第72話 光の精霊の力
セラフィムは、ウィルの言葉に泣き腫らした目を瞠った。
『え? どういう意味だ?』
『死んでないから。』
『ええっ!』
記憶を手繰ってみても、確かに莉奈の首は力を失ってガクリと落ちた筈だ。
理解が追い付かないセラフィムは、半ば呆然としてウィルを見つめた。
『気を失ってるだけだから。セラフィム、まずはその矢を引き抜いて。』
『あ、ああ……。引き抜く……。』
言われるがまま震える手で矢を掴み、ぐっと力を込めて引き抜こうとしたセラフィムを春翔が止めた。
『とーちゃん! その矢、返しがついてるよ。矢を折って反対側から引き抜いた方がいいんじゃない?』
『あ、ああ……。そうか……。』
セラフィムは莉奈を抱き起こすと、春翔に莉奈の体を支えてもらい矢をぼきりと折った。
少しでも痛みが少ないようにと、矢じりを掴んで一気に引き抜く。
『それじゃあ、そこに莉奈を寝かせて。少し離れてね。』
ウィルの言葉に従って、春翔とセラフィムは少し距離を取った。
パアアアアアアッ……
ウィルが手をかざすと、莉奈の体が白い光に包まれた。
血の気を失い、真っ青だった莉奈の顔に、だんだん血色が戻って行く。
『さあ、怪我は治ったよ。でも失った血はすぐには戻らないから、しばらくは安静にしててね。』
ウィルは優しくセラフィムに微笑んだ。
体全体から淡い光を放つウィルは、神々しいほどの美しさだった。
『莉奈っ! ああ、ウィル! ありがとう! ウィルにこんなことが出来るなんて知らなかったよ!』
莉奈の顔を覗き込み、血色が戻っているのを確認したセラフィムの頬を安堵の涙が伝う。
「顔色が戻ったぞ!」
「本当、奇跡だわ!」
「すごい! 奇跡だ!」
「よかったわ!」
莉奈の周りに集まって事態を見守っていた招待客たちは、口々に奇跡が起きたと言い喜びに沸いた。
『僕は光の精霊なんだけど……。治癒は光魔法の一つだよ、知らなかったの?』
『知らなかったよ!!! 本当にありがとう! やっぱり俺の精霊はウィルしかいない! ウィルは一生の相棒だ!』
『ふふっ。そうそう、お腹の子どもも無事だからね。』
美しい微笑みをたたえながら、ウィルはさらりと爆弾を落とす。
『『ええっ!?』』
春翔と海翔の目に浮かんでいた涙も一瞬で引っ込む衝撃だった。
『はっ? 何を言っている?』
『何を言ってるって、セラフィム。もう忘れたのかよ。ほら、この前王都に泊まった夜ーーー』
精霊の言葉が聞こえない者はともかく、春翔と海翔には丸聞こえである。
『ちょーーーーっと、待ったあーーーーー! 何を言う気だっ!』
『なんだよ、いつ作った子どもか忘れたみたいだから思い出させてやろうとしたんじゃねえか。』
『ソール……。もう、わかったから、黙ってくれ……。頼む。』
セラフィムは羞恥のあまり片手で目元を覆って俯いている。
((き、気まずい……))
母親の回復を喜びながらも、親の子作り事情を聞かされてげんなりする春翔と海翔だった。
「ハルト、何があったのか分からないが、リナさんはもう大丈夫なのかい?」
ブルースが春翔に声をかけた。
「はい。ウィルがなおしてくれました。」
「ウィルとは?」
「ひかりのせいれいのウィルです。」
招待客たちから、おおっと大きなどよめきが起こった。
「ええっ! なんだってっ! ひ、光の精霊とは、まさか、アクティース公爵家を守護する光の精霊ウィル様のことなのかいっ?」
周囲の驚きように、失言だったかもしれないと春翔は焦りだした。
『あれっ……、内緒だったのかな? でも目の前でこんなの見たのに、隠し切れるわけないよな?』
『春ちゃん、もう口を滑らせてるから、今から悩んでも仕方ないよ。』
美優は、おたおたする春翔の背中をぽんぽんと叩いた。
「あ、あなた方はもしや………。」
「ブルースさん、どうか今はそれ以上口にしないでください。時が来たらご説明いたします。」
セラフィムの言葉に一同は頷いたが、人々の目が期待に輝くのは隠しようもなかった。
「おう、ハルト! ところで賊どもはどうするんだ? 屋敷の裏側は俺たちで見回って、賊どもを一箇所に纏めて転がして来たぜ。」
腕に覚えのある者たちが、精霊たちが戦った後の賊の回収に奔走してくれていたようだ。
「レオンさん、ありがとうございます。」
