第十八話:吠える絶望 崩壊する魔崩少女(1)
「え、えっ、ねぇねぇ。これは……こいつは、一体どういう事? 魔王級が揃いも揃って。ねぇ? 喚べ、おい、早く喚べ。随分……おい、楽しそうだな? 久しぶりだな、おい。殺す、ぞ」
突如として路留の口から漏れたその声に、彩夏と百姫は思わず身構えた。
明らかに、様子がおかしい。うら若き少女の声、それに変わりはない。しかしその響きの奥には、どすの効いた独特の深みが垣間見えるかのようだ。
いや、それ以前に、その口調。
妖怪の駆除を最優先とし、殺意の他には感情など持ち合わせていないかのようだった先程までの路留とは、まるで異なる。無邪気に声を張り上げる、それはまるで年端もいかぬ子供のような。そして、戦いそのものを嬉々として楽しむ戦人のような。それらが、何の繋がりもなく、ただ音の羅列として垂れ流しになっているだけのような。
そんなつぎはぎだらけの不自然さを唐突に露呈した路留に対し、イライラしたように百姫が眉を潜める。
「……これ、一体どういうつもりかしら? まさか、わたくし達をおちょくって──」
返事はない。
その代わりとばかり、不気味な笑みと共に振るわれた刃が、無数の真空の鎌鼬を産み出して百姫を襲撃する。
「百姫ちゃん!」
駆け寄ろうとする彩夏だが、次の瞬間、血相を変えて踏み留まる。
彩夏にまで襲い掛かった衝撃刃を硬質な音と共に弾いたのは、咄嗟に躍り出た鎌鼬だった。
「アヤカ、大丈夫か!?」
「サンキュ、チーかま! チーかまこそ大丈夫!?」
「おう、何とかな。でもよアヤカ、こいつは……やべーぞ」
それだけ告げ、鎌鼬は再び彩夏の懐の御札へと舞い戻る。一撃を防いだのが限界と見え、その姿は一瞬で霞のように揺らいでしまっていた。
「キヒヒ。うん、分かってる」
真空の刃を飛ばす。
それは、鎌鼬の妖怪としての専売特許のようなモノだ。
それを同じような力で激突し、しかも一発であそこまで疲弊させたのだ。肉体にのみならず、そこから放たれる攻撃にも、妖力を無効化する力が付与されていると見るのが自然だろう。むしろこの場合、消滅を免れた鎌鼬を称賛すべきなのかもしれない。
「でもやはり……身体を離れた分、その力は劣るようですわね!」
百姫もまた、肉体から形成した刃で真空刃を砕き払っていた。
もっとも、その姿は相殺と呼べるほど上品な代物ではない。日本刀で力任せにぶん殴るようなものだ。しかしそれは、百姫と言えどもこの際構っていられないだろう。遠距離戦の方が渡り合える可能性が高い、それが分かっただけで上等である。
今はそれよりも、だ。
「路留ちゃん、どうしたのかな。随分さっきと違うみたいだけど……あ、イメチェンってやつ?」
警戒するべきは、目の前の脅威に現れた変化である。
何が起こっているのかを正確に見極める必要があった。彩夏には大体の予測こそついていたが、確証はない。その変化は吉と出るのか凶と出るのか。炎を放ち牽制しながら、確認すべく探る言葉を投げかける。
「ミチル? み、ちる……誰だ、それは?」
対する路留は、虚ろな笑みで火柱を切り裂きながらそう呟いた。
「は? 貴女、何を言って……」
「キヒヒ。やっぱりそういう事かぁ」
その返答は、彩夏の想像通りだった。
「ちょっと貴女。どういう事ですの?」
「うん。多分だけど……」
彩夏の予想。
それは魂の摩耗である。
そもそも、雷田路留の──妖怪狩りの源流とは何か。
彼女の血筋、その起源は尾張の国。現代から遥か千五百年ほど昔にまで遡る。
始まりは、一人の農夫。
彼はある日、農作業の最中落雷に遭遇した。何と、その落雷には命と意思があったのである。農夫は落雷の命を助け、彼が天に帰れるように助力した。その恩返しとして、子のなかった農夫は一人の赤子を授かる事になる。
その赤子こそが、後に日本最古の妖怪狩りとなる子供。
怪力無双の豪腕で名を馳せ、やがて元興寺にて人を喰らう悪鬼を退治し、道場法師と呼ばれる事になる人物である。
その力は、彼の死後も子孫に伝わったと云う。現に、彼の孫娘が怪異を退治した逸話も平安の説話集には記されている。
では、なぜその力は受け継がれ続けたのか。
あまねく全ての霊魂は、輪廻転生の道の中にある。その道の中にある限り、命ある者は例外なく、死ねばあの世を経て生まれ変わる。
そこを彼は捻じ曲げた。
道場法師はその死に際し、禁術で以て巡るはずの霊魂を現世に引き戻したのである。その行き先は子孫の肉体であり、子孫の意識の中。彼はその意思と力とを、魂ごと後世に託したのだった。
果たして次代の妖怪狩りは、道場法師の力を上書きされて誕生した。そしてさらに鍛錬を積み力を磨き、洗練された魂は再び次代へと託されていく。その行為は、妖怪狩りの秘術として子々孫々まで続けられる事になり──。
