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魔放少女あやかしアヤカ  作者: 本間鶏頭
第二章 死闘、魔崩少女ミチル
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第十九話:師と魔王 呪われし力の解放(2)



 時は少しばかり、数年程遡る。


「キヒヒ! 師匠、今日は何するの?」


 駆け回っていた足を止め、無垢な笑みと共に振り返る少女。

 夜道怪(やどうかい)は、その姿を見て小さく溜息を吐いていた。


 魔王山本五郎左衛門の魂を、死にかけた赤子へ宿してから約十年。赤子の成長に付き添うにつれ、夜道怪も自身の失敗に気付いていた。

 自分は焦りすぎたのだ。どうやらあの日、主の霊魂には妖力こそ溜まっていたが、意識や人格は復活するに至っていなかったらしい。これが不完全な復活である事は、この少女の人格が「山本五郎左衛門」ではなく「山源彩夏」として成長している事が物語っていた。

 最早、これ(・・)はかの魔王とは別人。それでも彼女から離れる訳にはいかなかった。

 魔王からの最期の命令、それ故に。


「そうですね、今日はちょいと……海、河口の方にでも足を伸ばしてみましょうかね」

「キヒヒ! あ、もしかして鮭の大助(さけのおおすけ)のとこ? でしょ!」

「……ご名答。さぁ、失礼の無いように参りましょう」


 それに、これ(・・)だ。

 この少女はどうも、成長するに従い山本五郎左衛門が生前に蓄えた知識や記憶を思い出しているらしい。未だ教えていない妖怪の名やその特性を、しっかりと理解しているのだ。「師匠」という呼び方も、こちらから指示した訳ではない。ある日突然「夜道怪は私の師匠だったよね!」と、魔王から託されたその事実を自ら口にしたのである。


「キヒヒ! はーい!」

「……やれやれ……」


 かつての魔王と現在の少女。自由奔放な姿を重ね、小さく苦笑する。


(まったく、十年も経ったんです。早いとこ本調子になって下さいよ、こっちはやりづらくてかなわないんですから……それに教えるも何も、もう必要な事はほとんどご存知のようですし、人間社会の観察も済ませましたしねぇ。拙僧の役目も、終わったようなものなのですが……)


 夜道怪はかつて人間であった頃、強大な法力僧であった。

 その力は今も変わらず彼の武器だ。妖怪の中でもなかなかに強力な存在であると言えよう。もっとも、それに加えて人の世に造詣が深い彼だからこそ、魔王も自らの師匠として夜道怪を選んだのだが、夜道怪に言わせればもう教える事も少なくなっていた。


 彼は師匠として、真面目に彩夏を導いた。

 未だ思い出していない知識を与え、人間の社会やその心、身体の使い方、戦い方を叩き込んだ。他の妖怪の力を借りる「化装(けしょう)」も教えたし、様々な妖怪に彼女の事を改めて紹介もした。当然、それを認めなかったり見くびったりして来る厄介なヤツは夜道怪が少々痛い目に合わせたし、時には彩夏が練習試合と称して直々に遊んだ(・・・)事もあった。


 ──そしてその日もまた、彼ら二人は厄介なヤツ(・・・・・)に遭遇したのである。


「キヒヒヒ! お魚に会いに来たら()が出た、っと!」

「彩夏様、笑い事じゃありませんよ。これは少しばかり……いや、かなり厄介かと。拙僧が知っているモノとは少し違いますが、正体がアレならば……拙僧一人では持て余しますからな」

