第三十二話:山林の決闘 山姫対火焔鶏(1)
22/08/30 話タイトルを変更しました。
鬱蒼と生い茂る木々。
舗装されていない、岩が剥き出しの足元。
藪を掻き分けて進む獣道は、ハイキングと言うには少しばかり過酷である。
だが今、二人の少女──火野典子と唐崎運音は、そんな山の中を歩き続けていた。
「リコちゃん、大丈夫?」
「あ、はい。まだ平気です……」
声を掛け合い歩を進める二人に向かって、やや無愛想な声が投げ掛けられる。
「お二人。元が人間とは言え、今や神野様の百姫夜行に名を連ねたる者。もう少ししっかりとなさい」
妖怪として後輩に当たる二人を引率するのは、長壁姫だ。丈の長いメイド服は山歩きには不向きであろうに、その足取りは一番しっかりとしている。
時に後続の教育係を務める彼女は、基本的に人間どもに対して容赦がない。この二人に対する風当たりも、どこか厳しいようだ。
しかしながら、厳しい言葉を投げながらも、少しだけその足取りは緩やかになっている。普段、より聞き分けの無い妹を相手にしているからだろうか。意外と面倒見が良いのかもしれない。そんな事を考えながら、運音と典子は、顔を見合わせ微笑みを交わしている。
さて、三人がこの人里離れた山に赴いたのは、当然ただ山登りが目的という訳ではない。
ある妖怪を探しての事だ。
「獣たちによればこの辺りらしいですが……」
「はぁ、ふう……はぁい」
最初にその痕跡を見つけたのは、亀姫である。
きのこ狩りに洒落込んでいた彼女が山奥で見つけたものは、ツキノワグマの亡骸だった。それだけなら、決して珍しいものではない。自然淘汰が当然の野生に生まれた亀姫もまた、その話を何の気なく、世間話とばかり長壁姫へ報告した。
異変に気が付いたのは、それこそ気紛れにその死骸を見に赴いた、長壁姫。
その死骸は、異常であった。
数日の間、獣や鳥に啄まれたであろう死骸。傷だらけではあったが、その全身は、それだけでは説明がつかない凄惨なものだったのだ。
──まるで締め上げられたかのように全身の骨が砕け、毛皮にはくっきりとその跡が残り、そして、全身の血が抜かれていたのだから。
そんな芸当ができる生き物など、この国にはいない。
人間どもにだって、できるとは思えない。
ひ弱な人間が熊に勝てる道理はないし、武器や道具を使ったにしろ、何を使えばこんな事ができるのか。少なくとも、長壁姫には皆目検討がつかなかった。それに、もし人間の仕業ならば、とっくに人間の世界ではニュースになっているだろう。人間どもは、虚栄心と自己顕示欲、それに無警戒に首を突っ込む好奇心も強いのだから。
となると、残る選択肢は限られる。
人でも獣でもない、超常の闇に住まう者。妖だ。
(さて。あの痕跡、力……一体何者でしょうか)
そうは考えながらも、長壁姫には、ある程度標的の予想がついていた。
だが、それはあくまでも憶測。根拠らしい根拠はない。例えるなら、麺類と言われたから、蕎麦を連想した。その程度の見通しである。
だから、その予想はこの二人には伝えていない。
余計な先入観は、目を曇らせる。
長壁姫としても、この二人の実力は浅からず認めているのだ。
百々目鬼の広範囲を視る索敵能力は、視界だけで言えば、獣の五感を基にした長壁姫をも上回る。鬼女紅葉の戦闘能力に至っては、今でこそ依り代が人間の肉体であるとは言え、元々は百姫夜行の中でも上位の実力者である。
考慮すべきは、各々の経験値。
標的と思わなかったから見逃した、警戒していなかったから攻撃を受けた──それでは駄目なのだ。
だからこそ、標的たる存在の情報は何も伝えずに、彼女は二人の新米妖姫を訓練という意味合いも兼ね連れてきたのである。
……もっとも、いざとなれば自分一人で対処可能である、その算段があってのことではあるのだが。
「……どうやら、この先に──ああ、ここですかね」
「……えっ」
「わぁ……」
やがて、山林を行く事、数時間。
一行の前に現れたのは、朽ちかけた山小屋の残骸であった。
もう何十年も、手入れなどされていないのだろう。とうに放置されたのか、外れて意味を成さない戸が、辛うじてそこがかつて建物であった事を思い起こさせる。
日も差さぬ薄暗い山中では、余計にその佇まいはおどろおどろしさを醸し出していた。まともな神経の人間は、近寄る事すら躊躇うだろう。
だが逆に、野の獣が棲みつき雨露を凌ぐのにはおあつらえ向きとも言える。
(典子。ほら、行くよ)
