番外編 エンジェルの悪戯②
『何が産まれそうなんだ?』
急激に莉奈のお腹が大きくなったとは夢にも思わないセラフィムは、呑気に聞き返した。
『何って、赤ん坊に決まってるだろ!』
『あ、赤ん坊!? まさか、莉奈が流産しそうなのかっ!?』
莉奈の具合が悪くなったのかもしれないと思い至ったセラフィムは、血相を変えて立ち上がった。
『違う! あっという間にお腹が大きくなって、もう産まれそうなんだよ! エンジェルが大きくしたんじゃないかと思う!』
『な、何っ! 本当に今から生まれるのか!?』
『そうだよ、早く来て!』
『待って! お父さん、お兄ちゃん、転移の方が早い! スカーレット、頼むよ!』
慌てて部屋の外へ飛び出そうとするセラフィムと春翔を、海翔が引き留める。
海翔に呼ばれて姿を現したスカーレットには、既に話が聞こえていたらしい。
いつも通りの無表情ながらも、すぐに了承してくれた。
『いいわ。みんな手を繋いで目を瞑って。』
3人が別邸の食堂に転移すると、床の上に仰向けで横たわる莉奈の姿が目に飛び込んできた。
莉奈の傍らには、エンジェルを抱いた美優が不安そうな顔でぺたりと座り込んでいる。
『莉奈っ!? 莉奈! 美優、莉奈はどうしたんだ!?』
『かーちゃん!』
『お母さん! しっかりして!』
莉奈を取り囲んで慌てふためく男どもの姿を見て逆に冷静になったのか、美優は淡々と状況を説明し始めた。
『莉奈ママ、さっきお腹が痛み出して陣痛かもしれないって言ってたんだけど、急に眠っちゃったの……。エンジェルが眠らせたのかもしれない。でも、体をぶつけたりはしてないから怪我はしてないよ。いまケイラさんがお湯を沸かしてて、マルクさんはお医者さんを呼びに行ってくれてる。』
『ほ、本当に産まれるのか……。どうする!? びょ、病院に……、保険証はどこだっ?』
気が動転したセラフィムは勢いよく立ち上がると、その辺の引き出しを漁り始めた。
『セラパパ、落ち着いて。ここは日本じゃないから保険証は使えないよ。お医者さんが来てくれるから病院も行かなくていい。床に寝てたら背中が痛くなっちゃうから、莉奈ママをベッドに連れて行ってあげて。』
『よ、よし!』
仕事を与えられたセラフィムは、莉奈の体をそっと抱き上げようとしてあることに気が付いた。
『は、破水してる! もう産まれる! 起こさなくて大丈夫なのか?』
『だいじょぶ。ねんね。いちゃくない。』
騒然とする一同の中で、どこからともなくたどたどしい幼い声が聞こえて来た。
『えっ……? これは、エンジェルの声なのか? まさか、話せるのか?』
『すごい……。さっきはプリンしか言えなかったのに、もう話せるようになってるぞ……。』
『ぷいん! おいち、おいち!』
にぱっと満面の笑みを見せながら、エンジェルは場違いな感想を述べる。
そこへ、小さなたらいを持ったケイラが急ぎ足でやってきた。
「旦那様! よかった、お戻りでしたか! お湯の準備が出来ました。奥様はもう破水していますので、いつ産まれてもおかしくありません」
「ケイラ、医者はまだなのかっ?」
「産婆を呼びに行っていますが、すぐに来てもらえるかどうか……。お産が重なることもありますから……。」
ケイラは心配そうに顔を曇らせた。
それを聞いた美優は、こうしちゃいられないとばかりにすくっと立ち上がって言った。
「ケイラさん、ただ産婆さんを待っているより、私たちで取り上げる準備をしましょう!」
「「「「えっ!?」」」」
今までアホの子のようにしか話せなかった美優が、驚くほど自然にアレクサンドロス語を話している。
この国で生まれたと言われても不思議はないほどの流暢さだ。
「どうしたの? ぼさっとしてないで早く準備しないと間に合わないよ!」
「お、お前、いつの間にそんなに流暢にアレクサンドロス語を話せるようになったんだよ!?」
「そういうお兄ちゃんも流暢に話してる!」
「ええっ、なんでっ!」
「まま。あれくさんどろすご、じしんない。もう、だいじょぶ!」
エンジェルはぷくぷくの可愛い両手をバンザイをするように上にあげた。
「あ……、びっくりした。エンジェルが話せるようにしてくれたの? そういえばさっきリナママが、お産の最中にアレクサンドロス語を話す自信がないって言ってたね。」
「そういえばそんなこと言ってたっけ。これだけ話せれば学校に通うようになっても楽勝だな!」
「ぱぱ。あかたん、うまれた。」
「ん? ああっ! 大変だ、生まれてる!」