「分かってるってー!」

「いや、分かってるならまず化装をお纏い下さい」

「キヒヒヒヒヒ!」


 軽口を叩きながら夜道怪は錫杖を振り回す。巨大な鈎爪の一撃が弾かれ彩夏へと方向を変えるが、彼女もまた慣れた足取りで軽やかにそれを避わして見せた。


「ギギギァアアアアアアア!」


 響き渡る咆哮が、海面を、大地を、大気を揺らす。

 河口を訪れた彼らに、突如として海面を切り裂くように一体の妖怪が襲い掛かったのだ。

 真っ黒な影に隠れた人間のモノと思しき胴体。腕のないその背中からは、巨大なクモを思わせる六本の脚が生えて胴体を宙に支えている。頭頂で夕陽を反射しているのは湾曲した二本の角。その下にはこれもまたクモのような六つの眼が爛々と赤く輝いており、さらにその下に大きく裂けた口には鋭い牙がずらりと並んでいる。

 体高は十メートルもあるのではないだろうか。何より、溢れ出す妖力と殺気の大きさが、紛れもなくそれが伝説に名を残すような大妖怪である事を物語っていた。


「……ッ!」


 相手に向けて錫杖を構え、念を込める。狙うは脚の一本。恐らく急所であろう胴や頭を狙っても巨木のような脚に阻まれてしまうため、先に武器を潰してしまおうという算段である。夜道怪が得意とする法力が作用し、シャリンという錫杖の澄んだ音と共に、そこだけ重力が狂ったように歪にひしゃげ始めた。

 法力とは、神仏──すなわち、自分より高い位置に存在する何らかの霊的存在から力を借り受ける霊能力の秘法である。

 生前、彼は法力僧として、強力な神仏の加護を纏っていた。しかし、人の身を捨て外道と成った今、神仏の加護は望めない。では夜道怪はどうしたか──簡単な話、加護を念じる対象が神仏ならざるモノへと変わった、ただそれだけだ。

 彼は人の身を捨てた時、魔王の眷属として生まれ変わった。信仰の対象は一粒が辿り着く極楽浄土ではなく、大多数に等しく訪れる地獄の業火へと変貌した。故に今、魔王を信じる限り、彼は莫大な法力を己の力とする事が出来るのである。


「……さすがに、まずいかも、しれませんな……!」


 だが、そんな夜道怪の力を以てしても、この妖怪の脚は潰れ爆ぜるに至らなかった。

 空間に押さえ付けるようにして、何とか動きを阻害するので精一杯なのだ。


「でぇーい!」


 その一瞬の隙を突き、表面がひしゃげた脚を狙って彩夏が高速の斬撃を繰り出す。数週間前に初めて化装を試した鎌鼬の刀をここまで難なく使いこなすとは流石の一言だが、今はそうも言っていられない。


「彩夏様!」

「キヒヒ、手が痺れちった…もー、硬っ!」


 苦笑いを浮かべる彩夏。魔王の妖力を乗せた一閃でも、僅かに表面を削るので精一杯だったのだ。甲殻の堅牢さもさる事ながら、筋繊維、そして妖力の密度が違う。理性がなく本能のみで暴れまわっているようだが、その分、惜しげもなく全身が強靭な武器となっていた。


 結局、二人掛かりで全ての脚を切り落とすに至ったのは、そこから二時間も経ちすっかり陽が暮れた後だった。


「せいやッ!」


 最後の一本を切断した瞬間、彩夏がその胴もろとも頭を唐竹割りに両断する。間髪入れずに夜道怪は、どしゃりと崩れ落ちた肉体を駄目押しとばかり法力で圧し潰した。

 強敵だったが、これでトドメだ。それを見届けると、流石の彩夏も大きく息を吐いて大の字に寝転んでしまった。無理もない、と夜道怪もまた錫杖にもたれかかるように息をつく。これだけ長時間の戦闘はまず無い。かなり危険な相手だった、そう考えて肉塊と化した亡骸へ視線を向けた瞬間、夜道怪の背中に冷たい何かが走る。


「師匠、まだ!」

「彩夏様も気付きましたか。この気配……」

「うん……もしかして……」


 次の瞬間、夜道怪は見た。

 崩れていく妖怪の死骸。それが黒い妖気の霧となり、真っ直ぐに向かって来る!

