第49話 アリシアの出自
セラフィムがアリシアを自分の屋敷に招待していると聞いたレオンは、締まりのない顔を一変させていきり立った。
ライオンのたてがみのような豊かな赤毛が逆立っている。
「なにっ! まさか、俺のアリシアを口説くつもりじゃないだろうな?」
「……おとうさまは精霊のことをはなしたいです。しんぱいなら、レオンさんもいっしょに来てください。ハルトのおかあさまももうすぐこっちにきます。おとうさまはおかあさまが大すきです。」
春翔は生温かい目でレオンを見ながら、アリシアと一緒に来るよう招待した。
美優も呆れた目でレオンを見ている。
「お、おう。そうかよ。アリシアが美人だから目を付けられたのかと焦ったぜ。」
「ふふっ、レオンたら。」
いちゃつく二人をうんざりした顔で一瞥すると、ブルースはレオンに代わって失礼な発言を詫びた。
「ハルト、すまないね。もうすぐお母さんが来ることになったのかい?」
「はい。ハルトのおとうとと、ミユのおとうさまも来ます。これからはエリミアの街で一緒にくらします。」
「おお、それは良かった。」
ブルースは、大平原をさまよっていた春翔と美優が家族に会えることになったと聞いて、表情を明るくした。
「ハルトのおかあさまが来たら、みんなうちにあそびにきてください。おいしいものたくさん作ってもらいます。」
「おいしいよ! ミユより、ずっとおりょうりじょうず!」
「それは楽しみだ。ぜひお邪魔させてもらうよ。」
お茶を運んで来たルシアとルーチェも交えてしばらくおしゃべりを楽しんだ後、春翔と美優は屋敷へ戻った。
「ただいまかえりました。おとうさま、アリシアさんはあしたお休みです。ひるまえにレオンさんといっしょに来てくれます。」
春翔は居間でくつろいでいたセラフィム達に、明日アリシアが訪問してくれることになったことを報告した。
「そうか、思ったより早く会える事になってよかった。」
「うむ。ウンディーネを探す手がかりが見つかるとよいのだが。」
翌日、ゴンゴンと力強いノッカーの音が響き、客人の来訪を告げた。
待ちかねていた春翔と美優は、扉へ向かうケイラの脇をすり抜けて玄関ホールへ走って行った。
扉を開くと、髭を綺麗に剃って髪を撫でつけ、精一杯めかしこんだレオンと、爽やかな青いワンピースを着たアリシアが緊張の面持ちで立っていた。
「アリシアさん、レオンさん、こんにちは! どうぞ、はいってください。」
「すげえな、これが貴族の屋敷か。貴族の屋敷に入るなんて初めてだから緊張するぜ。」
「本当、豪華なお屋敷で圧倒されてしまうわね。」
緊張する二人を居間へ案内すると、セラフィムがさっと立ち上がり、急な招待を受けてくれた礼を言った。
「アリシアさん、レオンさん、お休みのところお呼び立てして申し訳ありません。本日はよく来てくださいました。さあ、どうぞこちらへお掛けください。」
「お招きいただきありがとうございます。」
セラフィムは二人にソファを勧め、それぞれの紹介しようとしたところでアレス叔父をどう紹介するか打ち合わせていなかったことに遅ればせながら気が付いた。
レオンとアリシアが王族の顔を知っているとは思えないが、自分の叔父だと紹介してよいものなのかと言葉を詰まらせた。
「こちらは私のーー、ええと……。」
「私はセラフィの叔父のアレスだ。」
「ーーはい。こちらはアレス叔父と、エルフのパンテレイモンさんとエウフェミアさんです。そしてこちらは、ウィンタースティーン商会のレオンさんとアリシアさんです。」
「ようこそ。あなたに是非お会いしたいと願ったのは私なのだ。」
アレス叔父の発言に面食らったアリシアは、思わずアレス叔父の顔をまじまじと見つめた。
アレス叔父はセラフィムに似た面差しの堂々たる人物で、一度でも会っていれば忘れるとは思えない。
しかし、どう見ても初めて見る顔だった。
「失礼ですが、以前どこかでお目にかかっておりますでしょうか?」
「いや、会ったことはない。しかし、ハルトとミュウから話を聞いていたのだ。」
「ハルトとミュウから? どんなお話でしょうか?」
「君の精霊の話だよ。」
そこでお茶が運ばれてきたためアレス叔父は一旦言葉を切ると、使用人たちが退出するのを待ってアリシアを呼んだ目的を説明した。
31年前から水の精霊ウンディーネが行方不明になっていること、ウンディーネを探す手がかりを求めてアリシアの精霊に話を聞きたいと思っていること、そして、アリシアがヒュドール侯爵家の血を引いているのではないかということ、それらの謎を解くために話をしたいと望んだのだ。