気が付くと、莉奈のスカートの中にもぞもぞと蠢くふくらみが出来ていた。
セラフィムは慎重にふにゃふにゃの赤ん坊を抱き上げた。
誰も切っていないのに、既にへその緒も切れている。
「ふえっ、ほぎゃあーーーーー! ほぎゃあ! ほぎゃあ!」
「ち、血まみれだな。女の子か……。」
セラフィムは血みどろの赤ん坊に及び腰になっている。
「うう……、やだ、私いつの間に寝ちゃってたの? えっ、そ、その赤ちゃんは……。」
「生まれたよ……。」
「生まれたの……。」
セラフィムと莉奈は、半ば呆然と血まみれの赤ん坊を見て固まっている。
「旦那様、産湯に入れましょう。さあ、赤ちゃんをこちらへ。」
ケイラに促されて赤ん坊を手渡したセラフィムは、あからさまにホッとしていた。
温かいお湯で清められた赤ん坊は、おくるみ代わりの布でぐるぐるに巻かれ、ミノムシのようになって莉奈の腕の中へと戻ってきた。
「ふふっ、かわいいわ。金色の髪があなたにそっくりね。」
「そうだな。名前は何にしよう? 3人目は女の子だったよ。」
「女の子なのね。まだまだ産まれないと思ってたから、何も考えてなかったわよね……。」
「みしぇーる!」
エンジェルが迷いなく名前を挙げる。
「ミシェール? ふむ……、うちの子らしく、天使にちなんだ名だな。せっかく神の子が名付けてくれたんだから、ミシェールにするか?」
「そうね。日本名として、セリナはどう? 私たちの再会の記念に、セラフィムとリナを合わせた名前を付けましょうよ。」
「ああ、それもいいな。それじゃあ、この子の名は、セリナ・ミシェール・ジョーンズに決まりだな!」
「セリナ・ミシェール・アクティースでしょ。」
正式にアクティース公爵家を再興した今、本名のセラフィエル・アクティースに名を戻しているのだが、セラフィムは31年間使い続けた名前がまだ抜け切らないようだ。
「そうだった。セリナ・ミシェール・アクティースに決まりだ!」
「可愛いね!」
「可愛いな!」
「かわいい……、僕の妹かあ……。」
美優も春翔も海翔も産まれたての小さな赤ん坊を見て、ふにゃっと頬を緩めている。
「セラフィム、おめでとう。」
「今度は女の子か。よかったな!」
「おめでとう」
気が付くと、守護精霊達がセラフィムの背後から赤ん坊の顔を覗き込んでいた。
緊急事態とあって、スカーレットがウィルとソールを呼んでくれたようだ。
「その赤ん坊は、ものすごい神力だな!? 初代国王を超えるんじゃないか?」
「そうだね。神の子がその子の成長に干渉したせいもあるだろうね。」
「少ないより多い方がいいわ」
3人の守護精霊達は、笑顔で赤ん坊の神力について語り合っている。
「ウィル……、ソール……、スカーレット……、いま恐ろしい会話が聞こえたんだが、気のせいだよな?」
「何が? 恐ろしいことなんて話してなかったと思うけどな」
我が子が初代国王を超える神力を持つと聞いて、心穏やかではないセラフィムだったが、今そんなことを言ってお祝いムードをぶち壊すのも興をそがれる。
ここは聞こえなかったことにして、単純に子どもの誕生を祝おうと思い直した。
「こうして産まれたての赤ん坊と比べてみると、エンジェルも大きくなって……、んっ、大きく……? ……なんか、さっき見た時よりエンジェルが縮んでるんだけど……。」
春翔の言葉に、みんなが一斉にエンジェルを見た。
「本当だ……。もしかして、エンジェルはもう自由に大きくなったり小さくなったり出来るんじゃないの? たしか神様が、すぐに成長するから手がかかるのは最初だけって言ってたよね?」
「そういえば……。」
「あぶー。」
ついさっきまで会話が出来ていたと言うのに、エンジェルは何もわかりませんという顔で美優に抱かれている。
「まあ、いいじゃない。たった1ヵ月で手放すなんて寂しいもの。エンジェル、もう少し私たちと一緒にいてちょうだい。」
「うきゃあ!」
莉奈が伸ばした手に優しく髪を梳かれながら、エンジェルは満足げに声をあげた。
どうやら、莉奈に言われるまでもなく、最初から帰るつもりなど毛頭なかったようである。
ばればれな態度のエンジェルに苦笑を漏らす一同だったが、この時、人間にとっての「もう少し」と、神にとっての「もう少し」の違いに気付く者は誰もいなかった。
お読みいただきありがとうございました。
いったん完結表示にしますが、こちらの番外編については不定期で更新を続けるつもりです。
よろしくお願いいたします。




