第二十話:大怪蟲激突 時を超える邂逅(2)
「勝てない?」
その言葉に反応し、頬を膨らませる彩夏。
確かに、勝てると確信して選んだ方法ではない。無数の犠牲者を渡り歩き、意思すら介在しない純粋で強大な力を蓄積してきた牛鬼。その霊魂を封じた御札を「封印を解く」のではなく「破いた」事で、「彩夏が牛鬼を討った」事実を作り、彩夏が次の牛鬼となる。魔王二柱分の妖力をも加えた力の塊で押し切ってやれという、理屈も何もない力技だ。
賭けと呼べるかも怪しい。勝算があった訳でもない。何なら神虫を倒せたとして、その後どうするかなど考えてもいなかった。しかし、だからと言って、覚悟を決めて選んだ手段をばっさりと切り捨てられては面白くないというものである。
「おう、勝てねぇな」
だが山本五郎左衛門は、清々しいほどはっきりと言葉を続けた。
「だからこそ、お前さんを此処に呼んだのよ。せっかくの面白い見世物だろ? こんな所で幕引きってんじゃあ、俺様としても面白くねぇからな」
「見世物?」
「キヒヒ。最初はな、俺様も頃合を見てお前さんの身体に戻るつもりだったのよ。でも此処からお前さんを見てるのもなかなか面白くてな。俺様の力を継いだ人間の魔王がどう動くかなんて、滅多に見られるモンじゃねぇ。だから、大将戦に行き詰まったお前さんに、観客からの助言ってワケだ」
「……ま、年寄りの冷や水ですな」
何という傲慢さ。この先代魔王、言うに事を欠いて自分のこれまでの行動を見世物などと抜かすのか。その上自分を観客と称し、急に出てきて口出しとは。あまりにも好き勝手な態度に、彩夏も苦笑を浮かべるしかない。
しかし、同時に彩夏の中では合点がいく部分もあった。
なぜ力も記憶も十分に復活しているのに、自分の意思は未だに彩夏のままなのか。それは彼女自身がずっと疑問に思っていた事だ。それに、以前自身を守ってくれた、蟹か蜘蛛に似た四本の脚。あれはてっきり牛鬼と化した夜道怪が封印を無理矢理こじ開け助けてくれたのだとばかり思っていたが、この空間での話を聞く限り、あれをやったのも山本五郎左衛門だろう。ほんの一瞬だけ御札の封印を解き、鬼一口の一撃だけを食い止めさせたのだ。
自分の気付かぬ所で過去の存在に見世物として扱われ、危なくなれば守られて。この妖力と知識だって、自分本来の物ではない。魔王として、百鬼夜行の主として、一点の曇りもなく自信に満ち溢れていた。しかし、実態はまだまだ足りていない。これまでの彼女は未熟な半人前であったと、否応なしに思い知らされた瞬間だった。
だがそれは──彼女には、まだこれからがあるという事。
それを本能的に理解したからこそ、彼女は憤るでも不貞腐れるでもなく、彩夏はすんなりと先代の言葉に耳を傾けた。
「……俺様じゃねぇ。今、魔王やってんのは、彩夏。お前さんだろ?」
山本五郎左衛門は、箸で彩夏を指しながらはっきりと告げる。
一瞬の静寂。その後、彼は何事もなかったかのように酒を飲み、深く息を吐いた。
「……え!? 終わり!?」
「ん? おう、俺様に言えるのはそれだけよ。夜道怪、もう一杯貰うぞ」
「ええ、どうぞ。あ、ご自分でよそって下さい」
「もっとこう、え? 何か……アドバイスって……」
「くどいですよ、彩夏様。自分で考えろ、という事です」
「うー、師匠まで……」
納得がいかない彩夏を余所に、二人の意識はすっかり食事に向き直ってしまっている。一瞬でも期待してしまった自分が馬鹿みたいだ。だが流石に表情に不満さがむき出しになっていたのか、夜道怪が苦笑いをしながら彩夏を振り向く。
「彩夏様。魔王とは何なのでしょうな?」
「魔王……?」
「ええ。拙僧に言えるのは、このくらいですな」
それだけ告げると、夜道怪もまた食事を再開してしまった。
(魔王……)
──魔王とは何か。
妖怪と人間とは表裏一体。対等な存在であり、共に生きるべきであり、どちらも欠けてはならぬ世界の要素。敬い合い、畏れ合い、共にこの国に根付く。その均衡こそが妖怪の繁栄には必要だと、彩夏は当然認識している。
それを管理し守護する事こそ、魔王たる者の使命であり宿命。あるいは在り方そのものである。その事もまた、彩夏は認識していた。
だからこそ、そうしてきた。時に人間どもの悪意を肥やしに妖怪達を解き放ち、時に強大すぎる妖怪を封じ直し、世界の均衡を保つことに努めてきたのだ。それこそが魔王の在り方であるが故に。
──それこそが、魔王? 魔王の在り方?
