第九話:拡がる邪心 縊る蛇身の怒り(2)
2018/10/30 彩夏の変身の呼び名を「化装」としました。それに伴い、前話までの内容を一部修正しました。
──昔々、紀伊国に清姫という娘がおりました。延長六年、夏のある日、清姫の家に安珍という旅の僧が一晩の宿を求めます。清姫は、精悍な顔立ちの安珍に一目惚れしてしまいました。夜這いをかけて迫りますが、安珍はこれを拒み、帰りにきっと寄ると約束してさっさと出発してしまいます。
ですがその後、安珍は来ませんでした。裸足で後を追った清姫でしたが、追いつかれた安珍は知らぬ存ぜぬの一点張り。遂には清姫を金縛りに逃げ出す始末です。騙されたと知り清姫は怒りました。激怒のあまり、とうとう炎を吐き散らす蛇龍と化した清姫は、憎き安珍を追走します。道成寺の梵鐘の中に逃げ込んだ安珍でしたが、最期は清姫の愛憎の炎で鐘ごと焼き殺されてしまいました──
「ぁぁぁああ嗚呼あああ噫ああ!! 憎い! 憎い、憎い、憎らしい! 女を裏切る男が憎い、女を騙す男が憎い! 男が、男が、男が憎い! 幸ある女が妬ましい! みんな、みんな焼き殺す!」
年端もいかぬ可憐な少女が、呪詛の言葉を撒き散らす。
成る程、と彩夏は合点した。凄まじい負の感情。これがこの池の周囲に影響を及ぼし、女性達の嫉妬や愛憎を増幅させ、蛇の卷属として蛇帯を出現させたのだ。こんなものに毒されては、無邪気な小学生も殺人鬼になろうというものである。
清姫がぐるりとこちらに視線を送る。
その目がみるみる紅く染まり、口が耳まで裂けていく。紫の舌が顔を出し、着物の裾から長大な尾が伸び、あっという間に少女は巨大な半蛇半鬼の怪物へと成り果てた。
「誰、誰、誰誰誰? そこにいるのは一体誰? 嗚呼、貴女も裏切られたのね。そう、そうね、そうなんでしょう? 楽に、楽にしてあげる。ほら行け、やれ行け、縊り殺せ!」
清姫の声に併せて池から数体の蛇帯が飛び出し、彩夏へと襲い掛かる。どうやら清姫は、彩夏の事を普通の少女だとでも思ったようだ。蛇帯はと言えば、まっすぐに獲物の喉笛を目掛け伸びていく。元はベルトだったのだろうが、鱗に覆われのたうつ姿は今や蛇そのものだ。
これに対し、彩夏は掌から火炎を放射して対処する。妖怪と言えど所詮は衣類。炎には耐え切れず、蛇帯は跡形もなく焼き尽くされた。
ちりちりと舞う燃えかすを眺め、彩夏は挑発的な笑みを向ける。
「キヒヒ! 天下の清姫も大したことないね?」
「嗚呼、嗚呼! あははは! 私達の恨み辛みが、この程度で、こんなもので燃え尽きるとでも? 焼き殺す! 焼き殺してやる! 焼き尽くして燃やし尽くして、黒焦げにして消し炭にして、絞め潰して灰にして、そのまま吹き飛ばしてやる!」
「ちょ……わ、わっ!?」
清姫が激昂したように吠える。途端、その顎から大火力の炎が放たれた。
不落不落を宿す炎の化装にも負けない、あるいはそれを上回る熱量だ。火力勝負では圧し負けてしまうだろう。回避は間に合わない。すかさず、炎で受けるのではなく梵鐘でガードする。
鐘を盾にやり過ごす、まるで伝承に残る安珍そのものだ。
「おいアヤカ、どうすんだ!?」
「キヒヒ……道成寺キャノン!!」
鎌鼬の焦りを笑い飛ばし、彩夏は極限まで高めた炎の力を梵鐘に入ったまま解き放つ。
梵鐘の内側で炸裂した爆風が猛烈な推進力を生み、梵鐘はまるでロケットの様に彩夏もろとも突き進む。ふざけた技名にも関わらず強烈な破壊力を伴った一撃が、炎の奔流を打ち破り、清姫へと一直線に襲い掛かった。
だが清姫は、真正面から難なくそれを受け止めた。
大型車の激突を素手で止めるようなものだが、手に負った火傷を気にする様子もない。それどころか清姫は、梵鐘を地面に伏せるようにぐるぐるとその蛇体を巻き付けていく。瞬く間に、彩夏は梵鐘の内に閉じ込められた形となってしまった。
さらに清姫は容赦無く炎を吐きかける。
