第63話 氷の精霊
ここ数日、春翔たちは慌しく日々を過ごしていた。
屋台購入を含む開業準備、そこで売る商品の試作、干しあがった稲の精米作業、結婚パーティの準備などなど、やるべきことが目白押しなのだ。
そこで、女性陣は商品開発と結婚パーティ、男性陣は商人ギルドでの情報収集や精米作業というように、分担を決めて仕事を捌いていくことにした。
新しい使用人の雇い入れも急務だ。
アレス叔父たちが帰る時には、馬の世話をしてくれているエイダンも一緒に帰ってしまうのだ。
セラフィムは、ケイラとマルクを書斎へ呼んで新しい使用人の伝手はないかと聞いてみることにした。
「呼び出してすまない。実は、家族が増えたので使用人を増やそうと思っているんだ。誰か伝手はないかな? いま手伝いにきてくれている娘さんたちも、よかったらずっと働いてもらえないだろうか。」
「まあ、それはよかったです。実はどうにも手が足りずに、エイダンさんにも力仕事を手伝ってもらっていたほどなんです。」
「そうだったのか。それは悪いことをした。」
確かに、考えてみればマルク一人で力仕事を一手に引き受けるのは大変なことだ。
蛇口を捻れば水が出てくる日本とは違って、水汲み一つとっても重労働なのだ。
「男手は少なくともあと二人は必要です。こちらのお屋敷は奥様やお嬢様のお世話がいりませんので、女手はあと一人くらいでいいのではないでしょうか。親戚の娘たちは、ずっとここで働けたらと申しておりましたので、きっと喜んでお申し出をお受けすると思いますよ。」
「奥様やお嬢様の世話とは? 普通はどういうことをしているんだ?」
ケイラの口から出た言葉に、セラフィムは訝し気な顔をした。
「お着替えやお化粧、髪を結ったり、入浴のお世話をしたりといったことです。」
「ああ、なるほど。それは不要だな。手伝ってもらう習慣がないから本人たちが嫌がるだろう。」
セラフィムは納得したように頷いた。
「それで、誰かいい人を紹介してもらえるかな? それから、マルクには使用人頭になって皆を纏めてもらいたいんだが、どうだろう?」
「いえ、私は……、口下手なものですから。そういうことは妻の方が得意で……。」
突然の申し出にマルクはもごもごと口ごもりながら、その役割は妻の方が向いていると遠慮した。
「しかしなあ。夫婦で夫の方が部下になってしまうというのは…。それなら、男性の使用人はマルクが、女性の使用人はケイラが纏めるということでどうだろう? それなら対等の立場だ。」
「まあ、いろいろとご配慮いただきましてありがとうございます。もちろんお受けさせていただきます。新しい使用人も、私どもの親戚や友人に聞いてみましょう。」
「助かるよ。よろしく頼む。」
使用人夫婦は一礼すると、笑顔で退出していった。
ぴゅうー。
ピュウの帰りを今か今かと待ち構えていたアレス叔父は、開け放った窓から翼竜の鳴き声が聞こえた途端、大喜びで庭へ飛び出して行った。
白い翼竜はバサバサと音を立てて近づくと、アレス叔父の差し出した腕にとまった。
「おおピュウ! 待っていたぞ。よしよし、いい子だ。」
ピュウはアレス叔父に甘えるようにぴゅうぴゅうと鳴いた。
「さあ、手紙を見せておくれ。そうしたらご褒美の果物をあげよう。」
アレス叔父はテラスのテーブルに小さな翼竜をちょこんと座らせると、体に取り付けたカバンから手紙を取り出した。
そして素早く手紙に目を走らせると、傍に控えていた手伝いの娘にセラフィムを呼んでくるよう申し付けた。
「アレス叔父様、お呼びでしょうか。」
セラフィムがテラスに出てみると、アレス叔父は椅子に座って膝に乗せたピュウを撫でまわしているところだった。
「うむ。王都から返事が届いたのだ。やはり思っていた通り家庭教師を引き受けるそうだ。下宿先は家庭教師の姉夫婦の家に頼めると書いてある。その家は男爵家なのだが、同じ学校に通う娘がいるからちょうど良い。きっと学校でも面倒を見てくれるだろう。」
「それはよかった! 同じ学校に通う娘さんがいるとは心強いです。それでいつ先生をお迎えに行けばよろしいでしょうか?」
海翔が流暢なアレクサンドロス語を話せるとはいえ、この国の常識に疎いのは如何ともしがたい。
子ども達だけで王都の学校へ通わせることを心配していたセラフィムは、同じ学校に通う娘を持つ家族を紹介してもらえることになりほっと胸を撫で下ろした。
「向こうは準備に一週間あれば十分だそうだ。セラフィは近頃忙しそうだが、一週間後の都合はどうだ?」
