第60話 新しい商売
皆がわいわい言いながらチョコレートを食べる様子を見守っていたセラフィムは、ブルースに商売立ち上げの話を切り出した。
「ブルースさん、実は折り入ってご相談があるのです。」
さんざん世話になったウィンタースティーン商会の商売敵になるつもりは毛頭ないが、かといってロイヤルティだけでは大家族となった自分たちの生計を立てるのには心もとない。
漠然と食べ物を扱いたいと思っているものの、具体的な商売の始め方が何もわからないため、ブルースに指導を仰ぎたかったのだ。
「実は、私は冒険者を引退して、家族で商売を始めようと思っているのです。こちらの商会は主に保存のきく食品を扱っているようですが、私たちは料理屋や屋台のように、その日のうちに食べきるような食品を売ろうと思っています。なにぶん素人ですので、いろいろとご指導いただけたらと思いまして。」
「おお、そうですか。Sランクの冒険者が引退を決意されるとは、ずいぶん思いきりましたね。しかし、長年離れ離れだった家族にやっと再会できたのですから、もう危険な仕事はしたくないというお気持ちはよくわかります。私に出来ることがあれば、もちろん手助けいたしましょう。」
ブルースは快く引き受けてくれた。
商売敵になられては困るが、扱う商品が違うのであればむしろ新しい取引相手になってくれるだろうという腹積もりもあった。
「ありがとうございます。どこから手を付けるべきかもわからないほどの素人なのですが…、まずは店舗を借りるところからでしょうか?」
「はっ? て、店舗? もう何を売るのか商品は決まっているのですか? それはどれくらいの売り上げが見込まれますか?」
ブルースはいきなり店舗などと言い出したセラフィムに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
商家に生まれついた跡取りでもなければ、行商や屋台などを経て顧客を掴み、ある程度の安定した収入が見込めるようになってからやっと店舗を構えるのが普通だ。
商売を興すというのは、店舗を持てずに行商や屋台で一生を終えるものもいる程の茨の道である。
努力するのはもちろんのこと、商才がなくては店舗を構えることなどできないのだ。
「いえ…、商品はまだ何も…、これから相談して決めようかと……。」
ブルースの様子を見て、だいぶおかしなことを口走ってしまったらしいと気付いたセラフィムは、しどろもどろになっている。
「悪いことはいいません。店舗はしばらく待った方がいいでしょう。店を構えれば、それだけ支払う税金も重くなります。私も商売は行商から始めたのですよ。料理を売るのであれば、まずは他の屋台でどんなものを売っているのか、どんなものが売れているのかを調べて、何を商品にするかを決めてください。
いくつか候補を作って、実際に日替わりで売ってみるのもいいでしょう。もしその商品が売れなかった場合は、どんどん別のものに差し替えてください。そうして、売れる商品を見極めて行くのです。」
「なるほど、まずは売れ筋を『マーケティング』、いえ、市場調査する必要があるのですね。」
セラフィムはふむふむと頷いた。
優士や美優も真剣なまなざしでブルースの説明に聞き入っている。
「屋台を始める場合、商人ギルドに登録をして保証金を支払う必要があります。そうすると屋台を置く場所を与えられるのですが、保証金の金額は場所によってまちまちですね。正門前広場や中央広場の良い場所は少し値が張りますが、その分売り上げも見込めます。
一月後には売り上げの二割を税金として納める他、場所代を支払う必要があります。もしまったく売れなかった場合は、保証金から場所代を引かれることになりますよ。保証金が底をついたら商売を続けることはできません。」
「な、なるほど…。ところで、売り上げの二割とおっしゃいましたか? 純利益の二割ではなく?」
「はい。売り上げの二割です。昔は売り上げから経費を引いた純利益の二割だったのですが、代官が来られてから税率が上がりましてね。ああ、店舗を構えた場合はもっと税金が高くなりますよ。」
「そうですか…。」
ど素人ゆえの短絡さで、もっと簡単に商売を立ち上げられると思っていたのだが、いろいろ煩雑な手続きがある上に想像以上に税金が高かった。
自分に切り盛りできるのだろうかと心配になる。