「さぁ捕まえた、捕まえた! 暑い、熱い? 熱いでしょう? 焼け死ね、熔け死ね、蒸され死ね!」
灼熱の業火に包まれ続け、頑強な梵鐘と言えど表面が熔け始めたようだ。中に閉じ込められた彩夏など、とっくに死んでいるはず。獲物の絶命を確信し、清姫は勝鬨の炎を噴き上げた。
「──キヒヒヒヒヒ!」
その時何が起きたか、清姫は理解出来なかっただろう。
鱗が弾け飛び鮮血が散る。焼き殺したはずの相手が自身の胴体を斬り裂いたのだと清姫が気付いたのは、続く斬撃に右腕の健を断ち斬られてからであった。
「あ、あ……!? 何で、何で、何で何で何で!?」
「キヒヒ! 騙してゴメンねー!」
追撃を繰り出す彩夏は、常磐色の袴姿だ。
何の事はない。清姫に捕まる直前、梵鐘の中で風属性へと化装を切り換えた彩夏は、突撃の爆炎に紛れてそこから離脱していたのである。
風と共に上空高くへと退避した後、無防備になった蛇体に刃を振り下ろしただけの事。懐に飛び込めさえすれば、あとは得意の連撃を繰り出すのみ。
体勢を立て直す隙もなく、嘘を恨んだ鬼女の霊魂は御札に封印される事となった。
「……あー! びっくりしたなー、もー!」
熔けかかった梵鐘の中から不落不落が飛び出す。
熱と炎とを発し続ける、言わば囮の役割をしていたのだ。無事だったが、もう少し遅かったら不落不落と言えど灰になっていたかもしれない。騒ぎ立てるのも仕方ないだろう。
「キヒヒ、ごめんごめん。さ、帰ろ……あれ?」
「ん? どうした、アヤカ?」
不落不落を受け流して帰路に着こうとしたその時、ふと彩夏はある事に気が付いた。
「あれ? あれれ?」
清姫を封じた御札が、何処にもない。
つい、たった今、この手に持っていたはずなのに。
「……えっと、これで良いのね?」
「ええ。上出来ですわ。百々目鬼、ご苦労様」
と、そんな会話が突然聞こえ、思わず振り返る。
そこには、いつの間にか三人の人影がいた。
一人は腕に無数の眼球がある高校生。恐らくは盗みの妖怪である百々目鬼だ。たった今、清姫の御札を掠め取ったのは彼女の仕業だろう。
もう一人は、ふさふさとした狐耳の妖艶な女性。着物をベースとしたような丈の長いメイド服を身に纏い、微かな笑みを浮かべている。その周囲には数匹のコウモリが飛び回っていた。
そしてその二人の間に立つのは、小学校の制服だろうか、正装を着飾った姿の少女だった。その顔に彩夏は見覚えがない。だが、その名は知っている。間違えるはずがない。姿こそ違えど、その雰囲気と纏う妖気を、はるかに昔から彩夏は知っていた。
「ごきげんよう、お久しぶりですわね。お元気そうで何よりですわ。確か……そうそう、今は山源彩夏さん、だったかしら?」
「キヒヒ。そういう君は神野百姫なんて名乗ってるらしいねー。キヒヒヒヒ、神野悪五郎ちゃん?」
「ウフフフ、その呼び方はあまり感心しませんわ。折角現代の素敵な名前があるんですもの、それで呼び合いませんこと? ねえ……山本五郎左衛門さん」
──それは、今から数百年も昔の話。
かつて日本には、妖怪共の頭領として幾柱かの「魔王」が君臨していた。彼らはそれぞれが強大な勢力を誇る妖怪変化の王であり、真なる魔王の座を賭け互いに競い合っていたと云う。
中でも、特に強力な魔王は二柱。
彼らは神野悪五郎、山本五郎左衛門と呼ばれ、畏れられた。
そして、現代。
数百年の時を経て、魔王が再び相対する──。
登場妖怪解説
【蛇帯】
鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」で描かれている妖怪。嫉妬する女性の三重の帯が七重の毒蛇になるとされた。そこから転じて、女の嫉妬が帯に乗り移り蛇の妖怪と化した存在とも解釈される。
【清姫】
紀州道成寺に伝わる「安珍清姫伝説」に登場する人物。物語に関しては本編の通り。自分を裏切った安珍への恨みと怒りから炎を吐く蛇へと姿を変え、最終的に安珍が隠れた寺の鐘ごと愛する男を焼き殺した。