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魔放少女あやかしアヤカ  作者: 本間鶏頭
第三章 魔包少女の妖怪入門
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第二十五話:野獣唸る 鬼女の力と人の心(1)

 火野典子(ひののりこ)は、比較的どこにでもいる、一般的な小学六年生であった──ついこの間までは。


 いつもの通学路を、いつものランドセルを背負い、いつもより少し急ぎ足で歩く。

 近くの高校に通っている先輩(・・)と合流する日もあるが、今日の登校は一人だ。一人の登校が寂しくない訳ではないが、それもこの間までの話である。以前までの「一人」とは、今では少しだけ意味が違うのだから。


(なぁ、典子)


 声が聞こえてくる。強気そうで、それでいて艶やかさを孕んだような、そんな大人の女性の声だ。脳内と言うのだろうか、それは耳にではなく、心に直接響いてくるようであった。


(どうしたの、紅葉(・・)?)


 彼女の精神に取り憑いた、もう一人の人格に言葉を返す。勿論、それも心の中で、だ。


 目を閉じると、瞼の裏側にその人影が姿を現す。

 般若の面。頭頂から伸びる二本の角。紅葉のような赤髪。その身には、秋の野山を思わせる橙や山吹色に色づいた上等な着物を纏っている。


 火野典子の精神に宿った鬼女紅葉の霊魂は、既にその力と意思の大部分の再生を完了していた。

 あとは少女の精神を喰い尽くし、その霊魂を上書きすれば、紅葉は典子の肉体を依代に完全に復活する事となる。だが、意識が目醒めてから一ヶ月程が経ちながら、彼女は未だそれを実行していなかった。

 それどころか──。


(いやァ、よ。お前、昨日寝る前に何かやってなかったか? 何か数字がやたら書いてあった……)

(んっと……宿題の事?)

(ああ、やっぱりそうだったか。あれ、いつ提出なんだ?)

(え? 今日の二時間目だけど……)

(……はぁ。お前、あれ、忘れて来てるぞ。机の上)

(嘘!?)


 当たり障りのない、何気ない会話を脳内で交わす二人。今や両者は、肉体を乗っ取る、乗っ取られるどころか、典子の肉体一つを二人で共有しているような状態となっていた。それも、さも仲の良い友人が如く、である。


 紅葉は第六天魔王の力を有する鬼女でありながら、同時にかつては近隣の村人から崇められ、尊敬を集めた存在でもあった。富と名声を求める悪心を抱いていた一方、弱い者に慈悲を施す程度の良心もまた、彼女は持ち併せていたのである。そんな人間らしい性分の何処かが、まだ幼い少女の肉体を奪う事に抵抗を覚えたのだろうか。妖怪らしいとは言えないが、それもまた紅葉らしさとも言えた。


(あーあ、諦めな。もう間に合わないね、戻ったら遅刻しちまうよ)

(うう……頑張ったのに……)


 歳の離れた姉妹のように言葉をかけ合う。一見すると正反対な性質にも思える二人だったが、不思議と波長が合うようだ。もしかすると、一度死に瀕した者同士として、互いに何か思う所があったのかもしれない。冥府への道を歩んでいた典子の魂を現世に引き戻したのもまた、紅葉だったのだから。


(……ん?)


 そんな中、紅葉が何かに気付いたらしい。

 遅れて典子もそちらに意識を向ける。視線の先では、何人かの男女がプラカードを掲げ大声を張り上げていた。


(……何だい、ありゃあ)

(えっと、あれは……)


 プラカードにはクマやシカといった動物たちの無残な死骸の写真が貼られており、口々に「動物を殺すな」「現代社会に狩りは必要ない」と唱えている。


「罪のない動物たちが殺されています!」

「学者の言う事は嘘だらけです、この写真が現実です! 私たちが声をあげていかなくては、この残酷な現実は無くなりません!」


 多少ませている(・・・・・)方だが、典子もまだ小学六年生だ。彼らがどういった思想で何を求めているのか、その本質までを理解するには至らない。しかし、彼らが動物と自然の保護を目的とした活動家であるらしいという事は、彼女にも何となくではあるが理解できた。

 確かに、動物を殺すのは良い事だとは思えない。スーパーに行けば豚肉も鶏肉も手に入るのに、わざわざ山で静かに暮らしている動物を殺して肉を取る必要もないだろう。目を背けたくなるような写真、あんな光景は無い方が良いに決まっている。少し前に歩きタバコをしていた男といい、不躾な聞き込みをしてきた記者といい、躊躇いなく悪意を撒く大人がいる一方、こうした善意の活動をする大人もいるのだ。妖怪の世界を学び始めた彼女にとって、それは少しだけ嬉しい事でもあった。


(ふぅん。馬鹿な連中だね)

(え?)