(あ、う、うん。でも……)
此処に何かがいるのか。確認するには、痕跡を調べるしかない。
典子の脳内では、紅葉がしきりに典子を促すが、どうにも足が進まない。
運音もどうやら同様のようだ。精神的に妖怪へと近付き、恐怖心が薄れたとしても、生理的な嫌悪感はそう拭えるものではない。年頃の娘なら尚更である。
そんな二人を見かねてか、長壁姫が溜息をつく。
「……ふう。百々目鬼、貴女はそこで周囲を警戒して。何か視えたら、すぐに報せる事。典子は……貴女、何を怯えているのですか。紅葉もいるのですから、ほら、こっちに来なさい」
長壁姫は指示を出すと、返事も待たず、二の足を踏む運音と典子を尻目に廃屋へと近付いていく。
そして何の躊躇いもなく、外れかかった戸に手を掛けた。
「……やはり、何かいるようですね」
めきめきと軋む音を立てて開いた戸の中へ、典子も恐る恐る近付いていく。途端、独特の臭気が立ち込め、思わず顔の下半分を手で覆ってしまった。
生臭いような、鼻につく酸っぱいような臭い。そして──。
(血の臭いだね、こりゃ)
よく見れば、魚や獣のものであろう骨が散らばっている。此処に何かがいるのは間違いないようだ。
だがそれは、獣ではない。
獣なら、寝床にしようと運び込まれた草木がこんなに整えられているはずがない。何より、朽ちかけてこそいるが、まだ赤い血が鍋や包丁についているはずがないのだ。獣は道具を使わない。そんな事は、典子にだって分かる。
「──長壁姫さん!」
振り返ると、全身の眼を見開いた運音が廃屋の入口からこちらへ呼び掛けている。
「来ましたか?」
「はい。多分……凄く、その、それっぽいんですが……」
小屋を出た長壁姫と典子の視線の先。
ちょうど、木陰から一人の女が現れるところであった。
歯切れの悪い、どこか困惑したような運音の口調。
その理由は典子の目にも明らかだ。
身の丈五尺ほどの、少女と呼んで差し支えないような小柄な女。しかしその容貌は、明らかに常軌を逸している。
明るく茶色がかった長髪は、整えられもせず伸び放題。ぼろぼろの外套のような服を纏ってはいるが、土まみれの足元は裸足だ。左手には、獲物だろうか、頸を折られた大きな山鳥を携えている。そんな野生児のような少女は、大きな目鼻にくっきりと整った顔立ちながら、歯を剥き出した獣のような形相でこちらを睨み付けているのであった。
「……ヴゥウルルルル……!」
低く喉を鳴らして唸る女。明らかに警戒している。
いや、腰を落として空いている手に力を込めているところを見るに、今にもこちらへと飛び掛かって来そうですらある。
「長壁姫さん、この人……」
「ええ。礼儀を知らないようですが、恐らく間違いないでしょう」
言いながら、手に持つ扇を開く長壁姫。
相手の一挙手一投足を見落とすまいと、運音も百々目鬼としての全身の目を見開く。
典子もまた、角に炎を灯し、紅葉の鬼女としての力を解放する。臨戦態勢だ。
「……ガアァアアアッ!」
先に動いたのは、襤褸を纏った少女。
両足をバネに跳躍し、一直線に飛び掛かってくる。細身の四肢からは想像もつかぬ筋力だ。
振りかぶる右手には、明らかに人間の平爪とは形状の異なる鉤爪が五本。そして、大きく開かれた口──否、顎には鋭い犬歯。それらを用い、真っ直ぐ、長壁姫の首を目掛けて突っ込んでくるのだ。まるで肉食動物のように。
「ガアアア……ッァア"ッッ!?」
「……ふん」
その一撃を、長壁姫は最低限の動きで以て返してみせる。
ほんの少しだけ身体をずらし、鉄でできた扇を少女の頬に当て、勢いよく振り抜きながら扇を開く。一瞬で完璧なカウンターを極められ、少女の身体は後方へ大きく吹き飛ばされた。
「すっご……」
「何を呆けた事を。百々目鬼さん、貴女もこのくらいできるでしょう」
「い、いやいやいや! 私は戦闘向きじゃないですって……」
「ま、また来ますよ!」
見れば、少女はすでに体勢を立て直している。
顔に軽くない一撃を貰った割に、よろめいたのはほんの一瞬。携えていた山鳥を邪魔だとばかり樹に叩きつけ、先程以上に力を込めようと、今度は四肢全てを地に圧し当てる。
「ガアァアアアアアアァアアアアッッ!!」
そして威嚇の雄叫びを上げた、その時だ。
「──ギャギャギャギャギャギャギャギャッッ!!」
「!?」
少女の雄叫びは、別の何か──金切り声を思わせる、鼓膜を破るようなさらなる咆哮によって上書きされた。




