主人公は、私ではありませんでした。
私は、盛大にため息をつきました。
明日は、卒業式です。
ジルは、今日も来ませんでした。これでもう一ヶ月以上、あのクッキーの一件以来、ジルは第七図書館に来ることはありませんでした。以前は、多ければ週に三回、少なくても一回は必ず足を運んでいたのに、ジルは、来ませんでした。
私はあの日以来、ぼーーと生きてきましたが、例え振られても、歴史オタク仲間としてはきちんとやっていこうと決めていました。ジルが来たら、変わらず微笑んで、二人で歴史の話をしようと、決めていたのに。
ジルは、私の存在が重く面倒になり、切り捨てたのでしょうか。
あの、柔らかい、笑顔で。
私がジルに会いたいと望んでも、会えません。彼との間に、約束は、ありません。
ジルが卒業したら、学校に入ることはできなくなります。私達は、会うことができなくなります。だからせめて、彼の家が知りたい。会えなくてもいい。普段はお互いを忘れて過ごし、面白い歴史ネタに遭遇したら手紙を送る。そのような淡い関係でいいから、繋がりが、欲しかったのに。
もう、ジルと会うことは、できないのでしょうか。
私は、大テーブルに額をのせました。溢れる涙を、隠すためです。
ダメダメ。私は、立ちあがりました。
泣いている場合じゃない。永遠にジルに会えなくなる。それでもいいの、私。
私は外にあるいつものベンチに向かうと、近くにいた生徒達に、いつも私といた男性が誰だか知らないかと尋ねて回りました。
そこで、私はジルの名前すら知らない事実に思い至って、涙が溢れてきました。ジルスチュアート、ジルサンダー、他の可能性は。いくら考えても、当然正解など分かりません。
しかも、その周辺の生徒達は、誰も、誰一人として、周りに注意を向けていなかったようで、ジルの情報は全く手に入りませんでした。
もう、なんなの、あのバカども。
なんで自分のことばっかりにしか興味がないんだよ。バカ、バカ、バカ、バカ、バカ。私もその仲間か、バカな私。
私は好奇心旺盛な人間を探し求めて、図書館の中に入りました。そこには、いつもの司書達が数人いて、慌ただしく入ってきた私の方を、眉間にしわを寄せて見ていました。
私は一番近くで本の整理をしていた若い司書を捕まえると、甘い髪と瞳の持ち主で、ここで私と話していた男性を知らないか、尋ねました。その司書はとても驚いて、口を開きかけて、はたと何かに気づくと本の返却カウンターの方へ視線を向けました。そこにいた老齢の司書が、若い司書の視線を受けて、黙って頭を振りました。
年若い司書が、申しわけなさそうに、私に謝ってきました。
「申し訳ありません。個人情報をお伝えすることは、堅く禁じられております。」
私は驚いて、その司書に詰め寄りました。個人情報。そんなものこの中世の時代、だだ漏れじゃねーか。なんで、突然、コンプライアンスきた。
私は、口を開きそうにない司書達から情報を得ることを諦め、外に出ました。
天井の高い、厳かな造りの図書館から出て周りを確認していると、私の意図に気づいて、柱の陰から一人の男性が近寄ってきました。
「あの人は、誰なの。」
私の問いに、この男性も頭を振りました。私は絶望して目を閉じると、肩を落として呟きました。
「知らないの。それとも、言ってはいけないと指示されているの。」
私の問いに、その男性は答えませんでした。けれど答えない、ということが答えで、主から口止めされているのだろうと、私は考えました。
「アシュリーは、どこ。」
私を今案内している男性は、私の幼なじみのアシュリーの侍従です。
この王立高等学校は、生徒の自主性と実力を重んじるため、校内では外の社会的階級などを極力排除する方向で、運営を行っています。けれど、生徒達の中には、重要な人物もおり、彼らに何かがあると困るので、そのような人物に限り、侍従を一人付けることが許されています。
ジェスス家でも当然許されているのですが、私付きの侍従は今頃校内を探索しながら情報収集でもしている頃でしょう。私の父親は、狸です。そこで、私のお守りを頼まれているのが、幼なじみのアシュリーの侍従です。この侍従はアシュリーには付かず、常に私を遠巻きにストーキングしています。もちろん不愉快ですが、仕方がありません。
アシュリーと私は幼なじみで、赤ちゃんの頃から兄弟のように、いいえ、兄弟よりももっと近くで、育てられてきました。何故なら、父親同士が私達を結婚させようとしていたからです。けれど、私が王太子の花嫁候補の一人に選ばれ、他の男性と婚約ができなくなってしまったため、アシュリーとの話も宙に浮いたままになっています。
とは言え、そんなことは、どうでもいいのです。
私は、この物語の主人公ですから、愛する方ができれば、そんな障害はどうにでもできるからです。
