第十六話:魔王の茶会 血戦するは鬼と蜘蛛(1)
「……それで?」
溜め息を吐き、百姫はティーカップを傾ける。
吹き抜けるのは、一面の花畑を思わせる上品な香り。味わい深くて程好くほろ苦い、上等な紅茶だ。
緑茶と唐菓子の素朴な組み合わせも好みだったが、現代の紅茶に併せるこのチーズケーキという茶菓子もなかなかに素敵である。人間の文化も多少は捨てたものではない、そう思いながら瞼を閉じ、百姫は酸味と甘味の旋律をうっとりと楽しんだ。
「キヒヒヒヒヒ!」
──それに引き換え、この魔王は。笑い声に瞼を開き、目の前に座るもう一人の魔王を今一度眺め直す。
彼女──彩夏はと言えば、強い牛酪の匂いがする焼き菓子を次々と口に放り込んでいた。喉を鳴らして飲んでいるのは、濃い山吹色の甘橙の果汁。酒も茶菓子も昔から、ほとほと好みが合わないものである。
……いや、問題はそこではない。
彩夏はぼろぼろと呼ぶに相応しい格好であった。服はあちこち焼け焦げ、髪の毛もぼさぼさ。吐息にまで、何か焦げ臭いものが混じっている気がする。菓子を食らう姿はさておき、今、その容姿は魔王の矜持とは程遠いものとなっていたのだ。
「特訓、ね……貴女、馬鹿でしょう?」
「キヒヒ! でも楽しかったよ?」
彩夏が妖怪狩りの雷田路留と引き分けてから、今日が丁度七日目だ。
一週間前の顛末は、すでに百姫にも伝わっている。
路留が持つ予想以上に圧倒的な力。それを前にして彩夏と百姫は、まだ本格的な競争が始まっていなかった事も手伝って、ごく自然に一時休戦を選択した。だからこそ、本来なら好敵手である二人が、こうして街角のオープンカフェで同じテーブルを囲んでいるのだ。
「それにしたって、もっとやり方があるでしょう。妖怪狩りの電撃に耐性をつけるために、雷獣の電撃を浴び続けるだなんて……魔王が聞いて呆れますわ」
「キヒヒヒヒ……でもでも、百姫ちゃん。おかげで、雷喰らってもある程度大丈夫になったんだよ! どーだー……ッけほっ」
彩夏は胸を張って息巻くが、煙を吸ったようにむせてしまう。
「……はぁ」
磯撫でを一撃で瀕死に追い込んだ電撃。
そんなもの、百姫であっても想像しただけで寒気がする。
確かにそれに対抗するには、雷への耐性を身に付けるのが一番手っ取り早いだろう。自分達クラスの妖力と一週間もの猶予があれば、それは可能なはずである。
問題はそのやり方だ。
よりによって、どうして彩夏はそのやり方を選んだのか。彼女の力ならば、例えば雷獣の化装を構築して自らも雷の属性を帯びるとか、もっと賢く洗練された方法があるだろうに。
おかげでこんなみすぼらしい格好になっているではないか。人間になど転生し、魔王としての矜持はなくなってしまったのだろうか。仮にも好敵手としては呆れてしまう。
「……それにしても。今日で七日目ですわね」
そう、そんな事よりも。
気掛かりなのは、妖怪狩りが逃げる前に告げたという刻限が今日であるという事だ。
──七日、後には……必ず、殺してやる──
それが本当ならば、今日中に再び襲ってくる可能性が高い。
にも関わらずこんな所でのうのうと菓子を食っているのは、あまりに警戒心が薄いのではないか。
「大丈夫大丈夫! 今度は……逃がさないからさ」
そんな百姫を余所に、彩夏は焼き菓子を一気に食い尽くしてぎらりと笑う。
魔王らしい表情への一瞬の変貌に、納得したように百姫は頷いた。
彩夏は、楽しんでいるのだ。妖怪狩りが来る時を、今か今かと待っている。己を鍛え、正面から再び戦い、今度こそ完膚無きまでにぶちのめす事に思いを馳せて。この茶会も、決起会か何かのつもりなのだろう。
