第58話 黒い影
『……とーちゃん、落ち着いて。瞳の色が変わってる。』
不穏な空気に気づいた春翔は、とっさに小声でささやいた。
セラフィムはその警告にハッとして目を伏せると、ゆっくりと深呼吸をして気を落ち着かせた。
その間も代官は食い入るようにセラフィムの顔を凝視したままだ。
聖堂の中は暗いが、瞳の色に気付かれたかもしれない。
春翔は代官の様子に不安を感じた。
「ーーああ、そういえばアレス殿下は、ジョーンズ殿の屋敷に滞在されているのでしたな。」
「うむ。王都からの護衛を依頼したのだが、いたく気が合ってな。アクティース公爵家の別邸を賜ったと聞いて、世話になることにしたのだ。」
「左様でございましたか。皆さま、よろしければこの後、屋敷の方にお茶をご用意させていただきますが、いかがでしょうか?」
明るいところに引き出して、顔をよく確かめたい。
そんな目論見が透けて見えるような招きだった。
「いや、結構だ。この後所用があるのでな。祈りが済んだら失礼する。代官は忙しい身であろう。私たちのことは気にせず、仕事に戻るとよい。」
「いえ、しかしーー」
なおも言い募ろうとする代官を遮り、アレス叔父は言葉を続けた。
「ああ、そういえば。代官は王よりこの屋敷の管理を任されているに過ぎない。”我が屋敷”などと言っては、謀反を起こして我が物にしようとしていると捉えられても仕方がないぞ。」
「ーーい、いえ、決してそのような!」
「今後は気を付けるがよい。下がれ。」
「ははっ。それでは、これにて失礼させていただきます。」
代官はアレス叔父からの叱責に冷や汗をかきながら、足早に引き下がって行った。
代官が聖堂を出て屋敷の方向へ去って行ったのを確認すると、春翔は心配そうにセラフィムに尋ねた。
『とーちゃん、あの人、とーちゃんの顔ガン見してたけど……、大丈夫かな? なんか嫌な感じの視線だった。』
『まずかったかもしれん……。』
アレス叔父も代官の視線には気付いていた。
アレス叔父とセラフィムは、顔の作りはそう似ているわけではなかったが、髪の色や目の色、それに体格や持って生まれた気品など共通する部分も多い。
その二人が並んでいれば、セラフィムが王族の血筋であると見抜かれる可能性は否定できなかった。
「代官は勘付いただろうか。」
「そうかもしれません……。」
「なに、3体もの守護精霊がセラフィを守っているのだ。神力を自由に発動できるようになった今となっては、代官など恐れるに足りん。」
そう言ってアレス叔父は、慰めるようにセラフィムの肩をぽんぽんと叩いた。
代官の乱入で興をそがれた一行は、祈りを捧げ終わると早々に聖堂を後にした。
公爵邸の広大な敷地は別邸の数倍はある広さで、美しく手入れされた庭園はそれは見事だったが、ゆっくり見て回るほどの気持ちの余裕はなかった。
(両親の墓参りをするのに、あの男の許可を得なければならないとは……、俺は不甲斐ない息子だ……。)
セラフィムは無言のまま馬車へと向かっていたが、ふと屋敷の方に目をやると、外壁の一角が黒く焼け焦げたままになっていることに気が付いた。
来るときには気が付かなかったが、屋敷の裏手は襲撃事件があってから補修されておらず、そのままの状態で放置されていたのだ。
セラフィムは無残に焼け焦げた壁を目の当たりにして、まざまざとあの晩の記憶が蘇り、ぎゅっと胸を締め付けられた。
思わず足が止まり、心臓の上を掴むようなしぐさをする。
セラフィムの視線の先に気づいた一行は、足を止めると痛ましそうにセラフィムを見た。
『あなた……。帰りましょう。』
莉奈は左胸を掴んだセラフィムの手に自分の手を重ねて、いたわるように優しくさすった。
「セラフィ、すまない。屋敷が補修されていないことを事前に言っておくべきだった。代官には何度か補修を勧めたのだが、不作で税収に余裕がないなどと言われてしまってな。」
