主人公は、bではないし、なれそうもない。
俺が一人、王宮の食堂で夕餉を摂っていると、沢山の足音が騒がしくやってくるのが聞こえた。
俺は食事を中断し、彼らが入ってくるであろう扉付近の、テーブルのない開けた空間に片膝をつけ、頭を下げた。
「皆は外で。二人で話す。」
太い男らしい声が食堂に響いて、俺の目の前の床に、絹でできた彩りの宝石が散りばめられた青い靴が見えた。
「久しぶりだな。」
ディミトリ王太子殿下が、俺の顎に手を添え、俺を上向かせた。俺を真上から見下ろす、相変わらずの真っ青な瞳と、混じりっ気のない金色の髪の毛。王族でも珍しい程色素の薄いその髪は、美丈夫として名高い男の自慢だ。
「相変わらず不細工だな、バーゼル。」
それは、意地悪でも嫌みでもない。殿下の本心だ。
俺は、合っていた目を逸らした。
「申し訳ありません。殿下。」
殿下が俺の頭を揺らし、逸れている目線を無理やり自分の方に向けさせた。
「聞いた。今回の件、お前が、色々やったらしいな。」
冷たい声音は、殿下の怒りを表している。俺如きが自分の人生に関わってきたことに、心底苛立っているに違いない。
でも、そうは言わないだろう。
「だが、いい。許そう。お前は自分をよく分かってる。」
殿下はプライドが高く、自分が他人に操られたとか、他人の敷いた道を歩んでいる等とは、認められない男だ。
だから、優しげに笑うだろう。
「俺には、著名な王女こそが相応しい。お前には、変人のフローレンス。そう、思ったのだろう。」
自分のことを思ってやったのだ、とか、自分を愛しているから、とか本気で言い出すのだ、この男は。全ての人間が、自分を心から敬い、愛していると思っている。
「はい。殿下。」
頷いた俺の額にキスを落とし、殿下は誉め言葉を残して去っていった。
殿下が、俺の耳元で囁いた言葉を、俺は繰り返した。
「本当にお前は良い子だな。俺のために、尽くせよ。それだけが、お前の存在価値だ。」
その言葉が、声が、俺の中で木霊した。
俺は震える体を床に預けて、吐いた。
殿下が、俺のせいで傷つく姿が見たかった。
でも結局俺は、殿下を喜ばせた。今回の計画は、喜ばせることで、フローレンスを手放してくれれば成功だった。
だから、俺の勝ちだ。分かってる。
だが俺は、もしかしたら、心の奥底で、殿下のために尽くしているのだろうか。手紙の解読のため。フローレンスを手に入れるため。そう自分を誤魔化しながら、結局は殿下の望む通りに、動いているのだろうか。
違う。まだだ。
まだ。
ディミトリはまだ、分かっていない。
これからディミトリの人生は、一変する。エミリー王女は、この国に、嫁いでくるわけじゃない。彼女は、異国の王子を国に連れて帰るために、ここに来る。
ディミトリは、そのうち俺の人生から消える。それでいい。それで、いい。
俺は、自分が惨めで泣いた。
ディミトリを愛しているなら愛していると、言えばいい。ディミトリを陥れたいなら、俺が陥れればいい。それなのに、俺は隠れて、遠くから考えただけで、本人と向き合うこともできない。
結局これからのことも、エミリー王女次第だ。
俺は、何で、こんなにも、こんなにも。こんなにも、卑怯で、臆病で、下らない人間なんだ。
フローレンス、君はこんな俺でも、好きでいてくれるだろうか。




