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第二章 副会長の挑戦

 自分でも嫌な女だと思うのだが、彼女はあの頃、美人はやっぱり損だと思っていた。というのが、彼女の突然の入会を、そのサークルの女子会員二人が、渋っているというのだった。

 それを伝えにきた西森英治はいかにもあの頃の大学生で、冬場はスキー、夏場はサーフィンといった浅黒い肌に、芸能人並みの白い歯をポイントし、微笑みかけてきた。

「桂木君? 桂木美知君だよね? 俺、レムリアン・トライブの西森ってモンなんだけど──」

 四号館よりはずっと綺麗な一〇号館最上階の大教室を出たところだった。同じ講義を受けていた他の学生たちが、流れから離れた二人をチラ見していく。西森と名乗ったその学生も、ミス英正を固辞し続ける無冠のクイーンに話しかける自分に、少々酔っている感じだった。

「レムリアン・トライブ?」

「エッ? あっ、入会希望だって聴いたんだけど……。あっ、ゴメンゴメン。なんか変だなって、俺も思ってたんだ。あんなサークルに、本学の真のクイーンが……」

「あんなサークル?」

 美知は顎を引いて上目遣いの表情を作った。犬のおねだりの表情なのだが、それとは正反対の感情を、眉間に込める。彼は早くもグダグダだった。

「いや、あの、えっと……。伊東の奴から話があって、それで俺も会長も大歓迎ってゆうか、その……。やっぱ間違い? 間違いだよね? ハハハッ……」

 美知が入会の希望を伝えてから、吾一はあの場所に現われていない。何を気後れしているのだろう? もう二週間になっていた。他ほう、マスコミ研の『エイセイ・トリビューン』、「女王動静」によって、美知のプライバシーは「あってなきがごとし」なのだ。おそらくこの男も、その「女王動静」を見てここへやってきたのだろう。大概にしておかなければと思いながらも、色々なモヤモヤが抑え切れなかった。

「入会希望は本当のことだよ。面白そうだなって思ってる。……なのに、西森君だっけ? 君はなんで、あんなサークルなんていい方するのかな?」

 汗のニオイがどっと押し寄せる。鋭敏な五感に舌打ちしたくなる一瞬だ。やり過ぎを自覚し、今度は抑制した笑顔を送る。ただし、そちらもやり過ぎてはならない。

「あっ、ゴメンね。君なら交際サークルのほうが似合ってるかななんて思っちゃって……。ちょっと意外だったから……」

「あっ、ああ、入ってるよ。そっち系のサークルにも……。アーバンスカイってインカレサークル。早大のひとたちが大勢いて、他にも慶応のひとたちなんかがいて……」

 西森がそっちのサークルへの勧誘モードに入ってしまったので、話を戻すのにまた数ターンかかってしまった。聴けば先述のように、サークルの女子会員二人が、夏休み前の強引な入会に難色を示しているのだとか……。やれやれ……。

「合宿にいきなり割り込んでくる感じだって、副会長の長谷さんたちが……。俺も会長もそれで一向に構わないんだけど、女ってほんと、めんどくさいよな……」

 そういって口を尖らせる西森は、美知も女だということを綺麗に忘れてしまっている。もっとも、女を軽く落としたあとで「君は特別だよ……」などといい添える手は、すでに当時、口説きの常套手段にさえなってしまっていたのだが……。そこは流して話を続けた。

「私、車出せるけど、どう?」

「どうって……。君の車、確かフェアレディZだよね? 2シーターじゃ、ちょっと……」

 それも『エイセイ・トリビューン』に載っているのだろう。まったく。『英正フライデー』とでも誌名変更したほうがいい。

「大丈夫。2by2だから。兄貴のお下がりだけどね」

「そっか。それはセールスポイントだな。副会長のミニバン、高速なんか乗ると、やっぱコワいんだよね。ユーザー本人もそういってたし……」

 それで問題の村への合宿は、そのミニバンとフェアレディZでつるんで、という話になるかと思っていたのだが……。一九八八年、夏。なぜか女二人の気まずいドライブが続いていた。

 あらゆるドグマから距離を取りつつ、あらゆる現象を常識に囚われず、探求する! ニューサイエンスの研究会! 『レムリアン・トライブ』! 因みにレムリアンとは、ムー大陸、アトランティス大陸と並ぶ幻の大陸、「レムリア大陸の──」という意味で、つまりこの不愉快な同行者、同サークル副会長・長谷千鶴も、かつてその大陸に暮らしたひとびとの末裔だとでもいうのだろうか? 美知にとっては、とにかく嫌な女だったが……。

 だが取り敢えず美人だった。その少し前に騒がれていた女子大生ブームの火つけ役で、フジテレビの深夜番組でニュース・キャスターの真似ごとなどしていたオールナイターズのなかにでもいそうな、ショートヘアのクールビューティだった。とはいえ美知と並んでいたのでは、いかにも堅そうな女に見える。それなのに……。ちょっと顎が尖り過ぎている。その右下、輪郭すれすれにあるのにやけに目立つホクロは、手術で取ったほうがいい。エラもなんだか張っちゃってる感じだし……。美人の容貌に難癖をつける役回りに、なぜか美知のほうがなってしまっている。ハンドルは千鶴が握っていた。

