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第四章 閉ざされた村

 その黒い靄に、千鶴も何かを感じ取ったのだろう。

「戻りましょう」

 というと、大きな尻をプリプリ躍動させ、小走りながらも危なげないステップで、尾根を下り始めた。呑み込みも早いようで、往路と似たような抜け道をすぐ見つけ、確認を取るように美知のほうを振り返る。美知もコクッと頷く。

 高低差、距離ともに女たちが辿ったコースがもっともチャレンジングだったのだが、あの家への帰還は、彼女たちが一番最初だった。

 会長と吾一は一旦川まで下りることになるが、対岸の登りは半分ほどだ。ただ西森の川登りはコース状況がまったく分からない上、先ほどからの奇妙な靄である。

 千鶴と美知は戸を開けたまま、上がり框に腰かけて待った。

 やがて男たち三人が、もつれ合いながらその靄から抜け出てきた。真ん中に位置し、両脇を支えられているのが多分西森だろう。身長から観て、向かって左が会長の宇都宮、右が吾一だ。

 千鶴が立ち上がった。

「ここ観ててっ! 手前の部屋片づけてくるからっ!」

 そして男たちが玄関へと転がり込んだ。吾一はその場にへたり込んでしまった。

 彼に代わって西森の左肩を支えた美知が、身を捻りつつ女子部屋の様子を確認すると、すでにそこには布団が延べられている。三人してその上へ倒れ込んだ。

 美知も宇都宮も這って布団の傍を離れる。千鶴が西森の姿勢を整えながら、訊く。

「脚持っちゃって大丈夫? 血は出てないようだけど──」

「分かんねえっ……。川んとこで会ったときは別に普通だったんだが、少し行ったら、突然しゃがみ込んで吐き出しちゃって……」

 宇都宮も完全に息が上がってしまっている上、言葉遣いにも動揺が感じられる。調査結果の報告会は、当然お流れだ。

 例の靄がここまで迫ってきているのだろうか? 辺りがどんどん暗くなっていく。千鶴が用意した救急箱も、西森の不調が原因不明では、出番がない。

「酔い止めか何か飲ませとく?」

「勝手なことしちゃっていいの?」

「でもこの村、医者とかいんのか? 救急車だって相当かかりそうだし……。取り敢えず村長さんとこに報告かな……。迷惑かけっけどって……」

 などといっているうちに、辺りは完全に真っ暗になってしまった。

 四人は西森の枕もとで途ほうに暮れていた。千鶴が彼の額にアイスノンを充てている。

「少し楽になった? 薬はあとでお医者さんがきたとき、飲み合わせとかが心配だから……」

 とはいえ彼にはもうほとんど意識がなかった。

 もしも美知と彼の二人だけなら、彼女には打つ手がないわけではなかったのだが……。彼の精を少しだけ吸い、自分の体内で励起させ、それをそっともとの体に戻してやればいいのだ。吾一とはああいう議論になったが、小泉八雲の雪女も、おそらくそうした手を打ったのだろう。とはいえ精を吸うわけだから、それにはそれなりの肉体的接触が必要だ。彼女は若いほうの樵に恋をした。彼を助けるのには彼と床をともにしなければならない。それゆえ手っ取り早くもう一人の樵の眼をふさいだ、という推測も成り立つわけだが……。

 宇都宮が決断した。

「吾一、やっぱ村長さんとこ、電話してくれ。騒ぎになるけど救急車呼ぶからって、報告と、お詫びな」

 電話は確か下駄箱の上だ。何が期待できるわけでもないが、部屋を出る吾一の背に、自然、熱い視線がそそがれる。

 その一瞬後だった。美知が古い種族の嗅覚で、何やらキナ臭さいものを感じ取ったのは……。玄関に出た吾一の声が、途切れ途切れに聞こえてくる。

「あっ、村長さんですか? ちょうどよかった。今うちのメンバーの一人が大変で──」

 彼女が「出ちゃ駄目ッ!」と叫びながら腰を上げるのと、彼が短く「うっ」と呻くのとが同時だった。

 廊下へ出ると、銃を手にし、獣の革を羽織った村人たちが玄関に雪崩れ込んでくるところだった。丸くなった吾一の背を、銃の台尻で突いている者もいる。

 美知は跳んだ。

 吾一にかかっていた男の銃を奪い、それを振って手前の二人の顎を砕く。村人たちの悲鳴と怒号。同士撃ち覚悟だろうか? 別の男が銃を構える。美知のほうは奪った銃を、槍のように捌いて応じた。

 そして村長の割れ鐘のような声──。

「止めろおおおっ! 大勢は決したああっ! 銃を引けえええっ!」

 村人たちが左右に割れる。やはり銃を構えた村長が、のっそり入ってくる。

「あんたも、ヒトとは違う……。雪深い国のお姫様かな?」

 左右を固めた村人たちがざわめく。それが収まるまで村長は一息待った。

「……あんたたちは、自分たちの土に通すことなく、直接ヒトの精を摂れるようだな。だが私たちも、何も好き好んで、あんなむごいマネをしているわけじゃない」

「分かってます。私だって、ずっと故郷の村を離れて、それで一生暮らしていけるかどうか……」

「では、引いてくれるのかな? 私たちも生きていかなけりゃならない」

 村人たちの視線が動いた。宇都宮と千鶴が、及び腰ながらもピタッと美知の横についたのだ。とはいえ、キョロキョロ村人たちを覗うばかりで、とても何かいえる状態ではない。だから美知がいった。