「まだ商品が決まっていないようでしたら、まずは商品を決めて、それから商人ギルドへ登録した方がよいでしょう。私のおすすめは中央広場の屋台ですね。大きな店が立ち並ぶ大通り沿いですから、買い物帰りの女性客も多く訪れます。正門前広場はどうしても男ばかりになってしまいますからね。」
「よく分かりました。ご助言いただきありがとうございました。まったくの素人でお恥ずかしい限りです。」
「いえいえ。何なりとお尋ねください。私どもも、これからもよい関係を築いていきたいと思っておりますよ。……ところで、お国のソコラタの製法なのですが、これはいったいどのようにして固めているのかご存じで?」
「いえ、私はまったく。リナ、作り方わかるのか?」
セラフィムは考えるそぶりすらすることなく、莉奈に丸投げした。
「わたしもつくったことはありませんが、くにからほんをもってきていますので、それにかいてあるかもしれません。しらべてみます。」
「是非ともよろしくお願いいたします!」
これは確実に売れる、商人としての勘がそう言っている。
ブルースは是が非でも作り方を知りたいと意気込んだ。
商売の話が一段落すると、今度はレオンとアリシアの結婚パーティの話題になった。
二人は遠慮しながらも、とても喜んでくれた。
「おにわがキレイだから、おにわでパーティ! おいしいものたくさんつくる! アリシアさんのおとうさまもおかあさまも、よぶがいい!」
「えっ、両親を?」
「私たちが暮らしていた国では、両親や親戚、友人など大勢の人を招待して結婚を盛大に祝う慣習があるのです。よかったらアリシアさんとレオンさんのご両親も招待されては?」
セラフィムの言葉に、自分たちが皆に祝福されている場面を思い描いたのか、アリシアは夢見るような表情になった。
しかし、やっと借金を返し終わる自分たちには、両親を遠い故郷からエリミアの街へ呼び寄せる金銭的な余裕などある筈がないとため息が出た。
「ありがたいお申し出ですが、とてもそんな余裕はーー」
「アリシア、レオン。もうそろそろ港町へ仕入れに行くことになっているだろう? その時に一緒に連れてくればいいじゃないか。うちの従業員部屋に泊まれば宿代もかからないし、帰りの乗合馬車代くらいならば都合がつくだろう?」
「ブルースさん、そこまで世話になっていいのか…?」
レオンは遠慮がちにブルースを見た。
「いいんだよ。私も二人の結婚を祝う席が楽しみだが、実の親なら尚更だろう。親孝行してあげなさい。」
「ブルースさん…、ありがとう。ジョーンズさんも本当にありがとうございます。」
「こんなに良くしていただいて…、ジョーンズさんもブルースさんも、何とお礼を申しあげればよいのか言葉が見つかりません。」
レオンとアリシアは、自分たちの結婚にここまで心を砕いてもらえる感動に声を震わせながら礼を言った。
ウィンタースティーン商会を出て、一行は次の目的地である貸し馬屋に向かった。
『せっかく正門前まで行くんだから、貸し馬屋の用事が済んだら早速マーケティングをしてみよう。』
『賛成!』
美優は大乗り気で手を上げている。
『俺も! なんか食いたい!』
『お兄ちゃん、さっきチョコレートドリンクとお茶菓子食べたばっかりだよ。』
『俺は成長期なんだよ。甘いの食べたし、今度はしょっぱ系が食いたい。』
貸し馬屋に着くと、セラフィムは早速店の男に馬の買取りをしたいと打診した。
セラフィムは栗毛の馬を気に入っていたようで、二頭とも買い取りたいと言っている。
店の男は、気性が荒く手を焼いていた黒馬を買い取ってもらえるのはありがたいが、栗毛の馬は賢く従順なため手放すことをだいぶ渋っていた。
「頼むよ。栗毛の馬も譲ってくれるなら、少し高くなっても構わない。」
それを聞いた美優が眉を吊り上げた。
『莉奈ママ、あんなこと言ってるけどいいの? 普通ここは値引き交渉するところでしょ!』
『セラフィはお坊ちゃん育ちだから金銭感覚がねぇ……。実のご両親はアメリカのお義父さんたちに輪をかけたお金持ちだったし、あの叔父様もなんだかものすごいお金持ちみたいよね?』
そういう莉奈も大学教授の娘で、お金に困ったことがない。
日本にいた時から、何でもどんぶり勘定で済ませてしまう一家だった。
『ううー、私が代わりに交渉したいくらいだよ。馬がいくらかなんて相場が分からないのがもどかしい。』
一方の美優は、父一人子一人のサラリーマン家庭で育ち、早いうちから食費や光熱費などの家計の管理も任されていたため、中学生とは思えないほどしっかりしている。
美優は歯噛みしながら、セラフィムの呆れた交渉ぶりを見つめるのだった。




