主人公は、bではないし、なるべきでもない。
数日後、図書館に向かう途中で、護衛が今日から最初に居た位置で待ちたいと伝えてきた。俺は驚いて、会話の内容を聞かなくていいのかと確認すると、護衛は頭をポリポリとかいた。
「実は。お二人の話が壮大すぎて、私にはなかなか理解が及ばないでおります。それで、その、警護に支障をきたすのではと、恐れております。」
俺は、その曖昧な言い方の意味を考え、察した。恐らく、歴史の話を聞いていると睡魔に襲われる、と言いたいのだと理解した俺は頷いて許可を与えた。
うまくいった。とりあえずこの護衛は、フローレンスと俺のことを疑っていない。いや、疑っていたとしても、俺が実際に手を出すとは思っていない。だから会話が聞こえない場所での警護でも、二人の姿が見えていれば問題ないと考えた。
そうならば、今日からもう少し、フローレンスとの仲を深めてみよう。
俺がそんなことを考えていたら、顔を真っ赤にしたフローレンスが、お昼休憩を一緒に過ごそうと誘ってきた。
「ジルと話していると、すぐに時間が過ぎちゃうなぁ。お昼の休憩中とかは、時間、あるのかなぁ。」
フローレンスは明らかに挙動不審で、俺と目を合わせず、偶にチラチラとこちらを窺いながら、わざとらしく、呟いた。
俺はその可愛らしい誘い方に、驚いた。本当に、可愛い少女だ。
「私も同じ思いなのですが、昼食時は体が空きません。申し訳ありません。」
俺は謝った。お昼の休憩時に、学校に居るわけにはいかない。確実に、王子だと見破る者が出るだろう。
「そうですか。では、また、ここで。」
フローレンスが明らかに気落ちした様子で去っていった。俺はその後ろ姿を、暫くの間、眺めていた。
「ジルは、卒業したら、どうするの。」
ある日、フローレンスが顔に笑顔を貼り付けて、俺に聞いてきた。真っ青な瞳が、血走っている。大丈夫だろうか、俺は心配しつつ、考えた。
卒業したら、か。
フローレンスは、俺が三年生だと思っているようだ。妥当な推理だ。護衛が話を聞いていない今、そろそろ俺の情報を出してもいいだろう。
何を隠して、何を話そう。
俺は、真っ直ぐ前を向いて、空を見上げたまま口を開いた。晴れることが少ない、相変わらずの曇天に、俺の声が吸い込まれていった。
「兄が家を継ぐので、私はその助けをする事が決まっています。」
フローレンスは、どう思うだろうか。当主にはなれない、他家へも養子にいけない、自分で独立する事もできない、能なしの俺のことを、どう思うだろうか。
戸惑うだろうか。
笑うだろうか。
同情するだろうか。
励ますだろうか。
俺はフローレンスの反応が怖くて、彼女の方を見ることができない。
「そうなんだ。ジルが居たら、お兄さんも安心だね。」
フローレンスが穏やかに微笑んだ。俺は、ありがとうございます、と頭を下げて、彼女の様子を窺った。彼女から、負の感情は感じられなかった。
暫く後、フローレンスからデートに誘われた。誘われた、と言っても、誘って欲しそうな顔をして、俺に誘ってもらおうとしたのだが、俺は誘うわけにはいかず、話は流れた。
穀潰しの俺が観光地に行くなど、許可がおりる筈がない。
「ああ、確かにあそこの庭園はとても美しいですね。」
昔、殿下に付いて、一度だけ行ったことがある。俺は誘ってきたフローレンスの言葉に頷いて、少し長い沈黙の後に続けた。
「ですが確か、今はちょうど良い花が咲いていない時期ですね。」
フローレンスは俯いて、俺を見なかった。真っ赤に染まった耳が、上からよく見えて、俺は申し訳ない気持ちになった。
だが俺は、笑った。
「そうなのですか。」
フローレンスの掠れた声が弱々しくて、まるで泣いているように聞こえた。
俺は息を吐いた。フローレンスは、可愛い。そして、分かりやすい。俺への好意が、彼女の動作の端々に見られる。
彼女は、俺の何に好意を抱いたのだろう。冴えない外見、仮面のような微笑み、将来性のなさ。どこに、惹かれる要素がある。
俺の内面を、見ているのだろうか。
フローレンスに好かれようとして行動している、俺。彼女が見ているのは、演じられた俺だ。
フローレンスは、俺に騙されている。彼女の好意は、どこから生まれて、誰に向けられたものなのだろう。
俺自身では、ない筈だ。
それでも、俺は笑ってしまう。心の奥底で、フローレンスが俺を見つめる度に、笑いだしそうだ。
殿下の少女が、俺を見ている。少女は、俺の物だ。
俺は、俺の物ではない。
俺は、兄ディミトリの所有物だ。いつも、俺は兄の為にある。兄が何かを欲すればそれを差し出し、兄に死ねと言われれば死ぬ。
俺は兄の隣に座らされ、ひたすら間違った答えを言い続けた。兄は俺を馬鹿だと笑い、自分が賢いと思い始めた。
俺は兄と剣で戦い、いつもボロボロになるまで打たれ続けた。兄は俺を弱いと笑い、自分が強いと思い始めた。
俺は兄と比べられ、泥のような髪の毛だと罵られた。兄は俺を醜いと笑い、自分が美しいと思い始めた。
俺は兄に跪き、いつも敬意を表した。兄は俺を卑しいと笑い、自分が王に相応しいと思い始めた。
「バーゼル。貴方はお母様の二人目の息子で、特出したところがない、平凡な子だわ。だから、お兄様の為に、生きるのですよ。貴方は、兄ディミトリのものよ。」
「はい。お母様。」
お母様が言うことを、俺はすればいい。そうすれば、お母様は、優しく微笑んでくれる。




