第2話 現状
ダダダダッ──ダンッ!
「シエラ! 無事か!?」
慌てて部屋に駆け込んで来たのは、金髪のちょっとお髭を生やした男性だ。
その目に涙を浮かべ、私を見た途端にそれは決壊した。
この人こそがアトラフィード公爵家の当主、ヴィードノス・ノーツ・アトラフィードであり、私の父親だ。
今は威厳も無いが、仕事の時になると別人のように変わる。今は全くそれを感じられないが。
それほど娘の無事が嬉しかったのだろう。子供のように「えぐっ、ひっぐ……!」と泣きじゃくる姿にはドン引きするが、子供思いのいい父親であることには変わりない。
「お父様、ご心配をおかけして申し訳──っ」
とにかく心配させてしまったことへの謝罪をしなければならない。
私はシェラローズの代わりに頭を下げ、その言葉を口にしようとした。
しかし、それは他ならぬ父親によって遮られた。
「よかった。本当に、よかった……!」
私は、父親によって抱きしめられていた。
魔王である私は、過去一度も誰かに抱きしめられたことはなかった。
…………人の温もりというのは、案外温かいものだな。
何故か嬉しくなった私は、父親のことを抱き返そうと腕を広げ──息が出来ないことに気が付いた。このままでは家族に殺される。そう思った私は、素直に不満を口にする。
「お父様、苦しい……」
「──ハッ! す、すまん!」
父親はパッと離れ、もう一度私のことを見てホッと肩を撫で下ろした。
その表情は心の底から安堵しているようで、私がそれに応えるように微笑むと、更にその感情は強くなった。
……ここまでくればもうわかるだろう。
我が父親はどうしようもない親馬鹿だと。
「シエラが倒れたと聞いて、心臓が止まるかと思ったのだぞ?」
「申し訳ありませんお父様。私の不注意が原因でした。なので、どうかローナを含むメイド達には罰を与えないでください。お願いします」
私は上半身を折り曲げ、深々と頭を下げた。
……反応が返ってこない。心配になった私が上半身を戻すと、父親は呆けた顔で私のことを見つめ、石のように固まっていた。その顔には「めっちゃ驚いています」と書かれている。
「お父様……どうかなさいましたか?」
「…………なぁ、シエラ。お前、少し変わったか?」
「……そうでしょうか?」
「ああ、見違えたというのか、大人びたような気がするぞ」
6歳の娘の口調が唐突に変わったのだ。そのような反応が来るのは予想していた。
私は顎に手を当て、考えるような仕草をする。あくまでも当たり前にではなく、何かを考えているという程で、私は口を開いた。
「……今回の不注意で沢山の人を心配させてしまった。なので私は反省しました。もう少しは公爵家の一員として相応しい行動と口調を、と」
今は見よう見まねですけど、と私は子供らしい笑顔を浮かべた。
「……そんなことはない。シエラが少しでも考えて行動してくれるようになるのは、嬉しいぞ」
「お父様……ありがとうございます」
「……それと、シエラならばそう言うと思って、メイド達には軽く説教をしただけに終わらせた。罰という罰は与えていない」
「慈悲深きお言葉に感謝します」
「…………本当に、大人びたなぁ。父さん嬉しいぞ」
…………えっ、この人ガチ泣きしてる!?
そうして色々と話をしている内に、一時間は経過していた。
その間、父親は常に笑顔を絶やさず、私も初めての父親という存在を認識することが出来て嬉しくなり、終始笑っていたと思う。
「さて、そろそろ私は仕事に戻らなければ……」
「あ……お時間を取らせてしまって、申し訳ありません」
「いいんだよ。こうして娘の無事を確認出来たんだ。それだけで私は十分だ」
父親は最後に私の頭を優しく撫で、また夕食で会おうと言い残して出て行った。
「さて、と……」
「お嬢様? どうなされましたか?」
おもむろにベッドから降りた私に、エルシアは怪訝な顔をした。
まだ起きたばかりなのだから安静にしていろと、そう言いたいのだろう。
しかし、私はそれ以上に優先することがあるのだ。
「お父様に会ったのよ。次はお母様に会って無事を伝えなくちゃ」
その言葉にエルシアはわかりやすく顔を顰めた。
私はそれを予想していたので、苦笑して返す。
「エルシア。そんな顔をしないの」
「ですが……」
エルシアが何を言いたがっているのかは理解している。
だが、私は現状を確認するために行かなければならない。
「わかっているわ」
「……それでも行かれるのですね」
「ええ」
それの何が悪いの? と私は自室を出た。
エルシアはまだ何かを言いたげにしていたが、それでも私の後ろに控えて付いてきてくれた。
そのことに内心感謝しつつ、私は母親の居るであろう部屋まで歩く。
途中、何人かの使用人と出会った。
私が目を覚ましたことに驚きながら、すぐさま道を譲るように廊下の端により、深々と頭を下げた。私はそれに軽く応えながら、目的の場所に足を運んだ。
そして辿り着いたのは、固く閉ざされた扉だった。
「お嬢様……」
エルシアが心配そうに見つめる中、私は静かにその扉をノックする。
しばらくして出てきたのは、黒髪のメイドだった。どこかキツめの印象を与えるその人は、この公爵家で唯一母親のお世話を任されている人だ。
彼女は警戒心を高めながら内側から扉を半分開き、私の姿を見て顔を顰めた。
「……シェラローズ様。ご回復なされたのですか」
「ええ、お母様に報告をしに来ました。中に入れてくれるかしら?」
「申し訳ありませんが、奥様は休憩中です。用件は私が伝えましょう」
「私の言葉で伝えたいのだけれど?」
「ご理解ください」
──チッ。
私は内心舌打ちした。
予想はしていたが、どうやっても私を中に入れるつもりはないようだ。
暗に言った中に入れろという命令を、メイドが独断で決めるのは異常だ。しかし、我が家ではそれが普通になっている。
黒髪のメイドは、正しく言えば公爵家のメイドではない。
彼女だけはお母様の家、ハラル伯爵家から母親のために送られて来たメイドだった。
つまり、公爵家の娘である私の発言だろうと絶対服従ではない。
「……はぁ、わかりました。お母様には『私が目を覚ました。今度一緒に庭で遊んでください』と伝えてください」
「伝えるだけ伝えておきましょう」
それは「伝えても無駄だ」と言われているようで、私はムッとした。だがそれを顔に出すことはしない。その程度のことで態度に出す奴は高が知れていると理解しているからだ。
これ以上ここで問答していても意味はない。
一先ず、今日のところは帰るとしよう。
私はドレスの裾を摘み、「それでは、また」と言ってその場を離れた。
「…………お嬢様」
エルシアが心配そうに見つめてくるのに対して、私は「大丈夫よ」と返す。
彼女が心配することではないし、ましてやそのことで心を痛める必要はないのだ。
──これは私達家族の問題。
『引きこもりの母親を連れ出す』
公爵令嬢として転生した私の、最初の試練だった。
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