「水の精霊ウンディーネ様が行方不明なのですか? そのような話は初めて聞きましたので、お役に立てるかどうか……。それに私はただの村娘で、父も母も村で暮らしています。侯爵家の血を引いているとは思えませんわ。」
アリシアは困惑しながら否定した。
「いや、精霊と契約出来る人間である以上、神力を持っている筈だ。神力を持たない人間には精霊が見えず、そもそも契約が成立しない。そして水の精霊を使役しているのであれば、ウンディーネが守護していたヒュドール侯爵家の血を引いている可能性が高い。
まだ少し話しただけだが、君はとても村娘とは思えぬ物腰と言葉遣いだ。それにその白金の髪色は、ヒュドール侯爵家に良く現れていた色でもある。31年前に亡くなった当主もそんな髪色をしていた。」
「私の両親は私が生まれる前は貴族のお屋敷に仕えておりましたので、言葉遣いは両親の影響かと思いますが……。」
アレス叔父はアリシアの顔を見て、記憶を手繰るように目を細めた。
「ヒュドール侯爵家には私よりも少し若いくらいの娘がいた筈だ。生きていれば50歳前くらいか。」
「私も神殿でヒュドール侯爵家の令嬢にお会いしたことがあります。確かによく似ていらっしゃいます。」
パンテレイモンも記憶の中のヒュドール侯爵家令嬢と、目の前のアリシアの顔を見比べているようだった。
「そんな、違います。私は貴族ではありません。」
「うむ。今はそれでよい。まだ襲撃事件の犯人が捕まっていないのだ。身分を隠しておきたい気持ちはわかる。」
「そうでございますとも。」
「だが、私は何としてでも近いうちに犯人を見つけるつもりだ。その後ならば身分を隠す必要はなくなるぞ。」
「そうです。今までご苦労されたことと思いますが、侯爵令嬢として正当な身分を取り戻すことが出来ますよ。」
アレス叔父とパンテレイモンにはまったく悪気がない。
しかし、一月後に平民であるレオンとの結婚を控えているアリシアにとって、突然本当の身分は貴族だと言われるのは迷惑でしかなかった。
「待ってください! 私はただの村娘です! どうか、どうか、私のことはそっとして置いてください!」
「アリシア……、本当は貴族令嬢だったのか……。」
レオンは青ざめた顔でアリシアを見つめた。
この国では、貴族は貴族同士、平民は平民同士と結婚するのが普通だ。
通常であれば、侯爵令嬢ともなれば、少なくとも伯爵家以上でないと釣り合いが取れないのだ。
到底レオンが結婚を望める相手ではなかった。
レオンは、幼い頃からずっと一緒にいたアリシアと、今になって身分が違うということが分かり愕然とした。
「レオン、私はただの村娘のアリシアよ。それ以外の何者でもないわ。」
「アリシア……。だが、俺はお前に相応しい暮らしをさせてやることは出来ない……。」
レオンは貴族の屋敷の豪華な居間をぐるりを見回すと、力なく声をおとした。
自分にはこのような暮らしをアリシアにさせることなど出来はしないのだ。
「私に相応しい暮らしって何? 私は、子どもの頃からずっとあなたと結婚することを夢見ていたわ。あなたと同じ家に住んで、子どもを育てて、家族のために家事をする、これ以上私に相応しい暮らしがあるの?」
アリシアは硬く握り締めたレオンのこぶしに自分の手を重ねて、やさしく微笑んだ。
「…っ! アリシア!」
感極まったレオンはガバリとアリシアを抱き寄せると、アリシアの首筋に顔を埋めた。
「アレスおじさま! アリシアさんとレオンさんはもうすぐけっこんする! じゃましちゃダメッ!」
ソファから立ち上がった美優が仁王立ちになってアレス叔父を咎めた。
「い、いや、邪魔するつもりはないぞ。好き合う相手がいるのなら、結婚すればよい。」
「これは申し訳ないことをしてしまいました。ここでの話は誰にも言いませんのでどうかご安心を。」
アリシアが平民であるレオンと結婚すると聞いて、自分達が余計な世話を焼いていたことを知り、アレス叔父とパンテレイモンはすまなさそうな顔をした。
アリシアとレオンは、二人の結婚を邪魔する気はないと聞いてほっと胸を撫で下ろすのだった。
エウフェミアは、空気が和んだところでアリシアの精霊を呼び出して欲しいと切り出した。
「アリシアさん、私達はウンディーネを探したいのです。アリシアさんの精霊とお話をさせていただけないでしょうか?」
「はい。いつも呼ばなくても私と一緒にいるのに、今日はどうしたのかしら? リア、顔を見せてちょうだい。」
アリシアが声をかけても現れない。
「リア? おかしいわね。リア? 話があるのよ、出てきてちょうだい。」
何度も呼びかけられて、根負けしたようにフッと現れたのは、水色の髪をした小さな女の子だった。