 だからこそ、この紅葉の反応は典子にとっては少し意外であった。


(クマは可愛い? 動物が可哀想? あの連中はね、獣を知らないからそんな事が言えるのさ)

(獣を知らない?)

(そう。いいかい、典子。想像してご覧……自動車と同じスピードで走り、玄関の扉を殴って壊し、骨も簡単に噛み砕いちまう獣。それがクマだ。そんなの、手放しで可愛いって言えるか?)

(……それは……怖い、と思う)

(だろう? おまけにヤツらは肉を喰う。人なんて無力なご馳走みたいなモンだよ。でもああいう連中は、それを知らない。理解しようとさえしない。だから、動物より人間が上だと勝手に思って、動物を可哀想なんて言えるのさ。シカもイノシシも、猫や犬だって簡単に人を殺せるんだ。それを知ってたら、あんな言い方は出来ないよ)


 そこまで聞いて、典子はふと先日のニュース番組を思い出した。

 そういえば、どこかの県でクマの親子が銃殺されたんだっけ。あれを見た時には自分もただ可哀想だなと思っただけだったが、実際はもっと複雑な問題なのかもしれない。


(……ま、そんな事より。学校、遅れてもいいのかい?)

「あっ!」


 近くの建物の時計を見ると、もう登校時間が迫っている。

 慌てて駆け出す典子。紅葉の意識は、苦笑しながら瞑目すると心の奥へと潜り込んでいく。そんな一人、いや、二人の背中には、愛護団体の声がしばらく聞こえ続けていた。





 典子がそれ(・・)に気付いたのは、その日の夕方だ。


(怒られたね、宿題)

(うう、やったのになぁ……)


 学校での話をしながら帰路を行く二人。

 その耳に、悲鳴が聞こえてきたのだ。


「……この感じって……!」


 助けを求めるような、女の人の叫び声。しかしそれだけではなく、典子は全身に鳥肌が立つのを感じ取った。

 これは、妖気だ。

 紅葉の霊魂をその身に宿してからというもの、彼女もまた悪意や妖怪に鋭敏に反応するようになっていた。そしてこの感覚は、間違いなく妖怪の──それも、なかなかに大物らしい妖怪の気配に違いなかった。


(あっちだね。ほら、あの角の向こうの……公園の辺りじゃないか?)


 紅葉の言葉に頷きながら、妖気に導かれるままに典子は駆けて行く。

 やがて人気のない公園に辿り着くと、そこには一匹の獣がいた。


「ガウ、ヴルルルルルル……」


 一言で形容するなら、犬だ。

 大きな立った耳が狐にも似た、雑種のような大型犬。狼のような凛々しさは欠片もない。骨に皮が張り付いたかのように痩せており、腹部はあばらが浮き出てしまっている。だが、血走った目が爛々と輝き、その様相だけなら餓狼と呼ぶに相応しかった。


「ひっ、ひぃ!」


 そんなただならぬ様子の猛獣が、一人の人間を襲っている。

 這う這うの体で逃れようとしている女性に、典子は見覚えがあった。朝見かけた、動物愛護団体の人間だ。大声で動物を守る演説をぶっていた彼女だが、それが今、守ろうと声を上げていた動物の姿をした妖怪に襲われているという事か。


「け、警察! 保健所! 早く、早くこの野犬、撃ち殺しッ……!」


 そんな事を口走りながら、女性は手足をしたたか噛み付かれている。獣の方も甚振り方を心得ていると見え、首や胴など急所に牙を突き立てていない。致命傷にはならない箇所ばかりに喰らいついているのだ。それにも関わらず、妖怪の瘴気に当てられてでもいるのだろうか、その傷口は犬に噛まれた程度だとは思えない程に痛々しい姿となっている。まるで刃物でずたずたに切り裂かれでもしたかのようだ。


(はぁ、馬鹿馬鹿しいったらありゃしないね。どうするんだい、典子?)


 言わんこっちゃないとばかり、ため息をついて語りかける紅葉。その言葉に、典子は再び小さく頷いてみせる。


(放ってはおけないよ。力を貸して、紅葉)

(はいよ、了解)


 意識の奥の紅葉が、外界の典子が、目を閉じる。


 そして典子が眼鏡を外して真紅の瞳(・・・・)を見開いた次の瞬間、彼女の肉体は変異を開始した。


 額から伸びる二本の角。真っ黒だった髪は赤く染まり、歯は微かにぎざぎざの牙状に尖っていく。角の先端は燭台が如く煌々と炎を灯しており、周囲を舞う風が陽炎に揺らめいた。


「そこの妖怪! 止まりなさい!」


 声を上げ、両の掌に炎を灯す。

 彼女にも戦う力があるのだ。第六天魔王の力を授かった鬼女紅葉と同様、典子もまた、魔の力をその身に内包した少女──魔包少女なのだから。

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