「いえ、アレス叔父様のせいではありません。どうか謝らないでください。」
暗い気持ちを引きずったまま公爵邸を出ると、セラフィムは馬上から屋敷を仰ぎ見た。
両親との思い出が詰まったこの屋敷を取り戻したい。
今日の訪問で、必ずアクティース公爵家を再興すると決意を新たにするセラフィムだった。
ジョーンズ邸に戻ると、アレス叔父は午前中のうちに翼竜に手紙を託したことを告げた。
「今朝、ピュウを王都へ向かわせた。おそらく1週間以内には返事が来るだろう。王都の学校のことも調べておくよう頼んでおいたぞ。私たちは家庭教師を迎えに行く日に王都へ送り届けてもらおうと思っている。そうだ、どうせなら皆で王都へ行こうではないか。お前たちも学校の下見をしたいだろう。」
「ありがとうございます。子どもたちが通える学校はいくつもあるのでしょうか?」
セラフィム自身はアレクサンドロス王国の学校へ通ったことが一度もないため、この国の学校に関する知識をほとんど持っていなかった。
「貴族が通う学校や、貴族と平民が通う学校、平民のみが通う学校などいくつかあるが、子どもたちには貴族と知り合う機会があった方がよいと思ったのでな。貴族と平民の両方が通える学校について調べてもらっている。」
「そうですか。ありがとうございます。」
やはり今後のことを考えると、貴族とも関わりを持った方がよい。
セラフィムも、アレス叔父の意見に異論はなかった。
「まさか、エリミアの街から王都まで転移で通っていると公言するわけにはいかないからな。王都に下宿していることにした方がよいだろう。下宿先についても家庭教師に頼んでおいたぞ。」
「何から何まで申し訳ありません。しかし、家庭教師を引き受けてくださると決まったわけではないのに、そんなにいろいろお願いしてよかったのでしょうか?」
思っていた以上に家庭教師候補者へ負担がかかっている。
「なに、あれは以前から窮屈な王都を出て自由に暮らしてみたいと言っていたのだ。きっと引き受けるだろう。一人で自由にさせるわけにはいかないが、守護精霊に守られているここならば安心して任せられるからな。」
「その方はどのようなご関係の方なのですか?」
「あれは私の……、ーーー乳母の孫だ。」
セラフィムがアレス叔父と家庭教師候補者との関係を問うと、なぜか奇妙な間があった。
「はあ。アレス叔父様の、乳母のお孫さん。」
乳母の孫では全くの赤の他人ではないか。
そんな遠い関係の人に、学校の手配やら下宿の手配やら、雑多な厄介ごとを押し付けていいのだろうかと心配になってくる。
「乳母はもう亡くなっているが、乳母の娘が私の侍女をしていてな。昔からの家族ぐるみの縁だ。乳母一家は口が堅く信用がおける。そこは安心してほしい。」
「はい。」
「家庭教師になる娘はとても気立ての良い娘だぞ。お前たちもすぐに仲良くなれるだろう。」
アレス叔父は、はははと笑い声をあげた。
セラフィムは、気立ての良い娘と聞いてほっとしていた。
家庭教師を頼んだはいいが、この国に慣れていない莉奈たちにあまり厳しくしてほしくないと思っていたのだ。
師であるだけでなく、良き友人にもなってくれたらと願うセラフィムだった。
日が沈むころ、代官の執務室にコンコンというノックの音が響いた。
「お呼びでしょうか。」
執事が一礼して入室してきた。
「この手紙を急いで王都へ届けさせろ。」
執務机の向こうから、イライラとした様子の代官が投げるように手紙をよこした。
「今からでございますか? もう暗くなりますので、この時間では翼竜便は受け付けてもらえないかと…。」
「うるさい! 緊急事態だと言って何としても翼竜を飛ばせ!」
「は、はいっ!」
激高する代官に恐れをなした執事は、大急ぎで部屋を飛び出して行った。
その夜、エリミアの街の上空には、闇に紛れるように空を舞う黒い翼竜の姿があった。




