第十七話：決戦開幕 混戦の狂想曲（２）
「うわー……キヒヒッ」
遠くに腰を下ろして観戦していた彩夏は、ほとばしる雷光に思わず顔をしかめた。
あの威力はよく知っている。自分でさえ、喰らったらかなりの重傷を負うだろう。それを百姫の妖力量で放ったのだ、これは一撃で勝敗も決まったかもしれない。
そう。この時、魔王は完全に油断していた。
百姫も、そして彩夏でさえも。圧倒的な力で捩じ伏せ、そのまま魔王同士で遊びの続きでもしようなどと考えていたのである。
だからこそ、二人にとってそれは完全に予想外の結果であった。
「お前……一体何だ、それは……？」
百姫が動揺を隠せずに呟く。
雷の一撃は、確かに発動した。威力も申し分なかっただろう。その証拠に、先刻まで路留の両腕を覆っていた包帯は一瞬で全て焼失したのだから。全身を拘束していたクモ糸や綱も、残さず蒸発してしまっている。
ただ……驚くべき事に、その下の腕は無傷だったのである。
それはまるで、昆虫の脚のような。
明らかに人間の腕ではない。腕の根本から指先まで、見るからに堅牢な虫襖色の甲殻に覆われている。肘の刃は仕込み武器などではなく、この甲殻そのものの一部だったのだ。包帯が焼けた事による煙こそ立ち上ってはいるが、艶々とした表面は傷どころか焦げ目ひとつついていなかった。
「らあッ！」
怒号と共に路留が膝を振り上げる。
両腕を掴んでいたのが仇となり、百姫の顎に強烈なのが炸裂した。そのまま肘の刃が日本刀のように伸び、追撃を加えんと振り下ろされる。
これに対し、百姫は冷静に対処した。
回避は間に合わない。故に、自身もその肉体に刃を形成して攻撃を防ぐ事にしたのだ。それも、念を入れて一本ではなく十数本もの刃を射出し、その身を防護したのである。
その姿はまるでヤマアラシ。何なら反撃にも転じる事が出来る、最良の選択だったと言えよう。
だが、しかし。
「は……はァ！？」
先ほど以上の動揺で以て、いよいよ百姫は驚愕した。
百姫の刃は、まるで羊羮か何かの如く、さくりと切断されたのだ。
これには遠目に眺めていた彩夏も思わず立ち上がる。
馬鹿な。有り得ない。
確かにこの刃は、材質も何も分からぬ見たままのコピーである。ただその切断力や硬度、鋭利さは、あらゆる知覚の観察を用いて完璧に模倣したはずなのだ。
「何が、どうなって……！？」
動揺した隙を突き、路留が無慈悲に刃を振るう。
ぎりぎり致命傷は避ける事が出来たが、百姫の左腕は容易く根本から両断された。
「百姫ちゃん、下がって！ 焔嵐っ！」
「ッ！？」
不落不落の化装を瞬時に纏い、彩夏が爆炎をぶっ放す。腕を拾い、跳躍して紙一重で離脱する百姫は、本来の姿に戻ると彩夏の隣にふわりと着地した。
「貴女、どういうつもり？」
「キヒヒ！ だって、あれは流石にまずいでしょ？」
「まぁ……そうね、素直に助かったと申し上げておきますわ」
そう、今は状況が状況である。
彩夏としても、引っ掛かってはいたのだ。
七日前、路留は切り落とされた両腕をその場に残して退散した。それがわずか七日ばかりで完全に再生するとは、流石に少し考え難い。明らかな異形の腕、何らかの呪術を用いたと見るべきだろう。
雷と怪力ばかりに目がいっていたが、そもそも相手は妖怪狩りだ。当然、法力や呪術の類、その全般を警戒しておくべきだったのである。
辛勝だったとは言え、一度勝利した相手。無意識のうちに、どこかで甘く見過ぎていたようだ。
「キヒヒ。雷も炎も効かないとなると……この判魔も、鎌鼬の刀も効くか怪しいかな」
呟く彩夏の視線の先では、路留が刃で炎の柱をぶった斬り猛攻を防いでいる。
ただ振り払ったのではないだろう。炎そのものが、綺麗に切断されているようにしか見えないのだ。
「もしかして、あの腕……妖力そのものを無効化して……？」
「キヒヒヒ、多分そうっぽいよねー……」
苦笑いしながら述べられる百姫の考察に、彩夏も賛成だった。
雷を受けてもびくともせず、硬度だけなら同等以上にコピーされた刃を軽々と打ち破り、形の無いはずの炎を真正面から切り裂く。
こうなると、あの腕は属性云々ではなく攻撃に使われた妖力そのものを打ち消している可能性が高い。
「ウフフ……さて、どうしたものかしら」
肩をすくめて百姫は溜め息をつく。
こんなものは、想定していなかった。
どれほど強力であっても、雷属性の攻撃だったなら百姫には効かなかっただろう。何しろ身体を、組成すら変化させられるのだ。電気を通さない──例えば樹木の妖怪である古椿とか──に変じてしまえば、完全にとはいかずとも雷の威力を弱める事も出来る。雷と言わずとも、相手が何らかの属性の妖力を使う以上、絶対的に有利だと百姫は自負していたのである。
それがどうだ。
蓋を開けてみれば相手は、雷はおろかどんな属性も用いていない。それどころか、妖力そのものを無効化する腕を得ていると来た。
それはつまり、魔王だろうが妖怪である以上は一撃もらえば致命傷を負いかねない、という事になる。
易々としてやられるつもりは今でも毛頭無いが、さて、どう攻めるべきか……じりじりと距離を取りながら、百姫は考えを巡らせる。
だがそんな事は気にしていないとばかり、彩夏は無邪気な声を上げた。
「でもでも、手が無い訳じゃなさそうだね！」
「……え？」
彩夏が指差す先に視線を向ける。
「あら……」
路留の頬に、傷が出来ていた。
煩わしそうに傷口を拭う路留。その様子を見やり、百姫は妖しく笑みを浮かべる。めきめきと骨肉が軋む音を立て、腕と体の傷口を繋ぎながら。
あれは火傷だ。恐らく、さっき彩夏が放った火柱、あれが僅かにでも掠めたのだろう。という事は……。
「ウフフ……」
「キヒヒ……」
不敵に笑う二柱の魔王。
「つまり……腕以外は普通の生身。あくまでも脅威はあの腕……そういう事ですわね？」
「キヒヒ、多分ね！」
勝機を感じ、頷き合う。
少しでも可能性があるならば、それは魔王にとっては大いに勝機があるという事だ。
そんな魔王を前にしながらも、妖怪狩りの少女は毅然とした面持ちで立ち続ける。
だが次の瞬間、その口元が歪に吊り上がった──まるで、別人かと見紛うほどに。
登場妖怪解説
【古椿】
永い年月を経た椿が怪異と化す逸話は全国に残っている。中には女に化けて人をたぶらかし、取り殺す者もいたようだ。
