第三十話:焦熱 来たる旋風の悪龍(2)
「──わあああああっ!」
幼さの残る雄叫びに併せて、金属バットのような黒い金棒が振り抜かれる。
高速で回転する「龍」に狙いをつける事は難しかったが、運良く胴体部分を打ち据える事に成功したようだ。だが、浅い。身をくねらせ数メートルの距離を逃れた「龍」は、すぐに体勢を立て直してこちらへと向き直る。
赤い髪をたなびかせ、典子もまた、敵の前へと降り立った。この男の人が何をしたのかは知らない。だが少なくとも、自分の目の前で、人が死ぬほどの目に遭っているのを見過ごすわけにはいかないのだ。額の角から上る炎に、怯える気持ちを奮い起たせる。
大したダメージはないだろうが、被害者から引き離す隙は出来た。襲われていた男へと視線を向ける──すでに意識はなく、男はその場へ崩れ落ちていた。
「そんな、間に合わなかった……っ!?」
悲痛な叫びが路地に響く。
そんな彼女を宥めたのは、典子にしか聞こえない、もう一人の妖姫の声だ。
(典子! 安心しな、大丈夫。この男はまだ生きてるよ)
(ほ、本当?)
(ああ。相当に魂をやられたみたいだけど、命に別状はないね)
(よ、良かった……)
脳内に響く紅葉の言葉に、安堵する。
二人は、さぁこれから夜になる、というタイミングで街の見回りに繰り出していた。今日も何かしらの妖姫に発散させるつもりでいたのだが、何やら感じ取ったのは、芳醇な悪意と微かな暗い妖気。そして人気の無い路地から尋常ではない叫びを聞き、駆け付けてみれば、男が何やら妖怪の襲撃を受けているではないか。手遅れかと思ったが、間に合ったようだ。
(それよりも……)
典子の瞳が、鈍い炎をちらつかせる。肉体である典子の眼を通し、紅葉は眼前を舞う龍のような何かを睨み付けた。
(……何だろうね、こいつは)
それなりに高位の妖怪である鬼女の紅葉であるが、相対するその存在──「龍」について、即座に思い至らなかった。
姿はどう見ても龍だが、しかし、龍などという存在がこれ程までに禍々しいだろうか。
先ず浮かんだのは、七歩蛇。
七歩蛇の姿形は、まさしく小さな龍そのものである。その正体は、噛まれれば七歩も歩かぬうちに死に至るという、猛毒を持つ毒蛇だ。しかしながら、七歩蛇は燃えるような赤と金の鱗を有すると聞くが、目の前のこれは漆黒に身を包んでいる。そもそも、七歩蛇の体躯は四寸あまり。普通のカナヘビと同程度だ。あまりにも、大きさが違いすぎる。
となれば、やはり龍なのだろうか。紅葉自身は詳しくないが、西洋には火や毒を吐き散らしては人を害する凶暴な性質の龍──毒龍と呼ばれる存在も多いらしい。
もしや、西洋の怪異の類か。それなら何故こんな所に、それこそ突然現れた……?
思考を巡らす中、そんな典子と紅葉には目もくれず、「龍」は次の行動を開始する。路傍に転がる男を一瞥すると、渦を巻くのを止め、その場で蛇体に力を込め始めたのだ。
独立して動く両の眼が、それぞれ向いている先は、空。
(まずいね、逃げられるよ!)
このまま逃がしては、また他の人を狙うかもしれない。
そうはさせないと、典子は右手に紅葉の力を込めた。
「凍結!」
掌を向け、「龍」を凍り付かせんと妖力をばら蒔く。
しかし「龍」は、さっとその身を翻すと大気の凍結から容易く逃れてしまった。四本の足で移動していない分、機動力は以前戦った野干よりも数段上だ。
「……──……ッ!」
攻撃を加えられた事で、こちらもまた典子を敵と判断したのか。「龍」は顎を抉じ開けると、鳴き声を上げる事もなく飛び掛かってきた。
だが、伊達に典子も紅葉と共に在る訳ではない。
(典子!)
(うん!)
「龍」は放たれた一本の矢の如く、一直線に向かってくる。迎え撃つべく典子は、その軌道上に炎の壁を喚び起こした。相手の突撃を遮るばかりか、触れれば火傷を負わせる反撃の盾。それを障害物としてではなく、相手に真正面からぶち当てる面の攻撃として解き放つ。
「……──ッッッ!」
「えっ?」
(典子っ!)
迫り来る炎の壁に対し、「龍」は──その動きを止めなかった。
身じろぎもせず、振り払うような動きもなく。減速することなく突き進み、そのまま炎を貫通して飛び込んできたのである。
(典子! 氷!)
「わ、わっ!」
紅葉の指示に、慌てて妖力を眼前へと炸裂させる。「龍」の顎が典子の頚を捉えるまでほんの数秒というタイミングで、分厚い氷の壁が突撃を遮った。
ばちん、と音を立て、「龍」が氷壁へと激突する。
どうやら「龍」と言えど、物理的な壁には阻まれるらしい。だが、通路を塞ぐほどの氷壁を突破すべく、「龍」は何度も氷壁へと頭を打ち付けてきた。その勢いは凄まじい。激突を繰り返す度、少しずつではあるが氷壁からは、みしみしという嫌な音が響き始めている。
(典子。いいかい、今のうちに……)
(えっ……あ、わかった!)
