番外編 エンジェルの悪戯①
本文中、日本語の会話は『』、アレクサンドロス語の会話は「」で表記しています。
ある日の昼下がり、アクティース公爵家別邸の食堂には膝にエンジェルを乗せた春翔の姿があった。
普段は1人きりでエンジェルの面倒を見ることは滅多にないのだが、今はわざわざ自分から名乗りをあげて子守り役を努めている。
何のことはない、子守りをしていた美優に、自分が面倒を見るからと頼み込んでまで好物を作ってもらったためだ。
『ふにゃあああああーーー! ぷいん! ぷいん! ぎゃあああああーーーーん!』
『ひいっ! た、助けてっ!』
大泣きするエンジェルに困り果て、椅子から立ち上がった春翔は、おたおたしながら必死にエンジェルを揺すってあやそうとしていた。
テーブルの上には、一口食べただけのプリンとスプーンが鎮座している。
食欲をそそる焼き色のついた表面の一部が削られ、底からあふれ出た焦げ茶色のカラメルソースが甘く香ばしい香りを放っていた。
つい先ほどまでいい子にしていたエンジェルだったのだが、スプーンにすくったプリンが春翔の口の中に消えたとたんに大騒ぎを始めてしまった。
どうやら、自分がもらえると思っていたプリンを、春翔が食べてしまったことに対して精一杯の抗議をしているらしい。
『ぷいんー!』
『誰か来てーーーー!』
『何やってるのよ春翔は。エンジェルを泣かせたらダメでしょ。』
エンジェルの泣き声を聞きつけた莉奈が急ぎ足でやってきて、春翔の腕からエンジェルをすくい上げた。
『だって、エンジェルがプリン食わせろって言うんだよ。こんなに小さいのにプリン食べさせていいのか分からなかったし』
『ダメよ、プリンなんてあげちゃ。まだ早すぎるわ。1歳近くにならないと食べられないわよ。』
『ほらー、やっぱりダメだってよ。諦めろ。』
春翔はエンジェルの頬をつんつんとつつきながら言った。
『ふええーーー、ぷいんー! ふぎゃーーーん!』
エンジェルは青色の大きな目からぽろぽろと涙をこぼしながら、いっそう声を張り上げた。
『は、春翔……、もしかしてエンジェル、プリンって言ってない?』
莉奈はおそるおそる春翔に尋ねた。
『だからさっきから言ってるだろ。プリンくれって大泣きしてるんだよ。』
『ええと、エンジェルはまだ生まれたばかりよね? 生まれたばかりの赤ちゃんはしゃべらないわよね? でも……、そんなことを言い出したら、どうしてもう首が据わってるのかしら……。』
莉奈は混乱していた。
そこへ、厨房からやってきた美優が春翔を見て呆れたように言った。
『あーあ。泣かせちゃってー。春ちゃんがプリン、プリンってうるさいから作ってあげたんだからね。私はまだ後片付けが残ってるんだから、がんばってもうちょっと子守りしててよ。』
『俺、これでもめっちゃがんばったんだけど……。せっかくユキちゃんがいるんだし、冷やしたプリンが食べたかったんだよ。』
『美優、そんなことよりエンジェルが喋ってるんだけど……、プリンって言ってるのよ。』
まだ混乱が続いている莉奈は、美優にも同じことを繰り返し訴えた。
『春ちゃんがしつこいから覚えちゃったんじゃない? 何回言うんだよってほどプリンって言ってたからね。』
『でも、神様がエンジェルを連れてきた時、生まれたばかりって言ってたわよね? ということは、まだ生後1ヵ月経たない新生児よね?』
『エンジェルは神様の子どもなんだから、人間の子どもと比べちゃ駄目なんじゃないの?』
『そうなのかしら……、じゃあプリンも食べられるの?』
莉奈はエンジェルの顔を覗き込むようにしてエンジェルに問いかけた。
すると、エンジェルはぴたりと泣き止んで、質問の意味を理解しているかのようにこくんと頷いた。
『やっぱり、どう考えても私たちの言葉を理解してる反応だわ……。美優、エンジェルにあげてみるから、プリン持ってきてくれる?』
『はーい。よかったね、エンジェル!』
エンジェルは念願のプリンが食べられることになり、期待にパアッと顔を輝かせた。
『はい、あーんして。』
莉奈が小さなスプーンに半分ほど乗せたプリンを近づけると、エンジェルはあーんと大きく口を開けた。