(あぁ、そっか)
否。それは違う。
少し考えれば分かる事だ。
今、彩夏が思い描くのはあくまでも魔王山本五郎左衛門の在り方だ。彩夏は彼の力と知識、記憶を継承している。その理想を同じように掲げ、それを信じたとしても何ら不思議はない。
だが、魔王山源彩夏と魔王山本五郎左衛門は、既に別の存在なのだ。
「キヒヒ……あぁ、そっかそっか!」
魔王とは、所詮肩書き。それ以上でもそれ以下でもない。
大事なのは、自分。山源彩夏の意思である。
胸に手を当て、彩夏として生きてきた僅かな年月を思い返す。
時に人間どもの悪意を肥やしに妖怪達を解き放ち、時に強大すぎる妖怪を封じ直した。それは間違いない。
だがそれは、本当に世界の均衡を保つため、だったのだろうか。
否。恐らく、否。
百鬼夜行を束ねるとは言え齢十数年の少女にとって、その答えは非常に単純なものだった。
「おや。目つきが変わりましたな」
「キヒヒヒヒヒ。掴めたか」
夜道怪が感心したように呟くと、山本五郎左衛門もまたニヤリと笑う。
「うん。ありがと、師匠」
「いえいえ、拙僧など何もしておりませんよ」
「キヒヒ。あ、君も結構いいヤツじゃん」
「馬鹿か。誰に口利いてやがる、俺様をオマケみたいに言うんじゃねぇ。何なら、今からお前さんの代わりに魔王やってもいいんだぞ?」
「キヒヒヒヒ、だーめ。もうしばらく魔王は私にやらせてー!」
「フン。ま……精々、面白ぇモン見せてみな」
騒々しく、全員が最後の一杯をかっ食らう。
それはまるで宴。鍋の温かさとともに、山本五郎左衛門と夜道怪の力が流れ込んでくるような感覚が、彩夏の五体を包み込む。食事を終えた時、その目には確固たる意志があった。
「さーて! それじゃ、そろそろ行こっかな」
立ち上がり、伸びをして、軽く両の頬を叩く。
久しぶりに会えた師匠、そして初めて会う自分の原点である先代魔王。名残惜しいという気持ちがない訳ではない。しかし、それを上回って彼女の気持ちは期待で高揚していた。魔王山源彩夏としての「遊び」は、今、ここから再び始まるのだから。
「じゃ、またね!」
今度こそ、全力であの怪物と対峙するため、外界へと向かう。
「……で、これどうやって外に出るの?」
だが、次に発せられたのは間の抜けた言葉。夜道怪は溜息をつき、山本五郎左衛門は腹を抱えて笑いだした。
結局、彼女は最後にもう少しだけ二人の力を借りなければならなかったのだった。
*
一方その頃、外界では。
「ゴヲヲオオオオォォヲォオッ!」
「ギギッギギギアアアアアア!」
甚大な暴力の塊となり、激突を続ける大怪蟲。
二頭がぶつかる度に水面からは噴火かと見紛う水柱が爆散した。
「ゴオォッ、オッオッ……」
なかなか狩れぬ獲物に、神虫は次第に苛ついたような仕草を見せ始める。
何せ、これまでの常識が通用しないのだ。今まで狩ってきた無数の悪鬼は、いずれも自分が一撃の下に屠ってきた。連中が妖力を変質させて放つ、炎だの怪力だのは神虫には通用しない。妖力こそが、彼にとっての食事そのものなのだから。
だがこの獲物は、それらとはまるで異なっていた。どれだけ妖力を削ろうがお構いなし、強靭な肉体でもって反撃を仕掛けてくる。その威力はこちらと同等。いや、それ以上かもしれない。理由は単純明快、この妖怪の妖力に頼っていない地力が強すぎるのだ。こんな存在と相対したことは、これまで一度もない。神虫のこのままでは埒が明かないという鬱積は、いつしか焦燥に変わりつつあった。
と、その時だ。
「ギギッ……!」
牛鬼が呻く。刹那、その全身が異様な変異を開始した。
べきべきと響くのは、六本の脚が砕け、軋み、胴体内部へと引きずり込まれていく音。代わりに失われていた人間の腕がその姿を取り戻し、全身を覆っていた黒い闇は頭頂の二本の角へと収束していく。
「ギ、ギッ、キ、キヒヒ……!」
巨大な大怪蟲の影は、見る見る少女の輪郭を取り戻していた。少女が着ているのは、先程までのいつものパーカーではない。全身を包む漆黒の和装に似たドレスは、黄色い斑の紋様があちこちにあしらわれている。二つの瞳に宿るのは紅い意志。彼女がバッと片手を振ると、次の瞬間、彼女の周囲に八本の苦無が出現した。
「キヒヒ、お待たせ! さ、始めよっか!」
それは、新たな力。
牛鬼に飲まれ、同化したのでは、決してない。
牛鬼の力を引き出し、新たな化装として纏い、魔王が──魔放少女彩夏が、再びその姿を現した。
登場妖怪解説
【牛鬼】
西日本を中心に伝わる妖怪。同一の名前の怪異が各地に残っているが、伝承がそれぞれ異なる。外見までまちまちだが、特に牛の頭に鬼の体というものが有名な他、「百怪図巻」などの絵巻では牛の頭部に大グモの胴体という図も多い。残虐な性質で人畜を喰い殺す、不治の病をもたらす強力な祟りを持つ、見ただけで病を引き起こすなどと伝えられ、「枕草子」には「おそろしきもの」として記されている。
なお、牛鬼を殺した者が次の牛鬼になるという説は、水木しげる氏による創作である可能性が高い。




