第74話 愛は憎悪の始め
エルジェーベトの唐突な発言と、あまりの取り乱しように一同は唖然として目を瞬かせた。
春翔がエッという目でセラフィムを見ると、セラフィムはそっと首を振って否定する。
「急に何を言い出すのだ。」
ヘリオス先王は面食らいながらも、エルジェーベトを嗜めた。
「アレス殿下と同じあの目が何よりの証拠です! 今は青い色ですが、あの目は色が変わる!」
エルジェーベトは立ち上がり、セラフィムを指さして尚も言い募った。
「いま初めて英雄に会ったお前に、なぜそんなことがわかる?」
「それは……ッ! わたくしの甥が旧アクティース公爵領の代官だからです。甥から隠し子の話を聞いていたのです!」
セラフィムは、本人の口からエルジェーベトと代官の繋がりを聞かされ、今日の襲撃はエルジェーベトの命によるものなのだと確信した。
アレス叔父の隠し子だと勘違いして、殺すために襲撃したのだ。
襲撃を指示した本人であるからこそ、殺させた筈の相手が突然現れたことで、殺害計画が失敗して復讐をしに来たのだと取り乱しているのだろう。
「甥。アクティース公爵領の代官は、あなた様の甥なのですね。」
「そうだと言っているではないか! わたくしに直接話しかけるなど無礼であろう!」
セラフィムはエルジェーベトの叱責を無視すると、淡々と事実を述べる。
「本日、私はアクティース公爵領の代官に襲撃を受けました。賊は返り討ちにし、代官もろとも生け捕りにしてあります。代官を尋問したところ、襲撃はアスパシア様の命を受けて行ったとのこと。」
「なにっ!?」
ヘリオス先王が驚きの声をあげた。
「アレクサンドロス王家の守護精霊、ソールはその言葉は嘘だと言っています。私も、アスパシア様を犯人に仕立て上げたい誰かの仕業だと思っています。」
そしてセラフィムは、犯人はこの中にいると言いたげに、部屋にいる人物をぐるりと見回した。
「皆さま、実は私はある人物から興味深い話を聞くことが出来ました。その人物が言うには、31年前の襲撃事件の実行犯は、ヒュドール侯爵だと言うのです。」
「なんだとっ!? ヒュドール侯爵が!? そんな馬鹿な、ヒュドール侯爵は騎士団長だったのだぞ!」
ヘリオス先王は、驚愕と狼狽に大きく目を見開いた。
「事情があるのです。ヒュドール侯爵は、夫人と令嬢を誘拐されてしまい、誘拐犯に神力を持つ貴族を殺すよう強要されていたのです。侯爵はもちろん拒否しましたが、目の前で夫人が拷問される姿に耐えかねて、やむにやまれず実行することになったそうです。」
「目の前で侯爵夫人を拷問するだとっ!? 何と残酷なことを……。」
ヘリオス先王は、信じられないというように首を振る。
「侯爵は侯爵夫人を一旦は屋敷に連れ帰りましたが、侯爵夫人はその時の大怪我が元で亡くなってしまったそうです。ですが、令嬢は密かにウンディーネに助けられ、命を長らえることが出来ました。」
「なんと……。あの事件以来、ウンディーネの姿が見えなくなってしまったことが気にかかっていたが、ウンディーネも関わっていたとは……。」
「ウンディーネは、自分が守護するヒュドール侯爵家がしたことの報いとして、今は力の大半を失ってしまいました。ですが、力を失った今でも、ヒュドール侯爵家の者を静かに見守り続けているのです……。ヒュドール侯爵家を守りきれなかった贖罪のつもりなのでしょう……。」
「そんな! 我が国の7体の守護精霊のうち1体が力を失ってしまったとは……! なんということだ……。」
ヘリオス先王は、二千年もの長きに渡って国を守り続けてくれた守護精霊の1体が力を失ったと知り、あまりの事態に顔色をなくした。
「ヒュドール侯爵夫人は、亡くなる前に犯人の名を言い残して逝かれたそうです。仮面と外套で顔を隠していたものの、夫人にはすぐに分かったそうですよ。ーーー外套からこぼれる栗色の髪、仮面の奥の緑色の瞳、そして、聞き覚えのあるあなたのその声もね。」
セラフィムは、射るような鋭い目でエルジェーベトを見据えた。
シーンと静まり返る部屋に、エルジェーベトがヒュッと息を呑む音だけが響く。
「し、知らないッ! そんな話は作り話であろう!」
エルジェーベトは金切り声をあげた。
「まだシラを切りますか。いいでしょう。こちらは代官を生かして拘束してあるのです。口を割らせるのは簡単です。」
「ひ、卑怯なッ! ヘリオス様、この者はわたくしを陥れるつもりですッ!」
「卑怯だと? あなたがそれを言うのか? 卑劣な殺人を企て、ヒュドール侯爵を無理やり実行犯に追い込んだあげく、全ての罪をアスパシア様に擦り付けるお前がっ! それを言うのかッ!!」
怒りの頂点に達したセラフィムの目は、燃えるように真っ赤に染まっていた。
「その目! やはりお前はアレスの隠し子っ!」
「私の名は、セラフィエル・アクティース! 31年前に両親を殺された恨み、いまこそ晴らすッ!」
「な……っ! なぜお前が生きているッ! お前は一番に殺せと命じた筈……!」
セラフィムの本当の名を聞いたエルジェーベトは、驚愕するあまり自分が口を滑らせていることにも気付いていない。
