう。
諦め、王宮を出る。穀潰しはやめだ。俺は、只の俺になって、生きていこう。
フローレンスは、うだつの上がらない第三王子にはもったいない。彼女を王宮に閉じ込め、自由を奪い、どうする。
俺も、フローレンスも、それぞれ自分の道を歩んでいく。今後俺達が交わることはないだろう。
後一回、フローレンスを誘った舞踏会がある。
それを最後に、俺は王宮を出ることを決めた。




