第十六話:魔王の茶会 血戦するは鬼と蜘蛛(2)
すっかり回復した肉体に力を込め、路留は全身をバネのように使い肉薄する。
七日間の休息と鍛練は、彼女に再び十分な力を与えていた。体が軽く、力がみなぎるのを感じる。妖力の感知は少々ずれてしまったが、それでも目の前にはそこそこのレベルの獲物が二体いる。あの魔王をぶち殺す前に、この新しい腕を試すには丁度良い。
妖怪は、即座に殺す。魔王との相討ちを経て、そのシンプルな思考はより鋭利に研ぎ澄まされたようだった。
「来るぜ、絡新婦!」
「クケケケケケ!」
路留の殺気にも臆する事なく、大グモの妖怪である絡新婦は跳躍する。女の上半身で笑いを響かせながら八本脚を駆動させ、巨体に似合わぬ身のこなしで路留の飛び膝蹴りを回避した。
「……ッ!」
その瞬間、路留の動きがぴたりと止まる。
彼女の周囲には、テグスのような極細の糸が無数に張り巡らされていた。そのうちの数本が、真っ直ぐ飛び出した彼女の全身に絡み付き、その動きを阻害したのだ。
舌打ちをして首だけで振り返ると、跳び上がったはずの絡新婦は、けらけら笑って宙に浮いていた。よく見ると、その足場にも放射状に糸が広がっている。
なるほど、つまりは誘い込まれてしまったという事か。此処は、巣。無数のクモの糸でセンサーが張り巡らされた、絡新婦の縄張りだった訳だ。
「アタシを忘れてないか?」
と、絡新婦に気を取られている中、後頭部を衝撃が貫いた。
もう一体の、般若の面を被った女。クモの巣に掛かる事なく接近してきた彼女が、頭目掛けて回し蹴りを見舞ったのだ。
「ぐッ……」
「悪いな、嬢ちゃん。この紅葉様を嘗めんじゃねぇぞ!」
「……お前は……」
「うおらあああ!」
荒々しい雄叫びを上げる女。すると二本の角が燃え上がり、その手中には炎と共に身の丈と同程度の金棒が現れた。
角に金棒……読み通りこの女、やはり鬼だったか。
紅葉と言えば、信濃国の戸隠山で猛威を振るった鬼女だ。またの名を更科姫。美貌と才能に恵まれながら、悪心と欲を司る第六天魔王の力を授かったが故に都を追われ、妖術を操る鬼へと成り果てた妖姫。猛火や水流、幻影を操るその力は、文字通り魔王級と呼んで差し支えないだろう。
だがそれでも、今の路留の敵ではない。
「嘗めてるのはどっちだ、あ?」
「なっ……嘘だろ!?」
追撃として放たれた金棒の一撃を、難なく真正面から掴んで止める。クモの糸による拘束など、一瞬で引き千切っていた。
「うおっ!?」
そのまま腕を豪快に振るい、鬼女の身体を放り投げる。
弾き飛ばされた獲物に追い討ちを加えるべく、路留は右足に力を込めた。足元にクレーターが生じ、その衝撃の甚大さを物語る。地面を蹴ると一気に肉薄し、その拳を振りかざした。
「ちィ……!」
対する紅葉は咄嗟に掌を前に突き出し、炎の渦で防壁を創り出す。だが次の瞬間、彼女は瞠目した。燃え盛る盾を気にも留めず、路留はそれに突っ込んできたのである。
「強引だ……なッ!」
突き出した掌を握り締める。途端、炎が瞬時に水へと置き換わり、そのまま圧縮されていく。一瞬で、路留は水の球体の中へ閉じ込められた形となった。
さらにそこへ絡新婦が糸を浴びせ掛け、あっという間に大きな卵型の繭が形成される。このまま窒息させ仕留めようという算段らしい。なかなかにえぐい責め方ではあるが、紅葉と絡新婦、二人の能力を十分に活かした作戦であった。
深海並みの超水圧と、頑強に編み上げられた繭による牢獄。これを打ち破るのは至難の技だろう。
──普通の人間にとっては。
「おいおい、マジか……!?」
拘束出来たのは、わずか数秒。鋭利な刃物で切れ込みを入れたかのような縦方向の直線が繭に現れ、水が一気に溢れ出した。
まずい! 慌てて距離を取ろうとするが、遅い。
繭を切り裂き、水流に乗り、路留が飛び出す。そのまま近くにいた紅葉目掛け、彼女は拳を振り抜いた。
「……く……!」
