主人公は、bではないし、なることもない。
その数日後、突然、フローレンスに恋人ができた。
俺はあまりの出来事に、真っ暗になっていく視界に抗えず、ベッドに倒れこんだ。
確かに。フローレンスと最後に会った日から、二ヶ月以上が経過している。だが俺は、遊んでいたわけじゃない。命がけで、異国に行き、あの婚約話を、まとめていたんだ。
俺にその報告をした侍従が、哀れみのこもった目で、俺を見つめてきた。
「コリー様の情報は、こちらです。」
早い。仕事が早い男だ。
俺は、部屋の中にある質素な机に移動し、渡された資料に目を通した。
「ジェスス公爵家で調べた内容を、フェルゼッド様がこちらに流して下さいました。」
俺は頷いた。
俺は、フローレンスと結婚するため、フローレンスの兄フェルゼッドを頼り、このジェスス家の間者を借りている。フェルゼッドは、公爵家の情報をこちらに流してくれる。俺達の関係は、公爵には秘密だ。
コリー・ホズワルド。
侯爵家の次男。高等学校三年生。成績は中。馬の管理能力あり。性格は穏やかで、のんびりしている。別れた女性あり。別れた理由は、コリーが独り立ちできなかった為。相手の侯爵家の令嬢は、現在他の男性と見合いをしている。
俺は、侍従の顔を見つめた。
言葉は悪いが、良い条件の相手だとは思えない。アシュリーの方が、条件的にはかなり上だろう。
侍従が俺の視線を受け、頷いた。
「コリー様は、ジェスス公爵家にとって、好条件です。」
俺の予想と真逆の答えに、俺は叫ばずにはいられなかった。
「何故だ。」
侍従が少し笑い、資料を指差しながら説明をはじめた。
「次男だからです。実家とは縁を切らせ、ジェスス公爵家に囲ってしまえば、済みますので。」
一体何の話をしているんだ、俺は首を傾げた。
「全く、話が見えない。」
侍従が考え込んだ。恐らく、何を俺に話すべきか、話してもいいか、考えているのだろう。
「そうですね。ジェスス家の動きを、簡単に説明致しましょう。」
そう言ってから、侍従が自分を差した。
「まず私は、元々は公爵様の直属の部下です。現在は、次期公爵となるフェルゼッド様に付き、助言などをしております。公爵様から離れる際、今後はフェルゼッド様の命令第一でと命じられましたので、現在はフェルゼッド様の意思に従い、公爵様とは連絡は取っておりません。ただ、公爵様に付いている部下がおりますので、あちらの情報は知っておりますし、もし、フェルゼッド様に怪しい動きがあれば、すぐに公爵様に報告致します。」
俺は頷いた。
「王子は、今回のコリー様の件で悩まれておりますが、私見では、悩むべき相手は、アシュリー様です。」
侍従の指摘に、俺は驚いた。
わざわざ今、アシュリーを出してくる狙いは、何だ。この侍従の話は、信頼できるのか。
「フローレンス様とアシュリー様の絆は、非常に深く、固いように、私には思えます。」
絆。
俺は、呟いた。呟いてから、嫌な予感に目を閉じた。
「フローレンス様のお祖父様は、若い頃に大恋愛をされましたが、その方と結ばれることはなく亡くなりました。亡くなる直前に、自分の死後、相手の方に手紙を渡して欲しいと、息子、現ジェスス公爵です、に託しました。公爵は父の言いつけを守り、相手の方に手紙を渡し、初めて、二人がいまだに思い合っていたことを知ります。その相手が、アシュリー様のお祖母様です。アシュリー様のご両親もこの話に感激され、両家に男女が産まれたら、結婚させようという話になりました。」
俺は、この話を聞きたくない。
聞きたくないが、聞かないわけにはいかないのだろう。勝手に耳に入ってくる侍従の声に、俺は苛立ちながら、耳を塞ぐことはできなかった。
二人が生まれる前から始まっていたのか、あの二人の物語は。