 彩夏もまたそれに気付いたが、変身して焼き払うのは間に合わない。身を翻し、夜道怪は霧から逃れようとする。だがそれを嘲笑うように、黒い霧は彼の足元を飲み込んだ。


「ぐ……ッ!?」


 その途端、夜道怪の爪先から頭頂へと一瞬で激痛が駆け抜ける。それはまるで、全身の神経に何かが絡み付いたかのような。そして、魂を無数の蟻が喰い荒らし始めたかのような……。


(しくじった……! 祟り(・・)を遺す妖怪でしたか……!)


 妖怪の中には、肉体が滅ぼされると「祟り」を遺す者がいる。

 それは、肉体を滅ぼされた者の最期の反撃。自らを討った者の霊魂や肉体に何らかの呪いを刻み込む事で、道連れに恨みを晴らさんとするのである。妖力の弱い普通のヘビや鳥にさえその力を持つ個体が存在するが、時としてその呪いは世代を跨いで子々孫々にまで影響を与える。さらに、神や大妖怪クラスの祟りにもなると飢餓や天災すら引き起こすのである。討伐した妖怪を手厚く祀ったり封印したりするのは、祟りを防ぐためでもあるのだ。


 どうやらこの妖怪も、祟りを遺すタイプの妖怪だったらしい。だが夜道怪や彩夏にとって、それは普通ならば問題ではなかった。ある程度妖力が高い者は、祟りに耐性があるのだから。そのため、二人に祟りが効果を成すという事は、基本的には有り得なかったのだ。


 だが、様子がおかしい。


(……この強さ……! 祟りが、強すぎる(・・・・)……!?)


 その妖怪の祟りは、彼の知識には無いほどに強かったのだ。

 下手をすると魔王級にも匹敵しそうな妖力。その全てが邪悪な猛威となって彼の霊魂を蝕み、同質の妖力へと上書きしていく。


 ……上書き?

 そうだ、霊魂が上書きされている。

 この祟りはまさか……!


 それに気が付いた時、夜道怪が選んだ行動は的確で素早かった。

 手にしたのは、かつて魔王山本五郎左衛門の力を封じていた、古びた御札。意識が呑み込まれてしまう前に、自身が夜道怪ではない妖怪へと変貌してしまう前に、自分自身に封印を施す事を試みたのだ。


「ちょ、師匠!?」


 慌てたように呼びかけてくる彩夏。

 最期の力を振り絞り、彼女の師として最期の指示の声を張り上げる。


「……────……!」


 死骸も夜道怪も黒い霧も消え失せ、残ったのは一枚の古い御札のみ。

 彩夏と師との別れは、呆気なく、突然に訪れた。





 そして、現代。

 五、六人の獲物の血肉と魂、その新たな味覚を満喫した神虫の前に、それは現れた。


 夕暮れに伸びる道路標識の影。そこから突然クモのような、カニのような六本の脚が這い出したのだ。

 湾曲した二本の角が、いつかのように夕陽を弾く。ギチギチという軋む音を立てながらすっかり影の中から姿を現したそれは、神虫にも引けを取らぬ体躯である。


 その中央部に位置する黒い闇に包まれた人影は、服装や体格を見る限り、紛れもなく彩夏だった。


 ただしその風貌は、まるで別人。背中に六脚を生やした胴に腕はない。六つの真っ赤な瞳が神虫を睨み、獲物を見つけたとばかりに鋭い牙を剥き出した。


 時に祟りとなり、時に姿を変え、数々の逸話と伝説を生んだ大妖怪。

 水辺に潜み数多の犠牲者を喰らったそれは、牛鬼(ぎゅうき)と呼ばれていた。

登場妖怪解説


【祟り】

神仏や霊が人間に災いを与える事は、古来より祟りと呼ばれ恐れられた。その説話や伝承は幽霊や水子、神、妖怪、動物から植物に至るまで多岐に渡る。多くの場合、除霊や供養、祭事などを通して災いを鎮める事が出来るとも云われている。

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