第十二話:廃病院の怨念 人を呪わば穴七つ(2)
「はっ、はっ、はぁ、はっ」
陸谷は、死に物狂いで手足を動かす。
彼女は運動が苦手だった。体育の成績自体は良いのだが、それはいつも担任である体育教師に目零しをしてもらっていたからである。こういう時、数字上の評価には何の意味もないと、陸谷は初めて思い知らされた。
後ろを振り向くと、あの人影が追い掛けてくるのが見える。両手を前にだらりと突き出す姿は、何かを求めているかのようだ。
きっと、あれは幽霊だ。追い付かれたらどうなるかなんて、想像したくもない。絶対に捕まりたくない。だがそんな思いとは裏腹に、すぐに息が上がってしまう。
「ご、伍代ちゃ、助け……」
「はぁ!? 離してっ!」
目の前を走る伍代に助けを求め、その手を掴む。
だが、その手はすぐに弾かれた。あまりの勢いに陸谷は呆気なく転倒する。
「きゃっ! え、ご、伍代ちゃん!?」
「さわんないで! あんた、トロいのよ! アタシまで転んだらどうすんの!?」
「そ、そんな……ひっ!?」
信頼を裏切られた絶望へと覆い被さるように、背後から影が両肩に掴みかかる。目を見開く陸谷。その意識は、叫ぶ間もなく恐怖の奥、死へと飲み込まれていく。
そんな光景を視界に捉えながら、伍代はほくそ笑んでいた。
大体、前から気に食わなかったのだ。ロクな才能も能力もない、見た目も並みの雰囲気可愛い女子。いつもたかりに来て図々しい癖に、見返りは何も無い。鬱陶しいったらありゃしなかった。
こんな状況下だが、もうあの声を聞かずに済むと思うと清々する。そんな事を考えつつ、再び走り出そうとする。
だが、陸谷を嘲笑う事に気を取られ、彼女は足元を見ていなかった。古い点滴チューブに気付かず、呆気なく足を取られてしまう。顔面を床に打ち付け、鞄からは沢山の化粧品や財布の中身が散らばった。
「きゃっ……ひぃ! たっ、助けッ」
一転、情けない声を出す。が、足を止める者はない。
そうしている間に、そのすぐ背後には陸谷を殺したものとは別の影が迫っていた。
「ち、ちょっと! 待っ……いやああああああああ!」
廊下に響き渡る、憐れな声。
伍代の最期を背中に聞きながら、先頭を走る双木と参河はそのスピードをぐんぐん上げていく。
「おい、あれ何なんだよ!?」
「知るかよ! まず今は走れ!」
とにかく今は、ここから早く逃げる事。それが第一だ。
二人共、足と体力には自信があった。参河は、陸上部に助っ人を求められる事だってある。好意を寄せられていた女子連中を気にする余裕は既にない。少なくとも自分達二人は絶対に逃げ切れる、そう信じて疑わずに走り続けた。
だからこそ、次の瞬間、二人は驚愕する事になる。
「ちょ、参河!」
「マジかよ!?」
廊下の先に、二つの人影がぼんやりと立っていた。
この先は一本道の通路だ。後ろからも、相変わらず影が追って来ているだろう。このままだと挟まれてしまう。一か八か、あれの動きの鈍さに賭け、その横を掻い潜り逃げるしかない。
だがそれを決める前に、人影がニヤリと笑う。その表情を見た途端、双木と参河にも死が襲い掛かった。何が起きたかも分からず、音を立てて倒れ伏した二人は、そのまま並んで息絶えた。
「……ちょっと、参河!?」
「え……え? 双木……?」
自分達より先を走っていた二人が倒れるのを見て、続く女子三人は足を止める。
否、一人だけ、転がる死体に駆け寄っている。参河と付き合っていた四根倉だ。動かぬ恋人を何度も揺する。その目が二度と開かないと知るや、四根倉は泣き叫んで壱岐城を睨み付けた。
「……壱岐城! あんた、あんたのせいよ!」
「は、はぁ? 何で私のせいなのよ」
「あんたが……あんたが言い出したんでしょうが!」
「ちょっと、意味わかんない! ここ行こうって言い出したのは双木だし!」
「はぁ!? 何それ、あんたそいつと付き合ってた癖に、何でそんな言い方出来るワケ!?」
責任を擦り付け言い合う二人。
そんな二人を余所に、漆村は既にすぐ近くの病室へと駆け込んでいた。
要領よく、効率よく。それを常に考えて来た彼女にとって、友人を二人切り捨てる事など何の躊躇いもない。このままスマホで父親に連絡を取って、自分だけでも助けを……だがそんな彼女にも、等しく死が訪れる事になる。
そして、それは廊下に残された二人も例外ではなかった。
「ひっ……! あ……あぁあ……!」
影に顔を覗き込まれた四根倉が、恋人に折り重なるようにその生涯を終える。
最後にたった一人残された壱岐城の心は、とうに恐怖でぐちゃぐちゃだ。這う這うの体で逃げようとする彼女の前にも、とうとう人影が現れる。
不気味な笑みを浮かべ、じっとりと近付いてくる影。その顔を見て、壱岐城は思わず声をあげた。
「あ……あんた! え、な、何で……!」
それは、最初に襲われたはずの八澄田だった。
だがその顔は青白く、ぼろぼろの服を纏っている。まるで幽霊だ──という事は、やはりあの時死んだのは間違いないだろう。
「……ねぇ、壱岐城さん……」
「な、何……?」
八澄田が、呻くような声で語りかける。
「私ね、ずっと辛かった……」
「や、八澄田……あの……」
「良いよ、もう何も言わなくて。友達、なんでしょ?