「彼らも一緒に、帰してくれますか?」

 村人たちがざわめく。村長はそれを手で制したが、口もとは固く引き結んだままだ。そして……。

「最低でも三人必要だ。それでも十年保つかどうか……。奥に寝かされている男がいるだろう。あれはもう駄目だ。この谷に溜まった澱に、あんなに深く浸ったんではな……。だがなかなか生きのいい若者だったから、幾ばくかの命の火を、この地にもたらしてくれることだろう。それと──」

 老人の視線がその足もとに落ちる。吾一はもう、体をくの字に折って伸びてしまっている。

 美知の口から、自分で意図したよりも遥かに強い言葉が漏れた。

「彼は渡せない」

 村長の背後に下がっていた村の血気の男たちが、再度ざわめいた。

「なんだとっ!」

「こいつら全員囲いのうちだ! 村長! 一気に決めてしまおう!」

 美知の左右でヒッと短い声が上がった。が、女が放った鈴の音ようなそれのほうが、やはり男たちの注意を惹きつけたようだ。自然に彼らの視線が下がる。今彼らがまさぐっているのは、千鶴の豊かな腰の張り出しだろうか?

「分かった。彼女ね?」

 唾を飲む音がそこかしこでした。疑問形を取りながらも何かを感じ取った千鶴の声が、「何? なんの話?」と震えている。美知が半歩下がりながらその背をトンと突いた。

 男たちのどよめき。千鶴の悲鳴。

 続いて宇都宮の処置である。銃の台尻を、彼の鳩尾に叩き込んだ。

 その夜から美知は、二人の男の床のあいだをいったりきたりする破目になった。谷に溜まっている澱から彼らを守り、さらに記憶まで操作するには、やはりそれなりの接触が必要なのだ。男たちはおそらく、連日連夜夢見心地だったろう。とはいえ美知たちは、未だ敵地のなかにいるのだ。肉体的にも精神的にも、彼女には休まる暇がなかった。

「君たちのことなんか彼らに渡して、私だけ東京帰っちゃおっかな……」

 ふとそんなことを呟くときは、気がつくと吾一の頭を膝に載せ、その額を撫でるともなく撫でていたりするのだった。疲れているんだ、きっと……。二人の樵を助けるのは、やはり至難のワザである。

 三日ほど経った。町から一人の巡査が訪ねてきた。愛菜と同窓だという話だったが、実はこの村の出身者だという。いかにも実直そうな青年だったが、いうことはちょっと違っていた。

「村長の話によると確か滝を見にいったって話でしたが、登る沢一つ、間違えたんじゃないでしょうかね」

 つまりそのように処理するという話だ。都会の者はすぐ山をなめる。そんな話の一つになるのだ。もっとも彼らにこの地への侮りがなかったかといえば、決してそうはいえないだろう。見えるものしか見ない者は、見えないものを見てしまったときかなりの確率で死んでしまうので、世の多くのひとたちにとっては、見えないものは永遠に見えないのだ。

 男たちの精を吸った。同時に記憶も吸った。連日連夜の荒淫に疲れた彼女がようやく回復したのは、事件から六日ほど経ってからだった。

 一週間振りにZのハンドルを握ったとき、鼻の奥がツンと痛くなった。愛菜、西森、そして千鶴への惜別の想いだろうか? 彼女自身自分の気持ちを、今一つ掴み切れないでいた。

「ほんと頑張っちゃったもんな、私……」

 取り敢えず自分にそんなことをいっておいた。

 男たちは2by2の後部座席で眠っている。自分たちが流感で寝ているあいだに、三人もの仲間たちを失ってしまった……。当然辛い記憶になるが、真実の冷厳さからは遠く隔たった、若い日のやんちゃの記憶でしかない。

 あの峠を越えるとき、美知はなおも千鶴に意地悪をした。例のひと柱の子供たちに、彼女のラスト・シーンわざわざ訊いてみたのだ。

 赤黒い染みだらけの簀の子が見えた。簀の子が敷かれているだけのガランとした部屋。千鶴はそこで四つん這いにされていた。彼女以外誰も見えないのに、多くの男女の視線が感じられた。男たちの欲望と、女たちの羨望。確かに彼女程度の女であっても、この土地に縛りつけられ、この土地で生きていくしかない彼らにとっては、都会で暮らすのナウい女なのだ。

 あれはその彼女が、いよいよ首を落とされるシーンか? それとも腸を清められるシーンか? あるいは美知自身の心が見せた、仄暗い幻影だったのかもしれない。

 それにしても、と彼女は思った。私はなぜ、あの女があんなに嫌いだったんだろう……。

 ふと現在に視線を戻すと、すっかりオッサンになった吾一が、柄の長い銀のスプーンでコーラフロートのバニラアイスと闘っている。

 彼の好き嫌いは相変わらず、まるで子供みたいだった。

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