第三話:大妖復活 晩惨会に少女は舞う(1)
「はい、では撮影始めまーす」
夜十一時を回った頃、暗い森の中に場違いな声が響く。機材を抱えて歩く数人の人々。どことなく不気味で恐怖心を煽るような夜の森には、いささか場違いな雰囲気の一団であった。
これからどんどん暑くなるこの季節、テレビ業界では多くの局がホラーやオカルトの特集に奔走する。なるべく他局よりも面白く、魅力的になるように。
使い古された特集だ、いい加減飽きたなんて囁く視聴者も少なくない。だがそんな声は軽く流しつつ、旭田ディレクターもまた、昨年よりさらに刺激的な番組作りに精を出していた。
テレビ離れが進んでいるという認めたくない現状もあってか、今年はインターネットの動画配信サービスで番組を配信することになっている。だが、逆に言えば、地上波では出来なかった少々どぎつい企画でも通るという事だ。
今年は、この都心からやや離れた森でのロケを決行した。情報筋によると、かつてここにあった村では一つの村全員の人身御供が行われた伝説があるらしい。故に、この森では心霊現象が絶えないのだ、と。
面白い。村一つ分の人柱という規模も、他スポットとは差別化が期待できる。先日のロケハンでも道祖神らしき石や妙な札の貼られた木が複数確認できたし、条件としては良い素材が揃っているのは間違いない。
「ヤバいって! 絶対ヤバいって、マジで!」
騒ぎながら、リポーターを務めるアイドル崩れのタレントが先へ進んでいく。
確かにこの地点でも雰囲気は明らかに「ヤバい」。だが、本当に「ヤバい」のはこの先だ。
ロケハンの時に発見した、森の奥の祠。かなり古めかしく、明らかに何か曰くのありそうな空気を醸し出していた。しかも今回は仕込みとして、少し祠をいじっておいてある。あんなのを見たら誰だって驚くだろう。きっと良い反応をしてくれるはずだ。
手筈としては、まず祠の近くに着いたら音響効果で小さな気味の悪い音を流す。続けて、大きな物音。ヤバそうな空気を演出したところで、祠が登場するという流れになる。定番だが、まず間違いのない完璧な演出だ。
「ギチ……ギチギチ……」
だがその時、道の奥から何やら軋むような音が聞こえてきた。
音響のミスだろうか? 物音には、まだ少し早い筈だが。心霊やオカルトの類を商売道具と割り切り一切信じていない旭田にとって、それは極自然な考えだった。
だが、今回に限っては、それは仇となったようだ。
「ねぇ……ちょ、何あれ……!?」
「は? あれって……」
タレントがこちらを振り返り、ぴたりと足を止める。この辺りはまだ何もない。この時点でこのビビり方、後半はもっといい画が撮れそうだ……などと思いながら、青褪めた顔で彼女が示す指の方に旭田も視線を向ける。その瞬間、彼もまた思わず硬直してしまった。
「テレビマンたる者、遭遇した全てに素早く反応して自分のネタにしようとするべきだ」と日頃から後輩に語っていた旭田にとって、この時が最大級の失態だったと言えよう。あまりに常軌を逸した光景に、思考が全く追い付かなかったのだ。
何だ、あれは。理解しようとするのに、三秒。闇に蠢くのは昆虫のような脚。それが無数に生えた巨大な蛇に似たモノが、何かに絡み付いている。ここまででもう三秒掛かった。何だ、何に巻き付いて──目を細めると、隙間からは黒い機材が辛うじて伺える。まさか、あれはガンマイクと棒か。とすると、あれを担いでいた音声担当は……その最悪の結論に至るのに、更に四秒を要した。
計、たった十秒。それでもその十秒は、この世のものとは思えぬ化け物が人間一人を喰い尽くすのには十分過ぎたようだ。
「きゃあああああああああっ!!」
「うっ、うわあぁぁあッギっ」
悲鳴を遮る歪な声。隣にいたスタッフが叫びの最中に一撃で命をもぎ取られたのだと、旭田は最期まで気付けなかった。
一瞬で眼前に迫る紅い鋏のような牙。そして首から上を失い、血を噴いたまま棒立ちになる自分の胴体。刈り落とされた頭部が地面に落ちるまでに旭田が見たのは、それが全てであった。