「時は経ち、アシュリー様が嫡男として産まれ、数ヶ月後にフローレンス様が産まれました。大人達は、二人を結婚させようと考えたのです。二人は常に一緒に過ごし、周りの大人達からお互いが運命の相手だと囁かれ、育ちました。当然、フローレンス様もアシュリー様も、運命を信じ、非常に仲が良く、お互いがいなければ生きていけないような、そのような関係になりました。」
俺は呆れた。
なぜ大人とは、こんなにも下らないことをしようとするんだ。嫌な予感しかしない。
「フローレンス様は、幼少の頃より天才でした。行動も発言も大人っぽく、ゴミを集めては夜な夜な何かを作っている、不思議な子供でした。明らかに、貴族の娘には向きませんでした。けれど、アシュリー様が、フローレンス様を女神のように崇拝し、その奇抜さを全て受け入れ、むしろ美徳であると公言していたのです。」
俺は幼少期のフローレンスを想像して、つい吹き出した。あの天使のような顔の子供が、ゴミを漁る。面白い。
「そこで、二人の公爵は話し合い、二人を結婚させること、フローレンス様にはアシュリー様に嫁いだ後に困らない程度の教育を施し、それ以外は自由に過ごさせる、ということで、合意をしたのです。」
なるほど。公ではないだけで、完全な婚約状態だ。
「そこに、王太子殿下から、結婚の話が舞い込んできました。確か、四年程前だったと思います。お二人が、中等学校に通い始めた頃です。美しく成長し、その天才ぶりをところかまわず発揮してしまうフローレンス様は、既に著名で、新しい物好きの殿下の目に留まったのでしょう。」
四年前、ちょうどディミトリの子が産まれた頃だ。
「ジェスス公爵は、フローレンス様が他の方の目に入らぬよう、王族の集まりにも、他家へも一切連れて行きませんでした。それでも、学校に通っていれば噂は立ち、殿下の耳にも入ったのでしょう。」
侍従が、遠くを見つめていた。恐らくこの侍従も、二人の幸せを願っていた大人の一人なのだろう。
「しかし、フローレンス様とアシュリー様を引き裂くのは今更難しく、その上、そもそもフローレンス様が王宮に馴染めないのは明らかでした。ジェスス公爵は、フィーナ様をと国王に進言し、公爵夫人も嘆願しましたが、殿下に受け入れてもらえませんでした。」
殿下は一度言い出すと、それより良い条件の物がない限り、意見を変えない。それが許される状態自体が悪だと俺は思った。
だが、王と王妃の溺愛する息子の横暴に、誰も何も、言わない。言えないのではない、敢えて、言わないのだ。
「王太子殿下は、フローレンス様が高等学校三年生になったら公式に婚約すること、卒業と共に王宮に来ること、その一年後に結婚することを求めてきました。」
フローレンスは今三年生か。間に合って良かった。
「ジェスス家は、公爵の地位や力、国王陛下の妹である公爵夫人の存在があり、王家に少しは意見ができる立場です。しかしアシュリー様のご実家は公爵家ですが、そこまで強くはありません。もし王家に逆らえば、家自体が、存続の危機に晒されます。そこで、殿下が、ジェスス公爵を説得するよりも、アシュリー様のご実家に、圧力をかけてきました。」
俺はため息をついた。
家の存続、その家の者には一大事だが、ディミトリにとっては只の遊びだ。自分の我が儘で家を潰し、人を路頭に迷わせてもいいと思っている。いや、むしろそうできる自分が素晴らしいとさえ考えている。アシュリーが王家を恨むのも当然だな。
「結果的に、フローレンス様とアシュリー様を離す処置がとられ、中・高等学校では、付かず離れずの関係が続いております。」
なんだか、大変な二人だな。
俺は、それを羨ましいと思った。
「ジェスス公爵は、フローレンス様とアシュリー様の結婚を願っております。公爵様は、フローレンス様をずっと愛してきたアシュリー様を、高く買っておられますので。」
俺は息を飲んだ。
公爵が、アシュリーを。
