第二十九話:叫喚配信中 綺麗な花のその貌は(2)
「──いやぁ、今夜も結構な人数見てきましたね!」
夜も更け、時計の針はすでに日を跨いでいる。
しかしバザー幡達の動画配信は、寝落ちする視聴者も少なく、未だ盛り上がりを見せていた。
「えっと、何人?」
「今のところ、ブスが七人、美人が三人」
「コメント読みまーす……『日本人の七割がブスで草ww』確かに!」
タイミングを見てコメントを読むことも忘れない。視聴者に気を配ることも、デキる配信者に必要な力である。
「……ん?」
……もっとも、ただ批判をしたいだけのコメントや荒らしには反応しない。これもまた、デキる配信者ならば至極当然の対応である。
「でも、今日は何かパッとしねーなー」
「十人も見ましたけど、まだ、これぞ美人! って人はいないよね」
「ブスも微ブスちょいブスばっかりでドブスに出会えてない」
「連呼しすぎ!」
そう、今日の配信は、イマイチ盛り上がりに欠けていた。
面白くない訳ではないのだ。自分たちの配信が、つまらないはずもない。ただ先の会話の通り、今日は未だに凡打やシングルヒットしか出ていない、そんな感じなのだ。
できればここらで、一本のホームランか、盛大な空振りが欲しい。
人ごみの中、トークを続けながら目を凝らす。あれも違う、これも違う。あれ……はかなりアタリそうだが、体格の良い男連れだ。三人以上の集団も、揉めた時の対処が面倒なので除外。さて、どうするか──その時だ。
「──ねぇ! お兄さん!」
「あ? 何ッ……」
かけられた声に振り向いたその瞬間、幡の動きが止まる。幡もSAMおも、普段であれば、話しかけられた程度ではトークを止めることも絶対にない。だが今の二人は、言葉を発する事すら忘れていた。
声をかけてきたのは一人の女性。それだけなら気に留める事もない。
彼女はただの女性ではなかった。顔の下半分はマスクで隠れているが、これまでに何人もの女性の顔を品定めしてきた彼らには分かる。分かってしまう。
今夜出会った中でも、否、今までに出会った中でも、一際美しい。
艶のある長い黒髪に、張りを感じさせる白い柔肌。化粧や毛染めではこうはいかない。生まれ持った恵まれた素材を、美を意識して普段から手入れしていなければ、この美貌は手に入らない。
そんな絶世の美人が、カラーコンタクトでも入れているのか、赤い瞳でじっとこちらを見つめている。
「あ、やっぱり。お兄さん、バザー幡とSAMおっしょ?」
続ける女性の言葉に、はっと我に返る。彼女は自分達の事を知っているようだ。
配信史上トップクラスの美女の可能性があるターゲットが、向こうから飛び込んできて、しかも自分達のファンと来た。このチャンスを逃す馬鹿はない。顔を見合わせて頷くや、二人は女性との距離を詰め、怒涛の勢いで話し始める。
「えー? 俺らの事、知ってるんですか?」
「モチ! 今日も配信、見てたんですよぉ」
この女性、ノリも良い。コメント欄も、大いに盛り上がりを見せているようだ。
「ちょっとちょっと! 嬉しいね、こんな美人さんが俺らの配信見てくれてるなんて」
「え? しかも何、見てたって事は、今何の配信してるかも?」
「チキチキ! 全国統一見返り美人試験ー!」
「コールも完璧!」
「本物だ、本物だ!」
「あーりがとうございます!」
褒め立てながら、幡は内心でほくそ笑む。
今日の配信のヤマは、此処になる。残念ながら、今日は突き抜けた美人にもブスにも出会えておらず、配信の内容は上等とは言えない状態であったのだから、これは僥倖だ。
マスクをしているのも好都合。見返り美人、という趣旨からは少し逸れるが、何も問題はない。期待通りの美人なら、特大ホームラン。もし違うなら、それはそれで盛大な空振りが期待できる。やる事は同じだ。
このままマスクを外してもらい、採点を行って、次のターゲットへ──いや、彼女をクライマックスにして、今日の配信は終了としようか。
視聴も伸びているが、どうせこれ以上の山場はないだろうし、アーカイブを公開すれば今回は再生数を稼げるだろう。それに、この女が美人ではないはずがない、その確信が幡にはあった。ここで別れてしまうのはあまりにも惜しい。何ならその後は一杯誘って……などと考えているのは、恐らくSAMおも同じなのだろう。こういう愉しみに出会えるのも、配信者をやる醍醐味だ。
「ね、ね。じゃあさ、二人に質問いーい?」
そんな彼らの内心を知ってか知らずか、女性が目元に笑みを浮かべて呟く。
「私、綺麗?」
向こうからの逆質問! これ以上ない話の運びに、幡は満面の笑みを隠しきれずに言葉を返す。
「んー! これはね、もう百点! 百点を上げてしまいたいところ、なんですがー……」
「そうそう。この企画はあくまで見返り美人試験。採点にはね、マスク、外してもらわないと!」
「あー、やっぱりですかぁ?」
困ったように、照れたように首を傾げる女性。良い焦らしだ。完璧な演出。そしてこのタイミングで──。
「当然! それじゃ、いいですか?」
「三、二、一、お願いします!」
スマートフォンのカメラを、女性の顔にアップで向ける。
それに併せ、女性はマスクをおもむろに外し、その素顔を曝け出した。
「── コ レ デ モ ?」
バザー幡も、SAMおも。散々と人を嘲罵してきた男二人が、その顔を目の当たりにした途端、言葉にならない叫びをあげて、揃ってその場にへたりこむ。