「ひ……や……ギチ……ギチギチ……だる……や……」
不気味な声と鈍い音が、森の中に木霊する。
憐れな獲物をひたすら貪る巨大な影。地面を染めた血に至るまでを数秒で平らげ、それは鎌首をもたげるように上体を起こして辺りを睥睨した。
数匹の獲物では、まだ足りぬ。
たかだか十尺の今の体だが、本来の力を取り戻すにはまだまだ血も肉も足りないのだ。数人の標的は先の十秒を上手く使う事が出来たらしく、既にこの場から離れてしまっている。
「……だるし……ひ……し……」
次の獲物を求め、動き出す。やがて影は夜の闇に紛れ、紅い甲殻も黄色い脚も、紫の眼も、全てが森の奥へとかき消えた。
*
「──っていう事がこないだあったんだってさ、ラブちん」
「へー。神隠し、かなぁ?」
「怖いねぇ、キヒヒヒヒヒ」
数日後、夕刻。彩夏は薄暗くなる森の中を、奥へ奥へと進んでいた。傍らでは、ラブちんと呼ばれた一つ目の提灯こと妖怪不落不落が、相変わらず飛び回っている。
先日、この森で撮影クルーが行方不明となったニュースは一部界隈で大々的に取り上げられていた。行方不明ではなく死亡が明確に確認されただとか、無事だったというタレントは実は正気を失ってしまったのだとか、様々な憶測が飛び交っている。
だが、何も彩夏はそんなゴシップに興味本意で食いついた訳ではない。彼女が人間の世界の些事に興味を示そうはずがないのだから。
単純に、彩夏はこれが妖怪の仕業ではないかと疑念を抱いたから足を運んだまでである。確信も証拠も無かったが、いわゆる霊的な直感が彼女をこの森へと誘ったのであった。
そして、彼女の霊的な勘は大体当たる。
「キヒヒ。これはこれは……見ーつけた」
辿り着いたのは、森の奥にひっそりと佇む祠だ。
見たところ、相当古い。しかも罰当たりな事に、扉は鍵変わりの札が千切られた上に開け放たれている。中では無数の札が貼られた岩が無惨にも倒され、赤いペンキで落書きまでされていた。
「キヒヒヒ……」
最近の人間は恐れる事を知らないな、と彩夏は笑う。こういったものは大抵の場合、神を祀るか、もしくは怪物の類を封じ込めた霊石である事が多い。一昔前なら札を裂くなんて以ての外、森の中で祠なんぞ見かけたら触らないようにしていただろうに。触らぬ神に祟りなし、とは、最早過去の言葉なのかもしれない。
では、この祠に祀られていたのは、何だったのか──それは、直後に明らかとなる。
「ギチ……ギチギチ……!」
それは、一瞬の出来事。
一瞬前まで彩夏が立っていた背後の木が、鋭い刃物で一閃したかのようにスッパリと両断されていた。
数歩跳んで初撃を避わした彩夏目掛けて、さらに紅い何かが瞬時に伸びてくる。樹上に跳び上がって眼下を見ると、樹木の幹をがっちりと挟み込む巨大な紅い鋏が見てとれた。その付け根にある宝石のような紫の眼。そして、鋏同様の紅い甲殻に覆われた太綱のように長々とした身体、その横から生える無数の黄色い脚。
「キヒヒ……まさか、大百足、とはねー」
まさしく、それはクワガタムシのような大顎を鳴らす巨大なムカデであった。間違いない。行方不明になった人間達は、この化け物の餌食になったのだ。
「ひだるしや……ひだるしや……!」
木々の間を縫うように跳躍を幾度も繰り返し、距離を取ってひらりと着地する。振り返ると、小さな獲物を見失った大百足は掠れた呪詛の言葉を吐き散らしながらゆっくりとその頭を持ち上げていた。木よりも高く、森よりも高く。既に三十尺は優に越えているのではないだろうか。こんな怪物が人間の領域に踏み入ろうものなら、何人喰われるか。万が一に備えて森の周りに結界を張っておいたのは正解だったようだ。
こうなったら仕方がない。
ニヤリと不敵に笑い、彩夏は懐から一枚の御札を取り出す。口を近付けてそっと吐息を吹き掛けると、文字と紋様が燃え盛る炎のような赤橙の光を放った。
頭に被っていたフードを脱ぎ去り、御札を額にかざしながら、声高らかに宣言する。
「ラブちん! 久しぶりにやるよー!」
「お! やるかー!」
「いっくよー……変身!!」