「しかしながら、王太子殿下からの圧力を考えると、アシュリー様をフローレンス様から離した方が良いと考え、行動しております。また、フローレンス様が自ら王太子殿下と結婚したいと考えてくれればと思い、殿下を勧めてきました。しかしながら、フローレンス様は、殿下との婚約には否と言い続け、他の方との結婚を望まれてきました。公爵様は、フローレンス様の意思を最後まで尊重し、可能であれば好きな方と、無理なら王太子と結婚を、と考えておりました。そこに、コリー様が現れます。」
突然、コリーが出てきた。
俺は笑ってしまった。
「アシュリー様は公爵家の嫡男で、王太子殿下に睨まれるわけにはいきませんが、コリー様は侯爵家の次男です。実家と縁を切らせ、ジェスス家に囲い込めば、守ることができます。それにフローレンス様自身が望んだお相手ですので、昔の話には目をつぶった、というところでしょう。」
なるほど、と俺は頷いた。
だが、何か、何かがひっかかる。
何だ。時期だ。
「いや、待て。待てよ。待ってくれ。殿下との婚約話が破談になったのは、コリーが登場する、前だ。」
俺は今までの努力の日々を思い出しながら、呟いた。
「殿下の圧力はもう無いのに、何故、公爵はアシュリーと結婚させず、コリーを選んだんだ。」
侍従が、苦虫を潰したような、渋い表情になった。
「それは、恐らく、王子が原因です。」
俺。
俺が。なぜだ。
何故ここで、俺が出てくるんだ。
「王太子殿下との話が破談後、第三王子からすぐに求婚が来たことで、公爵様は、その求婚を王子個人ではなく、王家全体からの要請だと考えたのかもしれません。」
確かに。その可能性はある。
が、そうすると、どうなる。
「折角、王太子殿下の圧力から逃れ、フローレンス様が自由になったところに、今度は王家が第三王子まで引っ張り出し、フローレンス様を王宮で囲おうとしている。アシュリー様と婚約すればまた、アシュリー様の家に圧力がかかるかもしれない。そうならば、まだ全てが曖昧な今、フローレンス様とコリー様を婚約させて、二人共ジェススの家に入れてしまおうと考えたのではないかと。」
なるほど。
俺が、悪かったのか。タイミングが悪すぎたか。
俺はうなだれた。
寝よう。
あの二人の話も、聞きたくなかった。泣きそうだ、俺は。
「フローレンスとアシュリーは、まるで、運命の二人みたいだな。」
俺が呟くと、侍従が俺に謝ってから答えた。
「はい。二人を知る者は誰も、二人が結婚しない未来があるとは、思ってもおりませんでした。失礼を承知で、いまだに、お二人は一緒になると、私も思っております。」
俺はその言葉に、殴られた。
フローレンスの運命の相手は、アシュリーなのか。俺は、只の脇役なのか。そうか、そういうことか。
俺は、二人が結ばれるために、居るのか。
侍従が口を開いた。
「コリー様には、馬の管理能力があり、職を探していることを、有力貴族達の間に噂で流しておきます。フローレンス様が妻としてついてくるなら、ジェスス家の後ろ盾目当てで、ぜひ自分の陣営にと考える者が出るでしょう。」
俺は侍従を横目で見た。以前は公爵に付いていたこの男は、どのような案を練るだろうか。
侍従は相変わらずの無表情で俺のために紅茶を淹れはじめた。
「どこからか、コリー様に働き先の話がきたら、フローレンス様に、コリー様と前彼女の顛末を、知っていただきましょう。」
はは。面白い作戦だな。
俺はそう思ってから、尋ねた。
「フローレンスは、どうすると思う。」
侍従は考えることもなく、言った。
「身を引くでしょうね。優しい方ですので。」
フローレンスは、コリーと別れた後どうするだろう。アシュリーと、仲直りするのだろうか。
俺は、手紙を書きはじめた。
悠長に、身分を隠してサプライズ等している場合じゃない。俺は、ジルが第三王子であること、兄の婚約者候補とは恋愛関係になれなかったこと、好意を寄せてしまったこと、フローレンスと結婚がしたいこと。それ以外にも、フローレンスの好きなところや可愛いところ、一緒に行きたい遺跡や食べたい物まで、書いた。
俺は手紙を送った。
毎日、毎日、一通は送った。
だが、返事は、来なかった。




