第三十三話:魔物どもの混戦 前編(1)
「──っ、一体何がどうなってるって言うの、もう!?」
大鶏に続いて現れたさらに巨大な植物に、運音はそう声を上げることしかできなかった。
──これを一体、何と表現すれば良いのか。
近い見た目で例えるなら、イソギンチャクのバケモノ。そんな例えがしっくり来る。
中央には樽のような、太く短い幹。その周囲に、何十本と言う数の大小様々な蔦がやたらめったらに生えている。そして、一見すると木の枝のようにも見えるそれらは、全体が暗い緑掛かった鱗のような樹皮に覆われているにも関わらず、暴れるようにのたうち回っているのだ。しなやかに、自由自在に。
「……うっ」
それに、この匂い。
花のような、傷みかけの果実のような、妙に甘ったるい匂いが立ち込めている。花も果実も見当たらないが、この植物から漂っているようだ。
何か、惹き寄せられるような──。
「──危ない!」
一本の蔦が両断される。長壁姫が、刃に転じた扇で以て一太刀を浴びせたのだ。
もし、遅れていたら。
その蔦は瞬く間に獲物を絡め獲り、自分は大蛇に絞め殺される小動物のようになっていただろう。それを察し、運音は戦慄した。
「……すみません、助かりました!」
「気になさらず。この植物の匂い、人間を誘引する効果でもあるよう……ですねッ!」
さらに伸びる触手を、一本、二本と迎え討つ。
視ていたのに、視えていなかった。
恐らくは長壁姫の推察の通り、これは人間を匂いで誘き寄せて仕留める植物なのだろう。
「しかし、あの山姫……」
じわじわと後退しながら怪樹に目を向けると、一際大きな触手に、椅子か何かのように腰掛けている山姫が見える。
先ほどの光景が、長壁姫の脳裏を過る。
(……やはり、この山姫が喚んだという事……?)
魔王が妖怪を使役するように。
自分たち妖姫が他の妖姫を呼び出すように。
御札を使うような仕草は見えなかったが、恐らくはそうだ。あの山姫は、何らかの方法で手懐けたこの怪物を、己が手足のように操っているのだ。
「はぁ、はっ……わ、わわわわっ!」
(気を付けな、典子!)
紅葉の力を借り、何とか典子は触手による攻撃を逃れている。びっしょりと汗をかいているのは、炎を帯びた角の熱だけが原因ではないだろう。
「ギャギャギャギャァヴァッココココココ!!」
──勿論、この鶏が原因でもあるが。
「紅葉! 百々目鬼さん! 一旦距離を取って!」
「はいっ!」
長壁姫の指示に対する二人の反応は早い。
暴れ回る蔦を掻い潜り、少しばかり距離を置く──長壁姫の陰に隠れることも忘れない。
「……さて……ッ!」
「グギャアコッコッコッココココ!」
戦況が動く。
一番最後に植物の近くから離れた紅葉と入れ替わるように、鶏が植物へ──厳密には、そこに腰掛ける山姫を目掛け突撃した。
「グギィ!」
「ガアアアアアッ!」
鶏の啄みが、山姫の腰掛けていた蔦へと炸裂する。一方、跳躍してそれを回避した山姫は、再び雄叫びを上げる。それに応じるが如く、植物の蔦が暴れ出した。
鶏の脚に、首に、胴体に、翼に。ぎりぎりと、締め上げるように纏わりつく。
鋭い先端を持つ何本かの触手は、がっちりとその切っ先を突き刺してすらいるようだ。
さらに、植物からは奇妙な音が鳴り始めた。
何かが脈打つような、液体の流れるような、獣が喉を鳴らして水を飲むような……。
「まさかっ。血を吸っている……?」
獲物を誘き寄せ、仕留める肉食植物。
では、口に相当する部位が見当たらないこれは、一体どうやって獲物を捕食するのか。
恐らくは、獲物を締め上げて動きを封じ、突き刺した触手でその体液を吸い上げるのだろう。
「……やはり……」
少し考え込み、長壁姫は得心した。
全身の骨を砕かれ血を抜かれた、無惨なクマの死骸。
あれは、この植物の仕業だ。ひいては、これを喚び出せる者──読み通り、山姫が原因だったと言って良いだろう。
山姫が、にやりと笑みを浮かべる。
しかし、痛苦をまるで感じていないような眼球をぎょろつかせたまま、鶏はおもむろに蔦を啄んだ。ぼん、と爆ぜた蔦を脚で押さえ込み、そのまま咥え込むや引き千切ってみせる。
それでも、蔦は止まらない。千切られた端から、別の蔦が伸びてきて、鶏へと巻き付いてゆく。
「グケエェエエエエッッ!!」
拘束を解き切れないと判断したのだろう、鶏が煩わしそうにその身を揺らす。