「すぐに尋問した方がいいだろうね。時間が経つと黒幕に逃げられてしまうよ。」
ブルースからの助言で、春翔は緩みそうだった気持ちをグッと引き締めた。
「はい。わかりました。おとうさま、じんもんをしなくてはなりません。」
セラフィムも真剣な顔で頷く。
「そうだな。よし、それじゃあ、ハルトは一緒に来てくれ。カイトはスカーレットとここにいてくれ。もしまた襲撃があったら結界を頼む。」
「うん、わかったよ。ここは任せて。」
そう言って、海翔は数人の男たちと共に尋問に行く父と兄を見送った。
セラフィムは、先ほど戦ったリーダー格と思しき男の前に立ちはだかった。
「おい。誰の命令でこの屋敷を襲った? 何が狙いだ?」
「………。」
男は目を合わせようとはせず、他の者たちも俯いて口を閉ざしたままだった。
「言っておくが、一人だけ生かして残りを全員ぶち殺してもいいんだぞ。俺を甘く見ないことだ。命が惜しいやつは黒幕の名を言え。」
セラフィムはドスの効いた声で賊を脅した。
目の前の男が本気になれば、自分達などあっという間に殺されてしまう。
あの魔法のような剣技を目の当たりにした賊たちは、ぶるぶると震え上がった。
「……俺はまだ死にたくないっ! 命令されて仕方なくっ!」
「おいッ、やめろ!」
「だから英雄の屋敷に押し入るなんて無謀だと言ったんだっ! 俺も死にたくない!! 」
「俺だって死にたくない! 無理やりやらされたんだっ!」
リーダー格の男の制止を無視して、賊たちは我先にと話し始めた。
「正直に話せば、命だけは奪わない。それは約束しよう。」
「ほ、本当か……?」
一人の男が、恐る恐るといった様子で念を押した。
「本当だ。誰が命じた?」
「……この、旧アクティース公爵領の……、代官の命令だ。」
「なんだとっ!?」
見る見るうちにセラフィムの表情が夜叉のように変わった。
公爵邸に我が物顔で住み、重税を課して領民を虐げている時点でも許せなかった。
その上、命まで狙うというのか。
怒り心頭のセラフィムは、数えきれない悪業の対価を、必ず代官に払わせると心に誓うのだった。
早々に尋問を終えたセラフィムは、招待客たちにこれから公爵邸へ乗り込むことを宣言した。
「皆さん、襲撃犯が分かりました。この屋敷を襲わせたのは、アクティース公爵領の代官です。私は公爵邸へ乗り込みます。ここは私の息子が守りますので、皆さんは安全が確認できるまでもうしばらくここに留まってください。」
「なんですって? 無慈悲な人だとは分かっていたが、ここまで恐ろしいことをするとは……。たったお一人で行かれるのですか?」
ブルースは驚きながらも、これから公爵邸に乗り込むというセラフィムを気遣った。
「いえ、ハルトを連れて行きます。では皆さん、また後ほど。ソール、公爵邸まで頼むよ。」
「おう。」
春翔とセラフィムは、一瞬で招待客たちの目の前から姿を消し、公爵邸にある代官の執務室へと転移した。
ふと人の気配を感じた代官は、机から視線を上げた。
「なっ! ど、どうやって入ったッ!?」
突然人が現れたことに驚いた代官は、椅子を倒さんばかりにガタガタと鳴らした。
「殺した筈の男が目の前にいて驚いたか? なぜ屋敷を襲わせたのか理由を聞かせてもらおうか。」
「貴様ッ! 皆の者! 侵入者だ!」
蒼白になった代官が声を張り上げる。
「ソール、屋敷の地下牢へ連れて行ってくれ。」
「おう、任せろ!」
次の瞬間には、三人は公爵邸の地下牢にいた。
そこには20人ほどの若い女性たちが囚われていた。
「なんだこれはっ? 一体どうなってるんだ!? おい、説明しろっ。」
誰もいないと思って転移してきたにもかかわらず、薄暗い地下牢に大勢の女性が囚われている。
予期せぬ光景に面食らったセラフィムは、代官を揺さぶって問い詰めた。
「た、助けてくださいっ! 私たちは、税代わりに村から連れて来られたんです! ここから出してっ! 村に帰りたい!」
「なんという酷いことを……! お前には今までしでかした事の報いを必ず受けさせる! さあ、なぜ俺の屋敷を襲ったのか言えっ!!」
セラフィムは怒りに任せて、代官の首元を掴んでそのまま宙に吊り上げた。
「ぐっ! やめ、苦しい…ッ。私は、アスパシア様に命じられたのだ…ッ!」