「もちろん先生のご都合に合わせますので、ご心配は不要です。まだ商売も始めておりませんし、2~3日くらいなら何とでもなります。皆で王都へ行きましょう。よい気分転換になります。」
「そうか。それでは今日から数えて一週間後に迎えに行くと返事をだそう。」
ピュウが着いたことを手伝いの娘に聞いた春翔たちが、果物の皿を持ってテラスへとやってきた。
セラフィムが一週間後に家庭教師を迎えに王都へ行くことになったことを伝えると、子ども達からわあっと歓声があがった。
「おとうさま、おうとになんにちとまりますか?」
「開業準備やらで忙しいからな。2泊程度で考えてる。」
「お父さん、いきなり街中にみんなで転移するの?」
さすがに人前にいきなり現れては騒ぎになる。
「……それはまずいだろうな。アレス叔父様、転移先は家庭教師の先生のお宅でしょうか?」
「転移先か。そういえば、王都を出る時に正門を通ってしまったな。私が王都を出た記録が残っているだろうから、戻る時も検問所を戻らねばならん。最初に待ち合わせた街道沿いの休憩所に転移して、そこから馬車で王都へ入るとしよう。
セラフィたちが帰る時は、王都から直接この屋敷へ戻っても問題ないぞ。私の連れであれば検問を受けずに通行できるからな。」
「はい。承知いたしました。」
アレス叔父とセラフィムが転移先を検討しているうちに、子ども達の興味の対象は既にピュウへと変わっていた。
ピュウは春翔と海翔にかわいいかわいいと構われて機嫌がよさそうだ。
美優はというと、ピュウのためにせっせと果物を切って種を取り除いている。
「ピュウ、きれた! はい、あーん!」
美優が果物を差し出すと、人に慣れたピュウはぱくりと食べる。
「かわいい! ミユちゃん、僕もあげてみたい!」
「ハルトもあげてみたいです。」
「いいよ!」
美優の翼竜ではないのに、なぜか美優が餌を与える許可を出す。
皆が目を細めて翼竜と戯れているところへ、ソールとウィルがパッと姿を現わした。
「おう、ハルト! さっそく氷の精霊を連れて来てやったぜ! ありがたく思えよ!」
ソールはふんぞり返って言い放った。
「ソールがフラウにおねがいしてくれましたか?」
「いや? 話をしたのはウィルだ。」
ならなぜそんなに偉そうなのかと思いつつ、春翔はウィルの方を向いた。
「ウィル、ありがとうございます。こおりのせいれいはどこですか?」
「フフッ、ここに隠れてるよ。」
ウィルは横からソールの懐に手を入れると、服の中から両手に乗るくらいの小さな毛玉の塊を取り出した。
白地に豹柄の美しい毛皮に、もふもふの長い尻尾、宝石のような青い目をした愛らしい動物がきょとんとした顔で春翔を見ている。
「みー。」
「うわ! えっ、ーーーねこのあかちゃん?」
「雪豹だよ。やっと最近動物の形態をとれるようになったんだ。かわいがってあげてね?」
『うおーーーーー! もふもふ! もふもふ! …………あれ?』
氷の精霊のあまりの愛らしさに我を忘れて突進していったものの、春翔の手はむなしく空を切った。
『えっ、なんで??』
何度手を伸ばしても、スカッスカッと素通りしてしまう。
「ハルト、氷の精霊を触ろうと思ってるの? フフッ、それは無理だよ。精霊は霊体、実体はないんだよ。」
「そんな……。めのまえにいるのにさわれません……。」
春翔はがくりと肩を落とした。
「へえ、本当に可愛いな。触れないとは俺も残念だよ。」
「僕も触ってみたかった。かわいいなあ。」
「ほう、これは愛らしい。私も触れないのは残念だ。」
氷の精霊の姿を見たセラフィム、海翔、アレス叔父が口々に言う。
「ぴゅう!」
精霊の姿が見えるピュウも氷の精霊が気になるらしく、近くにパタパタと飛んでいった。
すると氷の精霊はウィルの手から飛び上がり、ピュウの頭の上にちょこんと座った。
「あッ、ピュウのあたまにすわっています! ピュウはせいれいにさわれますか?」
「フフッ、浮いてるだけだよ。ハルト、手を出して氷の精霊を呼んでごらん。」
「こおりのせいれいさん、ハルトの手にきてください。」
雪豹の姿をした氷の精霊は、フンフンと春翔の手のひらの匂いを嗅ぐと、みいと鳴いて春翔の手に乗った。
ウィルが言ったように浮いてるだけらしく、重さはまったく感じない。
ぱああと表情を明るくする春翔を見て、ウィルはやさしく微笑んだ。
「ハルト、よかったね。その子に名前を付けてあげると喜ぶよ。」
「ハルト、しっかり面倒見るんだぞ! じゃあな!」




