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魔放少女あやかしアヤカ  作者: 本間鶏頭
第二章 死闘、魔崩少女ミチル
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第十三話:怪魚海域 魔崩少女猛る(1)

 釣りとは、自然との戦いである。


 月が雲に隠れる中、ひたすらにリールを巻く。猛り狂う命の息吹が、振動となって糸を伝わってきた。

 釣り上げたのは、丸々と太った黒鯛(チヌ)だ。バケツに放り込まれたそれは、飛沫を撒き散らして一通り暴れ回った後、自身の敗けを認めて大人しく泳ぎ出した。


「よっしゃ、今日はアタリだな」


 男は毎年この時期になると、黒鯛を狙いに、釣り道具を携え堤防へ赴いていた。

 いや、何も黒鯛には限らない。釣り人にとっては、一年中が釣りのシーズンなのだから。春夏秋冬、朝夕夜、いつだって、待っている魚はいる。今はたまたま黒鯛が狙い目というだけだ。


 潮風がふわりと頬を撫でる。まるで、団扇で仰がれているかのような気持ち良さだ。これもまた、蒸し暑い夜に海釣りへと洒落混む醍醐味である。


 と、その時だ。


「……え?」


 男の体が宙を舞う。

 何の前触れも無く、突然に。


「わ、わ……おわッ!?」


 大きな波音を立て、男は海に転落した。

 夜釣りでの、堤防からの転落。それは死にすら直結する。何が起きたかは分からないが、とにかく岸にあがらなければ。

 だが、まるで海中に引きずり込まれるかのように、男の体は海底へと沈んでいった。肺の中の酸素を使い果たし、もがく手足から少しずつ力が抜けていく。暗い海中では何も見えず、上も下も分からない。どうする事もできなかった。

 その後、男は二度と姿を見せなかった。


「──キヒヒ。今日はアタリだね!」


 波紋の残る水面を眺めながら、彩夏が呟く。


 その背後には有刺鉄線の張られた金網、そして白い看板が建っている。看板にはでかでかと「危険! 立入禁止」の赤い文字。この堤防は事故が多発しており、今は釣りが禁止されている。

 だが、ここは非常に良い釣り場でもあった。それを知る一部の釣り人は、看板も有刺鉄線もお構いなしに、金網の向こうで釣糸を垂らす。自分はそんなヘマなどしない、事故になど遭うはずもない、そう思っているのだろう。

 そして大抵、呆気なく命を落とすのだ。先程の男のように。


「それにしても、人間は懲りないね」


 何かを禁じる場所には、必ずその理由がある。しかし、そんな事など考えもせず、人間は同じ事を繰り返す。気付いた時には既に遅く、取り返しのつかぬ結末を迎えるのである。


 とは言え、そういう人間の方が()には相応しいのだが。

 善人も悪人も、その魂は等しく妖怪の餌となる。だが、出来るなら餌は悪人の方が良い。悪意の濃い魂の方が、より甘く、より苦く、より黒く、そして──より美味いのだ。


「キヒヒ! 久しぶりのご飯はどうだった? 明日からはまた場所を移さなきゃね。次の釣り場(・・・)も、アタリだと良いね!」


 水面に向けて語りかける。

 それに呼応するかのように、巨大な影が悠々と海原へと泳ぎ出した。波一つ立てずにそれが去り、月が雲の合間から顔を覗かせた頃、後には犠牲者の釣具と潮風だけが残されていた。





 ──果たして、それからわずかに数日後の夕方。


「うおっ!?」


 少し離れた侵入禁止の防波堤で、同じように釣竿を持ったまま海へと転落しかける別の男の姿があった。

 彼もまた、いつものようにフェンスの隙間からここへ来た。そして頬に潮風を感じながら釣りを楽しんでいた矢先、唐突に体が海へと放り出されたのである。


 突風か!? いや、天気は良かったはず。そもそも、風に吹かれた感じではなく、何やら引っ張られるような感覚だった気がする。勿論周りには誰もいないし、一体何が……。


 その時、男が目を見開く。

 海へと転落しながらも、彼は見たのだ──怪物を。


 それは幼少の頃、図書室の図鑑か何かで見た絵にそっくりだった。ワニに海亀のヒレをくっつけたような、太古の巨大な海の怪物。確かプレシオサウルスだとか、モササウルスだとか言ったっけ。

 そんなバケモノが、真っ赤な口内を見せながら、海面を裂いてこちらに向かって来る!

 何だ!? 怪物!? 喰われる、死ぬ!? 混乱する思考、まともに考える時間などない。迫り来る死に対して辛うじて男が出来たのは、咄嗟に目を瞑る事だけであった。


「…………っ……?」


 だが、いつまで経っても男の意識が消える事はなかった。


「……わ、ぶは!?」


 響き渡る水音。気が付くと、男は海中へと没していた。無我夢中で顔をあげ、呼吸を整えて周囲を見回す。何が起きたのか、あれは一体何なのか、確認するために。


「……あ……!?」


 途端、男は思わず動きを止めてしまった。


 その時視界に入った光景を、すぐに信じられる人間がいるだろうか。少なくとも、男はそれが現実だとはとても思えなかった。


 ──ジャージ姿の少女が、巨大な怪物の横っ面を殴り付けていたのだから。

 大きく上体を仰け反らせ、盛大な飛沫と共に海中へと倒れ込む怪物。その巨体を蹴りつけて跳躍し、少女は陸地へと舞い戻る。


「……磯撫で(いそなで)、か。大物だな」


 指抜きグローブのベルトを締め直しながら、少女は怪物の正体を見定める。


 妖怪磯撫で。

 魚を釣る人間を、逆に海中へと釣り上げて(・・・・・)喰らう怪魚。

 釣り人が頬に感じる、撫でるような風。それは磯撫での狩りの合図。その風を感じた時、獲物は既に磯撫での尾びれに生えた無数の釣り針(トゲ)で釣り上げられているのである。


 巨大な上に、危険極まりない妖怪だ。人喰い鮫の方がよほど可愛い。放っておけば、ここを狩場に何人もの犠牲者が出るだろう。


「おいオッサン、邪魔だからとっとと離れろ」


 吐き捨てるように、男に無感情な言葉をかける。

 慌てて消波ブロックへと泳ぎ出す男は気にも止めず、少女は拳をかち合わせた。紫の稲妻が発生し、腕へ、足へ、全身と駆け巡る。その瞳に紫色の炎が灯る頃、少女の顔にはくっきりとした表情が表れていた。


 そして少女は宙へと躍り出る。自分の何倍もある磯撫で目掛け、拳を振りかぶり、生身で襲い掛かった(・・・・・・)のだ。


「──殺す!」


 出た言葉は、ただ一言。

 その全身を覆うのは、明確な殺意の波動であった。

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