それに私、正直、この幼なじみが苦手で、アシュリーと結婚するよりは、苦渋の決断ですが、王太子とのそれを選びます。
今も、アシュリーに会わなければいけないと思うと、足取りが重く、重く、なるのです。
私は、生徒会役員に与えられている個室に案内されました。侍従は扉を外から閉め、そのまま外で待機するようです。
私は扉の近くで、アシュリーから距離をとり、奥のテーブルで紅茶を飲む彼に話しかけました。
「ご機嫌よう。私が第七図書館で会っていた人は、誰。教えて。」
まっすぐに伸びた長い碧い髪と氷のように冷たい瞳を持つアシュリーが、ふん、と鼻で笑って、じろりと私を睨みました。
「知らない。」
一度知らないと言ったら、その発言を永遠に変えないのがアシュリーです。彼が話してくれるには、どうすればいいか、私は、考えました。
「アシュリーが望むものを渡すわ。何でもいい。だから、教えて。」
私はピリピリとした雰囲気にうんざりしながら提案しました。彼が何を望むかは、想像もできません。
「何でもいいのか。じゃあ、教えてもいい。そのかわり、俺と結婚しろ。」
はあ。バカ。ほんとバカ。こいつは。
「バカなの。何のために私と結婚するのよ。」
私がうんざりしながら文句を言うと、アシュリーが持っていたカップが、私めがけて飛んできました。私はそれを避けてため息をつくと、扉に向かいました。
もう、帰ろう。
すると、アシュリーが席を立ち私に近づき、私の頭を片手で掴んで力を入れてきました。痛い痛い、とその手を振り払おうとする私の両手も掴んで、アシュリーが言ってきました。
「自分で考えろ。バカはお前だ。」
考えてきたっつーの。
お前が、お父様が大事にしてた花瓶をわざと割った時も、私を凍った湖に突き落とした時も、何か悩みがあるのか、私が何か悪いことをしたのか、悩んで考えましたよ。でも、お前は、ただ、楽しいからやってただけだっただろうがっ。
「考えても、私には分からない。」
私が正直に言うと、アシュリーはとても傷ついたような表情をしてから、舌打ちをしました。その大げさな態度に私もイライラしながら、彼の足を蹴飛ばし、体を離して、彼と向き合いました。
「分からないけど、それでいい。アシュリーと結婚する。だから、彼のことを教えて。」
私の決断に、今度は本気で傷ついたのか、アシュリーが私の両肩を掴んで、私の瞳を覗き込んできました。
「他の男のために、俺と結婚する気か。」
私は素直に頷きました。
ジルとは結ばれない。アシュリーと結婚なんかしたくない。じゃあ、他の誰かならいいのか、私は自分自身に問いました。答えは、誰でもいい、どうでもいい。ジル以外なら、誰でも何でもいい。
アシュリーがジルのことを教えてくれるなら、むしろ、結婚したい。
私は、そう思いました。
アシュリーが、アシュリーを見ていない私の頬を、力任せに叩いてきました。叩いたのはアシュリーで、痛いのは私なのに、泣いているのはアシュリーで、笑っているのは私でした。
「絶対に、教えない。」
アシュリーはわがままな子供のような人で、約束も守れません。今回も、反故にするのでしょうか。教えてもいいと、言ったのに。
「あいつの事、誰もお前に教えないように、全生徒に箝口令を敷く。」
何を言っているのでしょうか。私事で、生徒会副会長の権力を使おうというのでしょうか。
私は慌てて、アシュリーにすがりつきました。
「さっき、教えるって言ったじゃない。」
私が怒りのにじんだ声で咎めると、アシュリーはヘラヘラ笑いながら、答えました。
「教える。なんのこと。」
私は部屋から飛び出して、走りました。
ジルのことが知りたかっただけなのに、何も聞けなかった上に、箝口令まで敷かれるなんて。アシュリーとの会話で、間違った選択肢を選んで、最悪のルートに入ってしまったのでしょうか。
もう誰も、ジルのことを私に教えてくれないかもしれません。
これは、もしかしたら、もうジルのことは忘れて生きていけ、ということなのでしょうか。
彼の声も瞳も、笑顔も。全て忘れなさい。そういうことなのでしょうか。
アシュリーは本当に意地悪で、最悪。しかも今から、同じ馬車に乗って屋敷に帰らなければいけません。
私はため息をつきました。けれど、怒っていた方が、悲しんでいるよりも、楽なのかもしれません。そう思いながら、私は空を見上げました。ジルがよく見上げていた空は、いつも通り、どんよりと曇っていました。
ふふ、私は笑いました。
もう日が沈み、曇り空はもうすぐ真っ暗になるでしょう。
丁度良かった。私の涙を、隠してくれるかもしれません。
読んでいただき、ありがとうございます!
書くのが楽しくなってきました。
ブックマーク登録、よろしくお願いします!