「語るに落ちたぞ。残念だったな。」
「くッ……!」
失言にハッとした時にはもう遅かった。
もはや言い逃れは出来ないと悟ったエルジェーベトは、指輪の細工を開き、中に入っていた粉を口に含もうとした。
「させるかッ!」
セラフィムはポケットに入れたままだった地下牢の鍵束を素早く取り出すと、エルジェーベトの手めがけて投げつけた。
神力の乗った鍵束は、恐ろしい勢いでぐるぐる回りながらエルジェーベトの手の甲でガシャンと音を立てた。
「ぐうッ!」
エルジェーベトは痛みに耐えかねて、手を押さえて床にへたり込んだ。
「簡単に死ねると思うな! お前のしたことは全て白日の下にさらす! 代官を含むお前の手の者にも必ず報いを受けさせるからそのつもりでいろ!」
「な……、なぜだ? なぜそんな恐ろしいことを仕出かしたのだッ? セレーネは私の妹なのだぞッ!」
ヘリオス先王は、セラフィムの母にして自分の妹、セレーネを思い涙を流した。
「…………あなたの……、あなたのせいではないですかッ! あなたが側室など娶るから……ッ! あなたに裏切られ、アスパシアに子が産まれて、私がどんな思いをしたと!」
「なっ! そんなことのために大勢の人間を手にかけたと言うのかっ!? この国の大切な守護精霊、ウンディーネの力も失われてしまったのだぞ!」
ヘリオス先王は、信じられないものを見るような目でエルジェーベトを見た。
「国中の誰もが一人残らずあの女を憎むようにと、あの女を極悪人に仕立て上げようとしたのに! ヒュドール侯爵夫人はあの女の実の姉、姉を通して襲撃させたと思わせる筋書きだった! 神力を持つ貴族を殺す動機があるのは、息子の王位を守りたいアスパシアだけではないか! なぜ上手くいかぬっ!」
エルジェーベトは悔し気に床を叩いた。
「なんということだ……。エルジェーベト、私はお前を裏切ってはいない。」
「子どもまで作っておきながら、何を今更!」
「……アステールは、私の子ではない。」
ヘリオス先王は、疲れ切った様子でぽつりと言った。
「えっ!?」
「私は、国のためにどうしても神力を持つ世継ぎが必要だった。私は結婚して10年経っても子が出来ず、セレーネも3年経っても子が出来なかった。アレスは婚約することさえ頑なに拒否していて、私は追い詰められていたのだ。
そんな時、偶然アスパシアの境遇を知った。アスパシアには好いた男がいたのだが、どうしても断れない相手と婚約していたのだ。だから私は、表向きはアスパシアを側室として召し上げ、その男と添わせた。二人の間に生まれた子どもを、私の子とすることを条件にな。
アスパシアが私よりも強い神力を持ち、相手の男もわずかながら神力を持っていることを、私は知っていたのだ。」
ヘリオス先王の懺悔を聞いたエルジェーベトは、わなわなと震え出し両手で顔を覆った。
「な……。なぜッ、なぜ言ってくださらなかったのですか! それを知っていれば、アスパシアを陥れようなどと画策はしなかったのにッ! くっ…、ううう……ッ!」
エルジェーベトは床に伏し、わあっと声をあげて泣き崩れた。
「すまない……。すまない……。アステールが私の子ではないと知られるわけにはいかなかったのだ……。」
ヘリオス先王の目にも、後悔の涙が浮かんでいた。
「あなたが大勢の罪のない人々を殺めた事実は消えません。罪は罪として裁きを受けていただく。」
セラフィムは、動機を聞いてもエルジェーベトに対する同情心は全く起こらなかった。
側室を娶ってほしくないのであれば、なぜそう言わないのか。
くだらない女の嫉妬心のために両親が殺されたと知り、ますます憎しみが募るばかりだった。
「わかっている……。気の済むようにするがいい……。最後にもう一つ、告白することがある。」
エルジェーベトは、もはや全てを諦めた様子だった。
「なんでしょうか。」
「ヘリオス様とアステール陛下のご不調は、毒によるものだ。私が贈った茶葉に混ぜてある。」
ヘリオス先王を愛するがゆえに大勢の人々を殺めた挙句、当のヘリオス先王本人までも毒牙にかけようとは、エルジェーベトのあまりの業の深さにセラフィムはしばし絶句した。
「なんという……。あなたは心底恐ろしいお人だ……。先王陛下、ご安心ください。我がアクティース公爵家の守護精霊ウィルがお力になれる筈です。」
「いや……。私のことは捨て置け。エルジェーベトが起こしたことは、私にも責任がある。私はこのままエルジェーベトと共に裁きを受けよう。どうか、アステールを治してやってくれ……。」
力なくつぶやくヘリオス先王は、まるで一気に10年年を取ったかのように萎れて見えた。
「私が……、あの時、あと半年待てれば……。そうすればお前が生まれて、この国の平和は保たれた……。すべては私の失策のせいだ。セラフィエル、本当にすまない。後のことは、頼む……。」
ヘリオス先王はそう言うと、セラフィムに向かって頭を垂れた。
遂に真犯人を捕らえることが出来た。
しかし、セラフィムはもちろんのこと、静かに成り行きを見守っていた春翔とアレス叔父の心も晴れはしなかった。
重苦しい沈黙だけが部屋を包むのだった。




