策士な妹
翌日、帰省後初めて何も予定がなかったため、俺は久しぶりに自室でゴロゴロとくつろぎ、実家に置いていった漫画を読み漁って満喫した。
ふと時計に目をやると、時間はあっという間に過ぎ、夕食を作り始める頃合いだった。
窓から外を眺めると、どんよりとした曇り空で、窓ガラスに水滴が滴り落ち、気づかぬうちに雨が降り始めている。
奥の景色を覗けば、海は白い水しぶきをあげて、随分と時化っていた。
夕飯の準備をするため階段を下りる。リビングへと向かい、ドアを開けた瞬間、美味しそうな香りが漂ってくる。
キッチンでは、赤色で白い水玉模様のあしらわれたエプロンを身に着けた春香が、夕食の用意をしていた。古びたキッチンに似合わぬ金髪髪を揺らしながら、鼻歌を歌って調理を進めている。
春香がドアの音に気が付き、こちらを振り向いて微笑む。
「お、降りてきた。キッチン借りてるよー!」
「おう、悪いな準備してもらっちゃって」
「いいって、いいって。いつもやってたことじゃん?」
「サンキュー」
料理は春香に任せて、俺はテーブル上に置いてある荷物を片づける。食器棚から人数分の箸やお皿などを取りだして用意した。
だが、テーブル周りの用意など、ほんの2、3分で終わってしまい、再び俺は手持ち無沙汰になってしまう。
「何か手伝うことあるか?」
「うーん……今は特にないかな。ゆっくりしてていいよ、ありがと」
春香はニコっと微笑んで、再びキッチンへ背を向けてしまう。
暇を持て余すことになった俺は、リビング奥にある窓際のソファに腰かけ、前にあるローテーブルに置いてあったテレビのリモコンを手に取り、ぽちっと電源ボタンを押した。
テレビ画面に映像が映し出されると、北の大地特有の地方CMが流れている。
都内とはクオリティが違う、地元感丸出しのCMを見て、実家へ帰って来ているんだという、落ち着きや安心感ようなものを、ひしひしと感じた。
俺はふぅっと身体の力を抜いて、ソファにもたれかかり、足を伸ばしてリラックスした状態になる。
チラリと春香の様子を窺うと、楽しそうに鼻歌を歌いながら調理を進めていた。
なんだかこうしていると、俺が妻の夕食作りを、ゆっくりとくつろいで待っている熟年夫婦に見えてきてしまうくらいには、今のシチュエーションがしっくり来てしまっている。
春香がキッチンで調理する姿を眺めていると、ソファの心地よさに導かれ、ウトウトとしてきてしまう。
身体が徐々にいうことを効かなくなっていき、春香の後姿を見つめながら、俺はゆっくりと瞼を閉じた。
◇
ピピピピ!
タイマー音で、俺はバッと目を覚ました。
見れば、冷蔵庫のタイマーが鳴り、春香が作っている料理が完成したことを知らせてくれたらしい。
春香は座っていた椅子から立ち上がり、タイマーを止めて再びキッチンへと向かい、鍋の中の様子を確認する。
春香が鍋の蓋を開けると、ボワァっと湯気が立ち込めて、美味しそうな香りがこちらまで漂ってきた。
春香はお玉でお椀に少し掬って、味見する。
「よしっ」
ボソっと納得した声を上げると、火を止めてこちらを振り返る。春香の様子を眺めていた俺と自然に目が合う。
「なんだ起きてたんだ、さっきまで気持ちよさそうに寝てたから」
「あぁ、うん。今起きたとこ」
「そっか、ご飯できたから大空ちゃん呼んで来てくれる?」
「わかった」
俺はソファから起き上がり、両手を上げて大きく伸びをする。
大空を呼びに行くため足を動かしたとき、階段の方からトントンと誰かが降りてくる音が聞こえた。どうやら、俺が呼びに行く手間が省けたらしい。
階段を降りた足音は、リビングの扉の前で影となって現れ、扉を開けて姿を現した。
「そろそろご飯できた? っていい匂いー!」
リビングに入ってくるなり、クンクンと匂いを嗅いで、幸せそうな表情を浮かべる大空。
「あっ、大空ちゃん降りてきた。夕食出来たから、ご飯よそったの並べてくれる?」
「はーい」
大空は元気よく返事をすると、春香がよそってくれたお茶碗を受け取り、テーブルへと運んでいく。
俺も大空に続いて、春香の元へと向かい、準備を手伝う。
キッチンの横にある段ボールから、ペットボトルのお茶を取りだして、テーブルに置き、今度は食器棚からグラスコップを3つ取りだし、各席に並べて、ペットボトルのお茶を注いだ。