もごもごと口を動かし、プリンの味が口に広がると、エンジェルは喜んで手足をバタバタと動かした。
『うきゃああああー!』
『おお、喜んでる、喜んでる。うまいだろー? やっぱりプリンは固めの焼きプリンだよな? 俺は断然とろとろより固め派!』
『うっきゃあああああーーーー!』
初めてのプリンに興奮がおさまらないのか、エンジェルの金色の髪はいつにも増してキラキラと眩しく輝いている。
『うんうん、お前分かってるな! おー、よしよし!』
『ええっ!?』
なぜかおかしなタイミングで莉奈が驚きの声をあげた。
『莉奈ママ、どうしたの?』
『うっ、動いたのよ!』
莉奈は握っていたスプーンを皿に置き、自分のお腹に手を当てた。
『何が?』
『あ、赤ちゃんが……!』
『へー。』
それがどうしたのだろうか。
春翔と美優には、莉奈が驚いている理由がわからなかった。
『胎動を感じるのは、だいたい6ヵ月頃からなのよ!』
『ええっ! そういえば、ついこの間妊娠していることが分かったにしてはお腹が大きすぎるよね……。』
『確かに……。すごいスピードで膨れてるような……。』
春翔たちの驚きをよそに、エンジェルは次のプリンを要求して、口をあーんと大きく開けて待機している。
莉奈はエンジェルの小さな口にプリンを入れてやりながら、心配そうに自分のお腹に視線を落とした。
『やっぱりそう思う? 私も大きすぎるんじゃないかと思ってたのよ。まさか、双子じゃないわよね……。』
『あの神様が、また勝手な都合で何かしてるとか……?』
『何かって?』
美優がコテンと首を傾げる。
『エンジェルの遊び相手が必要だとかなんとかで、赤ん坊を早く産まれさせようとしてるとかさ。』
『それはない。産まれたばかりの我が子を他人に押し付けてシレっとしてる人が、子どもの遊び相手の事なんかに気が回るはずない。』
美優の神に対する評価は、安定の最低値を更新中だ。
『それもそうだな。うーん……。』
『あうー、あぶぶぶぶぶ。』
ご機嫌なエンジェルが莉奈の方に手をかざすと、莉奈のお腹は春翔たちの目の前でさらにムクムクと膨れあがった。
さっきよりも一回りは大きくなったように見える。
『えっと……、莉奈ママ、いま思いっきり息を吸い込んでお腹を大きくしたの?』
『何もしてない……、何もしてない……。』
莉奈は、目に見えて自分のお腹が膨れあがっていくことに青ざめている。
本当にこのまま産まれてしまうのではないかと恐怖を感じていた。
『もしかして、エンジェルがやってるんじゃないか……? 産まれたばかりとはいえエンジェルも神様なんだし、出来ても不思議じゃないよな。きっと遊び相手がほしいんだよ。それか、いま食べたプリンが美味しかったから、産まれてくる赤ちゃんにも食べさせたいとか……?』
『ええっ! まだ何の準備も出来てないのに、そんなに直ぐに産まれたら困るわ。病院を探さないといけないし、赤ちゃんのオムツや肌着なんかも必要だし、後は……、後は……。ああっ、もうわからない! お産の最中にアレクサンドロス語を話す自信がないわ、どうしよう!』
まさか、妊娠3ヵ月程で産まれそうになるとは想像もしていなかった。
まだ何一つ出産準備に手を付けていなかった莉奈は大慌てだ。
『莉奈ママ、落ち着いて。春ちゃん、セラパパを呼んで来て。本当に産まれてもいいように急いで準備しないと!』
『お、おう。ひとっ走り行ってくる!』
春翔は大急ぎで食堂を出ると、セラフィムのいるアクティース公爵家本邸へと走り出した。
太ももをパンパンにしながら必死に自転車を漕いで10分ほどで、春翔は公爵家の屋敷にたどり着いた。
『とーちゃん! 大変だよ!』
息も絶え絶えになりながら執事に案内された執務室へ駆け込むと、そこには机の上に紙を広げて何事かを相談しているセラフィムと海翔がいた。
『そんなに慌ててどうしたんだ?』
『う、産まれそうなんだよッ! 早く帰って来て!』
ご無沙汰しております。
久しぶりにこちらの続きを書いてみました。
「エンジェルの悪戯②」は今月中に投稿したいと思います。
よろしくお願いいたします!