「……え?」
「ずっとずっとずーっと辛かった。死んじゃいたいとも思った。実際、死んじゃったけど……でも、もう終わり。もう、赦してあげる……」
その言葉を聞き、壱岐城の表情に安堵が広がる。
こいつ、どうやら私を呪い殺すつもりはないらしい。信じられない事だが、私だけは死ななくて済んだみたいだ。心が恐怖から解放され、自然と笑いが込み上げる。
だがその表情を確認した八澄田は、学校では一度も出さなかったような声で笑い出した。
「……あははははははは! なぁんて、馬鹿じゃないの! あははははは、赦す訳ないじゃない! 一生苦しめ、いや、もう死ぬから一生はおかしいかな……死んでからも苦しめ、馬ぁ鹿!」
「や、八澄田……?」
「あのね、良い事教えてあげよっか。これから貴女は死ぬ。死んで、呪われる。これ、七人一組なんだって。それでね、教えてあげる。一人殺したら、最初の一人が成仏できるらしいよ」
その呪いの名前は、七人ミサキ。
それは、七人一組の怨霊。彼らの姿を見た者は、呪い殺される。そして、彼らに呪い殺された者は、新たに七人ミサキの一人として組み込まれてしまうのだ。
しかし、その人数は常に七人。一人殺せば一人余ってしまう……そう、取り殺された者が七人ミサキの内の一人となる代わり、既に七人ミサキである内の一人が成仏できるのである。
八澄田達を殺した人影が消えていったのは、身代わりを向こう側に引き込んだ事で成仏したからだったのだ。
だがそんな事まで理解が及ぶはずもなく、壱岐城の心には再び恐怖と困惑が広がった。呪い? 成仏? 意味は分からない。だが、このままでは自分は殺される、それだけは理解できた。
そんな心中を見透かし、八澄田は楽しげにその顔を覗き込む。
「ふふ、馬鹿だからわかんないか。私達、ここに何人で来た?」
それは、全部で八人で……。
そこまで考え、ようやく壱岐城は八澄田の言いたい事が繋がった。
ここに来たのは八人。その内、恐らくは八澄田が一番最初に死んだ。その時点で生存者は七人。という事は、私が死んだらこいつは……。
「や、八澄田ぁああ! お前、お前……! あ、ぅあ……!」
「あははははははは! じゃあね、壱岐城さん。精々頑張って呪いを解く事ね。もう私には関係ないし。何か弁明でもあるの?」
返事はない。
壱岐城は、既に事切れていたのだから。
自分の代わりを殺した事で、八澄田の魂が解放されていく。成仏し、永い時を経て、輪廻転生の輪に組み込まれるのだ。彼女はとりたてて罪人という訳でもないし、再び人間として生を受ける日が来るかもしれない。
後悔はない。ただ、今度はもう少し楽しい人生を送りたいな、そんな事を思いながら八澄田の姿は消えてしまった。
*
──その頃。
「……いるな、ここ」
中学生くらいの少女が、廃病院を見上げ短髪をかきあげる。ジャージにティーシャツ、そして両手には指抜きのグローブ。引き締まった健康的な肢体は、いかにもスポーツか何かをしていそうな風体だ。
「最近、随分多いな」
拳を打ち鳴らす。
がちん、という音と共に、拳の間に紫の稲妻が駆け抜けた。
廃病院のガラス扉を一殴りで難なく砕き、少女は暗い廊下の奥へと乗り込んで行く。
「死ね。人に仇なす妖怪共……貴様ら全員地獄送りだ」
──この日、七人の亡者達は一日の内に二度の死を経験する事となる。だがその後、彼女らの魂がどうなったのかは、誰にも分からなかった。
登場妖怪解説
【七人ミサキ】
七人一組の亡者の妖怪。四国地方、中国地方に多くの類話が残る。その姿を見た者は高熱で死んでしまい、七人ミサキのうちの一人となる。その代わり、先にいた七人のうち一人が成仏する事が出来るので、七人一組という人数は不変。海難・水難と結び付けられる事もあるが、その正体は山伏であったり平家の落ち人であったりと多岐に渡り存在する。




