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魔放少女あやかしアヤカ  作者: 本間鶏頭
第一章 魔放少女と妖怪達
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第七話:魔境 大いなる神の森(2)

「……おかしいな。迷ったか?」


 あれから三十分も経っただろうか。

 歩きながら、手ヶ田は誰に言うでもなくぼやく。


 あまり採りすぎてもいけない。いや、決して自然保護とかではなく、単に採りすぎては生体にかかるストレスが増えて帰るまでにダメになる(・・・・・)個体が増えるからというだけの話である。

 ケースの中には、いつもの種類が七匹に、黄色いまだら模様が四匹。それに卵塊がひとつ。十分過ぎる収穫だ。そう考えて早々に捕獲を切り上げたのだが、歩いても歩いても、一向に帰り道へと辿り着かないのだ。川を下流に向けて辿っているので、迷うはずはないのだが。


 妙だな。そう思い始めた時、手ヶ田はある事に気が付いた。


 何かが、後をつけて来ている。足音と言うか、気配を感じるのだ。

 ちょっと待て、まさか、熊でも出たか? 恐る恐る、ゆっくりと振り向く。しかし、その気配の主の姿を見た途端、彼は思わず笑ってしまった。


「おいおい……何だ、びっくりさせるなよ。お前、もしかしてさっきの犬じゃないか?」


 そこにいたのは、一匹の仔犬。

 間違いない。ここに来る時に会った、少女が連れていた犬だ。

 逃げてきたのだろうか。いや、リードが見当たらない所を見ると、放し飼いにでもされているのか。こんな仔犬を? 疑問は尽きないが、今はそれどころではない。


 もしかすると、この仔犬に着いて行けば帰り道に辿り着くのではないかとも一瞬思ったが、そうはいかないらしい。

 どうやらこの仔犬、手ヶ田の前を歩くつもりは無いようなのだ。決して前には出る事なく、後ろで黙って尻尾を振っている。奇妙な旅の道連れに苦笑しながら、手ヶ田は歩き続けた。



「はぁ……はぁ……またか。おい、一体どうなってるんだ……!?」


 だが、しかし。

 それからさらに一時間も経ったのではないだろうか。手ヶ田の視界は、先程からまるで変わっていない。何だか同じところをぐるぐる回っているような不気味な感覚が頭を過り、流石に手ヶ田も焦燥を隠せなくなっていた。

 スマートフォンで外に連絡を取る事も考えたが、今はまずい。何せ、サンショウウオを捕らえて来た帰りなのだ。最悪、獲物を逃がして助けを呼ぶ事も視野に入れなければならないだろうが、ギリギリまでそれは避けたかった。


「……うわっ!?」


 と、疲労も溜まっていたのだろう。苔むした石に足を滑らせ、そのまま地べたに膝を打つ。

 最悪だ。打撲をさすりながら、まずはケースの中身の無事を確認する。そうして初めて、彼は既に辺りが薄暗くなってきた事に気が付いた。まだ日暮れには早いがうかうかはしていられない。急がないと。


 その時だ。起き上がろうとする手ヶ田の背後から、獣の唸り声が響いて来たのは。


「ウウゥウウウ……」


 最初は、さっきの犬が唸っているのかと思ったのだ。だが、こんな地の底から響くような唸りを、あの小さな柴犬が出せるだろうか。それに気付いてはっと振り返る。


「え、なンっ……!?」

「ヴゥウ……グルルルルゥウウ……!」


 先刻まで仔犬がいたはずの場所には、柴犬の子供とは似ても似つかぬ怪物がいた。


 それは、痩せこけた猛獣だった。首も手足も尾も異様に長く、ぎらついた眼は紅く輝いている。舌をだらりとして息を荒くするその顎には、鋸の如く牙がずらり。真っ黒な毛並みは薄闇に溶け込み何倍にも大きく見える。そのシルエットは犬と言うより狼だ。

 狼……? まさか、と思い至るより先に、その猛獣は手ヶ田に向けて牙を剥く。


「ヴォウ!」

「ぎ、あぁぁああッ!?」


 それは一瞬。獲物の肉を、獣が咀嚼する音が聞こえてくる。激痛に悲鳴をあげて再び膝をつくと、左腕が動かない。

 当然だ。肘から先を、ごっそりと喰い千切られたのだから。


「な……うわぁッ! な、何なんっ……!?」


 もう、ケースの中身などどうでも良い。

 そんなものよりもまず命が第一だ。

 歯を食い縛り立ち上がる。そのまま、左腕だった肉塊に夢中になっている怪物を余所に、手ヶ田は一目散にその場から駆け出した。





「キヒヒ。あーあ、行っ、ちゃっ、た」


 森に無邪気な声が響く。様子を樹上で眺めていた彩夏は、満足げにそこから飛び降りた。

 足元に転がる飼育ケースの蓋を開け、中のサンショウウオを外に逃がす。別にそれ自体が目的だった訳ではないのだが、もののついでだ。


「よしよし、送り犬(おくりいぬ)は良い子だね」


 骨まで噛み砕いていた怪物を撫でながら呼び掛ける。すると、怪物はたちまち元の大人しそうな仔犬へと戻ってしまった。


 今でこそ柴犬の子供に似た姿に身をやつしているが、送り犬は送り狼とも呼ばれる、かつては山の守り神として奉られたニホンオオカミの血族たる妖怪だ。

 その習性は、山に踏み入った者の背後を着けて歩くという単純なもの。何事も無ければ、人間を無事に人里まで送り届ける、まさに守り神のような存在だ。だがその人間が転んでしまうと、捕食者としての本性を顕にして、犠牲者に襲い掛かるのである。

 それはまるで、時に寛大で時に容赦の無い、山の大自然の相反する二つの側面を象徴するかのような存在であった。


「キヒヒヒヒ。これからもちゃーんと聖域(ここ)を、みんなを守護(まも)るんだよ?」


 彩夏の言い聞かせに、返事をするように遠吠えをする送り犬。すると、更にそれに呼応するようにいくつかの咆哮が聞こえてきた。


 そう。此処は、聖域。


 彩夏の結界と送り犬の妖力により外界から守られた、ニホンオオカミの一族の楽園。獣や妖は往来が自由だが、人間はその方向感覚を狂わせられ近付く事すら出来ない魔境。故に、聖域。

 だからこそ、稀に迷い混む人間の悪意を嗅ぎ取り生殺与奪の権を握る存在として、送り犬もまた此処に暮らしているのだ。

 そして、腹を空かせた狼達の食糧の調達(・・・・・)もまた、送り犬と彩夏の仕事。今頃ニホンオオカミ達は、点々と続く血の臭いを嗅ぎ付けている事だろう。彼らは生粋の、日本古来の狩人なのだから。


 人間達のすぐ近くに、失われた里山の生態系が今も息づいている。こうした魔境は決して珍しいものではない。ニホンカワウソも、トキも、何処かにいるのである。

 ただ、人間達が知らないだけなのだ。今までも、そして、これからも。

登場妖怪解説


送り犬(おくりいぬ)

夜中に山道で後ろを着いてくると言う、犬または狼の姿をした妖怪。送り狼とも呼ばれる。送り犬が着いてきている時に転んでしまうと、たちまち喰い殺されてしまうが、例えば座ったフリをして誤魔化したりすると難を逃れられると言う。また、正しく接すると山の獣から守ってくれるとの説話もある。これらは、ニホンオオカミが自分達の縄張りに入った人間を監視し後を着ける生態があった事に由来すると考えられている。

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