「自分の車、あんまり触られたくないタイプ?」

「別に。兄貴のお下がりし……」

「じゃ、音楽かな? 産業ロックとかなんとかいって、男の子たち、うるさいのよね。ジャーニー嫌い?」

「別に、いいと思うよ。あのひとたちもロック談義なんか、するんだ」

「ええ。幸男はね、ELPが好きなの。英治はポリスだったかな? 二人してモンキーズが好きな愛菜のこと、からかったりするのよ。ああゆうのって、なんだかね……」

 宇都宮幸男はサークルの会長で、長身のインテリだが胸板は意外とあった。杉本愛菜はサークル所属のもう一人の女子で、ちょっと地味だが正統派の美人で、美知が拒み続けているミス英正五位入賞というビミョーな栄誉を、素直に二回ほど、受けていた。ポニーテールが似合っていたが、話し方が同性的にはちょっと残念、ツインテールだった。

 今回の話をサークルに持ってきたのは、彼女なのだという話だった。

 部室さえ持つことができないポスト全共闘大学の文化会の悲哀は書いたが、『レムリアン・トライブ』は美知が加わるまで、たった五人のサークルだった。そんな五人でゼミ室など借りれば、かえってスカスカな感じになる。それゆえ彼らが借りていたのは、選択必修で使われるような、中くらいの教室だった。授業前のおしゃべりみたいに、教室の隅に小さくまとまっていた。会長の宇都宮、副会長の千鶴、そして愛菜の三人が談笑しているところへ、西森に紹介された。

 吾一はなんと、五限の授業を履っているのだという。

 椅子にではなく机にかけていた宇都宮が、「よろしく」と軽く右手を上げた。千鶴はチラリと流し眼。「そう。合宿のいい出しっペはこのひとだから、詳しいことはこのひとに訊いて──」

 そこで愛菜がピョコッと立ち上がって、美知たちのほうに小走りに駆けてきた。西森と入れ替わりになる。選手交代の要領で、ハイタッチなどしている。

 教室の前のほうに並んで座ると、愛菜が声を落とし、話し出した。

 なんでもそれは彼女の郷里、馬殿町に伝わる話で、「峠三つ越えたところの……」などという枕を合図に、ひとさらいだの、間引きだの、近親相姦だのと、当時でも問題になりそうな暗い言葉が飛び交っていたのだそうだ。

「中学にはその村、奥三條村から三人、マイクロバスで通ってきてたんだけど……。女の子が二人、男の子が一人、だったかな……。やっぱ三人ともいじめられてて……。社会科の先生まで俺あいつらに授業したくねえや、だってあの村、憲法通用しねえんだぜ? そんな奴らに国民の三大義務、教えたってなあ、なんて……。それでドッと受けたあとで、一番笑ってた子の頭はたいて、馬鹿、冗談だ、お前にゃ憲法第一四条、百回書き取らせて提出させっからな、なんてやってたんだけど……」

 美知にも似たような経験があった。無論、噂されている三人の立場で……。ひと眼に立ちたくない。美人は損だ。彼女にとってその思いは、それなりの強い背景があるのだ。

 そして微かに俯いた愛菜を観て、この子、案外いい子だなと思った。想像力も、共感力も、それらに流されない胸の裡の芯もあった。

「だからね、フォークロア的なアプローチには、私あんま、賛成できないの……。喘息に効く苔があるとか、いや、子宝に恵まれるお芋がだとか、確かに植生には面白いものがあるらしいんだけど……。あの村の話しちゃったの、なんか失敗だったかなって、私ちょっと反省してんの……」

 そんな彼女は予定を繰り上げ、一足先に郷里へ帰っていった。現地で合流する予定だった。美知の入会には女子二人が反対したという話だったが、愛菜のほうは、今隣りにいるこの女──長谷千鶴に引っ張られていただけなのではないだろうか? 美知は千鶴を横目で視ている。まあ運転は慎重なほうだ。

「高速降りるけど、私まだ、運転してたいな。いい?」

 美知は応えなかったが、結局千鶴のいう通りになった。

 この女が美知のZを運転したいといい出し、話が妙なほう向に転がり出したのだ。会長と吾一は免許を持っていなかったので、西森が千鶴の言葉を受けた。

「エーッ? 俺は副会長のミニバン専用? そんなあ……。運転、代わりばんこでいこうよお……。ミニバン、君んちの車なんだしさあ……」

「英治、ペーパードライバーでしょ? だったらさ、Zで飛ばしたりしないほうがいいよ。愛菜も現地で合流だし、女子だけで先行して、借りることになってる空き家の掃除だとか、夕食の下拵えだとか、ばっちりやっておくからさ」

 峠を越え、街に入り、そしてまた峠を越えた。それをなん度も繰り返した。緑が深くなっていく。千鶴はハンドルを離さない。

「あっ、未舗装だけど、でも……。しょうがないよね?」

 Zの車体がガタガタ揺れた。さらに小一時間。

「うちのミニバン、大丈夫かなあ?」

 次にあっと声を上げたのは、美知のほうだった。境界? 結界? 今越えてきた峠の頂に、ケルンのようなものが見えた。千鶴がいった。

「村が見えてきたわね」

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