次の瞬間、「龍」は渾身の力を込めた頭突きで以て、遂に氷をぶち破った。
砕けた氷の礫を辺りに撒き散らしながら、勢いを減らす事なく、そのまま真っ直ぐに突き進む。
全身の鱗で肉を削るが如きぶちかましを受け、向かう上にあった典子の五体は、成す術もなく粉々に砕け散った。
「……──……?」
不思議そうに、獲物の成れの果てを見つめる「龍」。
辺りに飛散しているのは、血肉や臓物ではない。氷と、水だ。
「──えぇい!」
声が響いたのと、「龍」が背後を振り向いたのはほぼ同時。
刹那、「龍」の全身に灼熱の炎が浴びせかけられる。氷壁と氷像の身代りで目を引いている間に「龍」の背後を獲った典子が、あらん限りの妖力を振り絞り、右掌から攻撃を繰り出したのだ。
だが、やはり炎では「龍」に大したダメージを与えられないようだ。業火に鱗を焦がされながら、「龍」は意に介さず鎌首を持ち上げる。
対する典子は、恐怖心を堪えながら、今度は右掌を下げて左の掌を相手へ向ける。その瞬間、今度は辺りの気温がすうと下がった。肉も骨も焼き尽くさんと「龍」を覆っていた炎は消え失せ、代わりに鱗の表面が凍てついていく。だが「龍」の妖力が強いのか、その全身を氷漬けにするには至らない。身じろぎをするたび、鱗からは剥がれた薄氷が滑り落ちていく。
炎も、氷も、決定打には成り得ない。
それでも典子は、炎と氷とを交互に繰り出し続けた。
炎、氷。炎、氷。炎、氷、炎、氷、炎氷炎氷炎氷炎氷──。
「……────……ッ!?」
(よっしゃ!)
ぱき、ぱきッ。びしびしびしっ……。
脳内で紅葉が上げる勝鬨に併せ、「龍」の全身の鱗に亀裂が駆け巡る。
熱や炎への耐性はありそうだが、急激な温度変化ならばどうか。賭け半分の戦法ではあったが、功を奏したらしい。
さあ、あとはもう一撃だ。金棒を振りかぶり、鱗がぼろぼろになった「龍」の胴を目掛け、思い切り打ち据える。
「──ア……ァアァ……」
まともに一撃を受ける「龍」。微かな呻き声が響き渡る。
そしてその体は──黒い塵と靄のように分散したかと思うと、そのまま地面へと拡がる黒い闇の中へ、吸い込まれるように消えていった。
「……えっ?」
慌てて駆け寄り、地面を見やる。
穴が開いている訳ではない。マンホールなども、ない。地面はアスファルトで鋪装されており、土や水、何か妖気が逃れられるような隙間はまるで見当たらない。
それにも関わらず、「龍」は、亡骸も妖気の痕跡も遺さずに忽然と消えてしまったのである。
(ねえ、紅葉。今のって……)
(ああ。アタシも永いこと妖怪やってるけどよ、あんな消え方は初めて見たね……)
本当に、斃したのだろうか。
手応えはあった。だが本当なら、紅葉は追撃を加えるべきだとも考えていた。
相手は地獄の業火にも耐えきった、正体不明の、しかも「龍」の可能性がある怪物なのだ。急激な温度変化で脆くしたとは言え、胴に一撃では足りないだろう。頭にもう一撃を加えて頭蓋を砕き、何ならその上で氷漬けにし、完膚なきまでに粉砕する。それぐらいする必要があるかと思っていた。
それに、最後の一撃を受けた時の、あの声。
あれは、本当に、あの「龍」の断末魔だったのか?
典子にどう聞こえたのかは、定かではない。だが少なくとも紅葉には、あの呻き声は戦慄を覚えるものに聞こえたのだ。
──まるで、地獄で悶え苦しむ亡者どもが、無数に集まり呻いているかのような──。
(……)
(…………)
典子も、紅葉も、それからたっぷり三十分は警戒するように地面を見つめ続けたが、この日は結局、それ以降何も起こらず、何も現れる事はなかった。
……余談だが、善礼は一命を取り留めていた。
病院に入院し、精密検査を受けた結果、身体に異常はまるで見られなかった。外傷も病気もなし。しかしながら彼を診た医者曰く、その精神は、まるで魂だけがずたぼろにされたかのように重傷であったようだ。
そして、退院してからも彼は、たまに思い出したかのように譫言を呟いたかと思えば、怯えるように他の社員に接し──周囲が不審に思う中、程なくして、彼は長年勤めた会社を辞めてしまった。
後年、以前の彼を知る旧知は、すっかり見る影もなく大人しくなった善礼へと、何があったのか質問した。その問いに、彼は問いを返したと言う。
──地獄を見た事はありますか、と。
登場妖怪解説
【七歩蛇】
浅井了意「伽婢子」に伝わる奇妙な毒蛇。四寸ほどの蛇だが四肢を持ち、外見は龍そのもの。噛まれると七歩歩かぬ内に死に至ると言う猛毒を有するという。
【毒龍】
毒を持ち、あるいは毒を吐き、辺りを害する龍。各地に毒を有する龍の逸話は存在するが、特に中国をはじめとし西洋の「ドラゴン」を指して毒龍と呼ぶ場合もある。
【??????】
熱や炎をものともせず、旋風を纏う黒い「龍」。詳細不明。