女の口は、耳まで届かんばかりに大きく裂けていたのである。
「ひっ、あ、あ……?」
「きゃは、きゃははははは!」
喉奥から漏れる、大の男の情けない声。対照的に、このバケモノの口からは似つかわしくない明朗快活な笑い声が響き渡る。
がばと開いたその口は、今や人の頭程度なら丸呑みにしてしまうのではと思われる程の大きさで、幡の眼前に迫っていた。
特殊メイクか? いや、そうではない。先天的な体の……というようなモノでもない。そうであるはずがない。でなければ、こんな、顔の輪郭を超えてなお、口が裂けているはずがない。
大型の肉食獣の顎門を思わせる、原初的な恐怖。
あまりにも現実離れしているはずのバケモノの姿は、ぬくぬくと現代の科学と娯楽に漬かりきった若者にとって、異常なまでにリアリティのある恐怖心を思い起こさせた。
這う這うの体でその場を離れようとする、情けない二人。
「──あ、いたいた。さっちーん!」
そんな彼らの目の前に、もう一人の人影が現れる。
「くろべー。遅かったじゃん」
「いやさっちんが速いんだって!」
「すいやっせぇん」
金髪の二つ結び、一見すると普通の女のようだが……馬鹿でかいティアドロップのサングラスとマスクで大半が隠された顔を見て、幡の顔色は再び青醒めていく。
何よりこの女、口が裂けたバケモノと、親しげに言葉を交わしている──。
「ね、おにーさん」
がたがたと震える二人に、その女もまた、ずいと顔を近付けた。
「は、はひぃ……?」
「うわ、なっさけねー声」
「んー……五点!」
「は、はぁ……?」
「もっと良いリアクション欲しかったなぁ。地味!」
「ほらほら、くろべーも採点してあげな? な?」
「三、二、一。お願いしまーす!」
そう言いながら、サングラスとマスクを外した女性の顔に、二人の配信者は情けなくもとうとうその意識を手放す事となった。
目鼻が無く、大きく開いた口に並ぶ歯は、真っ黒であった。
「……ありゃ。気絶しちった」
「ね。小心翼翼、みたいな」
「はい利発。でか口叩いてたのにねー。クソビビりじゃん、マジないわ」
「うわ漏らしてる、マジきも」
軽口を叩きながら、無様な二人の配信者を見下ろす二人の妖姫。
やがて、さっちん──口裂女──も、くろべー──お歯黒べったり──も、いそいそとマスクで再びその顔を隠し始める。
片や、平安の時代にも起源の残る妖怪、お歯黒べったり。
片や、古くに起源を持ちながらも七十年代後半に爆発的話題となった都市伝説、口裂女。
生まれも世代も大きく異なる二人だが、両者とも、大きな共通点がある。
それは、マスクや後ろ姿で隠された美貌で以て人を誑かし、その素顔で驚かすという性質。そして、その事が、何より好きだという事だ。
「はいはーい! いっかがでしたかー!?」
突然、お歯黒べったりが声を上げた。
「今日の配信、何だっけ? テーマ……あ、人気配信にリア凸してみた、だっけ、さっちん」
その手に持つのは、先程までSAMおが構えていたスマートフォン。
勿論、配信のカメラは回ったままだ。
「人気配信じゃなくね?」
合いの手を加える、口裂女。
本来、先輩後輩とも呼べる関係性の二人。しかし、だからこそ息が合う。馬が合う。それこそ、たかだか数ヶ月、動画配信で組んだ二人組などとは、比べるべくもない程に。
「そかそかー。確かに底辺配信もいいとこって感じ」
「ね。やっぱさぁ、顔だ顔だ言ってる男は実際どうなんだてめーってところ、あるけどね」
「マジ無様。だって見て、これ!」
カメラの向きを、自撮りから切り替える。レンズの先には、下半身を濡らし、泡を吹いて倒れる二人の男の全身がはっきりと捉えられた。
「ありえねー」
「なしよりのなしよりの洋ナシ」
「あ、コメントありがとうござー! 『何これ、本物?』だって」
この動画のアーカイブは、残らない。
誰かが撮影したはずのスクリーンショットにも、不思議と何も映っていない。
「本物本物! マジ本物! 真実無妄、真正真銘!」
「『メイク乙』『合成で草』、はぁ? 現代社会やりづれー!」
「次はこいつのとこ行くかんな! 覚えとけよ!」
だが、この瞬間。
皮肉にもその視聴数は、これまでにバザー幡とSAMおが行ったどんな下らない配信よりも、遥かに上回るものであった。
「はい! というワケでぇ」
「今夜はさっちんとー」
「くろべーがお送りしましたー!」
「それじゃあまたどこかで会えたらヨロシクねー!」
「ばいちゃー!」
──配信が終了しました──。
登場妖怪解説
【口裂女】
1979年、日本全国で社会現象となった都市伝説。口元をマスクで隠した女に「私、綺麗?」と尋ねられ、綺麗と答えると耳元まで裂けた口を見せ「これでも?」と脅かしてくる、というもの。なお、「綺麗ではない」と答えると包丁で斬り殺されるとも言われる。「三姉妹である」「ポマードやべっこう飴に弱い」「赤い服を着ている」「白い服を着ている」等々、その特徴のバリエーションも多い。また、江戸時代にも同様の怪談が存在する。
【お歯黒べったり】
竹原春泉斎「絵本百物語」で描かれている妖怪。一見すると美しい女だが、振り向くと目鼻の無い顔にお歯黒を塗った大口だけがあり、夜道で人を驚かすとされる。類話が日本各地に存在する。