お茶を注ぎ終えて、席に着いたところで、春香がメインディッシュを鍋をミトンをはめた手でテーブルの上に置き、夕食の準備が整った。
「わぁ、美味しそう!」
大空はキラキラした瞳で、春香が作ったスープカレーを眺めながら、口をほけぇーと開けて、今にも食べたそうな表情をしている。
「よっしゃ、食べるか」
「どうぞー」
俺と大空は手を合わせ、「いただきます」と挨拶をして食事にありついた。
「春香お姉ちゃんが作ってくれるスープカレー久しぶり!」
「確かに、ここで作るのは久しぶりかも」
思い返すように話しながら、エプロンを脱いで丁寧に畳んでキッチン横に置き、春香も向かい側の椅子に座った。
大空は嬉しそうに春香が作ったスープカレーをお椀によそい、箸で掴んでフーフーとしながら口に入れる。
「んんっー!!」
頬に手を置いて、幸せそうな感嘆の声を上げる大空。
「やっぱりお姉ちゃんが作るスープカレーは格別に美味しいね! ホント、どこかの誰かさんが早く貰ってくれないかなぁー」
そんな冗談めいた事を言いながら、大空は俺をチラチラ見つめてくる。
「ちょっと……大空ちゃん!」
春香が頬を少し染めながら、からかう大空を制止する。
俺は大空のからかいを受け流すように口を開く。
「まあ、昔『私大地と結婚するの!』って、春香が言ってた時期もあったな」
「そ……それは……」
幼馴染で物心ついた頃からずっと遊んでいたんだ。
一度くらいは言われていてもおかしくはない。
まあでも、幼稚園から小学校に上がるまでの頃言ってた、子供染みた口約束にすぎない。
俺は懐かしみながら、白米を口に含む。
「えっ? でもそれ言ってたの、2か月前のことだよ?」
「はい?」
「ちょ……大空ちゃん!?」
「『大学卒業したら大地と結婚して、こっちで一軒家を買って、子供は3人くらい作って幸せな家庭を築きたいなぁ』って言ってた」
大空は上を向き、思いだすようにして春香の声真似をしつつ平然とした顔で言う。
え? 2カ月前? ってことは、今年の3月? 高校卒業する時じゃねーか……。
えっ? 俺と結婚したいって、春香が……俺と!?
俺は唖然とした表情で、目をパチクリ瞬かさせながら春香へ視線を向ける。
春香は俯いて黙ったまま動かない。表情を窺うことは出来ないが、耳が真っ赤に染まっている。
すると、俺の視線に気が付いたのか、春香がチラっと目をこちらへ向けてきた。
「そのぉ……」
「ふふっ……」
隣では、大空がニヤニヤと悪戯めいた笑みを浮かべて、俺たちの反応を楽しんでいる。
俺は春香が何か言葉を発するのを待ちながら、生唾を飲みこむ。
春香はなんといい訳をしたらいいのかと戸惑った様子で目を泳がせていたが、一回ギュっと目を閉じてから、意を決したように俺を見つめた。
「そのぉ!」
「なーんて、冗談冗談!」
すると、大空がケラケラと笑いながら、俺達の会話に割って入り、声を上げた。
俺と春香は呆然とした様子で大空を見つめる。
「なになに、お兄ちゃん? まさか本気だと思っちゃったの? そんなわけないじゃん! お兄ちゃんは、大空と結婚してくれるんだもんね!」
ピカーンっとあざと可愛らしいウインクをしてみせ、ニコニコ笑顔で言ってくる大空。
すると、春香が困ったように大空へ声を掛ける。
「えっ、でも私……」
「どうしたの、春香お姉ちゃん? もしかして……実は本当だったり?」
ニヤニヤといたずらめいた笑みを大空が向けると、春香は一瞬たじろいだが、すぐに顔を俺へと向けて言い放った。
「そう! 大空ちゃんのドッキリ! 大地がどういう反応するかなって、試してみたの!」
手をアワアワと身体の前で振りながら、取り繕う春香。
「お、おう、そうなのか……」
「そうそう!」
春香の表情から、これ以上言及するなという威圧感を感じ取り、俺は苦笑いを浮かべて、この場を切り上げることにした。
「んふふっ……」
俺達の得も言えぬやり取りの中で、大空が聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声を漏らして、クスクスと笑って終始楽しんでいるのが、見て取れた。