そして、今。
当代の妖怪狩りである雷田路留は、実に千五百年もの魂を背負い立っていた。
「……つまり、魂を上書きし続けた、と?」
「キヒヒ、多分ね。だから、代が進むにつれて、強くなれたんじゃないかなぁ。でも……」
だが当然、その力は人間一人の魂が抱え込むのには、あまりにも強大すぎたのである。
そもそもがおかしかったのだ。
人間だろうと妖怪だろうと、思考する者には意思がある。そして、その意思の揺れが感情の起伏を生むのである。達人と呼ばれる者であっても、無感情と呼ばれる者であっても、そこに例外はない。意思を持つということは、大小こそあれど喜怒哀楽の感情があるという事なのだ。それらを完全に捨て去った者──生物としての命の頚木から解き放たれた領域に至る者、「覚者」が人類史にそう何人も存在するはずもない。
しかし、雷田路留には、それがまるで感じられなかった。
感情のようなものも時折見受けられたが、あれは殺意だ。
妖怪は即座に殺すという殺意はこれでもかとばかり感じられるのに、それに伴う感情が欠落している? 人間として、いや、生物として根本的に何かが欠如しているのではないか。彩夏は路留の言動を見る度、そんな違和感が拭えなかったのだ。
まるで、雷田路留という肉体が、別の何かに殺意だけで突き動かされているかのような。
その違和感は正しかった。まさしく彼女は妖怪狩り。妖怪を狩る、ただその一点のみのために産まれ、生き、行動している。しかしその他には何もない、空っぽの存在だったのだ。
そしてその瞬間は、突然に、しかし当然のように訪れた。何度も録画を繰り返したビデオテープが、やがて正常に作動しなくなるかのように。何がきっかけだったかは定かではない。だがふとしたきっかけが、千五百年分もの意思を弾けさせ、混濁させ、僅かに残っていた彼女の心をも巻き込み崩壊させるに至ったのだろう。
「……憐れ、ですわね」
溜息を漏らしながら、百姫が呟く。
彼女の気持ちは彩夏にも理解できる。人間の善の象徴を名乗り、幾度となく妖怪たちの脅威となってきた妖怪狩り。それが今、妖力を無効化する謎の力まで得て魔王の前に立ちはだかった矢先、経年劣化などという下らない理由で崩壊寸前に陥っているのだ。彩夏としても、つまらないという気持ちがない訳ではなかった。
こうなれば、速やかに殺してしまう方が良い。
慈悲の心などがある訳ではない。手っ取り早く事態を収拾させたい、ただそれだけだった。
「あー、お前アレか、山本か? 殺したと思ったけど。まぁいいや。うん、死ね」
「わ、ちょ!?」
だが今や、路留には意思すらあるのかも疑わしい。
案の定、路留は両腕の刃を振りかざすと、かつて殺したであろう山本五郎左衛門へと一直線に突撃した。
「あっぶ、なぁっ!」
地面が切り裂かれ、衝撃の刃が辺りの草を薙ぐ。意識の混濁にも関わらず、路留の攻撃はより強力に正確さを増していた。だが、それも無理のない事である。路留本来の余計な意思が埋もれ、殺意のみが研ぎ澄まされつつあるのだから。
「百姫ちゃん! ちょっと援護して!」
「分かってます、わ!」
清姫に転じた百姫が、彩夏の火柱に併せて豪炎を吐きかける。一瞬で爆炎に呑まれる路留。ダメージはないだろうが、一時的にもその動きを制限は出来そうだ。距離を取りながら打開策を模索する彩夏の耳に、炎の中から呪詛の言葉が聞こえてくる。
「クソ、めんどくさい。面倒だ! ここから出せ! 早く、出せ、喚び、出せ!」
長くは持たないか──そんな事を考えたのは、ほんの一瞬。
その言葉の違和感に気が付いたのは、彩夏だけではなかった。
「お待ちなさい!」
絡新婦に身を代え、鋼鉄の糸を浴びせながら百姫が叫ぶ。
「貴女、何を……いいえ。貴女、誰と話しているの?」
──早く喚び出せ。
それは紛れもなく、魔王二柱ではない何かに呼びかける言葉。
この場には自分たちと路留以外、妖気はない。という事は……。
その瞬間、路留が動く。燃え盛る炎の中、懐から御札を取り出したのだ。
しかしその札は火炎の影響を受けていない。路留の両腕と同じく、妖力による影響を無効化しているのだ。
魔王が止めに入るより早く、路留は御札を額へかざす。千五百年分の殺意に突き動かされ、彼女の身体はあらゆる妖怪を殺すための最善の手段を実行した。まじないを唱え、異界の存在を喚び出すのに必要な妖力を、御札の中へ注ぎ込む。
「──道場が末裔の名に於いて告ぐ。来たれ! 南瞻部州が捕食者よ! 三千三百、諸々の鬼を捕りて喰らい──全ての邪鬼を滅ぼし給え!」
──そして、狩りが幕を開けた。