間一髪、上体を反らして一撃をギリギリに回避する。
否、回避した、はずだった。
「なッ……んだ、そりゃ……!?」
激痛が走り、切断された右腕が地面にどしゃりと落ちる。
路留の肘からは、包帯を突き破って虫襖色の刃が伸びていた。血が滴り落ちているそれは、昆虫の甲殻にも似た生物感ある形状をしている。しかし同時に、日本刀のような鋭利さも窺えた。
間違いない。拳の一撃を避けたつもりが、それ以上のリーチを持つこの刃で一閃されたのだ。先程の繭もこれに打ち破られたのだろう。
水で閉じ込めれば電撃は使えまい、そう踏んでいたが故の作戦だった。しかし、こんな武器を隠し持っていたなど、まるで考えもしなかった。
「ぐ……絡新婦!」
「クケケケケ!」
だが、ここで止まる訳にはいかない。
路留の背後から絡新婦が、太綱の如く束ねられた強靭なクモ糸を路留へと浴びせる。獲物を巣に絡めとらんと襲い掛かるが、しかしその糸もまた、一瞬で切り裂かれてしまった。
「クケ……!?」
「……ッ……」
目にも止まらぬ斬撃が、鬼とクモを蹂躙する。
八本の脚が胴から切り離され、般若の面を付けたまま鬼の頭部が宙を舞う。それは、ほんの一瞬の出来事であった。
「……まぁまぁだな」
刃についた血を振り払い、肘の中へと収納する。
雷の属性を使うまでもなく、この切断力は大きな武器だ。屠った鬼女の頭を見下ろし、これからの行動を考える。まずは妖気を探り、魔王の居所を掴まなければ。
だが、その時。
「……へ、へへ……アタシらの……勝ち……だ……」
般若の面が剥がれ落ち、転がる麗人の首が不敵に笑う。
この鬼、討たれた癖に何を抜かしているのか。無様な骸に成り果てた分際で、勝ち、だと? 笑わせる。ここから一体何が出来るというのだろう。
完全に沈黙させるべく、頭を踏み砕こうとする。
だが、路留は気付いていなかった。
紅葉と絡新婦の目的は、妖怪狩りの討伐そのものではなかった。彼女らはあくまでも警戒網。外敵を察知し、その場所を主に伝え、主が到着するまで獲物を逃がさない。それが二人の役目だったのである。
「──あらあら、素敵な舞踏会。何て惨くて血腥くて、退廃的なんでしょう。わたくしも混ぜてくださらない?」
いつの間に、一体どこから現れたのか。
妖艶な笑みを湛えた少女が、紅葉の頭部を拾い上げる。
「へ……へへ……すまねえな、お嬢……もうちょいうまくやれると思ったんだけどよ……」
「いえいえ、貴女はよくやってくれましたよ? 御苦労様でした」
「アタシはもう駄目だけど、よ、絡新婦は……ま…………だ…………」
瞼を閉じる鬼女。
這いずるように近くに寄ってきた絡新婦の頭を撫で、少女は二人の妖姫を御札の中へと回収した。
その様子を、警戒しながら眺める路留。
この強烈な妖気、山本五郎左衛門にも劣らない。あれと張り合える存在など、この国の歴史には数える程しかいないだろう。恐らくは……。
「……お前、神野悪五郎か」
山本五郎左衛門が好敵手、魔王神野悪五郎。
奴を先祖が仕留めたという話は聞いた事がないし、当然、路留自身も初めて見る。それでもその正体に確信が持てる程に、少女の纏う妖気は凄まじかった。
だが少女は肩をすくめ、ちっ、ちっ、と指を振る。
「わたくし、今は神野百姫を名乗っておりますの。それでも尚、わたくしを神野悪五郎とお呼びになるのでしたら──」
ふわりと髪をかきあげ、妖しく微笑む。
最高級の邪気と狂気を撒き散らし、魔王は殺気の音色を呟いた。
「──さぁ、悪屠って魅せて下さる?」
登場妖怪解説
【紅葉】
長野県の各所に伝わる鬼女。平維茂により退治される説話が有名。その他にも「縄張りにした里の者からは尊敬を集めた一方で野盗として荒々しく暴れまわった」「彼女の扇で扇がれると病が治る」「悪神の力を借りて風や炎、大水を操る」など、幾多の説話が残っている。能や歌舞伎では「紅葉狩」として描かれている。