それが証拠に、その目の奥には爛々と紅い光が灯っていた。
「っていうかさー! 百姫ちゃんこそ、こんな所でのんびりしてていいの? 急に襲ってくるかもしれないよ?」
「わたくしは良いのです。対策くらい講じておりますし、ご心配なく。何なら、初手はわたくしが遊ばせていただいても?」
百姫とて、考えなしにのんびりお茶を楽しんでいる訳ではない。彼女にも彼女なりの考えがあるのだ。
飛び火を軽く受け流し、チーズケーキの最後の一欠片を口にする。
「それに、わたくしの可愛い妖姫が警戒網を張っております。何か起きたらすぐにでも反応があるはずですわ」
そう。百姫は、今、この街に自らが率いる百姫夜行の一部を解き放っていた。
長壁姫と亀姫は勿論、その他にも妖怪狩りと渡り合える実力の者が数名、人間へと姿を転じて警戒して回っている。
当然、彩夏の所へ直接殴り込んで来る可能性は高い。だがこの警戒網なら、その前に接近を察知する事が出来るだろう。それどころか、こちらが先手を奪う可能性も視野に入っている。襲撃への対策は完璧だった。
あとは、時を待つだけ。
そう思い、紅茶の最後の一口を飲もうとした、その時だ。
「──来ましたわね」
突然の悪寒に全身が総毛立つ。
妖姫からの連絡、警戒網の反応どころではない。この七日間、一度も感じた事のない強烈な妖気の乱れだ。彩夏もまたそれを感じ取ったらしく、武者震いと共にジュースを一息に飲み干した。
「この反応は……」
妖気の乱れが強くなる。どうやら自分達より先に、警戒していた誰かとかち合ってしまったようだ。
「キヒヒ! それじゃ行こっか!」
「妖怪狩り……ウフフ、今度はどんな娘なのかしら。わくわくしますわね」
片や無邪気に、そして片や優雅に立ち上がる。
しかしながら両者とも、踏み出すその足跡には向かう先に負けず劣らずの強い殺気が刻まれていた。
*
「……おいおい、こいつは……」
同刻、そこからそう離れていない、しかし人気のない高架下。二人の制服姿の女子高生が身構える。
突然目の前の空間が歪み、強烈な妖気が滲み出てきたのだから。
「読みが当たったみたいだな。流石、お前の巣は良い感度してるぜ」
「クケ、クケケケケケ……」
服装を見れば普通の女生徒のようだが、二人は人間ではない。
一人は、般若の面を被り素顔を隠している。ポニーテールに束ねていた黒髪を解くと、それは瞬時に紅葉が如く真っ赤に色付いた。よく見ると、面とは別に本物の二本の角が天へと伸びている。
一方、やや猫背気味のもう一人は、黒い長髪を顔面を覆うほどにだらりと下げている。その隙間からは目玉だけが周囲を見回しており、不気味な笑い声を上げていた。
両者、人間に姿を変えてはいるが、その雰囲気は明らかに人外の者である。当然、正体は妖怪。魔王神野百姫が率いる百姫夜行、その三番手と四番手であった。
「……鬼、それにクモか……この腕の試し討ちには丁度良いか」
空間を突き破って現れたのは二本の腕。
振るわれた両腕が穴を広げ、殺気を纏った少女が現れた。
「へぇ、分かるのか。じゃあやっぱ、お前が妖怪狩りか?」
赤髪の女の問いに、少女は答えない。
その代わりと言わんばかり、根本から指先までを包帯で覆われた二本の腕、その拳を打ち鳴らす。
「……殺す」
「おっと、随分やる気だな!」
「クケケケケケケ!」
二人の妖姫も変化を解く。
──主が来るまで、獲物を逃さないために。