次の瞬間、鶏の全身の羽毛がざわめき、蔦のあちこちが燃え上がった。鶏が、身体のあちらこちらを発火させたのだ。
「うわっ!」
「何て、熱量……!」
植物の三分の一近くが消し炭と化す。
普通、生きている樹木というのは燃え難い。植物の弱点が火と言うのはあながち間違いという訳でもないが、それでもそんな単純ではないのだ。もし生の樹木を焼き尽くそうと言うのなら、それこそ山火事を起こすくらいの火力が必要となる。それをこの鶏は、単体でやってのけたのだ。
顔に吹き付ける熱風とは裏腹に、運音の額を冷や汗が伝う。
──今までの妖怪とは、レベルが違いすぎる。
魔王や、百姫夜行に居並ぶ猛者どもの強さは、運音もある程度は知っている。だがこの鶏は、突如としてこの山中に現れたのだ──それこそ、山の獣のように。
この植物だって、山姫が喚んだとは言え、それでも所詮は植物だと思っていた。だが、半身近くを吹き飛ばされたそれは、早くも新たな蔦を伸ばし始めている。
どこか「妖怪」という単語を、存在を甘く見ていた。そう思わずにはいられない。
「──おっと!」
「わ、わ!」
「ヴルルルァアアアアッ!」
四方に視線を向ける。
ちょうど、典子を狙って飛び掛かってきた山姫の爪による一撃を、長壁姫が受け止めていた。
鶏は植物に任せ、山姫は狙いを典子に定めたようだ。
この中で一番狩りやすいと判断したか。いや、典子は強い。幼さから戦いに慣れていないのは仕方がないとしても、その内面は鬼女と謳われる紅葉なのだから、弱いはずがない。
この中で、本当に一番弱いのは、自分だ。
「ほら紅葉! しっかりなさい!」
「は、はい!」
山姫の猛攻を扇でいなしながら、長壁姫が紅葉に──典子に声を飛ばす。
「紅葉! 私たちも……!」
(はいよ、典子! )
典子の手中に鉄の金棒が現れる。
併せて、瞳の真紅はさらに黒みがかった濃色を増し、微かに尖っていた歯も獣の牙とばかりに鋭さを得る。髪の毛が燃え盛る焔のように荒れ狂うや、体表にもうっすらと真紅の模様が走り──。
「シッ!」
刹那、振り抜かれた金棒から火炎が放たれる。
火炎は螺旋を描くように長壁姫を包み、そのまま長壁姫と爪牙で鍔競り合っていた山姫を弾き飛ばした。
「ふぅ。良い一手です、紅葉」
頬を拭う長壁姫に、横に居並ぶ典子。
「ガアアアアアッッ……ヴ……ヴゥウウア……!」
そんな二人と改めて対峙し、山姫は咆哮をあげる。
大地に両の掌をつけ、牙を喰い縛る。虹彩が橙に染まり瞳孔が小さく収縮する。唸り声と共に、ざわざわと毛並みが逆立ち──。
(──……毛並み?)
違和感に気が付いたのは、呆気に取られていた運音だけではない。
典子も、警戒していた長壁姫までもが、その変貌に目を見開く。
今や比喩ではなく、まるで、ほとんど獣だ。
手足や首、頬をいつの間にか覆っているのは、暗い黒みがかった灰色の毛皮。顔の横にあった耳は消え、毛に覆われた二つの耳が頭頂に生えている。足の骨格は、まるで捕食獣の後肢のようになっており……。
「え……え?」
「貴女……!?」
思わず、扇を握る手に力が入る。
長壁姫は知らない。
こんな山姫は、知らない。
「……貴女、一体……何……!? ……えっ」
思わず出た呟き。
あまりにも油断していた。
呆けた声を出すしかない。
「ガゥルルルルゥ!」
「ごッ……!」
一瞬で距離を詰めた山姫が、力任せにその腕を振り抜いたのだ。
最早平爪の形状すら残していない鋭利な鉤爪と、先ほどまでの少女の姿からは不釣り合いに発達した筋肉。その一撃は想像よりも遥かに重く、長壁姫を軽々と吹き飛ばす。
「えっ……あ、あ……!」
何だ。
何が起きた。
扇で咄嗟に致命傷は避けたものの、防ぎきれぬ強烈な一撃で肩と腕の肉が抉られたのだと長壁姫が気付くまでの間に、獣は植物の下へと跳躍する。頬に付いた返り血を舐め取る姿に、典子も、運音も、全身が総毛立った。
その獣は植物に飛び乗ると、腕を振るい、爪で抉った獲物の肉と血とを植物目掛けて振り撒いた。
「──アオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
咆哮、否、遠吠えが森に響き渡る。
呆気に取られる典子の視線の先で、植物が急激に蠢き出す。先の業焔で吹き飛んだ半身を補うように、植物は元の姿を取り戻していく。
「ォォオオオオオオオオオオオオオオン!!」
もう、止まらない。
山林の戦いは、混沌とした混戦を極めてゆく。




